第2話 出発は社会科室から

 放課後、担任の先生に尋ねて場所を突き止めた社会科室。

 未だに用途が意味不明な教室だけど、大きく息を吸い込んだ若葉は、意を決してそのドアを力をこめて開いた。


 すると目の前には、昼間廊下で声を掛けてきた先輩が。入り口に向かって待ち構えるように座るその姿は、さながら面接会場のよう。

 先輩の黒髪は、長めのストレートでツヤツヤ。金属フレームの眼鏡は、いかにも優等生という雰囲気。その影響で、面接官のように見えてしまったのかもしれない。

 そんな先輩に、若葉はわざと意地悪く尋ねてみる。


「来ましたよ、先輩。本当に好きなところへ連れて行ってくれるんですか?」

「その前に、名前は書いてきてくれたのかな?」


 そう言って、右の手のひらを上に向けて突き出す先輩。

 若葉は念のために、入部届と知りつつも名前は書いておいた。けれども、得体のしれない部に飛び込むほど、若葉は迂闊じゃない。

 ここは慎重に入部届はポケットに忍ばせたまま、若葉は様子をみることにした。


「いいえ、まだですけど」

「だったら、連れて行ってあげられないね。あなたの旅はここで終了よ!」


 冷酷無比な先輩の言葉。

 せっかくここまできたっていうのに、有無を言わさず門前払いじゃ納得いかない。

 感情的になった若葉は、ポケットからわら半紙を取り出すと、それを先輩に見せつけながら不満を露わにした。


「だって、これ入部届じゃないですか。提出しちゃったら、入部することになっちゃうんですよね?」

「ふっふっふ……。よくその罠に気付いたわね。その慎重さ、やっぱりあなたは我が部に入るべきよ」


(ちょっと、今罠って言った? 罠って自分で言ったよね?)


 三年間の中学校生活を左右する部活動。

 そんな貴重な時間を、罠を仕掛けるような部に捧げたくはない。

 けれど、若葉は入部の意思が全然ないわけじゃない。その気がなければ、そもそもここまでやって来ていない。

 ひとまず若葉は、活動内容について質問してみることにした。


「ここに書いてある『机上旅行』ってなんですか? 生まれてこの方、聞いたことがないんですけど……」

「『生まれてこの方』って、なんだか年寄くさいなぁ。生涯を語れるほど、あんたは長い年月を生きてきたの?」

「……おばあちゃん子のせいか、よく言われるんです。ほっといてください。それよりも活動内容を――」

「それは、その入部届を提出してからよ!」


 譲らない先輩。活動内容がますます怪しく思えてくる。

 若葉の好奇心の炎は、まだメラメラと燃え盛ったまま。けれども、賭けに出るのは危険だと心が呟いた。その直感を信じて、静かに社会科室から退室しようと、若葉は踵を返す。


「あー! 待って、待って、悪かった。あたしが悪かったから待って!」

「じゃあ、活動内容教えてもらえますか? 楽しそうな部だったら、わたしだって入部しますから」

「仕方ないわね……。いいわ、教えてあげる。『机上旅行』とは、文字通り机の上で旅行をすることよ、ババーン!」


 ご丁寧に効果音まで自分でつけた割に、先輩の放った言葉は単なる言い直し。先輩の回答は、根本的な疑問にちっとも答えてない。

 にもかかわらず自信たっぷりのドヤ顔。少しイラっとした若葉は、一つ小さくため息をつき、社会科室のドアに再び向かう。


「わかった、わかったから、ちゃんと説明するから。机上旅行とは、これを使って好きな場所へ旅をすることなのよ、ババババーン!」


 先輩がまたしても効果音付きで机の上に叩きつけたのは、一冊の分厚い本。

 若葉は興味津々で、その本に注目する。


(ひょっとしてなんかのドアみたいに、開くと好きな所へ行ける魔法の本とか?)


 ふっと頭をかすめた若葉の妄想は、一瞬にして打ち砕かれた。

 そこにあったのは何の変哲もない【時刻表】。しかも紙媒体。ただただ分厚くて重いこの本を使って、いったいどうやって旅をするっていうのか。

 先輩が答えるたびに、若葉の謎は増えていく。

 若葉の興味は急速に萎えつつあったものの、念のため先輩に質問してみた。


「あの、先輩。それを使ってどうやって旅をするんですか?」

「ふふん。じゃあ、試しに北海道へ行ってみようかー。北海道へ行くにはっと……」


 嬉々として、時刻表をペラペラとめくり始めた先輩。

 これはどうみても、ただの鉄道マニアとしか思えない。

 完全に興味を失った若葉は、時刻表に夢中になる先輩を残し、そっと社会科室のドアに手を掛けた――。


 と同時に開くドア。

 退室しようとした若葉は、逆に部屋に入ろうとした誰かとぶつかった。


「あ、ごめんね。ひょっとして多々良たたらが言ってた入部希望者?」

「多々良?」

「まーたあの子ったら、自己紹介もせずに勧誘してたのね。あの子は伊勢崎いせさき 多々良たたら。そして私は野田のだ 六実むつみ。私たちは二人とも二年よ」


 特に不自由は感じなかったけれど、やっと先輩の名前を知ることができた。

 けれど興味の尽きた若葉にとっては、もう不必要な情報。この部屋にも用はない。


「あ、わたしは東上 若葉です。でも、入部はもういいんで」

「そっかー、残念だなあ。私たちってまだ中学生だから、遠出なんてできないじゃない? だから行ってみたい場所を決めて、下調べしたり、行きもしないのに準備をしてみたりして、旅行の雰囲気だけでも味わってたのよ」


 今もなお、時刻表にかじりついている多々良とは全く違う雰囲気の、新たに登場した先輩の六実。

 細身の体形にシュッとした輪郭。凛々しい表情は、若葉も見とれてしまうほど。同性から見てもカッコイイと思わせるタイプ。

 そんな六実がサラリと語った活動内容の言葉に、若葉の心は再び揺さぶられた。


(この先輩、わたしと感性が似てるかも)


 若葉は退室を思い止まった。

 そんな若葉の気持ちを見透かしたのか、六実は追い打ちをかけるように優しく魅惑的な言葉を掛けてくる。


「旅行気分を味わいたいだけだから、堅苦しく考えなくていいのよ。みんなでワイワイ、賑やかに楽しまない? それに入部希望の子がもう一人来るらしいから、予定がないなら今日一日だけでもゆっくりしていきなよ」

「……じゃぁ、ちょっとだけ……」


 若葉はお試しで、『机上旅行部』の活動に加わってみることにした。

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