第6話 腰抜け護衛と序列第1432位①
※※※
『六星機女学園 校内新聞 5月4日号
第71期序列戦 第92回〈相掛戦〉
対戦者:鯉川 美々美(序列第2位)×神代 夜白(序列第1432位)
結果:0分57秒で鯉川美々美の勝利』
名門神代家の若き当主。最年少国家認定魔法士。神代夜々の再来。
入学から一夜明けた翌日。華々しい経歴と共に夜白は、六星機女学園序列第2位との序列戦に挑んだ。
序列戦とは、六星機女学園における『強くあれ』という、唯一にして至上の校則に則り行われる生徒間の決闘である。序列戦には三つの種類があり、
週に一度、同レベルの序列者との間で行われる〈順位戦〉
年に一度、勝ち残りトーナメント式で行われる〈虎王戦〉
双方の合意のもと、生徒間で不定期に行われる〈相掛戦〉
今回は〈相掛戦〉鯉川に私闘とも言える戦いを挑むこととなった。
序列戦は勿論命の奪い合いをするわけではないが、戦う以上怪我を負うことも考えられる。それでも六女の生徒は確固たる実力を持ったウィザードとなるため、日々腕を磨き、相手を倒す。その結果によって得られる序列は、自らの強さを内外に知らしめる大きな評価となるからだ。
全生徒が注目した一戦。だが予想に反し、戦いはあっさりと終わった。油断しきった夜白の顎先を序列第2位の鯉川が拳で打ち抜き、夜白は昏倒。序列戦も終了となった。
世紀の一戦の結果は、すぐに校内新聞として全生徒に周知される。
六星機女学園報道部は序列戦直後、勝者の鯉川に質問をした。神代夜白と戦ってどう思ったか? その質問に鯉川は間髪入れずにこう答えた。
「天才ってこんなものなんっすね」
恥辱にまみれた序列戦の翌日。見上げれば、昨日一昨日と続いた晴れ間はどこへやら、まさに今の夜白の気分のようにどんよりとした曇り空が広がっていた。
午前十時。六星機女学園の中庭。そこは広々とした公園といった風で、周囲にまばらにいる生徒との距離は遠い。ちょうど中庭の中心にあるベンチに夜白と忠虎は腰掛けていた。
夜白の中には昨日からの怒りがぐつぐつと煮えたぎっていた。我慢ができなくなった夜白は、おもむろに立ち上がり、数歩前に出る。腰の白光を抜き、斬り上げの一刀を放つ。
ヒュッと風切り音が虚しく響いた。
「気が済んだか?」座ったままの忠虎が、まっすぐにこちらを見ていた。
「すむわけないでしょ!!」
あんなにあっさりと敗れたのだ。恥ずかしいなんてものではない。しかも始まる前は最初から序列第1位に挑もうとしていたのだ。しかし第1位は京都の姉妹校である〈王天寺学院〉へ赴いていて不在らしく、
『仕方ないわね。じゃあ二位の……鯉川? 聞いたことないけどそれと戦うわよ』
忠虎が渋い顔をする中、夜白はそう言い放ち、負けた。
恥の上塗りにも程がある。自らの情けなさに夜白は強く白光の柄を握りしめていた。
「楽勝だと思っていたか?」心を読んだかのような言葉が忠虎から投げられる。
「……思ってたわ」口の中に耐えきれない敗北の苦味が広がる。一刻も早く弱音と一緒に吐き出してしまいたかった。けれどそれをしたら自分が自分でいられなくなる気がした。負け惜しみでも良い。吐き出すのは強気であるべきだった。
夜白は睨みつけるような視線を忠虎に送る。
「いいや思ってる。でも次こそは負けない」陳腐な言葉だ。戦場には次などない。甘いことを言っているのは百も承知だった。
忠虎の静かだった目が瞬いた。細く息を吐いた忠虎は微かに笑っていた。
「戦う意志があるのならば合格だ」忠虎は腰を上げた。「では反省会と行こうか。いい加減に刀を仕舞え」
「……今やろうとしてたのよ」夜白は慌てて白光を鞘に収める。
忠虎は気負うことなく言った。
「大前提として貴様は強い。まだまだ魔法の腕は荒削りではあるがな。今まで多くの魔法犯罪を解決してきたとも聞いている。代戸より多少は劣るが、充分な実力を持っている」
