第7話 腰抜け護衛と序列第1432位②

                  ※※※                  

「そこの所属不明止まれ!! 止まらないと処分の対象とする!」

 くぐもった中国語が聞こえる海中に夜白はいた。360度深い青が広がるこの場所は、ウォンドを構えた中国軍のウィザードが待機する海上に比べ、遥かに静かだった。

 抜いていた白光を肩に担ぎ、夜白はこの状況に陥った経緯を思い返す。

 全ては考えなしの護衛のせいだ。空間転送でフィリピンの海岸に跳ばされ、すぐさま警官に追いかけられた。逃げた先の海上で、今度は領海侵犯を犯していた中国軍所属のウィザードと遭遇した。結果ひっそりと海中に潜むこととなった。

「返答は!?」海中にまで響く威圧的な声に夜白は忌々しげに毒づく。

「人の家に土足で上がりこんで偉そうに」

 だが文句を言っている状況ではなかった。強化された身体能力があれば、いくらだって潜っていられるが、ずっとここにいるわけにもいかない。

 しかし何の策もなく海上に出れば、容赦なく攻撃を受けるだろう。一瞬見えた敵の総数は七名。全てを容易に退けられるほど中国のウィザードは弱くない。忠虎の助けを待つのもいいが、どこかも分からないフィリピン海上だ。すぐに見つけられるとも思えない。

 となれば取りうる策はただ一つ。尻尾を巻いてこの場から逃げ出す。

 夜白は面白くもないのに笑った。

「却下」

 らしくない案を一瞬で蹴り飛ばした夜白は、代わりに白光を強く握り直す。

 大戦期のエースの圧倒的実力を見、序列第2位に秒殺された。ここまでプライドを汚される事態が続いたせいでどうも弱気になっている。

 前へ。戦うべきだ。

 それが神代夜白の生き方じゃないか。

「イージーに行くだけよ」

 それは夜白が困難に挑む際の口癖だった。気楽に、けれど全力で。どこかのアホのように、死ぬ気でなどと命を軽視するつもりはない。生き残るために自分は白光を振るう。

 夜白は瞳と脚に魔力を溜める。海上を見上げた。ぼんやりとだが宙を浮かぶ敵の姿が見える。

 七名。直近の敵との距離はおおよそ一三メートル。一息で届く距離だった。

 ならば行け!

 タン、と夜白は海を蹴る。魔力によって強化されたキックで、海面はみるみる近づいてくる。高い高い水しぶきを上げ、瞬く間に夜白の身は空に躍った。

 視界が開ける。澄んだ空には似つかわしくない迷彩服が目の前にあった。そのがら空きの背中を夜白は思いっきり蹴飛ばした。

 ドン、という衝撃音と共に、敵は海に向かって落下していく。そのまま勢いよく海中に没し、水柱が立った。

 夜白は足元に魔力を集中させ、空中に立った。上段に白光を構え、不敵に笑う。

「さぁ来なさいよ」

 夜白の凄絶な美しさに、四方を囲む敵たちが息を呑んだ。

 だが皮肉にも夜白の現実離れした美貌が、彼らの心から慢心を消した。戦い慣れた軍人であることも相まって、彼らはすぐに平静を取り戻す。

 敵たちは各々のウォンドを構えた。濃密な死の匂いが煌めく偃月刀や、鈍い光を放つ拳銃から立ち込める。

 ここからが正真正銘の戦いだ。死を前に夜白の集中は極限まで高まる。

 夜白は白光を握り直し、魔力を送り込む。白光に記録された魔法式により、魔法が構築され、瞬時に刃が赤く染まる。その刀身はおおよそ三メートル。

 纏うのは炎。

 単純かつ強大な放射系統魔法こそが、神代夜白の得意とする魔法であった。

 夜白は上段に構えた炎剣を目一杯引き上げた。それを見た敵の一人は宙を蹴り、飛びかかってきた。死を纏った偃月刀が瞬く間にこちらに迫る。

「ハァァァァッ!!」

 咆哮と共に一閃。炎に包まれた白光を、迫り来る敵に向かって振り下ろす。轟音を伴った上段斬りに、敵は慌てて偃月刀を掲げる。だが夜白の豪剣は偃月刀の研ぎ澄まされた刃を飴細工のように砕く。衝撃で敵は先ほどの繰り返しのように海に落ちていく。

