ウラバナシ2
朝起きた僕は、ホテルの部屋でリーネアと電話していた。
「……というわけでだな。なかなか面白い少年だったぞ」
『お前初日から何やってんのアホなの?』
リーネアの反応が芳しくない。きっといつものほんのり面倒くさそうな無表情で言っているんだと思うとちょっと悲しい。
「アホとはひどいな……」
『疲れてんだろうに、無理して行くことなかっただろ。どうせ俺の方に来るんなら、こっちで買ってうちに取っといても良かったんだ』
彼独特の幼さのある声で『あほな真似してんじゃねえよ』と付け加えられ、少々後ろめたくなる。
「……キミはなんだか、たまに凄く常識人だな」
『喧嘩売ってんのか非常識人』
うう……思ったことを素直に言うから、彼の言葉は刺さる。
『無理しないで頼ってくれ。これで倒れられたらお前の家族に顔向けできねえよ』
「りょ、了解」
『……で、今日はゆっくりすんのか?』
「いや、僕はこれから身分証を届けてあげるつもりなんだ」
ペンギンさんバッグに、買っておいたペットボトルと薬、そしてカード入りの古いパスケースを入れる。
擦り切れ具合からしてかなり使い込まれているのがわかる。
物持ちのいい少年だ。
『身分証? 免許かなんかか』
「いや、学生証だよ」
数十年前に、寛光大学からの技術提供で製品化した、学校施設向けの物理的な防犯システム。
スムーズな通行には、彼――森山光太の落とした学生証が必須だ。
それに、表面に名前と学校所属しか書かれていないとはいえ、カードから情報を抜ける人に拾われては大変だ。再発行の値段も痛かろう。
説明すると、リーネアはテンションの低い声になった。
『……“情報抜く人”って、それこそ今のお前じゃ……?』
「? 何を言う。住所がわからないから調べただけだ」
調べなければ届けられないだろう。まったく、リーネアは何を言っているんだか。うっかりやさんめ。
『郵便で届けるとか学校に言うとか警察とか……もっといろいろ、手段があるだろ。その高尚な頭で考えろよ』
「見知らぬ人からいきなり郵便なんて送られたら怖いだろう。学校に行ったら彼の管理責任が疑われてしまうかもしれないし、警察も同じだ」
『住所調べてる時点で怖いと思うぞ……』
「大丈夫だよ。一度は顔を合わせているのだから、用件を切り出してしまえば話は早いはずだ」
自分で言うのもなんだが、僕はけっこう特徴的な容姿をしている。青い髪と黄色の目は、黒髪黒目の多い日本の中では目立って覚えやすいと思うんだ。
『何言っても無駄なんだろうな』
僕との話が無駄ということなのだろうか。ちょっとショックだ。
「……よくわからんが、僕はキミと話すのが好きだぞ?」
『俺も好きだよ』
「っ」
思ったことを素直に言う彼は、たまの好意の攻撃力が高い。きゅんときた。
『ちゃんと会って話そう。元気でいてくれ』
「……うん。ありがとう」
『あと、アイス取り合った奴? そいつにも会ったら謝っとけよ』
「了解だ。……そういえば、森山光太くんだが」
『?』
「平沢北高校に通っている」
表面に書かれているので、これは調べるまでもなく分かった。
「キミのところの京と同じ高校だぞ」
彼はアーカイブ:パターンの教導役として、三年ほど前から少女を引き取ってともに暮らしている。
教導役に指名されたと聞いた僕らは、果たしてリーネアに他人の教育ができるのだろうかとざわめいたものだ。
『……よくわかんねえけど会ったらデコピンするわ』
「やっ、やめろ。キミのでこぴんは痛い!」
舌打ちが聞こえた。うう。
『で、そいつのクラスは?』
「クラスは違うが、学年は同じだ。顔を合わせたことがあるかもしれないな」
『…………。ふうん』
三崎京を引き取ったばかりの時、彼は『彼女はかつての自分を見るようだ』的なことを零していた。
他人との相性が良くないリーネアだが、京のことは可愛がっているようで安心する。
あれこれと話し合っているうちに、ちょうどいい時間になってしまったので電話を切る。
さあ、少年のおうちに行こう!
