第12話 東儀忠虎と神代夜白②
※※※
「七篠シノ発見。場所は天防塔。急ぎ増援求む。夜夜に連絡を入れろ。急げ」
空間転移により天防塔の屋上に降り立つやいなや忠虎は、傍らの夜白に早口で言った。夜白はすぐさま夜夜に電話をかける。
忠虎はいつでも振るえるよう、国崩しを腰から抜く、通話を終えた夜白も白光を油断なく構えた。必ずシノはここに来るはずだ。忠虎は目を皿にして周囲を見回す。
眼下に広がる天防の街は礼灯により、明るく彩られている。対して屋上には満月の光が差し込んでいるが、明るいとは言えない。今にも暗闇からシノが襲いかかってきてもおかしくはな――
「ッ!」
血相を変えた夜白が、いきなり忠虎に向かって斬りかかってくる。だが忠虎は一歩も動くことはなかった。鋭い突きが忠虎の肩の少し上を空間ごと断ち切った。
「やるじゃないか!」
忠虎の傍らから聞こえたのはシノの声だった。いつの間にか背後に忍び寄っていた彼女は大きく飛び退り、屋上の中心辺りに降り立った。
「随分と鈍くなったね、トラ! まだ目が覚めてないのかい!」
「夢であって欲しかったよ、再び貴様とまみえるなどな……ッ」
「忠虎!」
夜白がこちらを見て叫んだ。顔を歪ませた忠虎の右腕からは血が滴っていた。忍び寄られた時に斬られていたらしい。
「大丈夫だ、傷は浅い」心配する夜白に忠虎は言った。
「だろう。ただの挨拶だからね」シノが笑った。
「これが挨拶? 毛唐の文化は野蛮極まりない。それに貴様、制服を着間違えていないか?」
なぜか帝国海軍の制服に身を包んだシノを揶揄する。
「あぁ、もうアメリカは飽きたよ。今はこの世界全てが敵でね。何を着ようか迷ったんで、一番好きな国の服を着てるんだよ」
「下らん冗談を」
「キミが生きてることこそが、最高の冗談だ。死にたがりの英雄が、子どものお守りかい?」
侮蔑と共に向けられたシノの視線に、隣の夜白が魔力と殺気を迸らせる。忠虎もふざけた態度を崩さないシノに僅かに苛立ちを覚えた。
シノだけが場違いな笑い声を響かせた。
「こんな楽しいのは久しぶりだよ。前はいつだったか……あぁ1945年だ!」シノが国崩しを指差す。「忘れもしない8月15日のことだ。キミが死に、夜夜は国崩しを取り返しに来た。ボクを倒した夜夜はあの時、確かに世界一の魔法士だった。おかげで楽しい楽しいパーティ《戦争》は終わってしまった」
国崩しを渡してくれたあの日、夜夜が言った言葉を思い出し、忠虎は苦笑した。最強の魔女を倒し、戦争を終らせる。確かに神代夜夜にとっては朝飯前の任務だ。
「だが彼女も老いた。時を操れる夜夜ならいつまでも若いままでいられたはずなのに、愚かにも衰えた老婆になってしまった」
シノの吐き捨てるような言葉には、けれど隠しきれない敬意が滲んでいた。彼女はハッと我に返る。お決まりの感情の見えない薄っぺらい笑いを浮かべた。
「思い出話は次の72年後に取っておこうか」
シノが神意級霊装〈報土〉を掲げ、トン、と軽く地を叩く。ともすれば見落としてしまいそうなほどに、何気ない仕草だった。
だが忠虎はシノの動きに背筋が凍る思いがした。
「……な、何よあの魔法は」夜白もまた呻くような声で言った。
「トラ。そこの若人に、この〈軍用魔法〉の名前を教えてあげなよ」
シノが叩いた地面から、金色の光が渦を描きながら瞬く間に空へ舞い上がる。光は空で融合し、金色の塊となる。
「……実体系統魔法〈緊箍児〉」
