第九話 走る

「何事だ」

 若様はこちらへ歩みを進めてきた。

 歩みを進めてくる人が若様だと気づくと、下人達は一斉に地べたに頭をひれ伏した。わたしも地べたにつけて顔をつける。


 若様は、血だらけの下人、わたし、大丸を黙って見比べている。

「若様に申し上げたいことがあります。見ての通り、この女は仲間を殺しました。どうか こいつを罰するよう、おら達にお申し付けください」

 地に顔をつけているので見えないけど、下人の頭は汚物にでも向ける眼差しでわたしを見ているだろうな。

「この男は馬に襲われたようだな」

「はい。この女が けしかけたんです」


「何故、仲間が死んだと言うのだ。見たところ、その下人は死んでいないぞ。手当てをすれば助かるだろう」

 その返答に驚いて、わたしは頭をあげる。


 わたしだけではなく、この場にいる皆が伏した頭を上げていた。

 下人の頭は徐に口を開く。

「確かに、今は生きています。しかし、この下人の手当てをするのですか」

「なにか文句があるのか」

「い、いえ。ただ 、。この下人を助けるには薬草が入ります。しかし、高価なものを使うほどの価値のある身分ではありませんので…… 」

「人の命には代えられん」


 この人は何を言っているのだろう。

 下人の命など、代えがきくものなのに……。


「は、はぁ」下人の頭はそう言うしかなかったみたいだ。

 目の端で皆を見れば、全員理解し難い目で若様を見ている。

「薬草は あとで渡す。そいつの手当てをしろ」

「あ、あの、この女は…… 」

「俺が後の始末をする。皆、持ち場に戻れ」

「へ、へぇ。わかりました」

 下人の頭の指示で、血だらけの下人を運びながら、皆散り散りに持ち場へ戻っていった。


 若様は溜息をした後、わたしの元へ歩み出した。

「立て」

「はっ はい」

 わたしは即座に立ち上がった。俯いたまま、若様の言葉を待つ。


「馬の足元で座っていたら蹴られるぞ」

「すみません」

「顔を上げろ」

 躊躇いはあったが、わたしは若様と視線を合わせないよう顔を上げた。

「顔が土だらけだぞ」

「すみません」

「泣いたのか。お前」


「すみません…… 」


 わたしの身体が震えてくるのがわかる。わたしは、この方に殺されるかもしれない。よくて木刀で何度も叩かれるのかも……。

 若様は大きく息を吸って吐いたかと思うと、右手をわたしへ伸ばしてきた。

 叩かれるのだと思い、目をギュッと瞑ったが、痛みがこない。

 恐る恐る目蓋を開けると、大丸がわたしと若様の間に入っていた。まるでわたしを守るみたいに。

「大丸…… 」


「だいまる、とはなんだ」不思議そうに若様が聞いてきた。

「え、と……。馬の名前です。大きいのだいと 丸太のまると書いて、大丸です」

「ふむ。大丸、か」

 わたしは、はっとする。

 ここにいる馬は武士達だけが乗ることを許されている馬だ。その馬に、馬以下の畜生であるわたしが、勝手に名付けていることを知られてしまった。


「俺が騎馬するこいつに、名があったとはな…… 」

 とんでもないことを口にしてしまった。よりにもよって若様が乗る馬に名前をつけていたなんて……。かちかちと歯が鳴るのを感じながら、言葉を絞り出す。

「す……す」

「どうした」

「すみませんっ 山へ行ってきますっ」

 素早く伏せて土下座をし、すぐ立ち上がるとわたしは山へと走った。

 呼び止める声がしたような気はするが、そんなことはもういい。


 馬をけしかけて下人に大怪我を負わせたと思われ、畜生のわたしが 武家の若様が乗る馬に大丸と勝手に名前を付けていたことが知られてしまった。

 この二つが重なれば、重罪に決まっている。殺されるに決まっている。

 もう、この武家屋敷にはいられない。

 逃げないとっ

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