第16話 万能の英雄と紫炎の魔女③

                  ※※※                  

 放射系統魔法〈紫炎・發〉

 刀身に纏った紫炎を放射する夜白の新たなる魔法。地上から宵闇に伸びる紫の尾を見ながら夜白は吼えた。

「アタシを舐めるなって言ったはずよ!!」

 完全に不意をついた紫炎は七篠を一飲みにした。

 忠虎が言った絶対に負けない方法とは、二人が協力することだと確信していた。

 信じろと言われた。だからこそもどかしい気持ちを覚えながらも、夜白は屋上で機を伺っていた。

 ようやく手にした国崩しは、とてつもなく重たかった。白光と刀身もほぼ同じなのだから、重さも変わらないはずだ。けれど確かにこの大太刀はずっしりと夜白の手に確かな質量を与える。

 その重さに名前をつけるとすれば、意志や希望なのだろう。

 心や感情に質量などないと分かっている。それでも夜白は右手に伝わる重さが錯覚だとは思いたくなかった。

 不意に国崩しの姿がおぼろげに霞む。忠虎の元へ戻ろうとしている。まだ資格が足りないか。この手からまたしても逃げる気か。そうはさせない!

「アタシの言うことを聞けッッ!!」

 一喝。

 再度夜白の右手には国崩しの重みが伝わる。納得か諦観か、国崩しが何を思ったかは分からない。けれど今あの魔女をぶっ飛ばす手助けさえしてくれれば、それだけでよかった。

 忠虎が必死に戦い、ようやく作った隙を夜白は突いた。だが、まだ終わっていない!

「神代夜白ォォォォォォォォ!!」

 晴れた煙から急降下してくる影があった。髪を振り乱し、服を汚し、至るところに怪我を負った七篠だ。憤怒の炎を瞳に湛え、こちらに斬りかかってきた。

 夜白は素早く左手を動かす。鞘から抜いたのは愛刀〈夜船白光〉。右手の国崩し、左手の白光を交差させ、七篠の斬り下ろしを迎える。

 甲高い金属音が響き渡り、夜白と七篠は鍔迫り合う。

 互いに一歩も退くことなく、二人は想いをぶつけあう。

「目障りなんだよキミはァァ!」

「アタシのセリフよォォ!」

 二人の刃が激しく弾かれる。夜白は硬く両手のウォンドを握り直し、鋭く国崩しによる横薙ぎを振るう。そして全く同時に白光による斬り上げを放った。

 必殺の二連撃を、しかし七篠は報土により防ぐ。爆発じみた衝撃で、二人は大きく後ろに弾かれる。

 十メートルの距離で対峙する二人。夜白は二振りの剣を担ぐように右肩に構えた。

 七篠が空手だった左手を空へ掲げる、すると瞬時にしてもう一振り漆黒の刃がその手に生まれた。同じく二刀を持った七篠は、やはり同じく両手の刀を右肩に構えた。

 帝国海軍式二刀術〈龍顎〉

 夜白の持つ国崩しと白光が紫炎を纏う。

 二人は全く同時のタイミングで地を蹴った。同じ技を、同じ速度で、同じ力で放つ。

 閃光のように突進した二人。屋上の中央で正反対の軌道を描く刀が激しくぶつかる。互いに全力で剣を押し込むと、耳障りな金属音と共に刃が滑った。

 七篠の左肩から胸にかけて、斜めに一直線の鮮血が走った。と同時に夜白は自らも同じ部分を斬り裂かれる。遅れて激痛が傷を駆け抜け、夜白は意識が飛びそうになる。

 舞う鮮血の先に、右斜め下に身体を捻った七篠の姿が見えた。

 夜白は気合だけで、二刀を上段から振るう。対し、七篠は斬り上げにより迎え撃ってくる。

 ガキィィン!!

 激しい衝突音が響く。空中にかち上げられた夜白は、宙で身体を丸める。前方へ鋭く回転しながら右足による踵落としを放つ。

 紫色の炎を纏った踵が七篠の頭部に迫る。

「オオオッ!!」

 しかし、鋭い気合の声と共に、七篠は上段蹴りを繰り出そうとしていた。このままではまたしても相打ちだ。秒の半分の半分の時間でそう決断した夜白は、技をキャンセルする。黒い靄を残し、空間転移を発動した。

