第十話 再会
秋も終わる頃の空気、いつもなら澄み切った空気だと思いながら仕事をしている頃だと思うが、今の空気はひどく冷たくてどんどんわたしの体の熱を奪っていく。
このままわたしの体を凍らせるような気がしてくる。
わたしは山の中を駆けている。
仕える武家屋敷から、逃げるために。
屋敷の主人達はもちろんだが、同じ身分の仲間にすら、わたしの身を案じてくれる人などいない。
むしろ、わたしが死ぬことで喜ぶ人が多いだろう。
もう嫌だ。
馬をけしかけて同じ下人に大怪我を負わさせたと、仲間の罵声を浴びて。
畜生と変わらないわたしが、武家の馬に よりにもよって若様が乗る馬に勝手に名前をつけていたことを当の本人に知られて。
このまま屋敷にいたら絶対に死ぬ。
でも、屋敷の外に出ても居場所はない。
わたしはこの辺りを治めている武家が所有している下人でしかないのだ。
屋敷から逃げ出してきた下人を匿ってくれる人なんていやしない。
それにわたしは領内から出たことがないから、外へ出ても どう生きていったらいいのか、わからない。
「もう嫌だ」
いつの間にか足が止まっていた。
体が冷えてる。
冷えて、身震いが止まらない。
「死にたくない。痛いのなんか、もう嫌だ」
わたしは体に残る熱が逃げないように、蹲った。
ふと、思い浮かんだ。
大きくて温かい手をした。
ボサボサの髪に紅い顔の、人ではないモノ。
「……鬼、さん」そう口からこぼれた。
突然、頭の上に何かがのっかった。
驚いて顔をあげれば、ボサボサ頭に紅い顔。
なんと、あの紅い鬼だった。
しゃがんで、わたしの頭を大きな手で撫でている。
目が合うと 鬼は優しげな微笑みを浮かべた。
「っ……ふぅうっうっ」
視界が揺らぎ、自分の目から涙がボロボロとこぼれていくがわかった。
この鬼が、なんで わたしが此処にいるのだとわかったのか。
なんで、頭を優しく撫でてくれるのか。
そんなことを考えるよりも、強く確かなことは自分の胸が温かくなったことと、鬼の大きな手の温もりで。
そのまましばらく わたしは赤子のように泣いた。
私が泣き止んだあとに鬼に連れられてやってきたのは、開けた場所だった。そこには小川が流れている。
鬼は素早い動きで枯れた枝葉を集め、どさりと地面に落とした。
そして、左手の人差し指でそれを指し示すと 音を立てて枝葉に火がついた。
鬼がわたしに向かって手招きをする。暖をとるようにと焚き火を起こしてくれたらしい。
体が暖かくなっていくうちに喉の渇きを覚えてきた。それを察したのか、鬼は川の
にこりと笑みながら差し出してきだが、体が温かくなってきたとはいえ 冷えた水を飲むことは躊躇われる。
すると、竹筒を持つ鬼の手が光った。まるで蛍火のように、手の光はすぐに消えた。
おそるおそる わたしは竹筒をもらい、口をつける。
「あちっ」
竹筒にくまれた冷水は、鬼の力で温められ白湯に変わっていた。
それはけっこう熱い。わたしは息を吹きかけながら ちびりちびりと飲むことにした。
暖かい白湯の入った竹筒を持ちながら、ぼうっと焚き火を見つめる。
わたしはとっくに幼い時の記憶を忘れているけれど、今まで生きてきた中で一番 落ち着いて安心している時なのかもしれない。
いつも気を張っていかなければ、生きていけないから。
はっと我に帰るといつの間にか夕暮れになっていた。
何も考えず、ぼうっと焚き火を見つめすぎていたようだ。でも、そのおかげか すごく気持ちが落ち着いた。
隣を見れば、鬼は変わらずに側で座ってくれていた。
「あの、名前なんて呼んだらいい」
鬼にとって思いがけない問いだったのか、きょとんとした顔をする。
しかし、わたしは至って真剣だ。いくら本当の鬼だとはいえ、『いい鬼』を化物扱いするのは嫌だった。
鬼は首を撫でてから、顎を上げた。
「あ……」
真っ赤な首の中ほどに、濃い緑色で引かれたような一文字があった。
これはおそらく傷だ。すぐにできたものではないだろう。
つまり、鬼は首を切られた古傷で声を出せないのだ。
その時、ガサガサ と草をかき分ける音がし始めた。獣だろうか。どうも、こちらに向かってきている。
でも、どんな獣でも大丈夫。なにせ ここには熊や猪よりも強い鬼がいる。
草をかき分け、木々の合間を抜けて姿を現したのは──
わたしの仕える主人の一人、若様だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。