第14話 万能の英雄と紫炎の魔女①

                  ※※※                  

 空を駆ける夜白たちは色を失った街を見下ろしていた。

 忠虎の背中には青い翼が生えており、地上から二十メートルほどの高さを、夜白は彼に抱きかかえられ風のように飛翔していた。

 屋上で対峙した七篠は懐から取り出した式符を宙に投げ、式神を顕現させた。八枚の羽を持った巨大な白鷹だった。その背中に乗り、空へ駆け出した七篠を追って、二人も空へ飛び出し、今に至る。

「トラ」

 七篠の声が背後から聞こえた。どうやら器用に大鷹を操縦する七篠に、背中を取られてしまったようだ。

 忠虎の羽が震える。急加速し、満月に向かって高度を上げると、風が身体を叩き、夜白の長い黒髪を揺らした。

「少々動きが鈍いね。重たい荷物抱えてるせいかな?」

 夜白は首だけで振り返る。鷹の上に立った七篠が報土と呼ばれる刀を無造作に振るう。

「上!」夜白が叫ぶ。

 ジジッと虫の羽音にも似た音が聞こえたかと思うと、青色のレーザーが猛烈な速度で迫りくる。当たれば一瞬にして消し炭なるだろう必殺の一撃。

 忠虎がほぼ直角の軌道で空へ急上昇する。胃がひっくり返りそうなGが身体にかかり、夜白たちが進む軌道が上へと向く。レーザーはすんでのところで、自分たちが飛んでいた場所を勢い良く通り過ぎていき、着弾したビルに巨大な穴を空ける。直撃していればと思うと肝が冷える。

「行け! 夜白!!」

 夜白は下を見る。ちょうど七篠の頭上辺りだ。忠虎が手を離す。夜白は浮遊感を身体に感じながら、七篠に向かって上段斬りを放つ。落下速度も加えた一撃だ。

 七篠との距離がみるみる縮まり、刃が衝突する。

「効かないな」

 上段斬りを防がれた夜白は、空中で身を翻し、大鷹の背中に降り立つ。向かい合った夜白と七篠はすぐさま刃を振るい合う。

 一合、二合、刃と刃がぶつかり合い、三合目で夜白が弾かれる。何と鋭く重い豪剣か。さすが終焉の魔女などと大層な名で呼ばれるだけはある。剣術の方も相当使えるらしい。

 四合目。夜白に向かって胴を狙った横薙ぎの一太刀が迫る。

「んのやろッ!!」

 紙一重。夜白は刃の軌道に強引に白光をねじ込んだ。攻撃を受けとめられたが、強烈な斬撃により弾かれる。しかし夜白はその慣性を活かし、独楽のように横回転する。

 カウンターのように真一文字の回転斬りが七篠を襲う。

 しかし冷静に二歩下がって避けた七篠が笑う。「素振りの練習かな?」

「どうかしら?」横回転にブレーキをかけ、体勢を整えた夜白もまた笑う。

 一歩前に踏み出した七篠の身体を狙って糸が飛ぶ。いつの間にか自分たちより低い場所を飛んでいた忠虎からだ。糸は一瞬にして七篠の身体に幾重にも巻きつき、繭のようになった。身動きの取れなくなった七篠に夜白は袈裟懸けを振るう。

「紫炎!!」

 イメージを言葉にするという力づくの詠唱で魔法を発動させる。夜白によって放たれた紫の一閃は繭を斬り裂き、糸くずが千々に乱れ飛ぶ。

 だが、そこに七篠の姿はなく黒い靄が僅かに残るだけだった。

「連携攻撃!? トラらしくない手を使うね!」叫び声は真下から。夜白が見下ろすと忠虎の真上に黒い靄が現れていた。空間転移で忠虎の元に跳んだらしい。七篠は忠虎に向かって報土を振り下ろす。

 だが忠虎の反応速度も負けてはいない。翼を羽ばたかせ、身を起こす。国崩しを掲げた忠虎は頭上からの攻撃に対し迎撃体制を取った。

 刃と刃が衝突し、眩い閃光が瞬く。忠虎は七篠と剣をせめぎ合わせながら、言葉を押し出した。

「らしくないか、貴様の言う通りだ。愚かな私は気づくことができなかった。だからこそ貴様に敗れ、海の底で72年も眠ることとなった。だが今度は違う。違うぞ!」

「!?」

 驚愕に染まった七篠の隙を突き、忠虎が思いっきり刃を押し込んだ。七篠が空中で体勢を崩した。

 すかさず夜白が大鷹の背から跳ぶと、夜白の長い黒髪が風に逆立った。僅かに遅れて七篠が空を見上げた。だが七篠が防御体勢を取るより早く、落下速度を込めた蹴りが彼女を吹き飛ばした。