ということでタクシーを呼び、区の境をまたいで少年の家へ。
「ん……留守か」
インターホンを鳴らしてみるが不在。
いつもならスマホの有無で留守なのか確認可能なのだが、奇妙な特徴を持つ少年のことだ。あてにならないかもしれない。
居留守という線はないと判断する。
さて待とう。
人を待つのも楽しいものだ。
その20分後。
「……なぜだ」
僕は、家に戻ってきた少年に置いて行かれてしまった。
アイスは諦めた。昨日の時点で、早い者勝ちでは僕は彼に勝てないとわかっていたから、すんなりと諦めたのだ。大人げない真似をしてしまった申し訳なさも込みで。
パスケースを届けに来ただけなのに、少年は自転車で逃走してしまった。
会話から考えるに、僕をアイス大好きお姉さんとでも思っているのだろう。
アーカイブを使って強奪しようとするほど、アイスに執着しているのだと……
「全く。人騒がせな勘違いを」
勘違いを正し、パスケースを届けてやるためにも!
早速追いかけてあげよう!
追跡は迅速な対応が物を言う。必要最低限の監視カメラに侵入。少年を見つけたところで接続を切る。外部に接続したままでは集中が落ちてしまうからな。
人の迷惑にならないように細心の注意を払いながら、コードの位置情報転移で追いかける。
追いつくのは容易いが、少年の目の前にいきなり出現しては事故が起こるかもしれない。彼が立ち止まって振り向いたときに姿を見せよう。
追いかけっこはなかなか楽しかった。
途中で、直線では逃走者に不利であると伝えてみたが……さすがに難しいか。
慣れない道を通るのは不安があるものだ。太い道を無意識に通っている。カメラを見ずとも行き先がわかるくらいわかりやすい。
しかし、体力が凄まじいな。
地下鉄駅入り口に辿り着いて、少年がようやく足を止めた。
「何でついてくるんだよ……」
あがった息を整えるのがとても速い。調べたところ、彼はもともと陸上の長距離選手だったらしい。
彼の呼吸が落ち着くのを待ってから、質問に答える。
「用事があると言っただろう。それを済ませねばならない」
「アイスか。アイスなのか」
「アイス? ああ、確かに昨日は名残惜しかったな」
それは僕にとっての素直な感想だ。
売り切れやすいアイス、しかも大好きなリンゴ味が残っているのを見たときは、運命を感じたほどだったし。
「…………っう、う」
「なぜ感極まっているのかわからないが……どうした少年」
少年はため息をつき、ずっと自転車のカゴに入っていた袋を引っ張り出した。走行中に跳ねていた動きからして、時間停止保存ドームだとはわかっている。
昨今のアイスは、このドームのお陰で融けることも崩れることもなく持ち運べる。アイスの他、形が重視されるケーキや繊細な飴細工などにも使われている。
自分が主導で開発したからよくわかる。
「昨日の……それ、どうしたんだ?」
「……ごめん、嘘ついた。早い者勝ちだって言うから、開店してすぐ買いに行ったんだ」
「そうか」
ここで謝るなんて真面目だな。
「昨晩はすまない。大人げなかった」
「地元民の俺の方が、ずっと大人げなかったよ」
アイスパフェを差し出してきた。
断ろうと構えたが、彼の言葉は続いている。遮るのも無礼か。
「だから、譲、る……?」
しりすぼみになっていく少年の言葉。
初めて目にするものに驚く子どものような顔。
一般人にとっては大して珍しくもなかろうに、彼は僕とアイスを見比べるようにして凝視していた。
「……?」
「…………」
少年が泣き出しそうに顔を歪めた。
なぜ? 僕は何もした覚えは……訂正、追いかけはしたが、傷つくようなことは言っていないはずだ。
いないと思う。
なのに、肩を落として息を吐いた少年は、僕にアイスを押し付けてきた。
「……あげるよ」
「え、いや……早い者勝ちだったんだろう?」
確かに僕が圧倒不利の勝負ではあったが、大人げない真似をした僕には当然の仕打ちと感じたので、とっくに受け入れている。
「それに、お代を払ったのは、」
「いいからあげるっての」
思い切り押し付けられ、混乱しつつも受け取る。
「じゃ」
少年が地下鉄入り口に駆け込む。
僕は彼を追いかけることが出来ない。
どうして彼がああしたのかわからなかった。
一つだけ確実に言えるのは――僕は彼を傷つけてしまった、ということだけ。
アイスを諦めてしまったから?