 七篠が僅かに遅れて空間転移をした。

 夜白と七篠は空中で向かい合う。二つの雄叫びが空に木霊し、二人は再び切り結ぶ。

 夜空でいくつもの閃光が瞬いた。それは超々高速で繰り広げられる刃同士のぶつかり合いゆえのものだ。幾多の星が数多煌めき、やがて地上に降りてきた。

「ウォォォッ!!」

「ラァァァッ!!」

 再び屋上の中心に降り立った夜白と七篠は刃を交わす。

「昔の男が忘れられなくて、構ってもらいに来てんじゃないわよ!」

「何も知らない子どもが好き勝手囀るな!」

 刃が互いの肌を浅く斬り裂く。夜白は肩から、七篠は足から血を吹き出す。

「消えろメンヘラ!」

「失せろクソガキ!」

 夜白が負った疲労は傷は重たく。もはや振るう刀は剣術を成していなかった。夜白は左右の剣を本能で振い、七篠もまた本能だけでそれらを叩き落としてくる。

「死ね!」

「死ね!」

 ガキン、と一際激しく刃が衝突した。衝撃で国崩しが、白光が、二本の報土が宙を舞う。二人は互いの武器を取り落とす。

 七篠の視線が一瞬報土に向けられた。

 けれど夜白はウォンドに構うことなく、固く拳を握りしめていた。無防備に隙を晒す七篠に拳を振り抜いていた。

 迫る拳に気づいた七篠の目が見開かれる。だが奴が防ぐより早く、全力を込めたフルスイングが顎を撃ち抜く。

 終われ! 願う夜白の目に拳を握る七篠の姿が映った。鼻血を流しながら笑っている。

 夜白も意地で笑い返す。七篠の左手を掴み、左足を踏みつける。それはノーガードの打ち合いへの誘い。

 もう一度夜白が七篠の顔面目がけて、拳を振りぬく。全く同じタイミングで七篠の拳が夜白の頬に炸裂した。

「グウッ……!」

 効く。これは効く。すでに魔力が枯渇しているのか、身体強化がところどころ切れかけている。無防備な身体にフルスイングのパンチは効き過ぎる。

 けれども夜白は、七篠は、

 拳を振るう。何度も何度も。ノーガードで、相手の顔面めがけて、容赦などない一撃を叩き込む。

 血が舞い、音が響き、そしてまた血が舞う。

 死にそうだ。

 痛い。もう疲れた。腕なんて振れない。酸素をくれ。死ぬ。痛い。痛い。痛い。けど、

 負けたくない。

 絶対に。

 グシャァッと、不快な音が響き、夜白は手を離す。

 フラフラと後退り、肩で息をする。もうこれ以上は動けない。体力はすっからかんだ。魔力は……まだもう少しだけ残っている。

 血に塗れ、荒い息を吐く七篠の姿は自分と大差ない。だが、ゆっくりと、けれど確実に前へ、前へ。足が踏み出される。

「……化け物か」夜白が目を見開く。

「……まけ、ない。負けられないィィ!」狂気すら感じられる表情で七篠が迫ってくる。その顔には折れない意志がにじみ出ている。「…………夜白。キミにだけは!」

 知力、体力、魔力全てを出し切った。なおかつ完璧に隙を突いてなお打ち負かせない。

 全力は出した。もう何も残っていない。だから悔いはない?

 ――ハハハハハ!

