第6話 事実確認が必要な人物
「久しぶりね、あなたが私をランチに誘うなんて。一体どいういう風の吹きまわし?」
「ごめん突然。職場この近くだったよな」
私は知り合いの京子をここ、イタリアンレストラン「ピアット」に呼び出した。
彼女は、今の妻と付き合う前に交際していた女性。別れた後も、仲のいい友人として接している。
白いハンドバッグを荷物置きに置くと、京子は近くの店員を呼んで注文をした。
京子は病院の事務をしている。紺のブレザーとスカート、中には白シャツという病院指定の服装だった。
「どうだ、調子は?」
「んー、まあぼちぼち。今度天洋会病院との合併があってね、色々大変。さすがに破談ということにはならないでしょうけど、かなりもめてるみたい」
私はコップに入ったジンジャーエールの氷をストローでくるくると回した。
「ねえ、本当にどうしたの? 急に」
「あぁ。あの……バカな質問だってわかってる。一個だけ教えて欲しいことがあるんだ」
「何?」
「あの、なんて言うか。俺と付き合ってた時、身ごもったことはないよな?」
ぷっ、と京子は咳き込み、数回床に向かって、げほげほ、とした。
「何よいきなり。どうして? なんか昔のことが恋しくなっちゃったってわけ?」
「いやいやそんなんじゃない。どうなんだ?」
うーん、そうね……そう言いながら京子は鼻にストローを横にして挟み、少し笑顔を浮かべて斜め45度上を見上げた。
「あるわ」
「えっ?」
京子の目の奥が鋭く光った。
口元からは笑みが消え、声色が幾分低くなった。
「あなたには黙ってたけど、実は私たちが別れた後、内緒で堕したの」
私は京子の目をじっと見つめた。
嘘だろ……?
ピアットの喧騒がまるで鼓膜にもやがかかったように遠のいた。
心臓が、私の胸を内側から激しく叩く。思わず両手から力が抜け、コップの氷がカラン、と鳴った。
「なーんてね、全部ウソ」
「あぁ、びっくりした。お前の演技、迫真すぎるんだよ。心臓、止まるかと思った。昔っからよく俺をだまして遊んでたよな」
「だって健二君のびっくりする姿、かわいいんだもん。それ知っているもんだから、なんかまるで、やれやれ、って言われてるみたいで。ほら押すな押すなは押せってことだ、ってよく言うでしょ」
そういってケラケラと笑い声をあげた。
「そもそもさ、なんでそんなこと聞くの?」
「いや、その……」
私はことの顛末を話した。
京子は馬鹿にするでも、驚くでもなく、ただただ淡々と私の話に耳を傾けていた。
「へえ、面白いわね。その娘、実はあなたの事好きなんじゃない? なんか、会ってみたいわ、その娘。本当に悪い事してないの?」
「するわけないだろう? 頼むから、変な噂立てないでくれよ」
えぇ〜どうしよっかな〜 そう言って、細い目尻を更に鋭くさせ、口元に意地悪な笑みを浮かべた。
この会は結局私が奢ることにした。
少なくとも変な疑惑は払拭できたし、久々に京子と話せたのもそれはそれで楽しかった。
その日の会社の帰り道、ぼんやりとした街灯の明かりを眺めながら想像してみた。夜空には気の早い一番星が、もう既に瞬いている。
もし京子に実は自分との子どもがいて、黙って育てていたとしたら、今頃ちょうどあの娘くらいになっているだろう。
でもさすがに、子どもを育てながら隠すことなんてできない。
それに京子も今は結婚している。そして相手は私のよく知っている人物、あの藤城だ。さすがに隠し通すことなんて無理だろう。
帰り道、もうすっかり暗くなった路地を歩きながら、私は色々考えた。
沙也加は私を人殺しだと言った。
そしてそれに気づいていないとも。そして身代わりに息子をいただく、と。
そして私が今も引っかかっている最大の理由、それは——
沙也加、という名前。
これは、もちろん知り合いにはいない名前、ではあるものの特別な名前ではあった。
それは何を隠そう、もし私に娘ができたらつけようと思っていた名前だったからだ。そしてそれを知っている人物は妻くらいだということ。
これらを全て一元的に説明するためには——
それぞれのパーツがゆっくり絡み合い、一つの答えを出そうとしていた。
その答えがおぼろげに浮かび上がるころ、なんだか私は沙也加に会いたくなった。
その時、あの声が私の背中に浴びせられた。
「思い出してくれた? 人殺しさん」
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