千翼本人から聞いたが、忠虎は彼女をも鎧袖一触で倒したという。同じ国家認定魔法士でありながら、夜白より随分と実力が上の千翼をだ。
忠虎は真っ直ぐにこちらを見て、真っ直ぐな言葉を容赦なく突きつける。
「敗因はたった一つ。慢心に他ならない」
その言葉に夜白は悔しそうに唇を噛む。
「鯉川を有象無象の一人だと思ったか? 自分は名門神代家の当主で、才に溢れ、輝かしい実績も積んできた主人公とでも思ったか?」
「……ッ!」そんなことはないと言い返せるはずだった。けれど言葉が出てこない。
「それは正しい。貴様は確かに主人公だ。私のような脇役と違い正真正銘のな。鯉川も貴様に比べれば脇役だろう。だが脇役にも脇役の矜持がある。貴様はそれを侮った」
夜白は拳を強く握りしめる。手の平に爪が食い込むほどに強く。
「ここは全国のみならず世界各国から天才が集まっていると聞いた。今のままでは夜白、貴様。喰われるぞ」忠虎が淡々と続ける。「序列1432位。幼等部まで含めた上での序列最下位。それが今の貴様だ。この場所で生き抜ける自信はあるのか?」
静かだが、切れ味鋭い刃のような言葉だった。
あくまで自分の目的は国崩しだ。この学園での生活はその過程でしかない。
けれど。
夜白はいつしか俯いていた顔を上げる。神代夜白ともあろう人間が、負けっぱなしでいいはずがない。72年前の軍人に、やっぱりこの時代のウィザードは弱いと断じられるのも。この学園の連中に、神代家当主はあんなものだと嘲られるのも。夜々に三九郎と侮られるのも耐えられない。
「以上だ。反論は――」
小気味よい音が部屋に響く。本当は顔を狙ったはずだったが、夜白の放った拳は忠虎の手によって止められていた。容易に掴まれた手は自らの弱さを現していた。爪が食い込んだ拳からは僅かに血が滴る。悔しさが雫となって地に赤色を作る。
「どこの誰が喰われるって?」
あっさりと受け止められる拳。これが今の自分だ。まずはそれを認めよう。
「アタシは誰にも、何にも負けない」
忠虎がこちらを見る瞳はどこまでも真っ直ぐだった。夜白の弱さを見透かすような透明の瞳。けれど夜白は負けずに睨み返す。
不意に忠虎が表情を緩める。幾分柔らかくなった口調で忠虎は言った。
「良い顔だ」
「知ってる。アタシ超美人だから」
負け惜しみの冗談に、忠虎は目を丸くし、笑った。掴んでいた夜白の拳を離し、わざとらしく自らの顔を触った。
「そうだな貴様は美しい。醜い護衛ごときとは比べ物にならないほどにな」
忠虎はそんなことを言うが、別に彼の顔が特段醜いわけではない。口調は軍人らしくお硬いが、顔は年相応の幼さも残している。言動の端々から自己評価の低さが伝わってくることは少し気になった。
忠虎は疑問を持った夜白に気づくことなく、真剣味を帯びた口調で言った。
「それでは訓練の時間とするか」
※※※
「訓練?」
風が吹き抜け、中庭を囲むようにして立つ木々の葉を揺らす。忠虎は向かいで首を傾げる夜白に言った。
「夜白。まず魔法とは何か? 考えたことはあるか?」
「不可は不可也」
何の迷いもなくそう言った夜白に忠虎は苦笑する。魔法とは何かと尋ねられた場合、口にする言葉は二つある。
「『魔力×魔法式=魔法』まあ貴様の言葉も間違いではない」
「……う、うっさいわね!」夜白が僅かに頬を赤くする。「アンタの聞き方が悪いのよ、さっさと本題に入りなさい!」
照れる夜白だったが、魔法とは何かと聞かれ、迷いもなく『不可は不可也』と言い切れる点が彼女らしかった。
「単純な公式だ。魔力が多ければ、魔法式が高度であれば、より強力な魔法を行使することができる」忠虎は続けた。「先日の兄ヶ島での一件でも分かったが、貴様は魔力量が異常なほどに多い」
