座敷少女3
『宅配でーす』
若い男性の声が、玄関の扉越しに響く。
決してドアが薄いってわけじゃないんだけど……声がかなり響くのよね、このアパート。
おばあちゃんに相談をしてみようかな。
そんなことを思いつつ、玄関に向かって叫ぶ。
「はーい、いま出まーす!」
玄関を開けると、スマホをインターホンに掲げた虹銀髪の少年が居た。
「……」
「おはようございます」
ガチャン‼
淡々と挨拶してくる少年を見て、彼が発する得体の知れない気配を感じて、咄嗟に扉を閉める。
「はー、はーっ……!」
それでいて――
同時に、縄張りを持つあたしと同類の存在。
冷や汗が止まらない。恐怖で心臓が痛いほど跳ねていて苦しい。
「……なに、あれ」
あたしを追い掛け回していた白頭巾よりぞっとする。
ガチャリ。
扉が開き、少年が顔を見せた。
「さすがにいきなり閉められるとは思っていませんでした」
「開けないでよ‼」
玄関の内側に指が入り込んできた瞬間に背筋が粟立った。
すぐに鍵を閉めなかった自分が間抜けに思えてくる。
「
「意味わかんない……意味わかんない……‼」
ありえないほど怖くて苦しい。
この感覚をどう言い表せばいいかわからないが、しいて言えば『自分を狙うヒグマが目の前にいる』みたいな状況。
これ以上入られたら、あたしはショック死する。なぜかそういう予感がする。ひしひしと伝わってくる。
震えていると、少年が首を傾げた。
「入るつもりはありません」
「?」
「あなたの反応を見る限り、俺の特性が作用してしまうようですし」
「特性……」
「陣地を取り合うこと。縄張りをこれと決めて広げていくようなもので、同じく縄張りの性質が強い異種族とは相性がよくありません」
「…………」
困ったことに、この人の正体の見当はつかなくとも、どういう人かはわかってしまっていた。
彼は間違いなく翰川緋叛先生の友人だ。
タイミングといい、絶妙な常識のなさといい得体の知れなさといい……どこからどう切り取ってもどう考えても、翰川先生の同類。
これぞまさしく類は友を呼ぶってやつ。
まさか、この人が『とっても優しくて頼りになる頭のいい友達』じゃないわよね? 『シェルは凄いんだぞ』って言ってたシェルさんじゃないわよね?
「……入るつもり、ないなら。どうするの?」
「出てきてください」
「い、嫌よ。死ぬもん」
「いいから出ろ」
腕を掴まれ、玄関の外に引っ張り出される。
「ひゃっ⁉」
段差に引っ掛かってずべっとなってしまったところを、少年が容易く支えた。
掴まれた腕が軽く引かれただけなのに、体が勝手にバランスをとった。
「…………」
家から出た途端、恐怖が消えた。
得体の知れない雰囲気はそのままだが、心臓を鷲掴みにして押しつぶしてきそうなほどの威圧感は消えた。
「所詮は自己流座敷童。自分の領域とみなせているのは自分の部屋だけですね」
「バカにしてる?」
「いいえ」
静かな青い目であたしをじっと見ている。
「よく考えてみて下さい。もしあなたがこのアパートすべてを自分の縄張りとみなせていたら、あなたは俺が敷地内に踏み込んできた時点で瀕死です」
このときほど『自己流で中途半端な座敷童で良かった』と思ったことはない。
恐怖におののいているあたしの心中を知ってか知らずか、マイペース極まりない少年はドアを閉め、人差し指で鍵をつついた。
鍵がかかったことが電子音で知らされる。
「……」
魔法による違法。
「さて。行きましょう」
「どこに?」
っていうかあたし、受験勉強したいんだけど。
「勉強など後で嫌というほどさせてあげますから」
「それも嫌……そもそも、さっきの声なに?」
「?」
「インターホンの。宅配でーすってやつ」
少年はローブのポケットからスマホを出して、何やらアプリを起動させる。
……いかにも異種族で魔法使いな服装の人が現代機器使ってると、なんかミスマッチな感じで不思議。
「押してみて下さい」
「これ?」
画面内のマイクボタンをぽちりと。
『宅配でーす!』
聞き覚えがありまくりな若い男性の声が聞こえた。
「あんたこれ犯罪じゃないの⁉」
「モニタを見ればよかったでしょうに」
「最悪……」
ここまで一切表情が変わっていないのも怖い。
「ひぞれが作ってくれたんですよ、このアプリ。テキストを打つと、自動で自然な音声にしてくれるんです」
