第7話 強いとか弱いとか関係なくない?
「麻雀に流れは存在するか」というテーマに関する議論はネット上でも活発に行われている。僕はそういう議論を見るのが好きなんだけど、流れを否定する意見に対する、流れ肯定派の反論が、どうも反論になっていないというか、議論の本質と関係ないことを言っているものが多く、「なんだかな~」と残念な気持ちになる。
具体的にどういうものかというと、
「俺より強いのか」とか「デジタルの奴とやったけど弱くて相手にならんかった」とか「デジタル派の◯◯プロは流れ派の△△プロと勝負して負けた」とか。こういうしょうもない発言ばかりである。
もっとも、流れ肯定派だけがおかしいというわけではない、流れ否定派の中にも同じように、天鳳のレートがどうとか、連対率がどうとかくだらない話をしている輩は多い。
なんなんだろう、この「本質外し力」は。
麻雀が強いとか、弱いとか、勝つとか、負けるとか、本当にどうでもいい話だ。
僕は流れ肯定派と流れ否定派のどっちが強いとかまったく興味がない。「流れ肯定派VS流れ否定派」みたいな企画で肯定派が勝っても「ふ~ん」ぐらいにしか思わないし、逆に否定派が肯定派を圧倒しても、別に何の感慨もない。
大事なことは理論として何が正しいかであって、麻雀の勝敗など、理論には何の関係もない話だ。いくら流れ派とアンチで麻雀の勝負をしたところで、理論の深化にはあまり寄与しない(見世物としてはそれなりに面白いかもしれないが)。
「天動説と地動説とどっちが正しいか」という議論をしているときに、「喧嘩したら天動説派のほうが強い」とか言い出しても意味が無いのと同じだ。また、どっちが多数派だとかも関係ない。どの説が正しいのか、それが問題なのだ。
流れ信者の人は流れの存在を主張したいのなら、勝敗の話などやめて、「理論」すなわち「流れの物理的メカニズム」こそを説明してほしい。
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