第4話 ぐるぐる山手線

「さぁ、池袋に着いたわよ。ここで山手線に乗り換えね」


 多々良はそう言ってまたみんなを車外に追い出すと、さっきのロングシートの隊列に椅子を再び並べ直す。

 勝手がわかってきた若葉や阿左美も並べ替えに加わったので、作業はあっという間に終了した。


 ――プシュー。


 多々良がドアの開く音を真似る。

 阿左美が車内に乗り込もうとすると、慌てて多々良が抱きついてそれを阻止。けれどその手は、背後から阿左美の豊かな胸をちゃっかりと捕らえていた。


「えぇ? どうしたんですかぁ、先輩? 早く乗りましょうよぉ」

「危ないところだったわね。あのまま進んでたら、降りてくる人波に流されて、きっとはぐれてたわよ。山手線の乗り降りは命がけなんだから」


(そうだったかなぁ……?)


 若葉は山手線なんて、過去に数えるぐらいしか乗ったことがない。それも両親と一緒だったから、乗り降りに注意したことなんてなかった。

 それに引き換え、多々良の口ぶりはまるで毎日通学で乗っているかのよう。ここは彼女の指示に任せた方がよさそうだ。

 多々良の「さぁ乗りましょう」の合図で、若葉も車内へと乗り込む。

 そして若葉が椅子に腰掛けると、またしても多々良にダメ出しを食らった。


「その席にはもうサラリーマンが座ってるわよ。あなたは人の膝の上に座るつもり? 山手線には空席なんて存在しないのよ」


(いや、いないから。サラリーマンなんて、ここにいないから……)


 やれやれと、仕方なく立ち上がる若葉。

 けれど若葉の視線の先には、向かいの席にちょこんと腰掛ける六実の姿があった。


「あれ、六実先輩?」

「ちょっと六実、何座ってんのよ。山手線には空席なんてないわよ」

「ここに座ってた人なら、寝過ごしかけたみたいで、ドアが閉まる間際に慌てて降りて行ったよ。多々良は気付かなかった?」


 シレっと適当な言い訳で、六実は多々良の言葉をかわす。

 さらに若葉に向けてウィンクして、多々良の扱い方を教えてくれた。


「この子は偉そうなこと言ってるけど、そんなに電車に乗ったことないのよ。想像で言ってるだけだから、話半分で聞き流していいからね」

「はい、わかりましたー」


 部長としてのプライドを傷つけられたのか、多々良はプックリと頬を膨らせる。

 そして、すぐさま反撃に転じた。


「ちょっと六実、お年寄りがいるわよ。席譲ってあげた方がいいんじゃない?」

「ぷっ……そうね。どうぞ、どうぞ。まぁ、確かに立ってた方が雰囲気あるかもしれないしね。東京駅まで立って行きましょか」


 多々良が負けず嫌いな性格らしいことは、若葉にもすぐにわかった。そしてそれを見越したあしらい方、六実の方が多々良よりも一枚も二枚も上手だ。

 寸劇感覚で楽しむ、ちょっとリアルな雰囲気の電車ゴッコ。慣れてきた若葉は、それもまた楽しいと感じ始めていた。


「東京駅まで何分かかるんですか? 多々良先輩」

「二十四分ね」


 けれどこのまま、棒立ちで二十四分を過ごすのはきつい。

 実際の山手線なら、流れる景色を眺めているだけで間を持たせられるに違いない。だけど今は学校の教室、窓の外を眺めたところで、見えるのは校庭で活動している運動部だけ。

 若葉は仕方なく、多々良に話題を振ってみることにした。


「そういえば先輩は、どうしてわたしを部に勧誘したんですか?」

「ん? それはねー、あたしが柔らかいものフェチだからよ」

「ひどい。わたしって、そんなにプニプニしてるように見えますか?」

「あたしが可能性を感じたのはね、あなたのこのタコ焼きよ!」


(タコ焼き?)


