座敷少女4

 公園から部屋に戻ったあたしたちは、テーブルを挟んで向かいあっていた。

「で、外世界が内世界でなんだの……っていうのは?」

「『個人の精神や肉体は、世界または世界に存在する何らかと対応がある』という考え方です。精神構造を大樹や山に見立てたり、体の部位を星の配置に見立てたり。規模は様々ですが、マクロとミクロの視点の切り替えという点では同じですね」

「精神統一みたいね」

 ヨガとか太極拳みたいな。ストイックに体を動かして自然と一体化する……そういうイメージだ。

「その通りです。魔術の技法でもありますが、思想や技術とも捉えられます」

「さっきのお屋敷はなんだったの?」

「あなたの内側に家を焼きつけることで内部の状態を安定させました。そしてそれは現実での自己認識にもつながります」

「へえ……」

 魔法って不思議。

 あ、不思議だから魔法なのか……

「細かな講義をしていると本職の魔法使いくらいの知識に踏み込む必要が出てくるので、この話題はここで止めます」

「わかりやすかったよ」



「改めまして。寛光大学数理学部数学科所属のシュレミア・ローザライマです。趣味は数学。好きな食べ物はイチゴ。好きな四字熟語は正当防衛です」

「自己紹介ぶっ飛びすぎじゃない⁉」

 その四字熟語を選ぶセンス。

「ひぞれから教わった概念なので気に入っています。司法に認められる正当な理由さえあれば、相手が死にかけだろうと無罪になると」

「翰川先生頭おかしいの⁉」

 なんでこんな人にあれこれ恐ろしいこと教えたり悪用しそうなものプレゼントしたりするかなー‼

「ひぞれを侮辱するのはやめてください。あの子は性善説で人を見ているせいで俺の性質を理解しているのに俺が悪用してしまうようなことを教えてくれているだけなんです」

 スパイスのように皮肉が利いている。

「シェル先生、翰川先生のこと嫌いなの?」

「大好きですよ。ひぞれのためなら50人くらい殺しても後悔しません」

 愛が重い。

「健気で努力家で、人のために動ける子です。愛くるしいですよね」

 サイコホラーの擬人化みたいな人なのに、シェル先生は時折年上な面を覗かせる。虫も殺せなさそうな綺麗な見た目とトチ狂ったような中身のギャップが酷い。

「とりあえず自己紹介しましたので、用件を話しますね」

「……奨学金のこと?」

 あれこれあったせいで忘れかけていたが、あたし的には本来そっちの方が主題だった。

「それもありますが、まずはこれを」

 差し出されたのはシンプルに『契約書』と書かれた書類。

「これは?」

ローザライマ家うちとの雇用契約です」

「はい?」

「あなたを座敷童の観察対象として雇い、その分の給金をお渡しします」

「それが奨学金だっての?」

 そんなの人体実験と変わらない。

「雇用内容を読んでから決めてください。嫌だと思ったら普通の方の奨学金にできますよ」

「…………」

 『藍沢佳奈子(以下、甲)』だの『ローザライマ家(以下、乙)』だの使われており、契約書の本格性が窺われる。

「ねえ。……その。なんで……あたしを気にかけてるの?」

 生意気で中途半端な座敷童。

 もしあたしがシェル先生と同じ立場だったら、1回くらいキレてるかも。

「あなたはディスグラフィアだ」

「――……」

 淡々とした調子のまま告げた彼は、あたしを静かに見据えている。

「文字を書くことが非常に困難で……文系科目が苦手なのはそれが原因。理系科目は、証明問題以外なら書く記号はパターン化できますしね。手の動きをひたすら練習すれば、一応なんとかなるのでしょう」

「なんでしってるの。翰川先生?」

「……たぶん、これを話すといろいろ順序が……」

「よくわかんない……」

「とにかく。まあ、いろいろです」

 袖を打ち払って話を戻す。

「これから文字を書く技術は教えますが、慣れるまではそう何度も使えるものではありません。就職にせよアルバイトにせよ、普通の仕事は難しいはずです。特に実入りのいい仕事となれば」

「パソコン打ち込みとか……」

「『労働量に反して給金いまひとつ』と友人が言っていましたよ」

「うぐ」

 家計を助けようとバイトを探したはいいものの、文字を上手く書けないあたしではバイト先など見つからず。

 ネット経由のデータ打ち込みなどしているが……確かに給金は今一つだ。

「対し、俺たちと契約してくれるなら、少しの経過観察と記録をさせてくれるだけで、大学にかかる諸経費が負担されます。どころか少しのお小遣いが出る余裕も」

 『お得ですよ』と契約書の最終ページを指さす。

 大学を4年通って入学金・学費・学内活動・就職活動に使っても余裕でお釣りが出るほどの金額が書かれていた。

「自由に使える給金分は月に決まった額をあなたの口座に入金。入学金や学費は都度自動振り込み。就職でスーツが必要になった時や、交通費が必要になった時などは申請すれば入金します」

