第10話 腰抜け護衛と序列第1432位⑤
※※※
すり鉢状に囲まれた観客席は見渡す限り人で埋まっている。おおよそ4、500人はいるだろうか。確かな質量を持った大歓声が夜白の身体を叩く。
晒し者になりながら広い闘技場を、夜白と忠虎は歩いていく。中央にある直径十メートルほどの円形の舞台の前で立ち止る。反対側には鯉川が深く目を閉じていた。
主役が揃ったからか、歓声がより大きくなった。
「神童様――ッ! 今日は手加減はいらないぞ――!!」
「神代家当主のお力見せてくださいよ――!」
「今回も秒殺KO期待してるよ――――ッ!!」
全校生徒によるトーナメント戦である〈虎王戦〉の決勝ならいざ知らず、言ってしまえば私闘である〈相掛戦〉如きになぜここまで人が集まっているかが分かった。
この群衆たちは『神代夜白の敗北』という最高の出し物を見に来ているのだ。
強がりではない。夜白は心の底から楽しそうに笑い、
白光を鋭く振り抜いた。
大歓声を切り裂き、巨大な炎が赤い尾を引きながら観客席に向かって放たれる。突然の攻撃に硬直する観客たちの目前で、炎は何かに弾かれたように霧消する。
観客席に張られた防護魔法だ。戦いの最中、流れ弾で怪我をしないように予め設置されたものだった。勿論夜白はその存在を知っていた。
夜白は放送禁止のジェスチャーを観客席全体に向ける。ヤジとブーイングの嵐がより増す。その中には傍らの忠虎を揶揄するものもあった。
「怖がりのトラタく――ん! お姉さんの後ろ空いてるよ――!!」
「怪我しないうちにこっちにおいで――!」
「手取り足取りいろいろ教えてあげるぞ――!」
忠虎に明らかな嘲笑が投げられる。分かっている。アイツらは、忠虎が命を懸けてこの国を守った軍人であることを、自分たちよりもずっと強大な力を持った〈万能の英雄〉だということを知らない。だから気にしたってしょうがない――
わけがないだろう!
もう一度夜白は白光を振り抜く。繰り返される愚行に観客たちは無駄だと笑う。だが炎は先ほどよりも鋭さを増している。それに気づいたのか、笑っていた観客が身を固くする。そして炎が防護魔法にぶつかり――轟音が響き渡り、闘技場を揺らした。
鉄壁を誇る防護魔法はまるで龍の爪で裂かれたかのごとく、大きくヒビが入っていた。非現実的な光景にヤジがピタリと止まった。
「ありがとう夜白」
静かになった闘技場では忠虎の柔らかな声はよく聞こえた。
「え? 何か言ったかしら?」
「……そうだな」忠虎が優しく背中を押してくれる。「聞こえなくてもいい。私がどうしても言いたいだけだ――頑張れ夜白」
その言葉だけで夜白の身体には力が満ち満ちてくる。夜白は力強い足取りで一段高くなった舞台に上る。
いつのまにかブーイングとヤジが再び闘技場を包んでいた。だが集中する夜白の思考からはヤジが、雑念が徐々に消えていく。
今、目の前に映るのは、
鯉川美々美ただ一人。
「あなた少し変わったっすね」
舞台の上で向かい合った鯉川がそんなことを言う。けれど夜白はとぼけた顔で返す。
「アンタ一体何見てたわけ? 観客席に魔法ぶっ放したの見てたでしょ? 聞きなさいよこのブーイング。見なさいよアンタに対する応援。アタシはヒールでアンタはヒーローよ」
「アハハ、そういうことにしておくっす」どこか見透かしたような瞳で鯉川が構える。
序列戦〈相掛戦〉試合時間は15分。闘技場の入り口に設置された石碑――勝敗に関するあらゆるルールを記憶させた古代式霊装〈十戒〉により、公平にジャッジされる。
また変性系統に属する治癒魔法を扱い、死者すらも蘇生させると言われている凄腕の保険医。通称〈死霊術士〉が控えているため、多少のケガならば問題ないと来ている。
だが集中する夜白の耳には、そんな序列戦の説明をするアナウンスも届かない。
「勝ったらトラタさんをくださいっす」
唐突に集中を破るのは、笑顔で言われた鯉川の言葉だ。