「二人目!」夜白は吼えた。

 このままの勢いで全て撃破する。そう意気込んだ夜白だったが、敵だって甘くはない。残った五人は夜白を包囲し、ウォンドを構えた。こちらとの距離を保ち、一斉射撃を行うつもりらしい。

「……ハハッ。楽勝ね」

 言葉とは裏腹に夜白の額を冷や汗が流れる。一人相手ならば容易に倒せる。二人でも互角には戦えるだろう。だが五人を同時に相手取るのは、さすがの夜白にも荷が重い。

 考えている内に敵のウォンドから一斉に火球が放たれる。四方から一直線に迫る火球がこの身に炸裂する。その時だった

 目の前に黒い靄が見えたかと思うと、夜白を庇うように突如として人影が現れた。

「下がっていろ夜白」

 聞き覚えのある堅苦しい口調が響く。空間転移により現れたのは忠虎だった。

 彼は無造作に抜いた国崩しを真横に構えた。一切気負いのない動きから、横薙ぎが振るわれた。だがその太刀筋は、夜白の強化された視力でさえも全く捉えることができなかった。すぐさま辺りを見回すが全てはもう終わっていた。

 一体何の魔法を使ったのか、何本斬撃があったのか。夜白には理解もできぬままに、放たれた魔法は掻き消え、敵のウォンドは両断され、敵は一人残らず海に落ちていった。

「計五名の無力化を確認。違うな七名か」忠虎が海上に浮かぶ七つの姿を見て言った。「成程。貴様が二人倒したか。やるじゃないか」

 振り返った忠虎は喜びに顔を綻ばせていた。

 危機が去り、静けさが訪れる。だが平穏は夜白の胸に強烈な苦味を与えた。ただカカシのように身を守ることしかできなかった自分と違い、忠虎は息を吸うようにあっさりと敵を撃破した。

 何より腹立たしいのは子どものように守ってもらって、安堵している自分だ。自らの弱さに気づいた瞬間、カッと頭に血が上る。

「……何の真似だ?」

 夜白は忠虎に白光を突きつけていた。

 おおよそ助けに来てくれた人に対する態度ではなかった。それは自分でも分かっている。だからこそ質が悪い。

 忠虎は炎に包まれた白光を見つめ、細く息を吐いた。次に浮かべた表情はひどく険しいものだった。

「二人倒したくらいで驕るなよ」

 けれどその顔は、つい先ほど二人倒したことを褒める笑みよりも、どこか作り物めいていて。そこから察せられる忠虎の感情を思うと、また自らが滑稽に見えてきて、

「二人じゃない――三人よ」

 もう戯言は止まらない。

                   ※※※                  

「気は済んだか」

 眼の前で荒く息を吐く夜白とは対称的に、忠虎には汗の一つも見えない。

 比律賓の海上で夜白と刃を交わした時間は、まだ五分にも満たない。だがすでに充分過ぎる時間でもあった。自分と夜白の現時点での差は圧倒的だ。彼女のがむしゃらな剣閃など当たりもしないし、白光を包むただ無駄に大きな炎などでは火傷もしない。

「何で! 何でよ!!」

 悲鳴にも似た叫びが空に響く。それが幾度となく空を切る刃のせいではないことは、忠虎にも分かった。醜い現実に対し、必死に抗ったゆえに出た魂の雄叫びだった。

 それを滑稽だとは思わない。むしろ自分にはない確かな夜白の美点だ。

 忠虎は国崩しを鞘に収めた。

「夜白やはり貴様には才能がある」

 それは忠虎にとって心からの言葉だった。だが鞘に収められた国崩しと、その言葉が嘲りに見えたのだろう。

 夜白の瞳に怒りの炎が宿った。

「鯉川に無様に負けて! たった二人しか敵は倒せず! アンタには一撃たりとも当たらない! アタシ、何にも出来てないじゃない!」

 その姿は駄々をこねる子どものようにも、

「アンタは今、アタシの何を褒めた!? バカにした!?」

 運命に抗おうとする勇者のようにも見えた。

「アタシが背負う神代!? それとも1432位を!? 三九郎神代家嫡子を笑ったの!?」

 どちらかではない。どちらも神代夜白という人間を象る要素なのだろう。

 射抜くような瞳に負けぬよう、忠虎は一歩踏み出した。

「そうだ。貴様は神代家当主で、序列第1432位で、三九郎で、神代夜白だろう。産まれも育ちも全てひっくるめて貴様自身だ。違うか? 違うと思うならば、反論してみろ。自分にも聞こえるように大きな声で言えよ」

