第3話 鷲巣麻雀で麻雀に流れはないことを学ぶ

 僕は麻雀には流れなんてないと思っているのだが、流れ肯定派の皆さんにはなかなかわかってもらえない。どういう具合に説明すれば理解してもらいやすいか、日頃から頭を悩ましている。

 ある時、ふと思ったのだが、「鷲巣麻雀」って「麻雀に流れなんてない」ということを理解するための最良のツールなんじゃないだろうか。


 どういうことか、実際に説明してみる。




 まず、自分が鷲巣麻雀をやっているところを具体的にイメージしてみてほしい。もちろん、イメージではなく実物のガラス牌を使って現実に麻雀を行うほうがより良い。


(一応、「鷲巣麻雀」について説明しておくと、『アカギ』という麻雀漫画に出てくる、ガラスでできた牌を使うオリジナルルールの麻雀である。ガラス牌なので牌姿は他家からも見えるのが特徴。また山は積まずに麻雀卓中央に開いた穴の中に牌を落として、そこから自摸する。

 この文章を読んでいるような人は大体、知っているとは思うが、もし『アカギ』を未読の方がいるのなら読んでみてほしい。(10巻ぐらいまでは)読んで損のない漫画である)



 原作の鷲巣麻雀は1種の牌につき、ガラス牌3個と通常の牌1個で構成されているが、ここでは話をわかりやすくするため、全ての牌がガラス牌になっている麻雀牌一式を想定する。

 そのうえで、通常の麻雀と同じように山を積み、普通にゲームを進めてみよう。



 その結果わかるのは「一度、積まれた牌は場所が移動したりしない」という至極当然の事実だ。積まれた後で山の牌が変化するなら、それはイカサマが行われたときだけである。



 誰にどの牌が来るかは山が積まれた時に確定している。競技者がどんな風に打っても、鳴きが入らない限り自摸が変動したりはしない。



 さらにこれを推し進めて、あらかじめ数局分の山を積んだ状態でゲームをやっているところを想像してほしい進めて。そうすれば、上手く打とうが、下手に打とうが、強気に打とうが、ベタ降りしようが、和了ろうが、振り込もうが、それで次の局の配牌が変わったりしないということも理解できる。



「何を当たり前のことを言っとるんじゃ」と思われるかもしれないが、恐ろしいことに「一度、積まれた牌が勝手に場所を変える」というオカルトを信じている人はたくさんいるのだ。



 例えば、以下の土田浩翔プロが書かれた文章を読んで欲しい。プレイヤーの選択によって、好牌がきたり、危険牌がきたりが変動すると書かれている。


http://mjall.jp/o0003/


 完全にポルターガイスト現象なのだが、『ムー』の読者投稿欄ではなく、業界のトッププロが書いた文章である。



 流れ信者の方々は、年に一度でも上記のガラス牌麻雀を(脳内で)行ってみてはいかがだろうか。自分たちの普段語っている「流れ」なんてただの偶然であり、それを後付の理屈で語っているだけということがよくわかるであろう。

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