「嫌」
「いいじゃないっすか、別に。神代家当主のあなたなら何だって手に入るっすよね。護衛の一人や二人すぐ用意できるでしょう。もっと顔が良い人だって、もっと優しい人だって、もっと強い人だって」
言うべきことは一つだけ。
「アイツはアタシの護衛よ」
鯉川が首を横に振る。
「私には戦う理由があるっす。家族を養う。そのために力が欲しい。そのためにあの人が欲しい。魔法式に精通したトラタさんが」
真剣な瞳で鯉川が告げる。
「全てを持ってるあなたに戦う理由あるっすか?」
勿論自分にだって戦う理由はある。けれど口にする代わりに夜白は不敵に笑った。
「トラッシュトークなんかしてると、どっかのバカみたいに秒殺されるわよ?」
夜白は白光を鞘から抜く。
「そうっすね。それがこの学園のルールっす」
『強くあれ』
六星機女学園学則第一条。唯一で至上の法に則り、鯉川が疾く一歩を踏み出した。
※※※
序列戦が始まり、観客席から戦いの場を見下ろしていた千翼は、繰り広げられる光景に歯噛みをする。
鯉川が一方的に夜白お嬢様を攻めている図だ。右フック、ローキック、頭突き、足払い。各種フェイントを間に挟み、流れるような猛攻。対するお嬢様は防戦一方だった。まあそれはいい。最後に立っているのはお嬢様だから。前回の結果がどうであろうと。
千翼の目を引くのは鯉川のファイトスタイルだった。
「あなたに似ていますね」
隣に座っていた夜々様――ご隠居様が心を読んだように言う。千翼は肯定も否定もしなかった。鯉川がギリギリ使えるレベルに真似ていることは確かだ。鯉川がやっているのは変性系統魔法〈身体強化〉による格闘術。千翼の戦い方であるが、
「右足、肘……あぁ遅い。各部への魔力伝達がコンマ6秒は遅れている」
身体能力を強化すべき部位へ適切な魔力量を供給し、なおかつ状況に応じた格闘術を確実に放つ。その両方を高度に並列させなくてはならない。
結論。鯉川の戦い方はまだまだ甘い。
「三年前の入学試験で初めて鯉川さんを見たとき……」ご隠居様が言い淀む。闘技場では初めて鯉川の攻撃がお嬢様にかすり、歓声が沸いた。だがご隠居様は眼の前の光景とは真反対のことを言った。「何て才能のない子なんだろうと思いました」
鯉川の左ストレートでお嬢様が舞台の端まで吹き飛ばされる。今度はクリーンヒットだ。
「基礎的な魔法も充分に使えず、かといって魔力量が多いわけではない。高名な魔法士の血を引くわけでもなく、系統外魔法を取得しているわけでもない。唯一持ち合わせていたのは」
――柔らかな笑みの奥にある鋼鉄の意志、とご隠居様は言った。
「当校が定めた合格基準には到底達していませんでした。けどどうしてもあの眼が印象に残ってしまいましてね。補欠合格にしたんですよ。不合格にするには惜しい、けれど合格にするには力が足りない。今考えてみれば、鯉川さんにとって中途半端な答えが一番堪えたでしょう。けれど……」
鯉川は逆境を覆し、六女のトップ2の座を勝ち得た。
「私に見る目がなかったと言うことです。鯉川さんはここまで強くなった。彼女の鋼鉄の意志を私は見くびっていたのでしょう」ご隠居様がこちらを向く。「あの戦い方はあなたから学んだものですよね」
「少々手ほどきをしている程度です」
「私のところにも相変わらず来てくれています。昨日も三九郎に勝つためにと、時空魔法の扱い方を尋ねられましたが、こればっかりは教えてできるものではありませんからね。代わりに手合わせを兼ねた実技指導をしましたが」
「……贅沢な奴です。早朝に真夜中。時間を考えずにご隠居様の元へやってくる癖は直すべきです」
魔法界の重鎮として忙しいご隠居様の、貴重な休憩時間にやってくるなど非常識な奴だ。そんな奴はこの学園に鯉川くらいしかいない。……あいつだけが大戦期を生き抜いた偉大なるウィザード『神代夜々』に指導を請うのだ。早朝でも真夜中でも時間を厭わず。