「こ、これはすごいけど。なんでこんなに大金……?」

 寛光大学は一応公立らしいけど、大いに神秘に関われる大学とだけあって学費は安くはない。いや、たとえ寛光でなくともあたしのような家庭ではどの大学でも厳しい。

 それを差し引いても余るほどとなれば……超大金だ。

「あなたは自分の価値を分かっていないのですね。座敷童は目撃例はあっても、実物の例がほとんどない”魔する者”です。魔術界隈に知られたらあなたを攫ってでも欲しいという人は山ほどいますよ」

「それは嫌」

「でしょう。……なのですが、妖怪のような市民権の少ない”魔する者”の詳細は知られておらず、細かな対応が出来るのも魔術に染まった人間だけです。他に渡るくらいなら、と」

「……要は……シェル先生たちが結果的に保護してくれるってことね」

「はい」

 契約書には、あたしについての情報の取り扱いが綿密に書かれていた。

 その項は『観察・研究結果は外部に知らせず、甲(※注:あたし)の存在安定と健康維持のためにのみ使用される』と締めくくられている。

 回りくどいけど、このサイコホラーな犯罪者はあたしを助けてくれている。

「ありがとう。契約します」

「! ……良かった」

 先生は少しほっとしたように雰囲気を緩めた。

 ……表情がないわけじゃないのよね、この人も。

「でも、契約書は最後まできちんと読んでくださいね」

「わかってるわよ」

 1ページ目から順番に読んでいく。

 文体自体は固いけど、内容は丁寧でわかりやすい。

「これって誰書いたの? 先生?」

「俺が作ると『通訳をつけろ』と文句が出てしまいます」

「……」

 頭がいい人が万能だとは限らないのね。

「執筆者は息子です」

「そう」

「ルピネの双子の弟で、ルピネによく似た優秀な息子です」

「双子なんだ」

「俺の子どもたちは、8人のうち6人がそれぞれ双子なのです」

「凄い。あ、もしかして先生か奥さん双子だったりする?」

「妻も俺も双子ですね」

「ええええ……! なんだか運命的なものを感じるわね……」

 驚きの情報だった。

 あれこれ雑談しながら読んでいくと、気になる文章を見つけた。

「先生」

「なんでしょう、佳奈子」

「……この『体調不良等、体に異変が起きた際には』のくだり、なに?」

 治療費から医療保険料のことまで事細かに説明がなされ、最後は『甲に不利にならない形で乙が費用を全面負担するものとする』と締めくくられている。

「よそ様の娘さんを預かるのです。あまつさえ実験のような真似をしようとしているのですから、誠意を示さねばなりません」

「や……そんなに危険なことされないでしょ?」

「存在が不安定であることの危うさがわかっていないとは。あとで幽霊についてのレポートを宿題にしましょう。形式は追って通達します」

「うえぅ……」

 面倒くさい。

「これだから元幽霊は」

 サイコ極まりない変人に説教されたくない……



 契約書を読み終えた時、先生はペンを掴むあたしの手を押しとどめた。

「では、魔法の技術を使った書き方を教えます」

「……ここでそれが来るのね」

「ここ以外にないでしょう」

「そうかも」

 シェル先生との距離感がちょっとずつわかってきた。

 たぶん、この人は凄く頭がいい。頭が良すぎて、普通にしてるだけでも周りとずれていくくらいの天才。

 主導権を渡してしまった方がお互いちょうどいい。

「先ほどと同じように先導します。今度は目を閉じないでいいですよ」

「……うん」

 静かに、静かに空気を揺らしながら、声が広がっていく。

 心地よい。

「頭から心臓へ糸がつながっていて、心臓から腕へと繋がっている。今から繋げますので、息を止めろ」

「えっ――」

 止める間もなく、シェル先生が掴んだあたしの手から”何か”が伝わってきた。

 冷たくてさらさらと流れるようなものが”糸”を伝って心臓まで伸びて、同じく”糸”を伝って脳までつながる。

「――な、にこれ⁉」

「喋ってしまったからには仕方がないのでこのままいきますね。あなたの名前は?」

「あ、藍沢佳奈子‼」

「よろしい」

 鮮明かつ強烈にイメージさせられた自分の名前に従って手が動く。

 先生に引っ張られるまま、あたしの手が名前を書き出した。

「っっっっ……」

 書き終えると、先生があたしの手からペンをするりと抜き取った。

 名前を書いただけなのにものすごくぐったりしてつかれた。

 つかれた。ごいりょくゼロふたたび。

「お疲れ様です」

「つかれた」

「休憩にしましょうか」

「クレープたべたい」

「俺も同じ気持ちです。……キッチン借りますね」

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