「励ましてるつもり? それともバカにしてる? ハハッ。マジウケる」

「大きな声でと言ったはずだが」

「そんな言葉、何万回も聞いてきたって言ってんのよ!」

「貴様には何万回もそう言ってくれる人がいるのだな」

「――ッ」

 自らがどれだけ深い愛情を持って接せられたのか、気づいたのだろう。夜白の表情が驚愕に染まる。

「聞き流しても構わん。けれど私もその中の一人として言わせてもらう」

 忠虎は真っ直ぐに夜白の瞳を見つめた。

「励まし? 嘲り? 貴様にはそう聞こえたか? 違うな、私が言っているのは単なる事実に過ぎん。貴様自身がそう受け取ったたけだろう。大事なのは自らがどう思うかだ! 自分勝手なくせにそんなところだけ相手に委ねるな!!」

「なっ……!」夜白の驚いた表情からは、いかなる感情を抱いたのかは分からない。けれど届いているのならば、それだけでよかった。

「続きと行こうか」

 忠虎が強く踏み込んだ。その姿が霞んだ瞬間には、すでに夜白の懐に入り込んでいた。夜白が慌てて白光を構え直す。だがそれより速く、鞘に納めた国崩しによる突きが、夜白の腹部に決まる。

「敵を前に棒立ちは三流のすることだ。覚えておけ」

「……く、そ……ッ」

 力を失って海へ落ちようとする夜白を、忠虎は抱きかかえる。気絶しても離そうとしなかった夜白の白光からはすでに炎は消えていた。

 それでも仄かに火の粉が舞った。

 紫をした小さな火だった。気を抜けばすぐに見失うほどに細かいそれは、風に舞い、忠虎の真っ白な軍服の胸辺りに小さな焦げを作った。

「つ、ぎ……こそ。ア……タシ、は――天才だから」

 衝撃で失われゆく意識の中、夜白は声を絞り出す。か細いはずの声は、けれど今度こそはっきりと忠虎の耳に届いた。

                   ※※※                  

 それは耳馴染みのない曲だった。どこか勇ましい、けれどチープな音が、夜白の微睡みを邪魔するように鳴り響いている。

 自分はどこかのベッドに横になっている。身体を包む感触でそれだけは分かった。だが目を開けるほどのことではない。しばらくすると音は止む。

 疲労が溜まっていた。お腹の辺りも少しだけ痛む。だが今はどうでもいい。ひとまずは心地よい眠気に身を任せていたい――

 もう一度。勇ましい音楽が鳴る。これが軍歌でなおかつ着メロだとはっきり認識する頃には、夜白の眠気はどこかへ吹き飛んでいた。

「あぁっ! うるさいわね!」

 夜白は起き上がる。ベッドを囲むのは、白い間仕切りカーテン。仄かに香る薬剤の臭いで、ここが医務室だと気づく。カーテンを開け、辺りを見回す。点きっぱなしだったテレビ、そこから左に視線を向ければ夕日が差し込む窓際に背を預け、携帯電話を睨みつける忠虎がいた。

「起きたのか?」心配そうな顔で忠虎が尋ねる。

 体調に問題はない。そう答えようとした夜白だったが、気を失う前の八つ当たりが一気にフラッシュバックした。気まずさから夜白は顔を逸らす。忠虎もまた会話の糸口を失ったのか困ったような顔をした。