「10教えれば1しか覚えられない子でした。けれどいつの間にか11覚え、12を教えろとせがむ」
1しか覚えられない人間がどのようにして11を積み上げたのか。語らずとも分かる。
「努力を積み重ね、少しずつ、少しずつ強くなっていった。その結果彼女は学園次席という立場を手に入れました」
いつしか闘技場に響いていた歓声が小さくなっていた。千翼が周囲を見回すと、鯉川の攻撃が決まる度に観客席から人が去っていく。あらかたの形勢は決まったと見たのだろう。
「ご隠居様はどちらが勝つとお思いですか?」
自分の声が少し非難めいた口調になっていることに気づく。ご隠居様は何も言わなかった。心配そうな目でお嬢様を見つめていた。
千翼は独り言のように言った。
「勝つのはお嬢様です」
もう一度自らに言い聞かせるように。
「お嬢様を舐めるなよ」
けれどまた一人、また一人、闘技場から観客が去る。
※※※
忠虎が見つめる先の舞台では身体強化による格闘術で攻めていた鯉川に、ようやく波長を合わせた夜白が反撃を開始したところだった。前回の戦いにはなかった帝国海軍式の実践的な戦闘術により戦いの流れが変わりかける。
白光を上段に構えた夜白が放とうとするのは、帝国海軍式剣術〈鳳翼〉。敵に向かって突進しつつ、その推力を活かした上段斬りを放つ技である。夜白が地面を踏み抜き、鯉川に攻撃を仕掛ける。
鯉川はこの技を知らないはずだ。だが彼女は違和感に気づいたのか、大きく飛び退きながら懐から式符を取り出した。
飛び込もうとした夜白はそれを見て顔色を変える。そのまま急制動をかければ、大きな隙が出来ると分かったのだろう。勢いそのまま夜白は足から滑り込む。
鯉川の式符から放たれた爆炎が、夜白の頭を越え、背後に炸裂する。あのまま攻めていてば、痛い一撃を喰らっていたところだった。
だが、それよりも驚きなのは、鯉川の戦い方だ。変性系統魔法による近距離戦闘の分が悪いと思えば、遠距離からの放射系統魔法へと切り替える。複数の系統に渡って魔法を扱えるというのは非常に器用な証左だ。
鯉川が指で挟んだ式符を掲げた。そこから放出された爆炎が夜白を襲う。何とか転がり避けた夜白だったが、せっかく掴みかけた戦いの流れを乱され、またも防戦一方となる。
「……だが細部は甘いか」
爆炎の命中精度はそれほど高くはない。まだ付け入る隙はある。夜白も正確に爆炎を見極め、一足飛びで鯉川の懐へと入る。
しかし鯉川の手にはいつの間にか短刀があった。夜白の眼前に鋭い横薙ぎが迫る。夜白は動物的な反射神経で上体を仰け反らせ、回避に成功する。だが避けたはずの夜白は驚愕の表情を浮かべた。大きく飛び退った夜白は鼻筋から流れた血を拭い、目を見開いた。
「変化系統……?」忠虎は呻くように言った。
鯉川の手には氷に包まれた短刀があった。魔力により構成された氷。それは……変化系統魔法。夜白はただの短刀だと思って避けたが、氷によって刃の範囲が伸びた分避けきれなかったようだ。
数多の格闘術。短刀を隠し持ったことを気取らせない巧みな体捌き。複数の系統魔法を使い分ける技量。一つ一つは確かに荒削りである。だがそれらを的確に繋ぎ合わせた戦闘術は目を見張るものがあった。
そして何より瞳に帯びる不退転の意志が、鯉川の強さの源であった。
「手強い……!」
以前の夜白では勝てないのも自明だ。だが、今の夜白ならばどうだろうか。
「……夜白」
これは彼女の戦いだ。忠虎には口も手も出せない。もどかしい気持ちは出口を求め、ただ名前を呼ぶだけの弱々しい言葉としかならない。
氷の刃が夜白の腕を斬り裂く。鮮血が宙を舞った。けれどもう歓声はない。
鯉川の勝利を確信した観客たちはほとんどが消えている。観客席にはすでに数十人程度の観客たちしかいない。熱心に見守る夜夜と代戸の姿がはっきりと見えるほどだ。
忠虎は何も出来ない自分に苛立ちを覚えながらも、戦況を見守る。
※※※
