第七話 変な人

「あの月を見て、どう思った」


 わたしは若様手作りのお粥をごくんと呑み込んだ。

「え、はい」

 若様は鋭い眼で私を見る。

「あの、真っ赤な 紅い月のこと、ですよね」縮こまりながらも答える。


 そうだ と若様は言葉を続け始めた。

「あの紅い月、大禍の前触れではないかと 皆 騒いでいる。父上は月が現れたことより、この事で政治が乱れることを危懼しているが……。俺も、なにかの前触れではないかと思う。少なくとも良くはないことが起こるかもしれん。お前はどうだ、怖いか」

「前触れ、ですか……」

 真っ赤な紅い月がなにかの前触れだとして、もしかして、同じような色をしたあの鬼が関係しているのだろうか。

 災いなどの、悪いことを起こすのだろうか

「わたしには、よく わかりません。ただ、わ……」

 災いごとを あの鬼が起こさないと思いたい。

「何もないと いいと思います」わたしがそう言うと、若様はそうか と応えた。

 鬼のことが口から滑りかけたことに 慌てたが、幸いにも気づいてはいないようだ。


「ご馳走様でした」器を置き、わたしは若様の方へ向き直して、正座をしたまま頭を下げる。

「若様に手間をとらせたこと、本当に 申し訳ございません。お許しください」

「別に 俺が自分の意思でしたことだ。謝る——」

「そうはいきません。本当に申し訳ございません」

 顔を上げろ と言われたが、わたしは頭を下げ続けた。すると、 若様は痺れを切らしたように言う。


「そんなに頭を下げるな。いくら 身分が違えど、同じ人間ではないか」


 この人は、何を言っているのだろうか。


「若様は立派な武家の跡継ぎ、わたしは畜生と同じ身分です。同じ人間ではございません」


『身分は違えど 同じ人間』などと そう言う人は、初めてだ。

 わたしは目の前の『変な人』をまじまじと見る。若様変な人はわたしを無表情で見ていたが、顔をそらして 短く息を吐いた。

「さっさと寝ろ」

 そう言って 若様がわたしの食べ終えた器を持とうとしたことに気づき、わたしは素早く器を持つ。

「わたしが洗います。火の始末もいたしますから、どうか若様はお休みください」

「駄目だ。俺がやる」

「そういうわけには——」

「俺がやる」怒気を帯びた眼でわたしを見る。

「わ、わかり、ました」縮み上がりながら 器を渡すと、若様は洗い場へ向かうためはいり口へ足を進める。しかし、一歩踏み出せば外へ出るという所でぴたりと立ち止まった。

「火を起こす道具も持たずに、山に入ったお前が火のついた枝を持っているのはおかしな話だ。誰かに会っていたのだろう」

 わたしは ぎくりと その背を見る。

「お前がどういうつもりで会ったのかは知らんが、もし其奴が この家の内情を探る間者かんじゃだった場合、お前も同罪だ。死罪は免れぬぞ」

 淡々とした口調で話す若様はこちらを振り返ったが、この暗さでは どんな表情をしているのかはわからない。

「今日は目を瞑ってやる。だが 次にこのような事があれば、わかるな」

 若様は外へと足を進め始める。

「その筵は馬屋の近くにあったものだ。片付けておけ」



 足音が聞こえなくなったのを確かめると 身体から一気に力が抜けた。


 あの方は苦手だ。

 なぜ 苦手なのかはよくわからないけれど、 きっと威圧的で変人なところが嫌なのだろう。

 話すと、なんだか嫌な感じがするから。


 それはともかく、若様に目をつけられた。

 まさか 鬼に遭ったなどとは 思われなかったが……。

 本当に勘の鋭い方だと思う。

 わたしは今後の行いを慎まねばならないだろう。


 ふと、もう会うことのない 鬼の顔が思い浮かぶ。

 途端に 今までよりも鋭い痛みが胸を刺した。

 驚いて、胸元に手を置く。

 何かが刺さったわけでもないのに、なぜ痛むのだろうか……。

 よく、わからない感覚だ。


 とりあえず、火の始末を途中までしてから寝ることにしよう。

 途中まででもしておけば 手間は省ける。

 最後の始末だけ、若様にしてもらえば納得してもらえるだろう。


 わたしは火の始末をしようと立ち上がった。

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