 静かな医務室では、窓から吹き込む風の音さえも響く。嫌な空気だ。

 しかしそれも長くは続かなかった。忠虎の携帯電話……スマホではなく、いわゆるガラケーから鳴り響くダサい軍歌が、澱んだ雰囲気をかき乱す。

 夜白はベッドから降りる。忠虎に歩み寄りながら言った。

「この着メロ……超ダサいわよ」

 一瞬キョトンとした顔をする忠虎だったが、すぐ顔に笑みを浮かべる。「この素晴らしい音楽を理解できんとは」

 二人は顔を見合わせプッと吹き出した。忠虎にも好きな音楽があるらしい。初めて彼の人間っぽい一面を見た気がした。

「というか早く出なさいよ」

 着メロが三周目に入っても忠虎は一向に電話に出る気配がない。半ば開き直った顔で忠虎は言った。

「全く使い方が分からん。夜夜は簡単に使えると言って渡してきたが……」

「ほらここ押すだけよ」忠虎の傍らに立った夜白は通話ボタンを指差す。

 忠虎が言われた通り、通話ボタンに指を持っていこうとするが、ボタンを押す前に着メロは鳴り止んだ。しばらく二人して携帯を見つめるが、再び鳴ることはなかった。誰だろうか。ふと見えた画面では着信履歴46件とある。というか出ろよ。

「そもそも私は昔から通信機器の類が好かんのだ。通信に出ればいつも死にかけてきた。だから絶対に出らん!」そう強く言って、忠虎は胸ポケットに携帯を仕舞った。

「何言ってるか分かんないわ」

 忠虎の言葉に夜白が首をかしげる。その時だった。

 テレビから緊急速報の音が鳴った。遅れて画面上部に文字が映った。

『フィリピン海沖で所属不明のウィザードと、人民解放軍が武力衝突』

 二人は顔を見合わせる。どう考えても自分たちのことだった。先ほどは無我夢中で切り抜けたが、よくよく考えてみれば大事だった。

「下手したら……戦争になるわよ」

「何を言う。すでになっているだろう」

 中国との戦争に対するジェネレーションギャップはこの際どうでもいい。

 二人のやらかしを決定づけるように足音が廊下から響いてくる。それが誰なのか。夜白たちにはすぐに分かった。

「夜夜の気配だ」

「空間転移準備」夜白が忠虎の手を握る。すぐさま詠唱を始めようとする忠虎だったが、不意に視線をやったテレビを見て固まってしまった。

「何してんの早く跳びなさいよ!」

『国際指名手配犯 七篠シノが声明を発表』と、もう一度緊急速報が流れる。だが夜白にはそちらを見ている暇はなかった。夜白は忠虎の腕を思いっきり引っ張る。

 しかし忠虎は動かない。足音はすでに医務室の前で止まっていた。

「こっち見なさい!」

 夜白は忠虎の顔を両手で挟み、力づくでこちらに向ける。息すら届きそうな距離で夜白は言った。

「敵を前に棒立ちは!?」

 扉が開く。空間転移の発動。忠虎の叫びは、ほぼ同時だった。

「三流のすることだ!」

                   ※※※                  

 忠虎と夜白がとっさに跳んだ先は学園の屋上だった。黒い靄と共に屋上に降り立った二人は油断なく辺りを見回す。すでに日は暮れかかり、眼下に広がる運動場は夕焼けに染まっていた。屋上の周囲は鉄柵に囲まれている。広さは十米四方と言ったところか。