無表情ながら嬉しそうに『重宝しています』と呟く。
なんで倫理観ない人にそんなアプリあげたの、翰川先生……
「そんなことより」
「あたしにとっては初対面の人に詐欺られた方が問題なんだけど」
「些細なことをぐちぐちと」
「ほんっと最悪‼」
逃げようとすると化け物じみた身体能力で追いかけられるし、お引き取り願おうとすると口八丁で言いくるめられるし。
結局あたしは、前にコウとかくれんぼする羽目になった公園に連れてこられた。
「……あんた結局だれなの?」
屋根とテーブルとベンチのあるスペースで、得体の知れない人物と向かい合う。
こうなったらヤケだ。
「シュレミア・ローザライマといいます」
シュレミアだから、シェルか。翰川先生からの紹介と『シュレミア』からのメールの文面に差があり過ぎて、今まで繋がっていなかった。
「ローザライマ……ルピネさんと同じ名前」
顔立ちと雰囲気がなんとなく似ているからそうかとは思っていたけど、やっぱり家族だった。
「もしかしてきょうだい?」
ルピネさんがお姉さんかな。しっかりもののお姉さんと暴走する弟。うん、たぶんそう――
「ルピネは俺の娘です」
「…………」
「この世の終わりを見たような顔をされると傷つきますね」
「……ルピネさんはもっと優しくて礼儀正しくて頭がまともだった……」
なんとか言葉を絞り出すと、シュレミアと名乗った少年は今度こそ嬉しそうに表情を変えて言った。
「俺の娘とは思えぬほどよくできた娘でしょう?」
「そうね! すっごくそう思うわ‼」
皮肉が利きすぎている。いや、これは自虐か。
初対面のあたし相手に自爆を仕掛けてくるって、この人のキャラがますますわからなくなるんだけど。あたしはどうしたらいいの?
「妻に似て気遣いのできる子なので誇らしいです」
純粋なる妻愛。……8人兄弟ならそりゃあ奥さん大好きよね。
あてられて黙っていると、少年がまた首を傾げる。
「なに?」
疑問のサインには見えない。
「シェルと呼んでいいですよ。長いでしょう」
「……わかった。シェル先生ね」
翰川先生の口振りを思い出して考えれば、この人は翰川先生より年上。そしてルピネさんよりも明らかに年上。
せめて呼称で敬意を払うことにする。
「はい」
「あなたはなに?」
「善良な一般市民です」
間髪入れず即答。
「詐欺をかます一般市民が居てたまるかってのよ……」
「それは冗談として」
シェル先生は虚空に手を突っ込み(そうとしか表現できない)、小さな箱を引っ張り出した。
「…………」
宙に奇妙な穴が現れたと思った瞬間には彼が手を突っ込んでいたので、穴の中の詳細はよく見えなかった。
「名刺です」
「……え」
『寛光大学数理学部数学科教授』。
「何で魔術学部じゃないの⁉」
「そう言われましても」
「だって、あの鍵開け、魔法でしょ!」
「魔法が使えるからといってその道に進む必要はありません」
「ええ~……もったいない……」
「俺が魔法を教えると死人が出るのでやめろと言われているんです」
「じゃあ仕方ないのね」
手のひらを
「あなたは忙しいですね」
「誰のせいだと思ってんのかしらこいつ」
超絶他人事な口調が神経を逆なでしてくる。
「まあいいです。さっさと用件を済ませましょう」
ジリジリと暑い中、彼の声は静かに響く。
「座敷童として安定することが出来なければ、あなたはあと5年くらいで消えてしまうはずです。いくらあなたが長年浮遊霊をしてきた実績があろうと、限界はあるのですし」
重たい事実だった。
「そもそも、幽霊とはどんなものだろうと消える定めにあります。死んでいるのですから。それがルールです」
「怨霊もそうなの?」
「時間とともに風化します。これは押しとどめられることではありません」
「すっごい強烈な恨み持ってる人でも?」
あたしの問いに、首を傾げながら答えた。
「誰も自分に気付かず、路傍の石より無為な存在となっても、自意識を保てると思いますか? ポルターガイストが使えたとて、それを使うたび自分がすり減っていくのですし」
「……」
そうだった。
さまよっていたあたしは、寂しかったからおばあちゃんの傍に行ったんだ。
「死力を尽くしてというのも妙な表現ですが、そうしても外界に及ぼせる影響はごくわずか。無力感はすさまじいでしょうね。……気になるのでしたら、幽霊についての論文はネットに転がっていますので調べて見て下さい」
