11話目 ~憧れとカクテル~ 後篇
日用品を買い、久しぶりに神社に行ってみようかと、鳥居までの参道をそぞろ歩く。昔からある店舗や屋台を冷やかしつつ鳥居をくぐると階段を上り、境内を散策する。
神社自体に来たのは随分久しぶりだった。
やっぱり落ち着くなあと深呼吸をし、お参りしてから階段を降りる。すると、階段の一番下に日傘をさした人が蹲っていた。
その人の前を通る人がいるのに、まるで見えていないかのように誰も助けることをしない。
――なにをやってるんだよ、誰か助けてやれよ!
内心で悪態をつくも誰も見向きもしない。小さく舌打ちしたあと蹲っている人のところに行くと、真っ白い髪と赤い目が目に入る。アルビノだから日傘をしているのかと納得するものの、その肌の白さゆえに真っ青な顔色が目立つし、お腹が膨らんでいたことから妊婦だとわかった。
スポドリか水が必要になるかと思い、近くにあった自販機で迷い、結局両方買うと、慌てて戻って声をかける。
「大丈夫ですか? 水かスポドリ、飲めますか?」
「ありがとう、ございます。立ち眩みを起こしてしまって……」
「まずはこれを飲んでください。どこかで白湯をもらってきます」
「お構いなく」
スポドリを渡すとお構いなくという女性。そんなわけにはいかんだろうと近くの喫茶店に飛び込み、具合の悪い妊婦さんがいるから白湯が欲しいと言うとすぐに用意してくれたうえ、一緒に来てくれた女店員。心配そうにアルビノの女性を見ている。
「白湯です。冷やしたらダメですから、こちらを飲んでください」
「まあ……。わざわざありがとうございます」
ホッと一息ついたところに白湯を出され、それを受け取って飲む妊婦。少しずつ顔色が戻っていくことに、女店員と顔を見合わせ、小さく安堵の息をついた。
すべて飲み終わった湯飲みを店員に返し、立ち上がろうとする妊婦に手を貸す。ただし、多少顔色はよくなっているとはいえまだまだ悪いし、立っていてもふらついている。
ほっとけないよなあ……と思い、妊婦に断って手を握ると、彼女を見る。
「家は近いですか?」
「え? ええ。あの路地を行った先にあります」
「なら、そこまで送っていきますよ」
「まあ、ありがとうございます。あなたも白湯をありがとうございました」
「いいえ、どういたしまして」
女同士にっこりと微笑み、心配そうな目をしつつも店員は店に戻った。それを見送ったあと、妊婦の歩幅に合わせ、ゆっくりと歩きだす。
彼女が指さした方向は住宅街に繋がる路地で、そこの一角に自宅があるのだろうと思って歩いていたのだが。
「あそこが自宅です」
「……え?」
彼女が向けた視線と指先には大きな茅葺き屋根の家があった。あの先は森だったはずなのに、俺が知らない間に開発されたのかと訝しむ。
とはいえ、現実問題、俺の目にはしっかりと大きな家が佇んでいるのが見えるわけで……。まあいいかと思ってもう一度見ると、視線の先には暖簾がかけられ、風に揺れている。
「主人と一緒に店をやっているんです。お礼にコーヒーを飲んでいきませんか?」
軽食も出せますよと言われ、どうせあそこまで送っていかなければならないからと一緒に店に入る。カランと鳴るドアと、一瞬遅れて美声な男の声。
「いらっしゃいませ。ああ、お帰り。って、そんな顔色でどうした!?」
「立ち眩みを起こしたの。そうしたら、この人が助けてくれたの」
「そうか。そろそろ一人で出歩くのはやめたほうがいいな。少し休んでて」
「わかったわ。お客様、こちらにどうぞ」