「んなわけ、ないでしょ……!」

 痛む身体に、折れそうな意志に鞭を打ち、夜白は一歩。確かに踏み出す。

「……アタシ、だって……」

 七篠との距離が縮まる。いつの間にか距離は互いの手が届くほどに近い。あと一撃、拳を振るうだけでいい。けれどそれができない。

「…………アンタ、にだけ……は」

 夜白は笑う。たったそれだけで身体に激痛が走る。それでも笑った。笑うしかなかった。

「…………アタシたち、の勝ちよ」

 夜白は空を見上げる。そこには球体――魔力阻害のウォンドに手をかける忠虎の姿があった。

 七篠がハッと顔を上げる。

「シノ、これにて終焉だ」

 戦いの最中、一瞬でも相手から視線を切っていい道理はない。奇しくも鯉川の時と同じ状況に夜白は笑う。

「どいつも、こいつも……アタシを、舐め、やがって」

 けれど昔ほど腹は立たなかった。自分は強い。だが弱い。それを受け入れられるくらいは成長したのかもしれない。

 夜白は拳を握った。

「良いこと、教えてあげる……敵を、前に……棒立ち、するのは」

 文字通り、最後の力を振り絞って振り抜かれた拳は、七篠の顔に突き刺さる。

「三流よ」

 驚愕の表情を浮かべた最強の魔女の身体が吹き飛び、フェンスに激突した。

 空では忠虎が式符を破壊したのか、眩い爆発が起きていた。

 爆発はやがて収まり、再び街に暗闇が戻り始める。

 それも一瞬のことだった。

「……ハハッ」

 夜白は思わず笑った。

 眼下ではゆっくりと、けれど確かに、波打つようにして街に光が戻り始めていた。

                   ※※※                  

 全ては終わった。霊装を破壊した忠虎は安堵の息を吐いた。

 これから始まる。何もかもが。

 下で待つ夜白の方へ、新しい一歩を踏み出そうとした忠虎は、大きく目を見開いた。

 炎と煙が晴れ、忠虎の眼の前に一枚の式符が現れた。

 禍々しいそれを見た瞬間。

 忠虎は一つの決意をする。

                   ※※※                  

 夜白はホッと息を吐く。全ては終わった。気が抜けたせいかボロボロになった身体は、糸の切れた人形のように力を失う。膝をつきながらも空を見上げる。

 夜白は浮かんだままの忠虎を呼ぶ。

「アンタも降りてきなさい」

 だが忠虎は聞こえていないのか、その場から動かない。屋上から忠虎のいる場所は遠い。今度は大声で名前を呼ぶが、やはり反応はない。

 目を凝らしてみる。何だろうか。式符を手に持っているように見える。嫌な予感がした。鼓動が徐々に早くなってくる。

「忠虎!!」

「彼は動けない」

 唐突に響いた声に、夜白は国崩しを突きつけながら振り返る。七篠が報土を杖代わりし、立つのもやっとという様子でこちらを見ていた。

「広域殲滅放射系統魔法〈獅子の殺吼〉……まあ魔法名も由来も伝説も今はどうでもいいね。重要なのは」

 疲弊しきった七篠の顔だけが、底冷えのする歪な笑いに変わった。

「残り五分でこの街は完全に消え去る」

「この期に及んでアンタは……!」

 愚かだ。本当に愚か者だ。今さらこんなことをして何になるというのだ。その答えを七篠が口にする。

「ボクは終焉の魔女だ」

 空疎な言葉だった。本人もそれを理解しているような儚げな笑みを浮かべ、上空の忠虎を見た。

 夜白は国崩しを構える。たったそれだけで傷だらけの身体に衝撃が走った。けれどもそんなもの気合で跳ね飛ばす。

「正義の味方は悪を滅ぼし、完全無欠のハッピーエンドを迎える。主人公とヒロインは輝かしい未来を手に入れ、エンドロールが流れるなんて思っていたかい?」

 七篠がゆっくりと立ち上がる。

「終わらせないよ。誰にも。ボク以外には」

 この生き物は別の環境で別のルールに則って生きている。何もかもが相容れない。何もかもが理解できない。宇宙の果てからやってきた異星人のように思えた。

 異星人にかかずらっている暇はない。今すべきはあの魔法をどうにかすることだけだ。

「夜白」七篠が呼ぶが、夜白は取り合おうとしない。

 破壊するか? いや衝撃を与えた瞬間爆発するに決まっている。解除する? 確実に難解な暗号がかけられているだろう。解いている時間はない。どうする?

 七篠が言った。

「自分なんかが身につけるには到底似合いそうもない、キラキラ眩しい宝石が目の前にあったらどうする? それが夢見るほどに欲しいのに、願うのに。どうやっても手に入らないとしたら。どうする?」

「宝石に手を伸ばし続けるわ。絶対に手に入らないとしても、似合いそうになくても、手に入れようと願うことは止めない」夜白は七篠を鼻で笑う。「例え話が超絶にヘタね」

 七篠が口角を上げた。薄いその表情の奥には、数多の感情が渦巻いている気がした。

「ボクは宝石を壊す。自分のものにならないなら、誰かのものになるくらいなら、嫉妬で身を焦がすくらいなら。――いっそこの世から消え去ってしまえばいい」

 夜白は呆れたようにため息をつく。

「アンタ〈終焉の魔女〉って大層な二つ名返した方がいいわよ」

「下らないことで悩んでるからって言いたいんだろう?」

「悩むことは下らなくなんかない。出した答えの下らなさに呆れてるのよ」

 抜き身の刃のような夜白の言葉に、七篠はやはり歪な笑いを浮かべた。

「ずっと言おうと思ってたけど、その笑い顔、超ブサイクよ」

「ずっと言おうと思ってたけど、そのドヤ顔、超腹立つんだ」

 そう言って、夜白と七篠は刃を向けあった。不毛な問答はここで終わりだ。

 夜白は最後の力を振り絞り、空間転移で七篠の背後へ跳ぶ。だが無防備な背中に向かって放った横薙ぎは、虚しく黒い靄を斬ったに過ぎなかった。

 空間転移によってこの場から消え仰せた七篠の声が、どこからともなく聞こえた。

「あと60秒。大口を叩いたんだ。ハッピーエンドを見せてくれ主人公」


「忠虎!! トラ! バカ軍人! 世間知らず! ジジイ! ああもう!」

 七篠も去った屋上で、夜白は何度も何度も忠虎を呼び続けるが、あのバカはこちらを見向きもしない。さっきの空間転移で魔力も底をついた夜白は、ポケットから取り出したスマホで忠虎に電話をかける。

