第13話 東儀忠虎と神代夜白③
※※※
六星機女学園のミーティングルームへ入った夜白と忠虎に、無数の視線が突き刺さった。
部屋の前方。壁一面を覆う巨大なディスプレイの前に鯉川がいた。辺りを見回す。午後九時を過ぎたくらいだが、席は全て埋まっており、それでも座りきれなかった生徒が後ろに立っていた。その中には夜々と千翼の姿もあった。
七篠シノがこの街に現れたこと、そしてウォンドが使えなくなったことは、ここにいる人間も知っているはずだ。そして魔法省等の関係各所共同で緊急手配もしている。その上で六女としてどのような対応策を取るか話し合っている、とそこまではすでに電話で千翼から聞き及んでいた。
夜白と忠虎は部屋の後ろ側に立った。
誰もが一様に真剣な表情を浮かべている。部屋にはひりつくような熱気が、しかし行き場を失ったように漂っていた。それだけ事態は混迷を極めているということだ。
重たい沈黙。口火を切ったのは鯉川だった。
「私、陰陽道は専門外で。誰かあの性格の悪そうな少女の霊を成仏させてくださいっす。〈終焉の魔女〉と戦って生きてる人間がいるはずないっすからね」
「その時はアンタも地獄に道連れにしてやるわ」
「貴様らの仲が良いのは分かったが、じゃれあいは後だ」隣から意味の分からないことを忠虎が言う。しかし抗議する間もなく彼は続けた。「夜夜。こちらは先程報告した通りだ」
部屋にざわめきが広がる。何も知らない人が見れば、腰抜けの護衛が、魔法界の生ける伝説である夜々に親しげな口を聞いたように映るだろう。
だが夜々も怪訝そうな視線を意に介する様子もなく、忠虎の問いに答える。
「逃げられましたか」
「逃されたと言った方が正しいかもしれんがな」
ふと笑みはそのまま、しかし明らかにトーンの下がった声で夜々が言う。
「久々に会った昔の女はどうでしたか? こんな皺くちゃの婆と比べて、若い姿のままのあの人はさぞ魅力的だったでしょう」
「……いやちょっと」
「どうせいつもみたいに口車に乗せられたのでしょう」
「……違」
「違わないでしょ。首を落とされかけてたし、口喧嘩だって完全に負けてたじゃない」
「黙れ夜白」
「随分と楽しい時間を過ごしてきたみたいですね」
忠虎は冷や汗を流したまま押し黙り。夜々は愉快そうに笑った。自分たちこそじゃれ合っている場合か。
付き合っていられなくなった夜白は、夜々に向き直る。現状における唯一の解決策を早口で並べ立てた。
「七篠シノが現れ、この街ではウォンドが使えなくなった。魔法を使えるのはアタシとコイツだけ。だからアタシたちがアイツを倒す。話はそれだけよ」
「三九郎」
夜白の身体から力が抜けそうになる。夜々の口にした三文字は、すなわち夜白の案を却下するのと同じ意味だった。
神代夜白は未熟者である。その根拠と理由を夜々が滔々と語る。
「あなたがあの〈終焉の魔女〉に勝てるとでも?」
「…………」
「一時間後。魔法省、防衛省、警視庁合同の特別対策班が、七篠シノ殺害に向けて派遣される予定です。あなたの出番など有りはしません。そもそもあなたが欲しいのは願いを叶えるウォンドのはずです。魔女退治など、どうでもいいでしょう」
「…………」
「分かってくれたようですね。申し訳ありませんね、鯉川さん。ミーティングを続けてください」顔色一つ変えず夜々は言い切った。
「……お言葉ですが学園長! 夜白さんは――」それを受けた鯉川が、なぜか不服そうに声を尖らせた。
そして隣からは忠虎の声が聞こえた。
「イージーに行け、夜白」
視線の端に映った千翼が、こちらを見て何度も何度も頷いていた。