霊装阻害により、霊装内の魔法式を限りなく零にされたとしても、それ以上の魔力を霊装に注ぎ込むことで夜白は十王門を突破した。
「魔力に関しては完全に先天的才能で決まるが、魔法式は修練することで後天的に上達が可能だ」
「つまり?」
「魔法式への理解および構築方法について学んでもらう」
「……つまり?」
「〈軍用魔法〉の内の一つ〈空間転移〉を使えるようになってもらう。正直言って学ばなくてはならないものは多いが、鯉川との再戦まで四日しかない。それまでに魔法の上達を図るには〈空間転移〉の修練が最も効率的だからな」
鯉川との序列戦直後。敗北の怒りにかられた夜白は、再戦を申し込んでいた。再びあのような醜態を晒さないためには荒療治的な訓練しかない。
「…………つまり?」
「つまり?」ここまで言えば分かるだろうに、怪訝そうな顔の夜白はまだ何かを聞きたいらしい。さらに噛み砕いて言うならば。
「〈詠唱〉も覚えてもらわねばならんな」
「犯罪じゃないのよ!」夜白の表情は驚愕、そして納得。目まぐるしく変化する。「あぁそうか。アンタ戦後にできた〈ローザンヌ条約〉を知らないから……」
「知ってるぞ。〈軍用魔法〉とりわけ〈詠唱〉を禁じた条約だろう?」
「知ってて!? 知っててアタシに〈詠唱〉を教えようとしてるの!?」
忠虎は頷く。
「魔法式の記録化の便利さは認めよう。だが、ただ霊装に記録された魔法式を使っているだけでは魔法の極地には辿り着けん。魔法式の意味、由来、効果、範囲諸々の全てを理解してこそ本当にその魔法式を理解したことになるのだ」
そのためにも自ら理解し、魔法式を構築する詠唱は夜白にとって、うってつけの特訓と言える。
固まっていた夜白だったが、徐々に理解し始めたのか、表情が変わっていく。『魔法の極地』と口の中で転がした夜白は笑みを浮かべていた。
忠虎はおもむろに懐から式符の束を取り出す。それを夜白を中心とし規則的に並べていく。「貴様ほどの魔力量があれば、魔法式への理解が成ったとき強大で巨大な魔法を扱うことができるだろう」
「……強大で巨大」
忠虎は夜白を囲むように式符を並べ終える。再び夜白の前に立つと、彼女も自らの周囲にある式符に気づいたようだった。
夜白は眉間に皺を寄せた。
「……これは何? 説明しなさい」
かがんだ忠虎は一枚の式符に魔力を送り込む。すると式符が淡く輝き出し、夜白を中心として円状の光が浮かび上がる。
「第六系統魔法〈空間転送〉。空間転移よりも遠くへ跳べる魔法だ」
「何も言わずに人を跳ばそうとするな!」
「これを持っていけ」立ち上がった忠虎は一枚の紙を夜白に手渡す。「私もすぐに追いかける」
「どこに跳ばすのか言いなさい!!」夜白が白光を抜く。大きな赤い炎を纏った刃を構えた夜白は、思いっきり地面を踏み抜き、地面を滑空するようにこちらに迫ってくる。
一瞬にして炎に包まれた一刀が迫り来る。鋭い上段斬りだ。だが忠虎は悠々と鞘に入ったままの国崩しで夜白の攻撃を受け止める。
甲高い音が響くと同時に、夜白の姿が淡く透けていく。空間転送が発動しつつある。自らが消えゆくことが分かったのだろう。夜白は刃を押し込みながら凄絶な笑みを浮かべた。
「今日からは夜道に気をつけなさい」
不吉な言葉を残し、完全に夜白の姿が消えた。
「狂犬のような女だ。いや神代であれば龍だな」
神代家は、とある高名な修験者と女に化けた龍。その間に産まれた子により興されたという伝説がある。真実かどうかは分からない。龍のように強い神代家の魔法士を見て、誰かが言い始めたのかもしれない。
忠虎は国崩しを腰に差し直し、すでに消え去った夜白に向かって言った。
「夜白。貴様を龍にしてみせよう」
※※※
気色の悪い浮遊感は唐突に終わりを告げ、夜白はドスンとお尻から地面に落ちた。