 多々良の『タコ焼き』という言葉に、困惑の表情を浮かべた若葉。

 その隙を突いて、多々良は親指と人差し指で輪を作り、若葉の頬にあてがった。

 その輪からはみ出した頬肉を、反対の指で突いている多々良の表情は、エロさを感じるほどにうっとりとして見える。


「えへ、えへ……」

「多々良先輩……。ニヤケ顔、キモ過ぎです」

「あー。そういうときは、容赦なくひっぱたいていいからね」


 そう言って、若葉の代わりに多々良の後頭部をひっぱたいたのは六実。

 それでも多々良の緩んだ表情からは、反省の色は微塵も感じられない。


(そんなにわたしの頬っぺたって、お肉余ってるかな……)


 自分の手を頬に添えて、輪郭を確認する若葉。

 確かに丸顔だという自覚はあったが、いささかショックを受けた。

 ついでとばかりに頬の肉を上げたり下げたりして、若葉が顔面ストレッチをしていると、隣から阿左美のほんわかとした悲鳴が聞こえてきた。


「ふええええぇ、いやぁ。先輩、やめてくださいぃ」


 声のする方に顔を向けると、そこには阿左美の背後に回り込んで、背後から胸を鷲掴みにしている多々良の姿。

 しかも指先をくねらせながら揉みしだき、感触を確かめている。これじゃもはや、ただの痴漢だ。


 ――ぱっかーん。


 気持ちのいいほどの音を立てて、多々良の頭を六実が張り倒す。

 その右手に握られていたのは、ゴムの部分が赤い上履きだった。


「いい加減にしなさい!」

「ここは山手線よ、痴漢ぐらいいるでしょ? あたしは油断しないようにっていう警告のために、敢えてだね……」


 ――ぱっかーん。


 言い訳を遮って、二発目の上履きが多々良の頭頂部に炸裂。

 頭を抱える多々良は放置して、涙ぐむ阿左美に六実は優しく声を掛ける。


「阿左美ちゃん大丈夫? まったくー、今のは多々良が触りたかっただけじゃないのよ。こういうときは遠慮なんてしないで、ひっぱたいてかまわないからね」

「大丈夫ですぅ。ちょっとビックリしちゃっただけですからぁ」


 さっき山手線に乗り込んだときに多々良が阿左美の胸を掴んだのも、偶然じゃなかったんだと若葉は確信した。そして同時に、再びショックを受ける。


(阿左美は胸。わたしは頬っぺた……)


 触って欲しいわけじゃないけれど、そこは若葉の自尊心。

 柔らかいものフェチの多々良が選んだ身体の部位に、大いなる格差を痛感した。

 カチンときた若葉は、多々良に反撃ののろしを上げる。


「被害者は泣き寝入りしちゃダメです。痴漢は捕まえて、警察に突き出さないと!」

「良いこと言うわね若葉ちゃん。たまにはこの子も懲らしめてやらないとね」


 若葉の言葉に賛同した六実は、一瞬にして多々良を組み伏せる。

 武道の心得でもあるのか、それはあっという間の出来事だった。


「どうする、これ。窓から投げ捨てちゃう?」

「死んじゃう、死んじゃうから、六実。電車の窓から手や顔を出すなって、アナウンスだってあるじゃない」

「迷惑行為はおやめくださいってアナウンスもあるよねー、多々良」

「あ、六実。もう東京駅だから。東京駅に着く時刻だから降りないと……」


 ――ガラガラッ!


 タイミングよく開かれた教室のドア。

 そして同時に耳に届く、先生の声。


「こらー、いつまで居残ってるんだ。もう下校時刻だぞー」

「あ、公安官の方ですね。痴漢を捕まえたんで、引き渡します」

「何をバカなこと言ってるんだー。早く机と椅子を戻して帰れよー」



 ――こうして彼女たちの学校での一日は終わったが、『机上旅行部』の活動は今日始まったばかりだ。

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