強い、と夜白は鯉川の実力を肌で感じていた。変性、放射、変化。いくつもの系統の魔法を扱え、状況において使い分ける。フェイントにステップ。視線に体重移動。地味ではあるが巧みな体捌きも夜白にとっては驚異だった。
五メートルほどの距離で二人は対峙していた。
「降参しても構わないっすよ?」
「降参? 敵性言語かしら。知らない言葉ね」
鯉川が右手に氷の刃を持ちながら大きく踏み込もうとした。ここは一旦白光で受けるべきだと、判断するが、鯉川は懐に左手を入れる仕草をする。
放射!? 爆炎が夜白の頭をよぎり、思考にラグが生じる。その隙を見逃す鯉川ではなかった。鯉川は強く地を蹴り、一気に互いの距離が詰まる。
眼前に迫った鯉川が氷の刃を横薙ぎに振るう。何とか後方に飛び退いた夜白だったが、避けきれず斬撃は腕を斬り裂く。痛烈な痛みが襲い、血が床に滴る。
夜白は腕を抑え、荒い息を吐く。ずっと動きっぱなしだったせいで、心臓は早鐘を打っている。身体は疲労で酷く重たい。
ふと冷静になった自分が言う。なぜこんな辛いことをしているのか。国崩しを手に入れることが目的だったはずだ。国崩しに自らを認めさせるために序列戦をするなど、回りくどいにも程がある。世界は広い。願いを叶えるウォンドなんて探せば他にもあるだろう。なぜ、なぜ、なぜ……?
なぜ戦っているのか?
明確だったはずの答えに靄がかかる。迷いか、疲れか。それとも諦めか。
血が滴り、地面に赤い水たまりを作る。
鯉川が氷の刃を消し、拳を構える。変性? いや近づいて変化。氷の刃か? それとも放射。はたまた新たな魔法? 不敵に笑う姿からは何も読み取れない。
彷徨い、出口を見失った夜白は、次の一手を見失う。もう――
※※※
うなだれた夜白を見た瞬間、忠虎は叫んでいた。
「夜白!!」
ただ名前を呼ぶ。助言という反則には当たらないだろうが、同時に助けになるとも思ってはいない。それでも呼ぶしかない。呼びたいと願った心が、忠虎に叫ばせていた。
※※※
「夜白!!」
夜白の思考に纏わりついていた靄が瞬く間に晴れた。面を上げた夜白は不敵で美しい笑みを浮かべていた。
「……アタシもやっぱり×××好きだってことね」
「な!? あなたいきなり何言ってるんっすか!?」放送禁止用語に顔を赤くした鯉川が拳を構え直す。「もう終わりっす!」
鯉川が地面を踏み抜き、弾丸のような速度で迫ってくる。だが夜白はもう迷わない。
鯉川が選んだ戦い方? そんなものどうだっていい!!
考えるべきは他者ではない。己だけだ。思い出せ。今日まで自分は何をやってきた。夜白は魔力を白光に注ぎ込む。敵は迫っている。いい、今は無視しろ。
さぁ唱えろ!
「神代夜白を舐めるなよぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
それは魔法書からの引用でも、古代語で呪を刻むでも、飾り立てた文言でもない。心の中でうねり荒れる激情をそのまま絞り出したかの如き雄叫び。
白光が瞬く間に紫炎を纏う。夜白は自らを戒める何もかもごと、たたっ斬るように白光を真一文字に振った。
「ッ!?」
当然がむしゃらな大振りなど試合巧者な鯉川には当たらない。彼女は急ブレーキをかけ、大きく飛び退った。けれどそれでも良かった。
頭は随分とクリアだ。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁ!! スッキリしたぁぁぁぁぁぁぁ!!」
闘技場全体に響くほどの声で叫んだ夜白は、紫炎を纏った刃を鯉川に突きつける。
「アタシが蹴った席に誰が座ろうと、ど――だっていい! アタシはアタシのやりたいようにやっただけよ! アンタが何を思おうが、何を成そうがアタシには関係ない! 大事なところを相手に委ねるな! そんなものアタシが知るか!!」
「なっ……!?」終始笑みを貼り付けていた鯉川の顔に怒りが浮かぶ。ははっ、ざまあみろ!