 七篠が轟音を立てて道路に激突すると、衝撃でアスファルトが砕け散った。七篠の姿が瓦礫に深く埋もれるほどの破壊力だった。

「やっと一撃ね」

「……少し五月蝿いな」

 瓦礫を吹き飛ばし、再び姿を現した七篠には傷一つもない。冷たい声でそう告げた七篠は地を蹴る。大きく飛び上がったかと思うと、鋭く羽ばたいてきた大鷹の背に乗った。

 忠虎が空で翼を動かし、落下していた夜白の元に飛んでくる。夜白を抱きとめた忠虎は再び滑空を始めた。風に打たれながら夜白は不満を漏らす。

「何よあれ! アイツ硬すぎでしょ!!」

「身体に幾重にも張られた防護魔法が本体への攻撃を防いでいる。防護魔法を上回る威力の攻撃か、シノの魔力切れを待つしかあるまいな」

「オススメの戦術は?」

「絶対に負けない方法が三つあったが」夜白は険しい顔で忠虎を睨みつけた。すると彼は口元を綻ばせた。「忘れてしまったようだ」

「良かったわね。忘れさせる手間が省けたわ」夜白は鼻を鳴らし前を向いた。絶対に負けない方法? どうせ使ったら最後廃人になる秘術とか、命を対価にする禁術とかだったのだろう。まあ忘れたのならば許してやろうか。「結局は根比べってことね。アタシたちとアイツのどっちが先にくたばるか」

「ボクに勝つ気かい?」七篠の耳障りな声が前方から聞こえてくる。七篠と夜白たちが宙で対峙した。睨み合う互いの距離はおおよそ二十メートルほど。

「負けるために刃振るうバカがどこにいるのよ」

「ボクの眼の前に二人」

 そう言った七篠が超高速で詠唱をする。直後、七篠の背後に百を越える影が出現していた。よく見ればそれは、数多の炎塊、氷矢、剣、土塊、はたまた形容し難い何かだった。

 夜白は息を呑む。以前に十個の魔法を同時に扱うウィザードと戦ったことがあった。しかしその十個は飛礫のような小規模な魔法であったし、その敵は盾役の仲間に守られ、常に魔法に集中できる環境が整っていた。だが今目の前にあるのは、その時の十倍。なおかつ七篠の魔法は飛礫どころではない。並のウィザードにとっての必殺と、同程度の威力があろうことは間違いなかった。

 対し、忠虎もすでに詠唱を終えていた。同様に背後に多種多数の魔法が現れた。しかしそれらは七篠のものに比べ、半分ほどしかなかった。

 七篠が鼻で笑った。

「やっぱりキミには才能の欠片もない」

「結局、貴様や夜夜の尾すらも見えなかった」

「見ようとするから嫉妬する。追いかけるから絶望する。だったら目を閉じれば、足を止めればよかった。早々と諦めて魔法士なんか辞めるべきだった。田舎で大人しく百姓でもするべきだった」

「それでも私は貴様らと共に歩みたかった。遠くから眺めるだけは嫌だった」

「だから――」

 忠虎が七篠の言葉を奪う。

「だから私は命を懸けた。凡人が、天才との絶望的な差を埋める方法はそれしかなかった」

「絶対負けない方法は忘れたんじゃないのかい?」

「忘れた。だが、」忠虎の手に力がこもる。「今は天才がこの手の中にいる」

「天才? ボクには見えないなぁ」

 七篠が嘲りと共に手を振り下ろす。瞬間、大気を震わせ、数多の魔法が撃ち出される。

 相対する忠虎もまた魔法で迎え撃つ。互いの魔法が宙空で激しくぶつかりあい、とてつもない轟音と閃光を撒き散らす。

「魔法に紛れ、奴を討つ」

 忠虎は言葉と同時に魔法の嵐へ飛び込んだ。忠虎は視界を埋め尽くす無数の弾幕を器用に回避していく。だがいかんせん数が多すぎる。魔法は僅かに夜白たちの身体をかすり、やがて強かに身体を打ち始める。

