第六話 お粥

「ついてこい」

 そう言って若様が武家屋敷へと向かう。

 わたしは言われるがままに、その背を追うしかなかった。




 ——————



 火の熱が伝わると同時に、煮込む音が響いていた。


 美味しそうな匂いがする。

 しかし、今は空腹よりも焦る気持ちの方が勝っていた。

 こんなことが周りに知れたら大変なことになる。


「あの 、いいですから   自分で作りますから」

「下人は黙って主人の言うことを聞いていろ」


 わたしは立ち上がろうとするが、ぎろりと睨まれた。

 若様が持ってきたむしろの上で、わたしはおろおろと正座をするしかない。

 なぜなら、台所に立つのはわたしではなく  跡継ぎである若様なのだから。

 明らかにおかしなことが起こっている。男が飯を作っているという有り様は誰であっても驚愕だろう。

 しかもにやる飯を作っているということは 古今未曾有の有り得ないことだ。

 とにかく、この方は変わり者というしかない。

 小馬鹿にするようにだが わたしのような下人にも話しかけてくる稀有な方だ。

 周りから『変人』と揶揄されるのも無理のないことだと改めて思う。

 今はそれよりも、だ。

 もし、この有り様ことが領主様や奥様の耳にでも入れば、最悪 殺されるか、よくて 痛めつけられて半殺しに遭うことは目に見えている。

 痛い目に遭うのは、ましてや 死ぬのは、いやだ。

 冬に近い時季だというのに、自分の身体から冷汗が出るのを感じる。

 このままではまずい。 逃げなければ。

 わたしはそろりと立ち上がった。

「おい」

「はいっ」即座に座り直し、背筋を伸ばす。

「できたぞ」

 器を持つように促された。

 手渡された器は 熱々で、一瞬手を離しかけたが 交互に片手持ちをしながら なんとか持ちこたえる。

 中を覗いてみれば、お粥のようだ。しかし、いつもの雑穀だけではなく、何か細々こまごまとした具がたくさん入っている。具のある温かい食事だ。

 豪華なご馳走に、口の中が涎で溢れた。しかし、これは下人わたしには身に余る食事だ。

「げ、下人が、このようなご馳走を食べたら 罰が当たりま」

「つべこべ言わずに食え」


 料理を作った本人がわたしを見下ろしながら言った。有無を言わさぬ言葉に気圧されて、お粥を一口啜る。

 お粥が熱くて戻しそうになったが、一気に喉に通した。

 熱すぎて味はわからないが、冷えた身体に染み入る。

 一息入れ、今度は息を吹きかけながら、一口食べる。それを繰り返しながら食べ進めていくと、しょっぱさと少しの甘さを感じる。

「美味しい……」

 一人で食べるには本当に罰があたる美味しさだ。美味しくて美味しくて食べる早さが上がっていく。何か声が聞こえる気がするけれど、きっと気のせいだ。

 ふと、寒い外が頭に浮かんだ。


 あの鬼にも食べさせてあげたいな。


 そんなことを考えた自分に驚いて手が止まる。

「聞いているのか」

「えっ」

 声のする方へ目を向ければ、若様は しゃがみ込んでいて、不機嫌そうにわたしを見ている。何かを言っていたらしい。「す、すみません。聞いていませんでした」わたしは小さな声で答えると、長い溜め息をつかれた。

「あの、一体 何を言っていたのですか」

 わたしは恐る恐る訊く。すると今度は呆れたような顔になった。

「もういい」また同じことを言うのは面倒臭い と続けた。

「すみません」


 わたしは形だけの謝りをした後、すぐに残りのお粥を口に運ぶ。

 少し冷めてきたせいか味が感じられる。細々とした具はどうやら漬物のようだ。

 漬物のしょっぱさと雑穀から感じる甘みが美味しい。

 少し早さを抑えて味わいながら食べていたが、とうとう最後の一口になってしまった。名残惜しいが それを口に入れる。


「あの月を見て、どう思った」

 唐突に、若様が訊いてきた。

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