「ああ、すみません。こちらへどうぞ。妻を介抱していただき、ありがとうございます」
「あ、い、いえ」
彼らの話が聞こえていたが、つい店内を眺めていた。奥には生活雑貨はあるわ、野菜はあるわ、駄菓子はあるわで唖然としていたところに声をかけられ、返事が遅れてしまった。
それを気にすることなく、カウンターへと誘う店主に、おずおずと腰掛ける。するとすぐにメニューと水が出された。
「お決まりになりましたら、お声をかけてくださいね」
「はい」
俺に声をかけるとカウンターの裏側へといく店主。ふと見上げればカウンターの上に白い猫が寝そべり、窓際には黒い猫。こちらは丸くなって寝ているようだ。
そして俺の隣の席には三毛猫が座り、にゃあにゃあと鳴いている。
なんとも長閑な雰囲気に、つい口元が綻ぶ。
猫の声を聞きつつメニューを開くと、写真と手書きで料理名が書かれていた。パラパラとめくると、なんとも懐かしい料理名を見つける。
それは、父が得意としていたミニトマトのマリネと、祖父が得意としていた塩レモン味の焼きそばだった。
両親や祖父母が亡くなってから食べていないと気づいたら、無性に食べたくなった。なのでミニトマトのマリネと塩レモン焼きそばを注文する。
すぐに出てきたのは、ミニトマトのマリネ。父は酢を使わないマリネだったが、これはどうだろう? 匂いを嗅ぐ限り酢の匂いはしない。
どんな味だろうと一口食べる。すると、トマトの酸味の中にほのかな甘みは砂糖。ただし、父は上白糖ではなくきび砂糖を使用していた。
父のその味のままだったから驚愕したのだ。
「とても……懐かしい……。いえ、美味しいです」
「それはよかった。かなり前になりますが商店街の外れにバーがあって、そこの店主に教わったんです」
「そ、うなんですか。本当に美味しいです」
「そうですか」
店主はにこにこと話ながらも、振っているフライパンの手を止めない。マリネを食べ終わるころ、焼きそばを出されたので、いただきますと言って食べる。
ああ……ああ……っ!
祖父の味だとすぐにわかった。そのとても懐かしい味に、涙が溢れる。
隠し味があるのか自分で作っても同じ味にはならなかったし、祖父に教わろうと思った時にはすでに亡く……。
「とても、美味しい、です」
「それはよかった。その焼きそばも、マリネと同じ店の店主に教わったんです」
「そう、なんですね」
食べることに夢中で生返事を返す。店主の年齢と、祖父母と両親がやっていた店の年数が合わないことに気づかなかった。
夢中で食べ終え、水を飲む。一息つくと、そっと出されたのはコーヒーだった。
頼んでいないと言ったものの、お礼だからと言われてしまい、恐縮しつつも香り高いコーヒーをいただいた。飲み切ったあと、駄菓子が置いてある一角に行き、懐かしいと思いいくつか購入することに決める。
駄菓子を持ってレジに行き、一緒に会計をしてもらっていると、なんとか顔色の戻った妊婦が微笑みを浮かべ、改めてありがとうと言った。
「いえ。お役に立てたなら、よかったです」
「こちらこそ。ああ、そういえば……。きっと、うまく行きますよ。合格できます」
「え?」
「目標となる方が現れますから。大丈夫、自信をもって。頑張ってくださいね」
「は、はあ……。ありがとうございます」
何を言っているんだろうと思ったが、きっと本職のほうのことだと思い、頑張ろうと決意する。おつりをもらい、駄菓子が入ったビニール袋を持って店を出る。
――なんとも不思議な夫婦だったなあ。それに、どこかで見たことがあるような?