 もどかしいコール音。見上げた忠虎が懐を探ったように見えた。やがて繋がる。

「解除する手段を考えるわよ! とりあえずアンタはそこから降りてきなさい!!」

 夜白の叫びに対する忠虎の言葉は、驚くくらいに冷たかった。

『一つ謝らなくてはならんことがある。国崩しは願いを叶える霊装だと言ったな。それは若干の誤りがある』

 声を交わしているのに、互いの言葉は一切交わっていなかった。

「早く降りなさい」

『願いを叶えられるのは一度のみなのだ』

「何度もは言わないわよ」

『国崩しはまだ完全に貴様を主とは認めていないようだ。だから力を示せ。貴様自身を真に認めさせろ。そうすれば御母堂を救えるはずだ』


「降りなさいって言ってるでしょ!!」


 夜白は叫んだ自らの声が涙まじりになっていることに気づく。当たり前だ。必死に叫んでいるのに、解決策を考えようと言っているのに忠虎は……死ぬこと前提で話をしているからだ。

「忘れたんでしょ、その策は! 何でまたアンタは死のうとしてるのよ!?」

 長い沈黙に混じって忠虎の息遣いが聞こえる。

「お願いだから生きようとして! 死を受け入れないで、生に縋りなさいよ!!」

 ようやく聞こえた声は酷く弱々しいものだった。

『……賢しい貴様なら分かるだろう、他に策がないことを。もはやこの魔法は止められん。であれば、この式符を可能な限り安全な場所へ移動させるしかない。それができるのはこの場で私だけだ。空間転移により、私はこれを安全な場所まで運ぶ。魔力切れの貴様にはできん。このような簡単なことがなぜ分からん』

「こいつを使えばいいでしょ!」

 夜白は国崩しを掲げる。

『言っただろう。国崩しが願いを叶えられるのは一度だけだと。この意味が分からないわけではあるまい』

 その言葉を正しく理解しながらも、夜白は迷わず国崩しを掲げた。

 分かっている。分かっているのだ。

 ただの一度をここで使えば、お母様を救えなくなると。

 あの暖かく幸せだった日々は、もう目の前にある。この古代級霊装〈国崩し〉を使い、お母様を昏睡状態から救い出せる。

 けれど、

 それと同じくらい、


「――――アンタを失いたくないのよ!!」


 忠虎が電話の向こうで息を呑んだ気配がした。

 確かに忠虎と過ごした日々は短かったかもしれない。けれど、それでもこの何日か夜白は幸せだった。笑い、怒り、悲しみ、そしてまた笑った。

 そもそも誰かに対する想いを秤に乗せることなどできないのだ。好意を数値化し、どちらかが一パーセント多いからと言って、もう一人を斬り捨てることなど自分にはできそうもなかった。

 支離滅裂なことを言う自分が、冷静な忠虎のことが無性に腹が立った。

「アンタはどうなの!? アタシのこと好きなんでしょ!」

『そ、それを言うのは卑怯だ!』

 ようやく鉄壁が崩れた。理論武装で作り上げられた英雄の殻をぶっ壊せば、中にいるのは自分と何も変わらない等身大の男の子だ。

「アタシと一緒にいたいでしょ!? アタシはいたい! この街で一緒に遊びたいし、序列だってまだまだ上を目指したい! もっといろんな魔法だって教えて欲しいし。あぁ……もうとにかく、アンタに側にいてほしいのよ!!」