 戦場を素早く確認した忠虎は、隣に立つ夜白に声を掛ける。

「夜白」

「分かってるわよ。準備しろってんでしょ。イージーに行くだけよ」

「敵性言語を使うなと……だが、敵は気合を入れねば勝てぬ相手だ」

 忠虎は気合を入れる意味で、両頬を思いっきり張る。赤い紅葉を作った頬が激しく痛む。「時代錯誤」と隣の夜白が冷ややかな表情で呟くが、気にしていられない。

「夜夜のことをよく知っているのだな」恐らく夜夜は来るだろうと、そう夜白に声をかけるはずだった。だが忠告するより早く夜白は白光を抜いていた。

「嫌でも知るわよ。ずっと一緒にいるんだから」

 平坦な口調で言われたその言葉の真意が分からずに、忠虎は夜白の顔を見る。けれどそこにあったのは、油断なく周囲に視線を配る真剣な表情しかなかった。

 忠虎も思考を切り替え、国崩しを抜く。眼の前に黒い靄が現れたのはそのすぐ後だった。

 夜夜。それと代戸だ。屋上に降り立った二人は殺気を身にまとい構えた。夜夜は式符を、代戸は拳を。すでに戦う準備はできていた。

 夜夜の静かな声には、抑えきれない怒りが滲んでいた。

「現在、緊急の閣僚会議が開かれています」どれだけの言葉を尽くすよりも、冷や汗の出る説明だった。「独断専行で中国に攻撃を仕掛けるとはまるで陸……」

「止めろ! それ以上は言うな!」

 忠虎は全力で夜夜が続けようとした言葉を止める。それを見て夜夜がため息を吐いた。

「あなたたちがこの学園でどう過ごそうと、とやかく言うつもりはありません。いくら序列戦で負けようともね」夜夜の冷ややかな視線に、夜白が唇を噛む。「ですが外交問題となれば話は別です。先輩。三九郎。少し頭を冷やしてください。千翼」

「はっ、ご隠居様!」代戸は忠虎のみを睨みつけてくる。「おい弟!」

 鯉川からすでに聞き及んでいるらしい。

「私にはで働いている姉が一人いてな。これがまた強くて、昔っから苦渋を舐めさせられてきた」代戸が作る渋面からは積年の恨みが見て取れた。

「……何が言いたい」

「22年分の恨み。お前で晴らさせてもらう!」

 叫びと同時に代戸が強化された身体能力で地面を蹴り飛ばす。その一歩は半秒で忠虎との距離を零にする。突風を巻き起こすほどの速度を、余すことなく乗せた拳打が放たれる

 忠虎は納刀したままの国崩しで受けようとする。だがその時、視界の隅に映ったのは柵まで追い詰められた夜白が、夜夜から攻撃を受ける光景だった。それは刹那の油断。しかし代戸相手に見せていい隙ではなかった。

「――ッ!?」

 顎に鋭い痛みが走った。遅れて代戸の振り切った長い腕が目の前に見えた。そこでようやく顎を撃ち抜かれたのだと気づく。歯を食いしばり、忠虎は詠唱する。空間転移で夜白の元へ跳ぶためだ。

 黒い靄と共に跳んだ忠虎の前には驚く夜白の顔があった。彼女を庇うように立った忠虎は背中に鋭い痛みを覚える。夜夜が放った氷塊が強かに背中を打った痛みだった。

 今の衝撃で手に持っていた国崩しを取り落とす。カラカラと床を転がる刀は、ここからでは手を伸ばしても届かない。意識を切り替え、夜夜に向き直る。

 ここからが本番だ。強い意志を込めた一歩を踏み出そうとした忠虎は、なぜか後ろに引っ張られる。「このバカ! 人をかばってる場合か!」

 振り返るとこちらの腕を掴む夜白が、憤怒の形相を浮かべていた。

「私は貴様の護衛だ! 命を懸ける義務があると何度も言っているだろう!!」

 けれど怒られる筋合いはなかった。今の忠虎は夜白の護衛だ。大切なもののためにこの身を投げ出すのは、忠虎にとって息をするように当然のことだった。

 だが夜白の口から飛び出したのは、忠虎の常識を打ち砕くほどに強い言葉だった。

「命は簡単に懸けるような軽いものじゃない!!」

 忠虎の胸を打った衝撃は、この戦いで受けた全て痛みよりもずっと大きかった。だから忠虎を突き飛ばすように、夜白が夜夜に向かって飛び出すのを止められなかった。

 彼女が旋風の如く駆け出す先は――国崩し。忠虎が落としたままのそれを夜白は拾い上げる。彼女は夜夜に向かって白光と国崩しの二刀を構えた。

三九郎・・・

「いつまでも子ども扱いするな!!」夜白が激昂に駆られて起こした炎は、夜白を中心に瞬く間に広がる。高温の炎は床を焦がしつつ、屋上全体を覆い尽くそうとしていた。忠虎は素早く詠唱し、身体の周囲に薄い水の膜を貼った。代戸もまた何かしらの防御魔法を使ったようだった。