歩きながらどこでだっけと振り返ると、そこには屋敷も暖簾もなく、鬱蒼を茂った森しかなかった。
「え……!? なんで? まだコーヒーの香りが残ってるのに……」
タヌキにでも化かされたか? なんて考えていたら、ふいに妊婦を助ける前にお参りした、神社の神様の絵を思い出した。その絵は、さっきのご夫婦にとてもよく似ていて……。
「応援、してくれたのかな。……よし、頑張ろう」
不思議と心が軽くなり、家に帰ろうと歩きだす。
だが、一歩歩くごとにたまっていた疲れが取れていくように感じ、痛かった腰も痛みがなくなっていく。
どういうことだと首を捻り、住宅街から参道に出たところで時間を見ようと腕を上げたら、荒れてしみだらけだったはずの手が綺麗になっており、二十代のころのような瑞々しさになっていた。
そんな変化に混乱していると、声をかけられる。その方向を見れば、祖父母と両親、兄夫婦と四歳になったばかりの甥っ子が手を振っていた。
亡くなったはずの人たちがいて混乱する。
「駄菓子はあったか?」
「え、あ、ああ。あった。これでいい?」
「おにいちゃん、ありあとー」
「どういたしまして」
兄と甥っ子と会話しているうちに、そういえば店のプチ改装中でお参りに来たんだと思い出す。それと、今度受けるバーテンダーの試験の合格祈願だ。
「じいちゃん、明日も練習と勉強に付き合ってくれる?」
「おお、もちろん。なんべんもやって、体と頭に記憶させるといい」
「わかった」
祖父の言葉が嬉しい。そして憧れの彼女に近づくことができる。
初めてその人を見たのは、兄と姉が結婚したばかりのころで、俺と同じようにバーテンダーの試験を受けた時だった。俺は両親と一緒にこっそりと二人を見守った。
憧れの存在となった彼女は、その試験会場にいたのだ。
見た目は中学生くらいの女の子。だけど、スーツを着ていたから成人していたのだとわかる。その彼女が真っ先にやったのは、フレアバーテンディングの原点とも呼べる、〝ブルーブレイザー〟だったのだ。
見事な瓶やウイスキーをフランベする確かな技術、火を灯したままこぼすことなく銅マグに次々に移し替え、グラスに注いだあとも流れるように仕上げをする。その無駄のない動きに、素直に素敵だと感じた。
そして他にも流れだした曲に合わせ、酒のボトルを持って放り投げたりキャッチしたり、合間のグラスを並べて次々にカクテルを作っては入れていく。それを見ていただけで、海外のバーでのショーを見ているような気分になったのだ。
俺にはできなさそうだと思った。だが、それでもあの綺麗な放物線を描くボトルや体の動きに魅了された俺は、祖父や合格した兄夫婦に教わりながら試験を受けた。
だが、普通のバーテンダーの試験は受かったもののフレアは落ちてしまった。
その日はとても落ち込んだし、悔しかった。何かを感じたのか、兄夫婦に連れられていったバーで、たまたまフレアをしていた。それをなんとはなしに見ていたら、フレアをしていたのは、試験会場で見た彼女だった。
試験の時よりも動きにキレがあり、楽しそうに作っていた。それを見た俺は、きっとその心意気が足りなかったのではないかと思ったのだ。
その日から俺は、週に二回、フレアがある日はそのバーに通い、彼女の動きを観察した。それがいつしか彼女にようになりたいと憧れの存在になった。
そんな彼女に追いつきたいと、普段のバーテンの仕事と勉強を頑張り、ようやく納得できるレベルになったところで、再びフレアの試験を受けた。いざ自分の番になると緊張して手足が震え、心臓がドキドキしてその音が耳に張り付く。
そんな時、女性の声が聞こえた。
「大丈夫、自信をもって。頑張ってくださいね」
その優し気な女性の声が聞こえると、不思議と落ち着きを取り戻し、フレアの試験に挑むことができた。それがよかったのか、合格することができたのだ。
家族揃って喜んでくれて、俺も嬉しかった。
その後、俺は祖父母と両親、兄にお願いし、修行として別の店で数年働かせてほしいとお願いすると、家族たちは快く頷いてくれた。修行する店を探す際、祖父の伝手で店を紹介され、そこでバーテンの修行をさせてもらえることになる。
自分の家の店と勝手が違うことから戸惑いや失敗もあったが、勤めているうちにその店のやり方にもなれ、バーテンの仕事も板についた。そうこうするうちに二年が経ち、その店が改装することになったのに伴い、大半の従業員が辞めることになった。
俺のそのうちの一人で、未だ健在な祖父母と両親、兄夫婦に相談したところ、うちの店も改装中でもうじき出来上がることと、健在とはいえ足腰が弱ってきていた祖父母が引退したいという話から、家に戻ることに。
戻ってすぐ新装開店し、俺もバーカウンターに立つ。そして一番に現れたのは、白髪に赤い目で妊婦の女性、片目を長い髪で隠している黒髪の男性だ。
その姿に、どこかで見たことがあるような気がしてくる。どこでだ……? と考えていると、祖父母と両親、兄夫婦の嬉しそうな声が二人を出迎える。
「いらっしゃ……! おお、お二方は!」
「こちらにどうぞ! 奥様、足元にお気をつけください」
そんなやり取りを聞いて、唖然とする。身内の顔がとても嬉しそうだったからだ。
「新装開店、おめでとう」
「よかったらこれを」
「まあ、ありがとうございます。店に飾ってもよろしいですか?」
「どうぞ。そのために持ってきましたから」
そんな言葉と共に祖父母が手に持っているものを見ると、それは破魔矢だった。それも三本もある。お客として来た夫婦の説明によると、二本は店に、一本は家に飾るといいらしい。しかも、十年は変えなくていいという話だ。
そんなことがあるのだろうか? 破魔矢は毎年変えるものではないのだろうか?