『……ちょ、ちょっと待て。貴様何を言ってるのか分かってるのか!?』

「分かってる。正しく理解した上で言ってる。こんなこと他の誰にも言えるか。忠虎にだから言うのよ。それに早く気付け!」

 スマホが壊れるくらいに大きな声で夜白は叫ぶ。

「アタシはしたい! アンタはどうなの!? 何か言え臆病者!」


『一緒にいたいに決まっている!』


 キーンと忠虎の大声に電話がハウリングする。けれど夜白は耳を離さない。息継ぎすらも聞き逃さないよう電話にかじりつく。

『夜白のことを好いている! 貴様は自分の魅力が分かっていない! 困難にくじけぬ強さ、日々精進する勤勉さ、輝かしい才能。全てが美しい。欲しい。私のものにしたい!』

「……ちょ、ちょっと待って」

 一言一句聞き逃したくないのだが、そうすると顔から、全身から火が出て死にそうだ。言葉が真っ直ぐで熱すぎる。

『待たん! 透き通る濡羽色の髪も、意志に満ちた瞳も、全てが愛おしい! 美しい!』

「アンタストレート過ぎるでしょ! 自分で何言ってるのか分かってるの!?」

『分かっている! 理解している! こんなこと他の誰にも言えぬ! 夜白。貴様だから言うのだ!!』

 互いに言葉は止まり、後には荒い息遣いだけが聞こえる。

 少しだけ熱の引いた夜白は言う。

「天防が滅びるってのに、アタシたち痴話喧嘩してる場合じゃないでしょ」

『始めたのは貴様だろう!』

「乗ってきたのはアンタでしょうが!」

 言い合いはすぐに止まった。いいや言い合いとも違う。こんなのは単なる楽しい楽しいじゃれ合いだ。電話越しに笑い声が重なる。

 この時間を失いたくないと本気で想った。

『前に話したことがあっただろう通信に出る度に死にかけたと。72年前シノに敗れた時も、直前に夜夜と通信魔法で話したのだ。つい先程も、シノに首を落とされかけた。そして今。自分どころか街まで死にそうになっている』

「それは遺言?」

 言いながら夜白は、自らの声がそれほど悲壮感に染まっていないことに気づく。

 それを後押しするように、忠虎は熱を帯びた声音で答えた。

『いや違う。宣言だ。決意宣言。聞いてくれ夜白。世界中の誰でもない。夜白にだけ聞いて欲しい』

 夜白がスマホを握る手が強くなる。

『届かない現実……それを掴みに行ってくる』

 心から溢れ出る全てを無理やり押しとどめ、夜白はたった一つを言った。

「……行ってらっしゃい」


『今のやり取りでほとんど残り時間はなくなったな』

 忠虎が電話の向こうで言った。あと二十秒ほどだろうか。この街が消えるまでもう猶予はない。だから忠虎が押し出すようにそう言うのは必然だった。

『それでは行ってくる』

 分かっていても夜白は悔しさに唇を噛む。

 他に策がないことなど分かっている。現状における最善の手は、忠虎があの式符を安全な場所まで運ぶことだけだ。

 国崩しで広域殲滅魔法をどうにかしようと夜白は言ったが、忠虎の言うように、まだこいつは自分を認めていない。

 八方塞がり。

 夜白は拳を痛いくらいに握りしめる。何も出来ない弱い自分が情けなかった。強くなりたかった。もっともっと。忠虎は死ぬかもしれない。いや十中八九無事ではすまないだろう。生き残ることは酷く難しい。

 けれど不可能ではない。この世にできないことなどない。届かない現実など存在しない。最強の魔女だって倒せるし、好きな人と思いを通じ合うことだってできる。

 夜白と忠虎は同時に言った。

「「不可は不可なり」」

 言葉と共に忠虎が空間転移により姿を消す。

 後に残った黒い靄が、宵闇と混ざり合い、

 フッと消えた。

 夜白は視線を下に向けた。礼灯が鮮やかに光り輝いている。それは見慣れた風景のはずなのに、今日はやけに美しく見えた。

 この美しさを分かち合いたかった。大切な人と。夜白は空を見上げた。

 そこに白い軍服の少年を見つけるために。

「……おかしいなぁ」

 満月が浮かんでいたはずの空には、千々に乱れた淡い光しかなかった。それが自分の涙のせいだと気づいたときには、淡い光すらも見えなくなっていた。

 数多の雫が地面を濡らす。鋭い痛みが胸を襲う。感情の奔流が心で暴れる。

 夜白は生まれて初めて心のままに泣いた。


 天防区全域でのウォンド使用が可能になったことを確認した魔法省は、深夜未明に事件の解決を発表する。

 七篠の手引きにより、街に侵入していたテロリスト五六〇名の身柄は全て拘束された。ウォンドの使用不可及びテロリストの侵入という、未曾有の大事件にも関わらず、死者は奇跡的に〇名であった。その影には、神代夜々の主導による魔法省の迅速な対応も光るが、加えて六星機女学園を含む六つの学園の生徒の活躍も大きかった。

 こうして〈七篠事件〉と命名された本事件は一応の解決を迎えた。

 しかし首謀者である七篠シノの行方は未だ分かっていない。

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