「痛いッ……!」
夜白が顔を上げると、視界いっぱいに美しい海が広がっていた。雲ひとつない澄み切った青空。真上にある太陽からはギラギラと日光が注がれている。視線を下げれば白い砂浜。
行き交う人々は浅黒い肌と、自分たち日本人から程遠くない顔の作りをしている。
「……どこよここは」
夜白は立ち上がり、辺りを見回す。外国。それもアジアのどこかの海岸だと言うことしか分からない。あの男は予告もなしに人を海外へ跳ばしたらしい。気が狂っているとしか思えない。
「あの爺さん。絶対に殺す」
いや、ちょっと待て。こういう荒んだ心も序列戦で敗北した原因かもしれない。気を落ち着けよう。そうだ、確か跳ばされる前に、忠虎から手紙のようなものを渡されていた。
夜白は吹き出る額の汗を拭い、手に持ったままだった手紙を広げる。
『
夜白の頭の中を一瞬にして様々な思考が駆け巡った。だが、まず対応すべき事柄は、
「逃げろッ!!」
誰かが通報したのだろう。海より反対側。立ち並ぶヤシの木の間から多数の警官が殺到していた。ローラー作戦のように海岸を埋め尽くす警官たちに背を向けた夜白は、
「絶対殺してやるあのジジイ!!」
青い海に向かって走り出す。
※※※
忠虎は中庭で再び円状に式符を並べながら、跳んでいった夜白のことを考えていた。
空間転移を使い、比律賓から日本へ戻ってくる。
昔自分も師匠にやらされた特訓だ。もっとも自分は南極。そして同時に訓練をした夜夜は北極に跳ばされた。夜夜は干渉系統魔法を使うホッキョクグマと戦ったと何度も言っていた。普通に嘘だと思う。
はっきり言ってこの特訓は非常に難易度が高い。そもそも長距離を跳ぶには先ほど使ったような空間転送を使うのが一般的であり、それよりも転移距離の短い空間転移で帰ってくるとなると、多大な魔力と集中力が必要となる。
端的に言えばこの特訓は、空間転移を覚えること自体が目的であり、帰って来れる来れないは二の次である。
「……どれ私も行くとするか」
並べ終えた式符に忠虎が魔力を注ごうとしたときだった。
「護衛さん。どもどもっす」
どこかで聞いた声に忠虎は振り返る。
そこに女生徒がいた。背丈は一七〇糎より少し高いくらいか。忠虎からは見上げる位置にあどけない顔があり、くりっとした大きな瞳は鳶色をしている。周囲を見回す度に、後ろで結った栗色の髪が尻尾のように揺れる。こちらに向いた人懐っこい笑みと相まって、大型犬にも似た印象を受ける。
鯉川美々美。六星機女学園序列第2位。夜白にとって因縁の相手だ。
「護衛さん。そんなに見つめられると困るっすよー」
鯉川はわざとらしく身体をくねらせる。忠虎は豊満な体つきから慌てて目を逸らす。
「再戦のことだろう? 四日後で大丈夫だったか?」鯉川がここに来た理由は分かっていた。敗戦後に再度申し込んだ序列戦のことだ。当たっていたのか鯉川が頷く。
「私は別にいつでもいいっすけど。夜白さんは……大丈夫っすか?」
鯉川が言い淀んだ言葉の向こうに、夜白への失望感が見て取れた。それを取り払うように忠虎は力強い言葉で言った。
「問題ない。今度は貴様にも実のある戦いになるはずだ」
忠虎の言葉に、鯉川は驚きと楽しさを半分ずつ混ぜたような表情をした。
「楽しみにしてるっす。二度もあの神代夜白を倒したとあれば私の名前も売れるっすから」
「名を売ってどうする?」
忠虎の問いに鯉川は真剣味を帯びた口調で答えた。
「うち両親がいなくって超貧乏なんっすよ。でも4人いる妹たちには満足な教育を受けさせたくって。だから実力つけて、いい仕事について、お金を稼がないといけないっす」
「いい夢だ。困ったことがあれば私に相談しろ。微力ながら手助けをさせてくれ」
真摯な鯉川の願いに忠虎が心からそう答えると、彼女は目を丸くする。