「子どもでしょう、あなたは。目は前を向いているのに、見ているのは自分ばかり」

 しかし夜夜だけは違った。堂々と仁王立ちした夜夜を恐れるように、炎は彼女を避けていく。屋上に留まりきれなくなった炎は地上まで燃え広がっていった。

 夜夜は式符を構えた。淡く光る式符から夜白に向かって突風が放たれる。炎を吹き飛ばしながら迫る暴力的な旋風を、夜白は国崩しで受けようとするが、

「国崩し」夜夜が冷静に呼ぶ。

 すると夜白が構えていた国崩しは、攻撃を受ける寸前に忠虎の元へ戻ってくる。

「なっ……?」

 夜白を風が飲み込む。木っ端のように吹き飛ばされた夜白は、忠虎より少し離れた屋上の囲いにぶつかり、倒れ込む。

 夜夜がつかつかと夜白の元まで歩いていく。痛みで動けない夜白は、どうにか顔を上げ、怒りの形相を夜夜に向けた。

「これでも自分は子どもでないと?」

 夜夜が地上に視線を向ける。忠虎もつられて同じ方向を見た。見下ろす先には小さな花壇。周囲を囲む煉瓦は黒焦げで、その中には恐らく花であったであろう灰があった。

 視線を横に向ければ、花壇に駆け寄る小さな子どもたちの姿があった。それ以上は見ていられなくて、忠虎は屋上に視線を戻した。

「そんな手に乗るか!」そちらに目も向けない夜白は、夜夜の言葉を罠だと断じる。

 勝負にもなっていない。夜白の側に行くため忠虎は立ち上がろうとする。しかしそれを阻むように見下ろすのは代戸だった。いつの間にか近寄っていた彼女は、油断なく拳を構えていた。

「終わりではないだろう?」代戸が真剣な表情で言う。

 彼女の言う通り、挽回の目はいくらでもある。この状況から代戸を倒す魔法など自分は数え切れないほどに扱えるだろう。しかしそんな問題ではない。こちらは多くの甘さを露呈させた。

 明らかな敗北。あがき、ここで代戸を倒したところでそれは変わらない。

「私たちの負けだ」忠虎は降参の言葉と共に立ち上がる。今度は代戸も止めなかった。面白くもなさそうな顔をする代戸を横目に、忠虎は夜白の元へ向かう。

 忠虎は夜白と向き合う。

「まだ負けてない!!」

「何度も言わせるな! 夜白、現実から目を背けるな!」

 この戦いで最も打ちのめされたはずの夜白は、真っ直ぐにこちらを見た。忠虎は夜白の表情に思わず息を呑んだ。

 彼女の美しい双眸は、燃えたぎる闘志によって溢れんばかりに満たされていたからだ。

「背けてない! アタシはいつだって現実から目を逸らしたりしない! たとえ届かなくたって!」夜白の声は悲鳴にも怒号にも聞こえた。「アンタこそ背けた先のお綺麗な理想ばっか追い求めてんじゃないわよ!」

「な、に……?」

 夜白が吼えた。

「戦わないならそれを渡せ! 国崩しを! アタシに! アンタはスカスカの命対価にしてお綺麗な理想でも手に入れてろ!!」

 お綺麗な理想。

 その言葉に忠虎の腸が一気に煮えくり返り、怒りが身体を巡り巡る。そして身体のどこか、僅かに怒りが届かなかった場所で、小さく腑に落ちる感覚があった。

 けれどそれを認めるのは癪だった。

「この世界は醜く、汚い。理想くらいは綺麗でいて何が悪い」

 怒りで燃え盛る部分に従って口にした言葉だった。

 忠虎と夜白は睨み合う。決して譲れない信念がぶつかっているのだ。容易に相手の意見を認めることなどできない。

「足して二で割ればちょうどいいですね」

 ふと横合いから夜夜の明るい声がした。すでに彼女に戦う意志はないようだった。

 もう一度夜夜があっけらかんと言った。

「二人で子どもを作りなさい。バランスの取れた子が良い子が産まれますよ」

 忠虎と夜白は、夜夜を見て同じ渋い表情を浮かべ、同一の言葉を、同時に言う。

「「ありえない」」

 忠虎と夜白は産まれて初めて魔法の第一定義を否定した。

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