夜白が顔色を変えた。空に浮かぶ塊は屋上全体を覆うほどの大きさとなる。しかもそこで止まることなく、今度は格子状へと変化した。それはどう見ても、黄金の檻だった。
――緊箍児。
古代中国において斉天大聖の頭に巻かれた金の輪と同名の魔法であり、あらゆる全てを閉じ込める絶対の檻であった。
「共感覚という言葉を知っているか?」忠虎の唐突な問いに、夜白が眉根を寄せる。「文字や音に色を感じるように、一つの刺激に対して複数の感覚を生じさせる現象のことだ」
忠虎はシノの澄んだ蒼眼へ視線を向けた。
「奴の目はあらゆる魔法に存在する魔法式を、視覚情報として読み取ることができるのだ。言い換えれば、どんな魔法もひと目見ただけで魔法式を読み取り、扱うことができ。どんな魔法式もひと目見ただけで理解し、魔法として行使することができる――魔眼なのだ」
こんなもの与太話だ言いたいだろう。
共感覚など、魔眼など、魔法式を読み取るなど。何もかも。
だが空に浮かぶ黄金の檻が、それを即座に否定する。シノは古代中国の魔法書に記された緊箍児という名の魔法。それを説明する簡素な一文から魔法式を読み取り、緊箍児という一つの魔法として完成させたのだ。
忠虎は乾いた笑いと共に吐き出す。
「私が『万能』ならば、奴は『全能』だ」
シノが報土の切先を浮かせた。あれがもう一度地を叩けば魔法は発動される。
忠虎が一つの決意を胸に顔を上げた。夜白の手を掴むと同時に報土の切先が地を叩いた。
瞬間、空から轟音を携え、〈緊箍児〉が落下してくる。閉じ込められれば、二度と出ることは叶わない鉄壁の檻が。
「トラ。今のキミの役目は?」シノが見透かしたように言った。
命に代えても隣にいる夜白を守ること。すでにそう決意している。現状における最優先はこの場からの夜白の完全撤退。とにかく自分が殿となって、夜白を屋上から逃がす。
『この世界は醜く、汚い。理想くらいは綺麗でいて何が悪い』
『軽いさ。少なくとも私たちの時代は』
『死んだならばその程度というまで』
これまでに何度も口にしてきた言葉が頭を駆け巡る。どれかを選ぶ必要はない。それらは東儀忠虎にとって、同じ根から生えてきた枝葉にすぎない。
『貴様は命に代えても守る』
心に従って、動こうとした忠虎の思考を斬り裂く声があった。
「忠虎!!」
夜白の声は、忠虎の頭にある鮮明な言葉を思い浮かばせる。
『届かない現実』
ズズン、と音を響かせ絶対の防壁が屋上全体を覆った。周囲は金色の檻に覆われ、蟻一匹も這い出る隙間はない。だが最悪の状況にも関わらず、忠虎はどこか晴れ晴れとした気持ちだった。
「また間違うところだった」
忠虎は強く手を握り直す。
「目、覚めたかしら?」
その言葉と共に強く強く握り返された。
「貴様は成し遂げた。ならば私もやらねばなるまい」
忠虎は今朝の序列戦を思い出す。夜白は強敵である鯉川と対峙し、劣勢にも決して希望を失わず、最後まで抗った。
『届かない現実』へ手を伸ばし続けた。
今度は自分の番だった。忠虎は真っ直ぐにシノを見据えた。
シノの顔がひどく歪んだ。殺気を湛えた目で見るのは、眼中にもなかった夜白だった。
「……もういい。話は終わりだ。全部終わりだ。キミたちも、この街も、この世界も」
明らかな苛立ちを浮かべたシノが、懐から一枚の式符を取り出す。
「これに見覚えがあるかい?」
「……霊装阻害?」
夜白の声に忠虎も思い出す。シノが手にしたのは、兄ヶ島。それも十王門で見た〈霊装阻害〉の式符だった。
「霊装がおしゃかになったらこの世界はどうなると思う?」
