表現方法

自分の考えていることを他の人に発表したい。

このような考えからtwitterやブログという物が流行っているのであろう。


最近twitterをボーッと見ていることが多い、小説のネタだったり

面白い話だったり、様々な情報が一秒の間にたくさん流れる。

それが心地よかったり、縛られている苦しみだったりする。


やはりインターネットを利用している上で見逃せないのが誹謗中傷だ。

見ないように見ないようにしている。さらに、見ても深く考えないようにしている。

しかし、他人と言えども人が人を攻撃するのは気持ちのよい物ではなく、

心が痛くなってしまう。


僕もいろいろなネットサービスを利用して自分を表現しようとしている。

きっとそう考えている人はたくさんいる。

そんななか嫌いな人を叩くだけに利用する人がいるのはとても悲しいことだ。


そのような人のせいで自分の意見を発表できなくなってしまう人がいたらとても悲しい。



ここで僕が言いたいのは自分を何処でどのように発表するか。だ。


何処で発表するにも批判だったり、悪口は発生し自分の耳に入ってくる物だから

仕方が無い。だから、発表する場所は何処でも良いように思える。

自分の一番やりやすい場所で発表すればいい。


問題なのは自分の表現方法だ。

自分の得意なことを利用するのが一般的な選択だろう。

ただ、表現方法と言う物はこの世に何千何万とある。

全てを確認するのは難しいだろう。

そんなことは当たり前だ。

しかし、今まで自分がやって来たことを高めるだけが、

表現方法ではない。


そして、忘れてはいけないのが表現方法に上も下も無い。と言うことだ。

「純文学が上級文学で小説は低俗だ。」そんなことはどうでも良いのだ。

「ライトノベルは文学的じゃない。」誰が決めたのだ。

そんな社会の目や、しがらみは全て捨て

自分独自の発想を持ち、自由に表現すべきだ。

僕らのその行動が未来を作る架け橋になるはずだから。


「よしじゃあ自己表現しよう。

一つ頭の中に固まりがあると。それじゃ、形にして行こうと。

それが、絵画の人もいますよね、音楽の人もいますよね、歌う人もいますよね、

芝居の人もいるかもしれない、あと踊る人もいるかもしれない。

ここにコントって全然入る事だと思うんですよね。

だから、模索している人はいると思うんですよ。

一体自分は何を使って自分がやりたい事をやったらいいのかって

そんなかの選択肢にコントを入れてみてはいかがでしょうか?」

※引用 小林賢太郎


この言葉は僕の好きな劇作家兼パフォーミングアーティストの小林賢太郎さんの言葉だ。

僕はこの言葉を聞いて、行った通り摸索した。

いろいろやると道は開けてくる。

最後に残ったのが僕の場合小説とエッセイという形だった。


やはり、どんな形でもそれを馬鹿にする人は許せない。







福本翔太郎

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る