本当に自分は何て恵まれているんだ。気にかけてくれる人がこんなにもいる。夜白は一歩、夜々に向かって足を踏み出していた。同時に両手は自らの頬の前に持っていかれた。
パン、と乾いた音が部屋に響き渡る。ヒリヒリと痛む頬は頭をクリアにさせる。
忠虎はお綺麗な理想を捨てた。死に逃げることを止め、共に手を繋ぐことを選んだ。だったら自分も成すべきことを成せ。
夜々の姿をしっかりと見据え、
「アタシは神代夜白」
ハッキリと言ってやる。
「アタシは三九郎」
それはずっと口にすることを避けてきた言葉だった。けれど言葉にすれば思ったよりも自然に心は受け入れてくれた。
「神代家当主で、囚人番号8番で、最年少国家認定魔法士で、序列1432番で、東儀忠虎の一番弟子で、神代夜光の子で、神代夜々の孫よ」
なぜか泣きそうだった。けれど涙を流せば、この想いも言葉も一緒に流れてしまいそうだった。だから夜白は歯を食いしばった。
「全部がアタシ」
息を吸い、言葉に変える。
「知ってるよ未熟者なんてこと、自分が一番。お祖母様がアタシを心配してるってことも。気付いてないと思ってた? そんなわけないでしょ。だってずっと一緒にいたんだよ? アタシがそう思ってるように、お祖母様だってそう思ってるって。だって家族だから」
夜々が泣きそうな、驚いたような。見たことのない顔をしている。隣の千翼はすでに号泣している。
「アタシは欲張りだから。願いは全て叶える。立ちはだかる壁は全て壊す。欲しいものには全部手を伸ばす。捕まえる。離さない。たとえ敵が最強の魔女でも、医者がさじを投げた大ケガでも。国崩しでも。強くて弱い英雄でも」
いつの間にか手には暖かな感触があった。ゴツゴツとした大きな手。忠虎のものだ。自らか、はたまたあっちから握ったか。まあどっちだっていい。ただ、そちらに目を向けることはしなかった。今、強くて弱い英雄を見てしまえば、衆人環視の中、抱きしめてしまいそうだった。
だから。
「お母様のケガも治す。七篠も倒す」
言い切った。霞そうな視界を気合で堪え、夜々を見つめる。
長い沈黙だった。けれど夜白から言うことはない。一片たりとも心には残っていない。
「話は終わりですか?」
首を縦に振る。ギュッと忠虎の手を握りしめる。
一度固く目をつむった夜々は、真剣な視線で鯉川に会議を続けることを告げ、
「夜白」
ただそれだけを言った。ただそれだけで充分だった。
16年間ずっと欲しかった言葉をようやく貰えたから。
「現在天防区全域でウォンドの使用が不可能となってるっす。首謀者は〈終焉の魔女〉こと七篠シノ。彼女の手のものと見られる特殊工作員が、街に侵入しているとのことっす」
鯉川が、ホワイトボードの前で険しい顔をする。他の生徒たちも同じく苦い顔だ。夜白と忠虎はミーティングルームで、改めて区内全域を襲ったウォンド阻害事件について話し合っていた。
「対策は? 魔法が使えない今、この学園が襲われでもしたらどうするわけ?」
「それを今話しあっていたところっす」
鯉川の視線が手を挙げた女子生徒に向けられる。どうぞ、と鯉川が促すと、女子生徒が立ち上がる。どこか清楚な印象を抱かせる優しげな女生徒だ。
「序列第8位 橘立華です」
囁くような声で女生徒が言う。
「敵は全て抹殺するのみです」
おとなしそうな顔して物騒過ぎる。続けてその隣の生徒が手を挙げ、立ち上がった。
「序列第11位 啄木鳥続。不審者を片っ端から捕縛、尋問すりゃいい。いずれ七篠シノにたどり着くだろ!」
『抹殺』『尋問』『捕縛』と、意見をホワイトボードに書いた鯉川が次の意見を求め、視線を這わす。皆腕組みをし、唸っている。どうやらもう意見がないらしい。だから物騒か。