「あっちに飛んで!」

 夜白が痛みを堪え叫んだ。幾分攻撃の薄いルートが見えた。忠虎が翼を羽ばたかせ、一気に加速した。もう少しで嵐を抜けられる。

 その時だった。

 視界が開けた瞬間、二人の眼前に鋭い剣が襲いかかってきた。七篠の狙いは初めからこれだったのだ。あえて逃げ道を作り、油断したところを狙う。

 当たれば致命傷必至の一撃は真っ直ぐと、忠虎の頭上を目がけていた。

 けれど忠虎は冷静に次の攻撃のための詠唱を始める。防御など微塵も考えていない行動は、決して死を受容したゆえのものではない。

 手を取り合い、生き抜くための一手だ。だとすれば今自分がすべきは一つしかない。

 夜白は刀を振った。上から下へ。鋭い太刀筋が縦に軌跡を描くと、迫る剣が粉々に打ち砕かれた。

 地獄のような攻撃の雨を抜け、彼我の距離は残り十メートル。視線の先には七篠の余裕に満ちた顔と、彼女の背後に出現した青色のレーザー。またもジジと、耳障りな音が響く。

「どうするんだい万能の英雄様」

 嘲りを乗せて必殺が放たれる。

「二度は言わん」

 忠虎が右手を振ると、虚空から現れた紫色の雷撃が、七篠に向かって猛然と迸る。大気を震わせぶつかった2つの魔法は、宙空で暴力的な光と激しい攻撃の余波を生み出した。

「夜白!!」

 叫ぶと同時に忠虎は再び急上昇していた。瞬く間に夜白たちは七篠を見下ろす位置まで飛んだ。その刹那、夜白は飛んでいた。

 さっきは容易に防がれた。だからどうした。失敗したって何度だって刃を振るう!

 夜白が上段に構えた白光は、紫の炎を帯びる。

「ウォォォォォォオオオオオオ!!」

 重力と腕力と魔力と気力を込めた夜白の一刀は、空を焼き焦がしながら紫色の尾を引き、まるで彗星のように一直線に七篠を襲う。

「……ッ!?」一瞬報土で受けようとした七篠だったが、何を感じたか大きく目を見開いた。

 刃が届こうかという寸前で、七篠は大鷹の背中から飛び降りた。

 構わず振り切った夜白の一振りは大鷹を真っ二つに斬り裂く。式神であった大鷹は、バラバラと大量の式符となって空を舞った。

 地に降り立った七篠。遅れて夜白と忠虎。

 三人の頭上から、はらはらと粉雪のように白い式符が舞い落ちてくる。

 忠虎が苦笑を浮かべ、七篠が不機嫌そうに顔を歪め、夜白が不敵な笑みを見せた。

「天才の姿は見えたかしら? 老眼のお婆様」

                   ※※※                  

 元々夜白の才は圧倒的だった。ほんの少しの助言があれば、大きく伸びるだろうと思っていた。だが、それ以上に忠虎を感嘆させるのは、何があっても、どんな状況でも常に自らを失わないことだった。流れるような軽口は味方であれば心地よい。頼もしさすら覚えながら忠虎はシノを見る。

 シノは俯いていて表情は分からなかった。彼女が小さく呟くと身体を黒い靄が包む。またしても空間転移によりどこかへ跳んだようだ。忠虎が行くぞ、と言うより早く夜白に手を掴まれる。

「渡月町方面! 早く跳んで!」

 夜白が口早に行き先を告げる。戦いの最中に成長したのか、魔力を感知する精度が上がっている。だが驚いている暇はない。忠虎もすぐさま空間転移を発動させる。


 地に降り立った忠虎が見たのは、鮮やかな色とりどりの光だった。

「どこだここは!?」

「こんな下品なネオン街、渡月町しかないでしょ!」

 夜白の叫びに忠虎は首を傾げた。自分の知る渡月町とは、畑だらけの長閑な装いをしていた。だが眼の前に広がるのは、見渡す限り怪しげな看板と、露出度の高い衣服を身にまとい、猫なで声を出す女たちだった。いかにも花街といった様相だ。この街の人間たちは異常に気づいていながらも、それを楽しんでいる雰囲気さえあった。

