第5話 太平洋戦争の亡霊と囚人番号8番⑤
※※※
出口へ向かうために通路をひた走る夜白は、数多の倒れ伏す警備員たちを見て、怪訝な顔をした。
彼女たちはこの街の悪党が集まる兄ヶ島で警備をしているのだ。決してそこらの木っ端ウィザードではない。そんな彼女たちが雑魚のようにそこらに転がっている。
夜白は歯噛みしながら、前を走る忠虎の背中を睨む。
「欲しいなら持っていけ」振り返ることなく忠虎がからかうように言ってくる。
「今は預けといてあげるわ」
そう言って夜白は忠虎に挑発的な瞳を返す。
鋭い双眸に、腰に差した白鞘の大太刀、白い軍服に袖を通した姿は、以前夜々から見せてもらった写真の中の東儀忠虎と同じだ。
東儀忠虎。彼の名は先の大戦において、数多く存在した名ウィザードの中ではそれほど有名とは言えない。だが実際は数多の伝説を残した最強の魔法士部隊〈第二〇五特殊遊撃小隊〉のリーダーであり、変性、変化、放射、実体、干渉の魔法五系統の内、二つの系統を扱えれば優秀とされるウィザードにおいて、五つ全ての系統を修めた〈万能の英雄〉と呼ばれる超一流の軍人だった。
先ほどは挑発で敗北者などと言ったが、同部隊に七篠シノや神代夜々がいただけで、決して腕に劣るウィザードではない。
だがそれも昔の話。
すでに今は2017年。72年前のウイザードなんかに、この神代夜白様が遅れを取るはずがない。現にさっきは簡単に国崩しを奪えた。
そう結論づけた夜白の足取りは軽い。強化された脚力は容易に忠虎を追い越し、徐々に彼との距離を遠くする。階段を蹴るように降り、通路を全速力で駆ける。
やがて十メートルはあろうかという巨大な扉が見えてくる。この監獄の出口だ。
「おい夜白。大人しく私の後ろにつけ」
「あら失礼。万能の英雄様の足が遅すぎて、つい追い越しちゃったわ」
「もう一度言う。後ろにつけ」
忠虎の有無を言わせぬ口調にカチンと来た夜白は立ち止まり、彼を睨みつける。
「アタシは強い。アンタよりもずっと。だから誰の力もいらない。自分だけで戦える!」
夜白は抑えていたはずだったが、最後の方は叫ぶように言っていた。
忠虎は静かな瞳でこちらを見る。同い年なはずなのに、達観したような冷めた視線がまた気に触る。
「貴様のような目をした人間を多く見てきた。皆貴様に劣らぬ才能の持ち主だった。だが皆死んだ」
叫ぶでもない。ただ淡々と忠虎は言葉を並べる。
「独りで戦える? いいだろう。反論はない。大志を抱くのは大事だ。高みを目指すのも当然だ。だが死は意外とすぐ側にあることだけは忘れるな」彼の言葉は静かだが、説得力を感じさせる重みがあった。「だが私も任務を果たさなくてはならん。貴様は命に代えても守る」
「アンタこそ軽々しく命を代えてもとか言うな! 命はそんな軽いものじゃない!!」その言葉は夜白自身の想いに則ったものだった。熱い胸の内をぶつけた本音だ。
けれど、相反するように忠虎の瞳は冷え切っていた。
「軽いさ。少なくとも私たちの時代は」
「……ッ」
忠虎が戦争を通じ何を見て、何を感じたかは分からない。けれど死生観について、現代を生きる自分とは、大きな隔たりがあることだけは痛感した。
話は終わったと言わんばかりに、忠虎が古びた木で作られた巨大な扉を指差す。圧倒されるのは巨大さだけではない。扉を埋め尽くすように、おびただしい数の式符が貼られている。
「……〈十王門〉か」夜白は忌々しげに言う。
「十王門?」
忠虎は首を傾げる。夜白は口早に説明する。
「この監獄が〈ウィザード殺し〉なんてご大層な名前で呼ばれる由縁よ。扉に貼られたあの大量の式符一枚一枚に〈霊装阻害〉の魔法式が記録されているの。つまりここではウォンドは役に立たない」
多数配置された手練の警備員。そこを抜け最後に待つのが〈ウィザード殺し〉の十王門。少し驚かせすぎただろうか。夜白は隣を見る。やはりさすがの大エースも術がないようだ。むっつりと押し黙っている。
「どうするつもりよアンタは?」
忠虎がこちらを向く。その顔に表情という表情はない。怖気づいているのか。……それとも、いやまさか。
「どうするも何も〈空間転移〉で通るまでだ」
「…………は? ……空間転移? んなもの誰が使えるってのよ」
基本の五系統に属さない特殊な魔法を〈第六系統魔法〉や〈系統外魔法〉と呼ぶ。古式魔法や代々伝承される一子相伝の魔法のことだ。総じて難易度が高く。それゆえに効果も絶大な魔法が多い。
「冗談を言うな。空間転移など必須技能だろう」忠虎が何かに気づいたように呟く。「……そうか。詠唱は禁止されている。つまり空間転移を使える魔法士もいないということか」
「――――」
言葉から察するに忠虎は詠唱が使えるのか。考えてみれば大戦期のウィザードであるならば当然なのだが、改めて聞けば閉口せざるを得ない。彼らはそれほどレベルが高かったのか?