停滞した空気を見た夜白は、隣の忠虎に耳打ちをする。
「被害が拡大する前に、魔法を使えるアタシたちで七篠シノを討つ」
「確かにそれしかあるまい」忠虎も頷く。
小声で言葉を交わしていると、目ざとくこちらを見つけた鯉川がからかうように言った。
「意見があるなら挙手を。イチャイチャするなら外でお願いするっす」
鯉川の言葉にドッと教室に笑いが起きる。顔を赤く染めた夜白が言葉にならない声で弁明するが、周囲は勝手に囃し立てるだけで聞きやしない。
憮然とする夜白と対称に、忠虎は顔色一つ変えずに腕組みをしている。少しくらい取り乱してもいいのにと夜白は舌打ちをする。
「夜白さん」笑いが収まった頃に、鯉川が真剣な表情で言った。「情報は上がってきています。誰もが魔法を失ったこの街であなただけは、魔法を使えると」
「アタシだけじゃない」応える夜白の語気が強くなる。「コイツも戦える」
そう言って忠虎の肩を叩く。だが生徒たちは困惑した表情を浮かべていた。夜白は苛立ちを深める。彼女たちにとって、まだ忠虎は臆病者の護衛でしかないのだ。
困惑した雰囲気の中、おもむろに忠虎の前に女子生徒がやってくる。鮮やかなブロンドとくっきりとした顔立ち。白人の女生徒が青い瞳でしげしげと忠虎を見つめた。
「序列第25位 テイラー=レジーナ=バートンよ。本当に貴方は戦えるのでしょうか? 未熟な腕では戦場で怪我を致しますよ」
「て、て、敵性言語を使うな!」
「落ち着いて! 気持ちは分かるけど、この子日本語喋ってるから! しかも割りと丁寧めな!」取り乱した忠虎を夜白は何とか宥める。
テイラーが不思議そうな顔で脇に避けると、続けてもう一人女生徒が忠虎の前にやってくる。またしても外国人だ。西洋風の顔立ちだが、先ほどの子とは人種が違う。……恐らくドイツ人だ。
「序列第19位 イルゼ=イェーガー。得意魔法と経験した戦場を言え。戦闘に耐えうる技能を保有しているのか判断する」
警戒していた忠虎だったが、ドイツ人だということに気づいたらしい。口元を綻ばせた。背筋を張り、右手を斜め上に突き出し、こう挨拶をした。
「ハイル・ヒトラー」
「ダメ。マジでそれだけはシャレにならないから止めて」
イルゼと名乗った女子生徒が絶句している。教室全体も凍りついている。唯一夜々だけが腹を抱えて笑っていた。
忠虎の手を急いで押し下げる。本当に本当にヤバイネタをぶっこんでくる。
忠虎は首を傾げながらも夜々に向き直り、真っ直ぐに手を挙げた。
「神代夜白護衛 代戸トラタ。夜夜。貴様ならば魔法を使えるだろう」
「魔法省技術審議官及び六星機女学園学園長 神代夜々。申し訳ありません先輩。使えますが、諸事情により現場には出られません」
魔法界の重鎮で魔法省の影のトップである夜々には、多くのしがらみがある。簡単に戦場に出ることはできない。
忠虎と夜々のやり取りを見た鯉川が、恐る恐るといった様子でを手を挙げる。
「序列第2位 鯉川美々美。お二人の関係は?」
「序列第3位 胡桃坂八重。公共の場で言える奴か?」
「海上自衛隊特別警備隊所属 代戸千翼三等海佐。黙れお前ら」
「序列第2位 鯉川美々美。可愛い弟さんをかばおうとしてるっすか?」
「海上自衛隊所属 代戸千翼三等海佐。か、かわ!? こんな奴は弟でも何でもない!」
「序列第3位 胡桃坂八重。え?」
「序列第9位「序列第14位「序列第12位――」
横道に逸れ始めていた場を、強引に引き戻すほどの大声で夜白は叫んだ。
「アタシたちがアイツを倒す! 作戦なんてそれだけで充分よ」