鯉川は見定めるような視線でしばらくこちらを見ていた。何を思ったかは分からないが、彼女は再び人懐っこい笑みを浮かべた。
「序列戦楽しみにしてるっす。今度こそは、薄っぺらいトラッシュトーク仕掛けてくる小物なんかじゃなくて――」
続けた言葉は本題に戻って夜白についてだった。
「ホンモノの神代夜白に勝ちたいっす」
瞳から強い意志をほとばしらせる鯉川からは、名を上げるために神代家の当主を倒したいという欲求は感じなかった。むしろ神代夜白個人に勝ちたいと、そう聞こえた。
何かしらの事情があるのかもしれない。夜白は鯉川のことを知らなかったが、鯉川は夜白に対して思うものがあるのだろう。
殊更波風を立たせる必要はない。忠虎は気づかなかった振りをして、会話を続けた。
「その件については私からも謝らせてくれ。敬意を表すべき相手に対して、馬鹿にするような態度をとって申し訳なかった」
「いえいえ。バカにされるのは慣れてるっすから」
「奇遇だな。私も昔はよくからかわれていた」
才能もないくせに魔法士になろうとして、苦労した過去を忠虎は思い出す。鯉川にも同じような経験があるのだろう。忠虎がつい笑みを漏らすと、鯉川も釣られたように笑い出す。近しいものを感じたからか、鯉川は忠虎本人に興味を持ったようだった。
「そういえば護衛さんってどこの誰なんすか? あの千翼様から護衛役を奪うとか只者じゃないっすよね」上から下まで視線が動く。値踏みされている。「国魔取得者とか?」
「そのような大層な資格など持たん」
「それなら〈魔女認定者〉とか?」
国家認定魔法士は聞いていたが、その言葉は初耳だ。忠虎が首を傾げると、鯉川が僅かに怪訝そうな顔を浮かべ、説明する。
「〈革命の魔法士〉アイラ・L・ブラッドベリによって創設された世界的な賞の受賞者のことで。『人類にとって最大の貢献をした魔法士』に与えられる称号のことっす。本当は〈国際認定魔法士〉って称号なんすけど、偶然にも今まで女性魔法士しか受賞してないんで〈魔女認定者〉とか呼ばれてるっす。例えばうちの学園長の夜々さんも〈時空の魔女〉っていう二つ名を賜った魔女認定者っす」
自分たちの時代にも、魔女と呼ばれる別次元の強さを持った魔法士はいた。夜夜やシノがそうだ。戦後、そのような魔法士は公的に魔女と呼ばれるようになったようだ。当然そのようなものを持ってはいない。忠虎は首を横に振る。
「まあそうっすよね! 聞いたことないっすもん。男の魔女認定者なんて……」そこまで言って鯉川が照れたように笑う。眼の前の男が神代夜白の護衛だということしか知らないと気づいたらしい。「護衛さんお名前は?」
「……それは」
しかしその問いは忠虎にとっても不味いものだった。身分を偽る以上東儀忠虎とは名乗れない。名前は不本意だが昨日序列第3位が言った『トラタ』でいいだろう。名字は……
グッと鯉川の整った顔が近づいてくる。まじまじとこちらの顔を見て言う。
「……護衛さん。東儀忠虎に似てる……って言われないっすか? 終戦直前に戦死しちゃったっすけど。〈万能の英雄〉とまで呼ばれた一級のウィザードで。私の目標とする人の一人なんすけど……」
「代戸。私の名は代戸トラタだ」咄嗟に出てきたのは代戸の名字だった。心の中で彼女に謝りながらも早口で続けた。「その……東儀某というのは知らんな」
「……ふーん」
疑いの視線に忠虎の背中に嫌な汗が流れた。真相に気づくかもしれない。だが鯉川はニイっと無邪気な笑いを浮かべる。
「まーそりゃそうっすよね! あの人がここにいるわけないっす」鯉川が熱い口調で続けた。「じゃあ護衛さんに教えてあげるっすよ。東儀忠虎は勲章も名誉も戦果も山ほど上げた凄腕ウィザードっす。さぞ素晴らしい才能持ってたんでしょうね! 一度でいいから魔法を教わってみたかったっす」