そんな疑問を持つも、三本の破魔矢を手渡された祖父は、大事そうに頭を下げて破魔矢を頭上に捧げると、一本を祖母に渡し、二本は神棚の両脇に立て、矢じりを上に向けるように飾る。その瞬間、破魔矢がキラリを光り、矢を放ったように見えた。
その不思議な光景に目をこすっていたが、破魔矢はピクリとも動いていない。
なんだったんだろう……と首を傾げていたら、俺を見ていたらしい妊婦さんが嬉しそうに目を細め、なにか囁いた。本来なら聞こえるはずのない距離ではあるが。
「大丈夫だったでしょう? よく頑張りましたね」
そんな言葉が聞こえると同時に、別の記憶が流れ込んでくる。
――ああ、そうか……。俺もそうだが、家族のためのやり直しでもあったのか。
なぜかそう思えたと同時に、ストンと腑に落ちた。
また家族総出でお参りに行こう。今度はお礼を持って。
妊婦のためにノンアルコールカクテルを作る。今回出したのは三種類。
まずは簡単なミルクセーキ。今回は甘さ控えめで豆乳を使ったものにした。
意外なことではあるが、ミルクセーキがノンアルコールカクテルだと知らない人が多いのだ。
次に出したのが、ぶどうジュースをベースにしたサングリア。本来はワインに果物を漬け込んだりして作るが、妊婦にアルコールはダメなのでぶどうジュースにイチゴとリンゴ、オレンジとブルーベリーを入れて一度温め、そのままホットの状態で出した。
結構美味いんだよ、これが。神様も気に入ったようで、レシピを聞かれたので素直に教えた。
他にもシンデレラ、シャーリーテンプル、バージンメアリーなどの有名どころも出したところでお開きとなった。
もちろん、カクテルの合間に父や祖父が作った料理やつまみを食べていて、満足そうな笑みを浮かべて帰られた。
さりげなく他の家族に聞くと、やはり参拝に行った神社の神様夫婦だと教えてくれた。もちろん、誰にも言うなと言われたが。
当然のことながら、誰かに話すつもりはない。が、感謝のお参りくらいはいいだろう?
そんな話をしていると、女性が一人で店内に入ってくる。その姿は、一度見て憧れた彼女の姿だった。
どうしてこんなところにいるのか気になったが、外の貼り紙を見て、バーテンとして雇ってほしいと話す彼女。
「女というだけで雇ってくれるところがあまりなくて……。あの、お願いします! フレアはできませんが、それ以外のカクテルであればノンアルでも作れますし、簡単な料理もできます!」
「ふむ……。じゃあ――」
祖父に出された試験という名の料理とカクテル作り、そしておつまみや果物の盛り合わせ。それらを祖父が出すお題に従って次々に作る彼女の手際はいい。
ただし、緊張していたのかちょっとだけ失敗もしていたようだが、そこは許容範囲だと思ったのだろう。祖父は履歴書を持参したうえで、明日来てくれと話していた。
そして翌日。
指定された時間に現れた彼女は、面接と称した祖父と父に履歴書を渡すと、祖父と父が質問に答えていく。
俺は開店準備の仕込みやグラス磨きをしつつ、その様子を見ていたわけだが。
その日のうちに店のカウンターに立った彼女は、いつのまにか俺と恋人同士となり、引退した祖父母の代わりに両親や兄夫婦を一緒にサポートすることになる。
神様夫婦のなんでも屋 ~その人生をリセットします~ 饕餮 @glifindole
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