「私たちの役目は?」鯉川が言った。
そんなの決まっている。
「この学園を守るのよ」
さすがに自分と忠虎だけでは、学園の防衛まで手が回らない。だったら他の誰かがやるしかない。手を合わせ、協力し、危機を乗り切る。
「それとも何? 六女の天才たちは恐れてるわけ? ただウォンドが使えないだけで。オモチャ持った敵が怖いって? だったら仕方ないわね。そっちもアタシたちが何とかする」
夜白の声に部屋は凍りついたような沈黙が満ちた。誰もが身じろぎ一つしない中、張り詰めた静けさを壊したのは、鯉川だった。
「何でも背負い込もうとするのはあなたの美徳っすけど、口の悪さは直した方がいいっす」
鯉川はニコリと笑っていた。周囲の生徒たちも同様に優しげな笑みをこちらに向ける。どこからか拍手が聞こえたかと思うと、口笛や雄叫びも響き出す。騒ぎはどんどん大きくなり、部屋はむせ返るほどの熱気に包まれた。生徒たちが無遠慮に夜白の肩を叩いたり、声をかけていく。
「これで貴様もこの学園の一員だな」注目されることが気恥ずかしくなった夜白は、鼻を鳴らし、忠虎に肩を寄せた。「やはり手を取り合う仲間がいるのはいいものだ」
不意に鯉川と目が合い、互いに仏頂面を交わし合う。けれどそれも一瞬のことで、鯉川は素早く外へ視線を送った。
「どうやら侵入者のようっすね。それでは会議は終わりっす」
教室にいた女生徒たちも表情を引き締める。ひりつく熱を持った雰囲気。戦いの幕を開けるように鯉川が告げた。
「作戦……なんて言っても誰も聞きやしないでしょうから、一つだけ方針を――六女にケンカ売ったことを後悔させてやりましょう」
※※※
会議終了後。部屋を飛び出した忠虎と夜白は他の生徒を置き去りにし、いち早く校門まで辿り着いていた。門を背に立った夜白が言う。
「真っ暗ね」
校門の傍らに立つ礼灯は機能していない。学園をぐるりと囲む通常の照明も全てが意図的に壊されている。敵の仕業だろう。そのため周囲は暗く静まり返っていた。
敵の姿は見えない。だが確かに気配を感じる。
唐突にタン、と静けさを破る炸裂音が響いた。銃弾が放たれた音だ。勿論標的は自分たちに他ならない。
「任せたぞ夜白」
答える代わりに夜白が刀を振るった。刃が宙で煌めいたかと思うと、真っ二つになった銃弾がカラカラと地面を転がる。続けて五発、とんで三二八発。夜白を狙った銃弾は、少し高価なごみとなって地面に散らばった。
長距離からの狙撃が無効だと判断したのか、敵が至るところから集まってくる。学園前の大通りを埋め尽くすほどの数だった。
「迷彩服に防弾チョッキ。ヘルメットの上には暗視ゴーグル。フル装備しちゃって、戦争でも始める気かしら」
忠虎には面妖な格好にしか見えないが、夜白の言葉からすると完璧な装備のようだ。
「敵の数はざっと二〇〇といったところか」
後ろから多数の足音が聞こえた。振り返ると遅れて追いかけてきた女生徒たちがいた。鯉川を先頭にこちらは五〇人程の数だ。皆、序列上位者の魔法士たちだ。
だが今、彼女たちは霊装が使えない。魔力によって身体能力は向上しているが、敵は重火器を装備していた。分が悪いのは火を見るより明らかだ。
忠虎はおもむろに一歩進み出る。敵が構える銃口が一斉にこちらを向いた。
「トラタさん危ないから下がってくださいっす!」
「おいバカトラタ!! テメエ死ぬぞ! 大人しく俺たちの後ろに隠れてろ!」
鯉川と胡桃坂の怒声を無視し、忠虎は夜白の方を向く。
「使うぞ」
「緊急事態につきアタシが許可する。ついでに名乗っときなさい。六星機女学園に東儀忠虎ありと知れば敵も多少は混乱するでしょ」
忠虎は笑いを浮かべた。