「アタシに戦う理由がない? 笑わせないで!! アタシは負けられない。誰にも、これかも、絶対に!」
鯉川は怒りで唇を戦慄かせていた。
「アタシはお母様を助けるためにここにいる。戦う。魔法を振るう! それだけよ! 誰にだって文句は言わせない! 邪魔はさせない! アンタら全員分かったか!?」
闘技場に残った数十人ほどがその大音声に耳を抑えていた。夜白の心の叫びは、闘技場の外どころか、街の外れどころか。世界の果てにまで届くほどに大きく、強かった。
ここからでは後ろに立っているであろう忠虎の姿は見えない。どんな顔をしているか。呆れているか、笑っているか、怒っているか。
どの表情だってアイツがするなら構わない。全部全部受け入れよう。
鯉川と視線が交錯した。戦いの合図だ。鯉川が猛然と床を蹴跳ばす。眼前に迫った鯉川は、再び手に持った氷の刃に加速による推進力と、固い想いを乗せ、強く振るった。
「私だって負けられないっすよ!! 天才にこの気持ちが分かるか!?」
紫と蒼の刃が激しく交差し、宙空で火花を散らす。衝撃は互いを跳ね飛ばす。距離はちょうど一メートルほど。この間合いは長剣に有利だ。夜白の攻撃は最短の軌跡を描き、放たれる。だが鯉川はこの状況においても冷静に夜白の呼吸を読む。
鯉川は身を屈め、夜白の横薙ぎを避ける。それは技術に裏打ちされた回避。ただのまぐれならばどれだけよかったか。
「知らないわよ! 凡人の気持ちなんか! アタシ天才だから!」
「自分で言うなっす!!」
「アンタが言ったんでしょ!?」
口撃と攻撃が宙で激突する。一閃、二刀、三撃、十つ目の攻撃はお互いを五メートルほど弾き飛ばす。夜白は足を踏ん張り、その場で待ち構えていた鯉川に向かって突進する。
斬撃の間合いではない。けれど夜白は白光を振った。紫色の炎が射出され、鯉川の目の前に着弾する。しかし直撃ではなかった。
土煙が舞う中、夜白は宙に飛んでいた。身体を回転させ放つのは、帝国海軍式武闘術、前方宙返り踵落とし〈落彗〉。強化された身体能力、適切な重心移動によってアシストされた技を、踵に集めた紫色の炎と共に蹴り抜いた。
踵落としに対するのは鯉川の鋭い正拳突きだった。互いの攻撃が衝突し、衝撃が大気を震わす。相殺されきれなかったエネルギーで夜白を宙は舞った。
鯉川は地上から氷の刃を投げつけてくる。夜白は眼前に迫る氷の刃を見極め、打ち砕く。
砕け散った氷が夜白の視界を奪った。
「四つ目」だが夜白は冷静にそう口にする。
正確に夜白の目は地上の鯉川を捉えていた。彼女はいつの間にか両手に多数のナイフを持っていた。一本ならいざ知らず、あれだけの本数をどこかに隠していたのならば、身体の運びで分るはずだ。けれどそんな素振りは全く無かった。
実体系統魔法。魔力によりあらゆる物体を作り出す系統の魔法だ。
「よーく見えてるわよ。しょっぼいナイフが」
「こっちだって派手な紐パンがしっかりと見えてるっすよ」
言葉と同時にナイフが放たれる。だが夜白は器用に宙を舞い、ナイフを撃ち落とす。着地し、再び鯉川へ突進する。おおよそ五メートルの距離を一気に駆け抜け、袈裟懸けの一閃を放つ。
しかしキン、と甲高い音が響く。鯉川の手にはまたしても氷の刃があった。
再び鋭い剣戟が始まる。
「ッんの! こっちが必死に魔力やりくりしてるってのに、常時炎出しっぱなしとか、なんつーバカ魔力っすか!!」
「アンタこそ、どんだけ奥の手を隠してるのよ!」
刃のぶつかり合いが、響く、響く、響く。
もう限界だと身体が叫ぶ声が、汗と、呼吸と、疲労となり夜白に重くのしかかる。
鯉川の顔からも笑顔が消えていた。辛いのだろう。だったら膝を付け、腰を折れ、頭を垂れろ。早く負けを認めろ!