輝かしく光る鯉川の笑顔とは対称的に、忠虎の表情に影がかかる。
「本当に欲しいものは何一つ手に入れられなかった、ただの臆病な凡人だ。貴様が憧れるような素晴らしい魔法士ではない…………と思うぞ」
つい本音が口をついていた。我に返った忠虎が、当たり障りのない言葉を並べようとする。だが、それを遮るほどに鯉川の輝かしい笑顔には、さらなる眩しさが足され、魅力的に光っていた。
「もしそうだとしたら、もっと好きになれそうっす!」
「……そうか」
強いな、と忠虎は思った。鯉川は自らの弱さに正直に向き合っている。今の夜白では到底敵わないほどに鯉川は強い。
湿っぽくなりかけた空気を嫌ったか、殊更明るい声で鯉川が言った。
「そーいえば、トラタさんも名字『代戸』なんすね。千翼様と血縁関係があるんすか?」
「弟だ」
思いっきり嘘をついていた。もう行き着くところまで進むしかない。
「へー! 千翼様に弟がいたなんて聞いたことなかったっす!」
「だろうな」
「学園の皆もトラタさんのこと気になってたみたいですし、皆には後で教えてあげるっす!」
「……そうだな」
これ以上の質問は勘弁してくれという想いが伝わったかは分からないが、ふと鯉川の視線が〈空間転送〉を組み上げた式符に向く。初めは単なる興味心で見ていたようだが、次第に瞳に真剣な色が宿る。
「この式符一枚一枚は、そこらのウォンド専門店に行けば、一〇枚一〇〇〇円で買えるような安物っす。けどどれもほんの僅かに魔法式がいじられてる。結果、この円状に置かれた式符全体で一個の魔法式が作られてる……」
独り言のようにそこまで言った鯉川が、驚愕を湛えた瞳でこちらを見つめる。
「トラタさん。……あなた何者っすか?」
「護衛のくせに主の背に隠れる臆病者だ。貴様も聞き及んでいるだろう?」
「自分の目で見たものしか信じないっすから私」鯉川が油断なく拳を構える。「トラタさん。手合わせさせてくれないっすか?」
鯉川から急速に魔力の気配が立ち込める。どうやら冗談ではないらしい。
少し喋っただけで鯉川の心根の真っ直ぐさは分かった。できるならば手合わせをしたいところだが、今の自分は臆病者の護衛――代戸トラタだ。
「勝敗が決まっている戦いに意味などない」
「……そうっすね。その通りっす。勝敗なんて決まりきってるっすね」
腰抜けの護衛風情が、序列第二位に勝てるはずがない。そう言外に含めたはずだったが、鯉川が続けた言葉は真逆の内容だった。
「今の私じゃあなたには勝てないっす」
「なぜそう思う」
「魔法式からは鎌倉時代の魔法書〈闘戦経〉の影響が見て取れるっす」鯉川はどんな小さな手がかりも逃さないよう、目を皿にして式符を見る。「これは
鯉川が顔を上げる。大きな双眸は見定めるような色をしていた。
「よく勉強しているな」
率直な感想だった。たったこれだけの魔法式から、影響する魔法書まで読み取る観察眼は称賛に値する。
「でもそれ以上はどうしても分からないっす。魔法式がもたらす効果まではとても。これが理由っす」鯉川が悔しそうに自らの髪をかき回した。「あぁ我慢できない! ちょっと図書館行って調べてくるっす!」
鯉川は深く礼をし、こちらに背を向ける。弾丸のように校舎に向かって駆け出す。背中はみるみるうちに遠ざかっていき、校舎の影に消えた。
しばらくそちらを見ていた忠虎は思った。
やはり鯉川は手強い。トラタを東儀忠虎と見破ったのかは分からない。ただ、前に進む強さと、努力の痕跡ははっきりと伝わってきた。
忠虎は逸る気持ちで、再び式符へ魔力を通す。式符が淡く光り、空間転送が起動する。
浮遊感が忠虎の身体を包む。徐々に身体の輪郭がぼやけていき、やがて完全に忠虎の姿は消えた。
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