人に臆病者だと馬鹿にされるのは構わない。侮られることにも慣れている。だが自らを偽ることに、少しだけ窮屈な思いをしていたのも確かだった。
忠虎が詠唱を始めると、一瞬にして頭上に巨大な雷が顕現した。後ろの女生徒たちが、前にいる無数の敵が、一様に言葉と表情を失った。
バチバチと火花が散る音だけが響く校門で、ただ一人言葉も表情もいつも通りの夜白が言った。
「ルールその1ごと、ぶち抜いてやりなさい」
忠虎は叫んだ。
「我は帝国海軍第二〇五特殊遊撃小隊大尉也 我は東儀忠虎也!! 我は大和の鋭牙也!!」
放つのは、帝国海軍式 放出系統魔法〈紫電〉
「夜白」
「背中は空いてるわよ」夜白がこっちに隠れるか? と手招きをする。
「…………」
「嘘よ嘘。冗談。変な顔しないでよ。で、何かしら?」
嫌味を言った夜白は白光を構えた。どうせこちらの言いたいことは分かってるくせに、言葉にしろということらしい。
「撃ち漏らしは貴様に任せた」
「任された」
互いに頷いたと同時、
電光一閃。轟音と共に金色の軌跡が宙に尾を引き、敵がいるど真ん中に命中した。
二〇〇を超える敵は木っ端のように吹き飛んでいった。だがこれで終わりではない。土煙の奥に、逃げ惑う敵の姿があった。攻撃を逃れた者たちだ。
奴らが体勢を整えるより早く、夜白は駆け出していた。二十米を一息に詰めた夜白が、混乱に惑う敵の中で思うままに剣を振るう。
土煙が晴れる頃には敵は全て地に伏せていた。夜白が振り返った。
伏せる敵。背後に月。白刃を携え、微笑む夜白はこの世の何よりも美しかった。
「どうかしら?」
「う」
「う?」
美しい、と言いかけて、忠虎は夜白の背後を指差す。
「後ろ」
忠虎が言葉と同時に、夜白を後ろから襲おうとした敵に炎を放射する。どうやら息を潜めて好機を伺っていたようだ。炎は敵に命中し、隙だらけの夜白の足元に倒れた。
忠虎は苦笑した。
「まだまだ教えることは多そうだ」
「い、今のは演出よ!」
「敵性言語を使うな」
「使って……ないでしょ今のは!!」
いつものやり取りをしていてふと気づく。さっきから自分たち以外の声がしない。確か女生徒たちが追いついてきていたはずだ。
息を呑む音だけが僅かに忠虎の耳に届き、振り返る、と同時に勢い良くぶつかってくる人影があった。
「な、何すか今の魔法は!?」鯉川だった。彼女は興奮気味に続ける。「速さに威力に……まさか今のは詠唱? やっぱりトラタさんめちゃくちゃ強いじゃないっすか! 一体何者!?」
鯉川を皮切りに、女生徒たちにもみくちゃにされてしまう。
さっきまでの静けさが嘘のように、女生徒たちの声は矢継ぎ早に忠虎を射掛ける。あちらこちらから手が伸び、柔らかな感触が忠虎を包む。
ふと嫌な予感がし、忠虎は夜白の方を向いた。柔らかな笑みを浮かべる夜白に、忠虎を取り囲んでいた女生徒たちが、忠虎から距離を空ける。
「楽しそうね」
なぜかは分からないが、夜白が怒っていた。
そのまま悠々と夜白がこちらに歩いてくる。忠虎と肩が当たるくらいにぴったりと並び、凛とした声で告げた。
「こいつは臆病者の護衛なんかじゃない。日本を救った〈万能の英雄〉よ」
その言葉に忠虎はハッと夜白に視線を向けた。
もしかすると夜白は自分よりもずっと、代戸トラタが背負った臆病者という誹りに腹を立てていてくれたのかもしれない。
夜白は驚きに固まっていた鯉川に言った。
「安心しなさい。アタシ〈泰山府君〉も多少は囓ってるから。アンタらがテロリストに殺されても大丈夫よ」
「勝手に人を生き返す段取りしないでもらえるっすか?」
「じゃあ」
夜白が真剣な表情で続けた。