絶対に曲がらない不屈の意志が鯉川の瞳に見える。負けられない。そうだろう。家族を背負っていると言っていた。
だがこっちだって同じだ。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
全力を込め、夜白は紫炎を纏った白光を振り抜く。ガキン、と甲高い音を響かせ砕け散ったのは、
氷の刃。
「あぁ、やっぱ強いっす。紛れもない天才。神代夜白。あなたは強いっす」
鯉川の声は乾いていて感情が読めない。夜白が振り上げた白光には見向きもしない。
「私程度の凡人じゃ腕に傷をつけるくらいしかできないっすね」
足元がヌルリとした。強烈な違和感を覚えた夜白は素早く白光を振り抜き、トドメの一撃を放った。
「けど、今はそれで充分っす」
鯉川が笑みを浮かべる。それに気づいた瞬間、夜白の身体に赤い何かが纏わりつく。
「あなたが流した血に干渉させてもらったっす」
夜白の身体を覆う蔦状のそれは濁った赤色をしていた。血だ。ここは先ほど氷の刃で腕を斬り裂かれた場所だった。鯉川は打ち合いながらも、ここまで誘導していたのか。
合わせて五つ目。まさか干渉系統魔法まで使えるとは。
「神代夜白と戦えてよかったっす。私はもっともっと強くなれる」
鯉川はそう言って、拳を握った。勝利を決める右拳が今日最速の勢いで夜白に迫る。
グシャ、っと鈍い音が響き、鯉川の拳が夜白の顔面に炸裂する。勝負は決まった、
「……なっ……!?」
かに思えたが、驚愕の声を出したのは鯉川だった。
「アンタは強い。今まで戦ってきた誰よりもずっと」
左顔に攻撃を受けたはずの夜白が確かな声でそう言う。上げた顔には不敵な笑み。鋭い瞳には固い意志の光。澄んだ双眸が鯉川を射抜く。
「だから五つ目もあると思ってた」
「……誘導された振りを?」
鯉川が何に干渉するかは確信がなかった。唯一ヒントになったのは、再び地上で刃を打ち合い出した時だ。それまで正確無比だった鯉川の動きに僅かな無駄が見えた。結局のところ、それは血溜まりにおびき寄せるための動きだった。だからこそ、誘いに乗って、攻撃に備えていた。
夜白は身体強化に使っていた魔力のほとんどを顔の防御に回していた。仕留められると分かれば、鯉川もまた全力の魔力を注ぎ込むと思ったからだ。
「……ッ、痛いわね」
それでも防ぎきれなかったダメージで唇からは血が流れる。けれど今はどうでもいい。
「ま、まだ負けて――」
「手、震えてるわよ。魔力切れたんじゃない?」
嘘だ。鯉川の手は震えてなどいない。ただのブラフだ。だが、極限状態になれば、こんな子供だましでも効果がある。
一瞬だけ鯉川の視線が自らの手に向いた。だがこんな近距離で敵から視線を切って良い道理はない。
「敵を前に棒立ちは三流よ。よく覚えてなさい」
夜白は身体を捩り、血の戒めを破壊する。
紫炎を纏った白光を上段に構えた。鯉川が慌てて防御態勢を取るが、もう遅い。
今の夜白の持てる全てを込め、
振り下ろした。
テレビ音量を上げたかのように、夜白の耳に音が戻ってくる。闘技場を揺らすほどの大歓声だ。夜白は観客席を振り仰ぐ。静かだったはずの闘技場には再び大観衆の姿があった。
勝者――神代夜白! とアナウンスが聞こえるより早く、
夜白は、振り返り、走り、
忠虎の胸に飛び込んだ。
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