「そうするわ」
彼は静かだ。
そばにいると、清流の前にいるような心地よい静けさがある。
「暑い中外で話し続けるのもばからしいので、俺があなたの家に入れるようにしたいと思います」
「……?」
「座敷童は客人を招くことができます。客人の性質と関係なく、できます」
「まあ……そうだけど」
座敷童の居る旅館だとか……座敷童について必死で調べたから、そういう話は知っている。
いや、たとえ旅館でなくとも、一般の屋敷にいる座敷童がお客さんを受け入れられないわけじゃないだろう。ちょっとご近所さんが遊びに来て、お茶菓子を出すくらいしたはずだ。
「幽霊と座敷童の中間を揺れ動いているから、俺の特性に過敏に反応してしまっているのだと予想されます」
「あなたの特性を正確に言うとなんなの?」
あの恐怖は、縄張り云々のものだけではない気がする。
「俺は幽霊の天敵であり、縄張り持つ者の天敵です。が、あなたが座敷童に成り切ってしまえば問題ありません」
「……成り切れないのが問題なのよ?」
座敷童の逸話や時代背景はネットや本にいくらでも転がっていたが――『正しい座敷童のなりかた』なんてものはどこにもなかった。
「問題ありません。そもそも、俺の魔法使いとしての分野はそういったものなのですし」
犯罪魔法使いじゃなかったんだ。
「なんだか不名誉なことを考えられている気はしますが、見なかったことにしてあげましょう。……座敷童に成り切る覚悟はありますか? あなたはこれから、妖怪に分類される異形となって数百年を生きることになります。偏見を受けないことがないとは言い切れません」
「……愚問ね」
恐くないと言ったらウソだ。
でも、あたしは生きる――意地汚かろうとこの世に縋り付いてやる。
「なる覚悟なんて、12年前から済ませてるわ」
「それは良かった」
シェル先生は、とても綺麗に笑った。
おそらく、男女関係なしにぞっとするような……なんだ、これは?
これも種族特性?
「生存に執着する人は大好きです。これからもその気持ちを忘れず頑張ってくださいね」
「え……あ……うん?」
「では、さっそく始めましょう」
「ここで?」
「むしろあなたが家から離れているときの方が都合がいい」
「?」
「まずはあなたの内側に家の概念をきちんと入れ込みましょう」
「わかんないわよ」
「あなた一人で出来るなら俺が居なくとも出来ている」
「……要は、あんたじゃなきゃ無理ってことなのね」
「今のところは」
先生はあたしの眉間を指さし、静かに告げる。
本当に、静かなのだ。空気に溶け込む心地よい静謐。
「目を閉じて静かに集中しなさい」
催眠療法みたいなもの?
胡散臭いけど、言われた通りに目を閉じる。
「想像」
周りの音がゆっくりと遠ざかっていく。
とても静かで、夏の暑ささえも消えていくような気がする。
「ん」
「土台があり、床があり、柱があり、壁や天井に繋がっていること」
「……っ?」
「支えが揺らがないこと」
手を掴まれると、頭の中に図形が叩き込まれてきた。
だって、そうとしか言えない。
克明な図形は、きらきらと輝いていて――
「組み立てろ、座敷童」
合図とともに”家”が組みあがる。
地に柱と土台がうち込まれて床と壁が出来上がって屋根が出来て内装と家具が並んでぜんぶぜんぶぜんぶ――
「~~⁉」
藁屋根瓦屋根土壁漆喰大黒柱床組み布石沓石土臺化粧。ほかにもたくさん。あたしが知らない名前までも、頭に叩き込まれる。家の上下左右を行き来していく。屋根のてっぺんから地中の石と柱まで。柱の木組みから、丁寧に土を均した壁まで。
早回しのように家が出来上がっていく様子は圧巻というほかなかった。
古式ゆかしい日本家屋が頭の中であっという間に完成する。
「……はぇぅ……」
つかれた。
「自らの内側の世界は外の世界と対応している。魔術の基礎の基礎です」
「いみわかんなーい……」
ごいりょくおちるくらいつかれた。
「強引な手法でも問題なかったようですね。……立てます? たぶん、もうあなたの家で向き合っても大丈夫だと思うのですが」
「あと、じゅっぷんまって」
つかれたの……
「……では待ちます」
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