「何だい? この街に興味があるのかい?」

 忠虎は視線を上げる。桃色の光を放つ看板の上にシノの姿があった。

「ないわ。ね?」

「……あ、あぁ! 当たり前だろう!」

 夜白から背筋の凍る笑みで問われ、恐怖に駆られた忠虎は力強く頷いていた。

「夜白、トラ嘘をついてるよ」火に油を注ぐようにシノが余計なことを言う。笑顔のままに彼女は報土を掲げた。「さて、続きと行こうか」

 今日一番の笑みで報土を振るう。刃から三本の雷撃が不規則な軌道を描きながら、放たれた。それらは忠虎たちの元へ――「おっと外れてしまったよ」

 来るかと思われたが、雷撃は三本共、忠虎たちの頭上を大きく飛び越え、背後にあった一際背の高い建物へ直撃した。硝子が砕け落ち、壁には大きな穴が空いた。

「「なっ……?」」

 忠虎と夜白は驚愕に凍る。二十米はあろうかという建物は、まるでお辞儀をするように、こちらにゆっくりと倒れてきた。周囲にいた多くの通行人がようやく混乱に戸惑いだした。悲鳴が街に木霊する。

 照準が外れたわけがない。相手はシノだ。狙いは初めから通行人たちに決まっていた。

 忠虎はすぐさま魔法を発動させる。掲げた両手から数多の糸が勢いよく建物に向かって伸びる。二十本を越える糸は、倒れゆく建物の四方八方にくっつく。倒壊しつつあった建物は45度の角度で何とか停止した。

「くっ……うぅ」しかし建物の重量はあまりに重く、それを支えるための魔法を維持するには多大な集中力が必要だった。忠虎は顔を歪めながらも、建物の影でうずくまっていた通行人たちに叫ぶ。「急げ! 早く!」

「英雄健在ってところだね」

 笑顔でそう言ったシノの姿が黒い靄に包まれる。直後、忠虎のすぐ隣に彼女が現れた。大きく上段に振りかぶった刃が、空気を断ち切る勢いで忠虎に振り下ろされた。

「任せて!」

 鋭く響いた声が夜白のものだと気づくより早く、忠虎を押しのけ、夜白が白光で応戦した。刃と刃はぶつかり、金属音が響く。夜白に弾き返されたシノが笑いながら、報土を高く掲げた。

「これならどうかな?」

 再び報土から雷撃が放たれ、通行人に目掛けて一直線に向かう。絶望に彩られたその人に雷撃が直撃する寸前。

「クッ!」

 夜白は通行人に向かって駆け出した。雷撃を追い越す速度で走った夜白は通行人を突き飛ばす。間一髪、雷撃は今まで通行人が立っていた地面を吹き飛ばした。

 勢いを殺せず地面に転がった夜白が、白光を地面に突き立て、無理矢理に減速する。ようやく停止した夜白が、すぐさま顔をあげようとすると、

「夜白! 目の前だ!」

 夜白の眼前に空間転移により移動したシノの姿があった。彼女は隙だらけの夜白の顔面を思いっきり蹴飛ばした。彼女の体は鞠のように低く吹き飛び、店先のごみ箱に突っ込みようやく止まる。肺から苦痛を漏らした夜白を見て、忠虎の頭にカッと怒りの炎が点いた。

「夜白ッ!!」

「おっと動かないでくれ、トラ」「……アンタは、ジッとしてなさい」

 同時に同じ意味を持った言葉が響く。だがそれに驚いたのは自分だけではなかった。シノも目を見開き、夜白に視線を向ける。

 夜白はゆっくりと立ち上がり、大通りに立つシノの前に立った。

 すでに通行人は皆避難している。普段は華やかなはずの街のど真ん中に、対峙する二人の姿だけが見える。

 シノを相手に夜白もよく追いすがっている。現に白兵戦はほぼ互角だ。しかし魔法の腕はいかんともしがたい差があった。中でも大きいのは空間転移を使えるかどうかだ。相手に気取られないように、距離を一息に詰める空間転移は優れた魔法だ。だからこそ大戦期の魔法士にとって必須技能だったのだ。

 急ぎ建物を下ろし、助けに行かなくてはいけない。焦る忠虎が慎重に糸を操作しようとした時だった。

「……なっ……?」

 忠虎は夜白が取った行動を見て目を疑う。

 夜白の身体が霞のようにぼやけ、黒い靄が足元から立ち上った。

 あれは空間転移の予兆だ。確かに忠虎はあの魔法を教えたが、夜白は今日まで一度も成功していなかった。驚愕に身体が固まる忠虎をよそに、夜白の姿を完全に黒い靄が包み、彼女の姿はかき消えた。

「使えないはずじゃ!?」

 黒い靄と共にシノの背後に現れた夜白は、無防備な背中に向かって唐竹割りを放つ。

 しかしシノも驚異的な反応速度で振り返る。だが不意を突き、なおかつ神速の一撃はシノでさえも報土で防ぐだけで精一杯だった。豪剣を完全に受け止めきれずに、勢い良く吹き飛ばされる。シノは背中からゴミ山に突っ込んだ。