その問いはどちらかと言えば、夜白に向かって投げかけられた。
「……魔法が使えなくなる」
夜白の答えによくできました、と言わんばかりにシノは大仰に頷いた。
「もう一つ質問だ。アメリカの軍事衛星〈神の杖〉、イギリスの魔法制御型ミサイル〈ブルースパーティントン〉、ロシアの無人迎撃戦闘機〈PAKDP〉。これらは全て霊装により魔法制御されている。これらの兵器が使えなくなったとしたら?」
夜白は固く口を閉ざす。勿論分からないからではない。答えるまでもないからだ。
魔法とは確立した一つの学問であり、絶対的な力の一つでもある。
シノが言ったようにどの国も技術の粋を集めた戦略的大規模霊装を保有している。そんな世界で、鉄壁を誇った楯が割れ、最強を謳った矛が折れる。睨み合っていた隣国がそうなってみれば、どうだ。これ幸いと攻め入らないと言えるか。
「……ふざけるな」
忠虎は留めきれない怒りを乗せ、言った。シノはあの地獄のような戦争を、もう一度起こそうとしているらしい。
「ハハッ、まあ落ち着こうよトラ」シノはやはり笑っている。けれど悪魔のような企みを知った後では、その笑顔も薄寒いものにしか見えない。「現代魔法はイコール霊装のスペックと魔力によって決まる……ハハッ、何だそれは。本当に魔法かい? 何もかもあの忌々しい〈ローザンヌ条約〉のせいだ。この世界はつまらない魔法に溢れてしまった」
「…………」
「昔は良かった。夜一師匠が教えてくれた魔法は最高に面白いものだった。魔法力学、対応原理、複座標理論、霊装工学。理論を学び、魔法式を構築し、自分だけの魔法を手に入れる。それこそが本当の魔法士だろう! 与えられた魔法式をバカのように使うなんて子どもにだってできる! そうじゃないかい!?」
シノの言葉全てを否定する資格は忠虎にはない。忠虎自身、この時代の簡易的な魔法に眉をひそめたことは事実だ。だからこそ禁止されている詠唱を夜白に教えた。
「だからボクは一度このぬるい世界を終わらせる。霊装に頼らない真の魔法士が溢れていたあの時代をもう一度作り出す」
シノは式符を宙へ放った。光を帯びた式符は徐々に空へ上がり、宙に留まった。
大きな球体へと変化した式符が一際眩い光を放つのと、シノの声は同時だった。
「上じゃない。下を見なよ」
「「なっ……!?」」眼下を見下ろした忠虎と夜白は同時に言葉を失った。
天防を彩っていた礼灯がまるで波のように色を失っていく。霊装阻害が発動したせいで、礼灯が機能を失ったのだ。
「天防に咲く光の花は今枯れる」
シノの歌うような声もどこか遠い。
礼灯だけではない。今この街では霊装の一切が使えなくなったのだ。
「日本――天防。アメリカ――サンズシティ。ロシア――ザイズブージ。中国――神港。イギリス――アースィック。世界各国の魔法都市で同じ魔法が発動した」
強い怒りと共に忠虎は国崩しを握った。
「またしても貴様は世界を混沌に……!」
「違うね。世界はいつだって混沌だ。ボクはその背中を少し押すだけ」
「黙れ!」
朗々と並べられる詭弁に我慢のできなくなった忠虎は、深く腰を落とし、シノに迫ろうとした。
「おいおいトラ。眠りこけてたせいで、自分の実力も忘れちゃったのかい?」
その声はすぐ目の前からだった。それに気づいた瞬間には忠虎の首筋に、冷たい刃が押し当てられていた。遅れて頑然に迫るシノの美しい顔。
忠虎の目の前に刃を突きつけるシノが立っていた。