「生き延びなさい。何としても、何をしても、何があっても」
鯉川が目を見張る。驚いた顔はやがて笑顔へと変わる。
「了解っす。アイツらに六女を襲ったことを後悔させてやるっすよ」
多くの足音が倒れ伏した敵の向こうから聞こえてくる。数は三〇〇を軽く超え、足取りは殺気立っている。敵の増援のようだ。けれど鯉川は恐れることなく、夜白を見返した。
視線を交わす二人にはすでに固い友情があった。本人たちは決して認めないだろうが。
「
「本当のことを言えなくて悪かったな」
「いいえ。大丈夫っす! 忠虎さん……」恐らく他に言いたいことがあったのだろう。僅かに言い淀んだ鯉川だったが、それらを我慢し、鯉川は事務的に告げる。「天防タワーで不審なウィザードの目撃情報が入ってるっす。七篠シノかは分からないっすが……」
「貴重な情報感謝する。夜白、それでは行くぞ」
忠虎は夜白の手を掴む。ふと女生徒たちから場違いな黄色い歓声が湧いた。いつも通り空間転移をしようとしただけだが、事情を知らない彼女たちからすれば、いきなり手を繋いだように見えたのだろう。
「『この世で最も強大な魔法は何か?』」
「『答えは……愛である』」
忠虎たちの近くにいた女生徒二人が、芝居がかった口調で言う。確か今の言葉は17世紀に『愛』という観点から魔法を研究した偉大なる一人の魔法士の言葉だ。
「なっ……?」
妙な声が聞こえ、忠虎は隣を見る。夜白が顔を真っ赤にしていた。
ふむ、と忠虎は思案し、すぐに答えを出す。
黒い靄が忠虎と夜白を包む。跳ぶその寸前、忠虎は芝居がかった口調をした二人組に向かって言った。
「貴様らの言う通りかもしれんな」
虚空に消えた忠虎の耳にまたしても黄色い声が聞こえた気がした。
※※※
夜白と忠虎は鯉川の情報を元に天防タワーの麓に降り立った。道路を挟んだ向こう側は、先日忠虎と歩いた大通りだ。だが今そこに人影はなく、ゴミが散乱している。酷い混乱があったのだろう。足早に忠虎が解体工事のために置かれたバリケードを乗り越えようとした時だった。夜白は彼を鋭い声で呼び止めた。
今の夜白にはこの街の危機よりもずっと大事なことがあった。
「さっきの『貴様らの言う通り』ってのはどういう意味?」
一切の躊躇もなく夜白は本題に切り込む。この緊急事態。場違いなことを言っているのは百も承知だ。それでもハッキリさせておきたかった。
「残念だが話は後だ」忠虎の瞳が鋭さを帯びる。
大通り側、ここから十メートルほど離れた場所に、濃密な殺気を漂わせる女が二人いた。先ほどまでは影も形もなかったのに、忽然と姿を現したように佇んでいる。
恐らく彼女たちは強大な魔法を使う強敵なのだろう。
けれど、
そんなこと、この瞬間はどうだっていい。
「後? 違うわね。今よ」
力づくで忠虎の腕を引っ張った夜白は、真っ直ぐに忠虎を見つめた。しばらく視線を交わしていた二人だったが、先に観念したのは忠虎だった。大きく息を吐き、頬を微かに朱に染め、けれどハッキリと口にした。
「貴様のことが好ましい。そう思ったゆえの言葉だ」
瞬間。夜白は得体の知れない何かが、身体中を駆け巡る感覚を覚えた。大きく胸が高鳴る。その感覚をそのまま言葉にした。
「アタシもアンタのことが好きよ」
忠虎が昔の想い人だった夜々と、重ねていたとしても構わない。だって、
こんな可愛くない捻くれ者に。親身になってくれて、境遇を理解してくれて、対等でいてくれて、戦う術を授けてくれて。
好きにならない方がおかしいだろう!
吊り橋効果? 街の危機を前にして気分が高ぶっている? これは本当の恋ではない?
知るかそんなもの!