 やはりまだ負担が大きいのか、肩で息をしながらも夜白はシノに答えた。

「使えない? アンタがムカつく一心だけを頭に念じたらできたのよ」

 夜白はそう言うが、いくら彼女の才能が凄かろうと、空間転移はまぐれでできる魔法ではない。恐らく影で愚直に修練していたのだろう。

 シノの身体に乗っかったゴミ袋がゆっくりと地面に転げ落ちた。シノがゴミ山から這い出てくる。立ち上がったその身体にはやはり傷も汚れもない。だが心は違った。

「……またか」

 シノの青い瞳にははっきりと夜白の姿が映っていた。

「またキミはボクの前に立ちはだかる」夜白に若き頃の夜夜を重ねているのだろう。「……何で、何でだ」

 シノの声は、半ば自らに言い聞かせるようなものだった。有り得ない。これは夢だと己を説得するための言葉だ。

 けれど夜白はそんな逃げすらも許さない。シノの独り言にさえ答えを突きつける。

「アンタを倒すためよ」

 ごみで汚れながらも、身体に傷を作りながらもシノに相対する夜白は美しかった。

 夜白はシノに白光を向けながら、高らかに声を上げた。

「アタシは正義のヒーローなんかじゃ決してない。この街を救うために戦ってるわけでもない。ただアンタのことが死ぬほど気に食わないから戦うだけ」

 違うと忠虎は心の中で呟いた。

 たった一人でいい。誰かのために戦うことができれば、その時点で人は英雄だ。

「けどね」

 母のため、友のため、名も知らぬ誰かのため。

「いつも無駄に明るい街なのに、今日は足元が見えにくいのよ。だから」

 光を失った街のため。己の身が傷つくことを厭わず、誇り高く戦う夜白はすでに英雄だ。

 夜白は高らかと宣言した。

「魔法を返しなさい」

 沈黙がしばし三人を包んだ。やがてシノが報土を鞘に収める。苦々しげな表情を取り繕うことすら止めて、シノが言葉を押し出した。

「……やってみればいい」

 黒い靄を残し、またしてもシノは姿を消す。

「あの女また天防タワーに行ったわ」シノの行く先を感知した夜白が、こちらに歩いてくる。「どんだけあの場所が好きなのよ。何か思い出でもあるわけ?」

 忠虎は慎重に建物を地面に下ろした。ドスンと音が響き、土煙が舞う。忠虎は疲労が重くのしかかり、膝を折りそうになる。だが何とか足を踏ん張り、夜白に向き直った。

「思い出? ……あぁ、そうだ。天防塔は昔、日本一高い建物だったのだ。その天辺で祈れば願いが叶うという迷信があってな」

「迷信?」

「1943年。私と夜夜と……裏切る直前のシノの三人で、まだ建造中だった天防塔に忍び込み、日本の勝利を願ったのだ」

「……うわぁ、聞くだけでややこしそうな状況。いい? 一つ言っとくけど、日本の勝利を願ってたのは絶ッ対! アンタだけよ」

「どういうことだ。あの頃の私たちにとって、国を守る以上に大切なものがあったとでも?」

「あったのよ」

 真っ直ぐにこちらを見ていた夜白は、ため息をついて白光を仕舞う。疑問に首を傾げる忠虎だったが、夜白は取り合うことなく手を掴んでくる。

「使えるようになったんだろう、空間転移」

「まあ多分。でもこれ……結構クルわね」

 そう言った夜白が急にふらついた。忠虎は慌てて肩を貸すが、こちらも疲労で足元が覚束ない。

 制服も軍服も汚れ、破け。身体中傷だらけ。これ以上ないくらいお互いボロボロだ。ひどい姿をした二人は、お互いを見て同時に吹き出した。

「世界で一番カッコイイわよ。忠虎」

「貴様もこの世のものとは思えないほど美しいぞ。夜白」

 辛く厳しい戦いの最中訪れたほんの僅かな安らぎに、二人は顔を綻ばせた。

 夜白を本当の敵だと認めたシノに油断はないだろう。次こそ命の奪い合いになることは間違いなかった。

 けれどそれほど悲壮感はなかった。懐に手を入れてみる。72年前に夜夜からもらったお守りが入っている。そして反対の手。そこには柔らかく暖かな感触があった。その両方が力を与えてくれているのだと気づき、忠虎は小さく笑った。

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