「この女……!?」夜白が叫んだ。彼女は即座に白光を振り上げるが、間に合わない。それより早く詠唱をしたシノが夜白に左手を向ける。一瞬にして蔦のようなものが夜白の身体に巻き付いた。蔦の勢いに押された夜白はよろめき、地面に尻もちを突いた。
シノの視線がこちらへ向く。
「さぁ遺言でも聞こうかな」
絶体絶命の窮地にも関わらず、忠虎の顔から絶望は見て取れなかった。
「言っただろう。届かない現実を掴むと」
シノを射抜く忠虎の瞳には、輝くような意志が滲んでいた。シノが得体の知れないものを見る目をした。
「しつこい女は嫌われるわよ」
割って入る声にシノは再び夜白を見た。彼女は拘束されているにも関わらず、不敵な笑みを浮かべていた。
「その蔦は特別製だ、簡単には解けない。それに霊装は助けてくれないよ。それとも下手くそな詠唱でも唱えるかい?」
「そうね。今なら絶対紫炎を出せるわ」
「……どうしてだい?」シノの声は尋ねながらも、自らに言い聞かせるような響きだった。なぜこの状況で笑っていられるのか。危機を打開する奇跡の魔法でも持っているのか。
けれど夜白の言葉はどこまでも真っ直ぐにシノを貫いた。
「アンタのことが死ぬ程ムカつくからよ!!」
夜白の魔力を伴った叫びは詠唱となり、白光の刃が紫の炎によって光り輝いた。
力づくで蔦の拘束を引きちぎった夜白は、低い体勢でシノに向かって横薙ぎに斬りかかった。弾丸のように鋭い動きに、シノは血相を変える。紫炎を纏いし一太刀がシノに迫る。忠虎に突きつけていた報土で夜白の斬撃を受けると、甲高い音が響いた。
その隙を忠虎も見逃さない。シノに向かって忠虎は斬り上げの刃を振るう。シノは一瞬焦った表情をしたが、夜白を押し返したかと思うと、大きく後ろに飛び退った。忠虎の刃は空を斬った。
忠虎の隣へ夜白が並ぶ。紫炎をシノへ突きつける。
「さぁ! 今度はアンタが遺言を用意する番よ!」
シノは白光から、夜白へ視線を動かす。見定めるような視線。何か言おうと小さく口を動かしたが、結局は何も言わず忠虎の方を向いた。
「精々あがけばいい、結末は何も変わらない。72年前とね」
「あの時と違うことが一つだけある」
忠虎は傍らの夜白を一瞥し、シノへ視線を向けた。互いの瞳が交錯する。だが先に視線を切ったのはシノだった。こちらに背を向けたシノは一歩、二歩と前に歩を進めた。
「次は殺す。今度こそ遺言を用意しておくといい」
三歩目と同時に彼女の姿は、黒い靄と共に虚空に消えた。シノが去ったからか、忠虎たちを閉じ込めていた緊箍児もまた一瞬にして姿を消した。
「あくまで霊装が無効化されているだけで、詠唱で魔法式を組むことはできるらしいな。兄ヶ島と同じ仕組みらしい」
空間転移で跳んだシノを見て忠虎は呟くが、隣からは怒気のこもった声が聞こえた。
「そんなことよりアタシに言うことがあるんじゃないの?」
振り向く。腕を組んだ夜白の顔には静かな怒りが見えた。その怒りを消す言葉はたった一つしかなかった。
「手を繋ごう夜白」
「空間転移をするから?」
違う、と忠虎はニッと笑い、夜白に手を差し出す。
「共に戦うためだ」
「よろしい」
暖かな温度が忠虎の手を包む。
ようやく分かった。どう戦えばいいのか。小さな子どもでも知っている簡単な答えをようやく忠虎は理解することが出来た。
手を繋ぐ。
たったそれだけでよかった。
たったそれだけを、72年もかけて理解した愚かな自分に忠虎は笑う。
「一度学園に戻るとしよう」
黒い靄が二人を包んだ。
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