ここに至る過程も事情も感情も全てが込みで、今の気持ちだ。
冷たい風が二人の髪を揺らした。
誰もいない街の真ん中で、真っ赤な顔をした男女二人。街は危機に陥っていて、刃を振るえるのは自分たちだけ。
そんな状況で自分たちは一体何をしているのだろうか。
「……何か言いなさいよ」
「……貴様こそ」
一瞬の沈黙。そして二人して吹き出した。
「この流れだったらキスでもするはずでしょ。何よこの色気のないやりとりは」
「私たちらしいじゃないか」
忠虎が可笑しそうに国崩しを抜いた。考えてみればこの宝刀を奪おうと、自分は忠虎と行動を共にしたのだった。なぜかそれが随分と遠い昔のように思えた。
「キスは悪の魔女退治してからね」
「奴は手強いぞ」
「大丈夫。とりあえず一つだけはアイツに勝ってるから」
その言葉は忠虎には理解できなかったようで、彼は呆けた顔をする。少しだけ七篠に同情した。
夜白は再び敵へと視線をやる。目を凝らしてみる。着流しを着た武士風の女と、両腕を包帯でグルグル巻きにした女だった。
着流しの女が刀を抜く。すると辺り一帯におびただしい数の刀が出現する。非常に高度な実体系統の魔法だ。
もう一人の女はおもむろに両腕の包帯を解く。禍々しい漆黒の炎が両腕から立ち込め、空に大蛇を象る。こちらも優秀な変化系統魔法の使い手らしい。
夜白は忠虎に視線を送る。意思の疎通には一秒もいらなかった。
彼女たちは何かを言っていた。けれどそんなものお構いなしで、夜白たちは大通りを突っ切った。刃を上段に構えた夜白と忠虎は、余裕の笑みを浮かべる着流し女と包帯女を、
「どきなさい」
一撃で吹き飛ばした。
「なぜキミたちは戦う?」
天防タワーの屋上に佇んでいた七篠は、辿り着いた夜白たちを見た瞬間に尋ねてくる。
だから夜白も飾り立てることなく真っ向から答えようとした。
不意に以前自らが言った言葉が頭をよぎる。
『アタシは自分さえよければ、誰がどうなったって構わない。知らない。どうでもいい。だってアタシは天才でそれをなせるだけの力がある』
その時確かに全力でそう想っていた。過去の自分を指差し笑うことはしない。けれど、忠虎と出会い、この学園に入り、多くのことを学んだ。
名前も知らずに挑んだ女は、稀有な努力家でそんな彼女にあっさりと敗北した。
思うままに振るった魔法はあらゆるものを傷つけた。
間違いだらけの毎日で、夜白は、
この世で一番大切な人から魔法の初歩と、もう一つ大事なことを教わった。
それは――
※※※
「なぜキミたちは戦う?」
忠虎はずっと死に場所を探していた。
この世界は醜く汚い。けれどその中にも失いたくない大切な人たちがいた。そのためならば、たかが凡百の一つに過ぎないこの生命など、惜しくはないと本気で想っていた。
彼女たちを守り一人死んでいくのも悪くない最期だと信じていた。凡人の身でようやく手にしたこの力が足りないのならば、命を懸けることも仕方がないと断じていた。
『アンタはスカスカの命対価にしてお綺麗な理想手に入れてなさい!』
鋭い言葉だった。たった一太刀で、東儀忠虎の全てを斬り捨てるこれ以上ない一言。
神代夜白は昏睡した母を救うという願いのために、立ちはだかる全てをなぎ倒してきた。届かない現実があろうとも、決して手を伸ばすことを、刃を振るうことを止めなかった。
その強さが美しかった。格好良かった。ずっと見ていたかった。
だから好きになった。
例え立ちはだかる壁が堅牢でも、忠虎一人ではどうにもならなかったとしても、もう死に逃げることはしない。
この世で一番大切な人から困難に立ち向かう勇気と、もう一つ大事なことを教わった。
それは――
※※※ ※※※
――手を繋ぎ、共に戦うこと――
戦う理由?
自分のためだけじゃない、誰かのためだけじゃない。
「「大切な自分と、大切な誰かのために戦う!!」」
だから!!
「貴様を倒す!」「アンタを倒す!」
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