1-5

「ねぇ、ねぇ、あいつってさぁ、あの医者じゃん!」


 黒いタンクトップを着てサングラスをかけて、椅子のシートをどかっと倒しながら横になっている男に、女は言った。女は派手なショッキングピンクの水着を着て、その上にショールを羽織っている。金髪に染めた髪、ばっちりなマスカラ・・。


「あぁ?」


 不機嫌そうに声を上げる男。

 ったく、30時間も飛行機に乗せられた上に、また船で何時間もふざけんじゃねぇよ。体ガチガチだしよぉ、もう何日もうちに旅行に参加しちゃったからタマってるしよぉ・・。早くやりてぇよ、このクソ女!


「ほらっ!女房、ガンのときに女優と不倫してた、あのゲス医者!」


「んんんんっ?」


 サングラスの隙間から、女の言う方を見た。

 その視線の先には、スレンダーな体をベージュのスーツで包んだ、かなりイカす女と、その前を、不機嫌そうに立ち去る初老の男が映った。いかにもロマンスグレーな紳士然としている。

 ケッ、胸クソ悪ぃ・・。すかしやがって!金あってカッコつけてる奴なんか、いい女とヤッてばかりいやがるんだろ!くだらねぇ!


 男は視線を戻して、目を閉じた。


 と、二人の男女に声をかける女がいた。


「お客様、楽しんでますか?」


 んっ?声のする方に顔を向ける二人。

 どこかで見たことのある女。


 ・・・・!?


 二人は同時に女が誰か気づいた。旅行代理店で喝を入れられたあの女。

 涼香だった。涼香のフルネームは本多涼香ほんだすずか

 二人は涼香がなぜここにいるのか分からずびっくりした。男の方は心なしか、涼香におびえているようにも見えた。


「姉さん!楽しんでますよぉ~」


 女は言った。女はレイ。まぁ、源氏名だ。


「楽しいわけねぇだろ、んだよ!」


 男は相変わらず不機嫌だ。男の名はシンゴ。苗字はなんだったけ?涼香は客の本名を思い出せないでいた。まあいい、私も今日から十日間近くは客なのだから。


「あんたたちがウダウダ旅行決めてたの見てたら、アタシも行きたくなっちゃってさぁ。」


 姉さんと言われて、ちょっといい気になった涼香は馴れ馴れしい口調でレイに話しかけた。


「んっだぁ?姉さん気取りかよ!俺ら、客だぞ!」

「アタシも客だよ!」


 横になっているシンゴの肩をポンポンとはたく涼香。涼香はレディースでも極妻でもないが今の品のない二人との会話を傍から見ていたら、誰もが涼香のことをそう思うに違いない。

 涼香は一般的な日本人女性に比べると背が高くショートカットで、一重ひとえの瞳が眼光鋭かった。学生時代の演劇サークルは団員が女ばかりで、彼女は男役として重宝されたし、結構人気の女優だった。社会人となって、旅行代理店に就職すると、しばしば、その男役の雰囲気が接客に出てしまい、上司から注意をされることもあった。からっとした性格の涼香は、そんな上司の指摘をさほど気にすることもなく、この会社に勤めてからすでに7年が経過した。会社では部下どころか一部の上司からも頼りにされるOLさんに成長していた。


「姉さん、一人?ウチらと一緒に旅行しようよ!」

「はぁ?ざけんじゃねぇよぉ!うぜぇ」


 涼香は笑いながら遠慮した。


「なんでアタシが、ぼっち旅行だって決め付けんだよ。女3人旅だよ。ほらっ」


 涼香は指で、ある方向を指した。

 シンゴとレイは、その方向へ目を向けた。

 そこは、船内のバーカウンターだ。さっき不機嫌に自分の席を立っていったゲス不倫医師がいた。その、数メートル離れたところで、カクテルを飲んでいる二人の女がいる。どうやらその二人との旅行らしい。

 二人とも、あまり背が高くなくかわいらしい感じだった。一人はちょっと胸が大きくて、もう一人は今どきのアイドルのように、少し太めな感じだが、身近に手が届きそうな感じだった。

 シンゴは少し体を上げて、サングラスを下ろすと二人をよく見た。二人はシンゴのタイプだった。特に胸の大きい方に興味を惹かれる。


「こっちのデカパイがサチ、もう一人がナホ。二人とも大学時代のサークルの後輩。」


 自分達を見ていた涼香と2人の男女に気づいたサチは、グラスを持った手でナホをつつく。そして涼香の方に目をやると、ニコリと笑って手を振った。シンゴはだらしなくニッコリと手を振り返した。


「デレデレしてんじゃねぇよ!」


 レイはシンゴの頭をはたいた。


「いてぇなぁ!」


 サチとナホはその様子を見て笑いながら、また、彼らから目をはずし、二人でまた談笑を始めた。

 涼香は笑いながらシンゴに言った。


「狙ってもだめだよ。二人はビアンだからさっ。」

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