違う。だったら、あんな泣きそうな顔をしないはずだ。
食べ物に執着するのはとうの昔に卒業している年齢。
それが動機の場合は、悲しむのでなく怒るはずだ。例えば、アイスパフェが大好物だからだとか。
……そこまで執着していたら、そもそも諦めないかな。
いや、ストーカーじみた僕を追い払うためだとかだったら……うう、自業自得とはいえ悲しい……。
でもそうではなかった。
何かを諦めた彼は、僕に対して何か言おうとして――その感情を手放した。
あれは、諦め慣れた人の感情のルーチンだ。
未来ある若者がすべきではない表情で。
だから。
だから、から。だからだからだからだから――
彼が驚いていたのはアイスを見てから。――アイスが解けていないのを見てから。
アイスは融ける。大前提として融るべき物質。パフェを構成する物質の大部分は常態が液体。それを防ぐためにドームに入れている。時間停止の技術は区切った空間の中を外の時間から相対的に極限まで遅らせて止めている。流れる時間をコードで先送りし続けて停滞させている。電力消費大。アイスに消費期限がないことも加えると、そのためにアイス製品全体を時間停止させる必要もない。停止した中で停止させることは出来ない。レジを通すと魔法陣が発動して時間が停まる。
彼は僕の言った『アイスが融ける』というセリフに疑問を持たなかった。
冷凍アイスケースの型番はSN302号。ランプは赤で、機能の正常動作を示していた。内部の温度も加味して動くから、正常。
ドームの原理の神秘分類はスペル。
北海道地域では、小学五年の秋冬時期の社会か国語の題材で初出する。高校生はとうに知っている。
でも、知らない。
知っていなければならないことを、彼は知らない。
アイスは融けない。レジを通したアイスは融けない。
もちろん、あのアイスも融けなかった。
もし彼がドームの技術自体を知らなかったのならば、すべてにつじつまが合う。
走っている間はアイスから意識が逸れていたから、アイスがどうこうなど頭から吹っ飛んでいた。不審者に追いかけられているのだから当たり前だ。
つまり、彼はそれほど必死で逃げていた。
そして僕のことを信じていた。嘘をついていないことを前提に、素直にアイスをケースに戻した。
知らなかったから。
不知故に、僕の言葉を嘘だと思った。
僕が嘘をつくほどにアイスが欲していたのだと考えた。
彼は、森山光太は――神秘を知らない。
否、知ろうとして諦めている。
僕を見て異種族だと認識できるのだから、神秘自体を見ることは出来るのだろう。僕が生きている原理こそが神秘によるものなのだから。
それを学べないということは……仕組みを学ぼうとすると失敗するのか?
なぜ?
不便。不可解。
あんな顔をするのなら学びたくて仕方がない側の人間だ。
僕たち研究者が尊ぶ勤勉なる学徒。学問に興味をもって、未知なる世界を照らそうと挑む学者の卵だ。
学びの障害になる何かがある。
誰かに邪魔される? ない。
18歳にもなって親に押し付けられているわけではないし、人生が破滅するような行いはさせない。それに、彼は一人暮らしだ。たとえ親に押し付けられたのだとしても、もう自由になれるはず。
神秘が食い込んだ昨今の教育においては、理数が壊滅するのと同義だ。
彼の意思でも他者の意思でもない。
病気?
意外と町を気軽に立ち歩いているからには命の危険があるとは考え難い。
ならば記憶障害?
……部分的に条件が付くのはかなり厄介だが、病院で治せないこともない。
違う。もっと他。
命の危険があるわけではないが、さりとて無理を押して出来るわけでもない。学習自体を中断してしまうような――
……昏睡?
そんな病気があるのかはわからないが、若者があんな顔をしていていいはずがない。
高校3年生は大事な時期だ。貴重な時間を浪費させ、あまつさえ彼を深く傷つけてしまった。
「……謝罪しよう」
少年を改めて追いかけることにした。
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