「要はこの門の前では霊装が使えないのだろう」魔法が使えないと同義の絶望的状況にも関わらず、忠虎はさして気にした様子もなく扉へと近寄る。「詠唱による魔法式の構築は問題ないはずだ。ならば空間転移で跳べばいい」
「……本当にウォンドなしで魔法を使えるわけ……?」
呻く夜白はに、忠虎はふと眉をひそめる。
「ずっと気になっていたのだが、貴様それ《・・》は霊装という意味か?」
急に何の話だろうか。徐々に明らかになる大戦期のウィザードの異常性に驚いていた夜白は一瞬たじろぐ。だが忠虎がウォンドについて言っているのだと気づく。
「そうよ。今どき霊装とかダサイ言い方するウィザードいないから」
「……『
忠虎は呆れたような顔をしていたが、すぐに真剣な表情をして言った。
「無駄話が過ぎたな。貴様は通る術があるのだろうな? なければ共に空間転移で跳ぶが」
そう言って忠虎は手を差し出してくる。ゴツゴツとした手を見つめ……弾く。
「当然よ」夜白は真っ直ぐに忠虎を見返した。「いつも通りにイージーに行くだけよ」
敵性言語に忠虎が苦い顔をするが、取り合わず続けた。
「そこ。邪魔だからさっさと行ってくれる?」夜白はさっさと行けと忠虎に手を振る。
「一分待つ。それを過ぎればまた来る。急げよ時間はないぞ」そう言うと、忠虎は詠唱を始める。魔法を起動させようとしているのに、〈霊装阻害〉の式符は淡く光りもしない。ウォンドを使っていないのだから当たり前だ。
やがて忠虎の周囲を黒い靄が包む。こちらに向けた不安そうな顔も、やがてぼやけていき、完全に彼の姿は消えた。
「…………マジで使ったわね」
忠虎の姿は跡形もない。たった一人で巨大で異様な十王門の前に残された夜白は、自らを奮い立たせるように笑った。
「……やってやろうじゃない」
天才を名乗る以上高い技術を見せられて平静ではいられない。
今の夜白には空間転移などという系統外魔法は使えない。自分にできるのはただ全力で魔法を振るうことだけ。
「頼むわよシロ」
愛刀。自らと同じ白の名を持つ――夜船白光に語りかける。
〈ウィザード殺し〉に向かい、夜白は使えないはずのウォンドを抜く。それはまるで魔法の基礎理論を体現しているようでもあった。
「不可は不可也」
※※※
「このバカ者が! お前中で一体何をしていた! お嬢様はどこだ!?」扉を出た瞬間怒号が聞こえた。
扉のすぐ側で待ち構えていた代戸が怒りの形相で詰め寄ってくる。そのままの勢いで忠虎は胸ぐらを掴まれた。
「手順通りに中に入ればいいものを、空間転移など使うから大事になるのだ!」
代戸が指差す先を見れば、物々しい装備をした魔法士たちが多数集結している。見るからに物騒な雰囲気だ。その中心には苦笑いを浮かべる夜夜の姿があった。
どうやら自分は失敗を犯したようだ。このような時は包み隠さず、真実を伝えるべきだ。
「今から一分後に神代夜白が来るぞ!」
一瞬の間。その場にいた全員が顔を見合わせたかと思うと、一斉に逃げ惑い、叫び、怒号が響いた。
「…………」
おかしい。場をより混乱させてしまった。名前を出しただけでこの騒ぎ。あいつは今までに何をしでかしたのだ。
「代戸」忠虎は未だこちらを締め上げている代戸の方を向く。
「夜白様は素晴らしいお人だ!!」
こいつも同じか。忠虎は呆けた代戸の手からすり抜け、夜夜の元へ駆ける。
「夜白が来る」
「三九郎に会えたのですね」
夜夜の傍らに立った忠虎は、返ってきた言葉に首をかしげた。
「三九郎?」その名は代々神代家の嫡子が受け継ぐ幼名のことだ。目の前の夜夜もかつてはそう呼ばれていた。だが、幼名とはあくまで幼い頃の名であり、夜白をその名で呼ぶことに違和感を覚えた。
しかし尋ねるより早く夜夜が続けた。
「不肖の孫はどうでしたか?」
「やはり血は争えないな。貴様によく似ている」
「美人だったということですね」
「……まあ否定はせん」
「あら? あらあら」夜夜は満足そうに笑った。「まだまだ荒削りですが魔法の才も私譲りですよ」
朗らかな笑みを浮かべる夜夜を見て、孫である夜白に対する深い愛情を感じた。
「貴様も孫には甘いな」
なぜか夜夜は目を見張る。まるで思いもよらなかったことを言われたような顔だった。
だがその疑問について話す暇はなかった。異様な違和感が十王門からしたからだ。視線を向けた十王門には内側と同様に、大量に式符が貼られている。
不意に。
その式符の全てが光を帯びていく。淡く、そして激しく輝く。
「……中には三九郎がいるのですよね?」
「……あぁ」
恐らく中では夜白が霊装を用いて魔法を使っているのだろう。そして〈霊装阻害〉の式符全てが夜白の魔法を打ち消すためだけに起動している。
ビリッ、と一枚の式符に裂け目が入る。
裂け目はさざなみのように、全ての式符に広がっていく。異様な光景にその場にいた全員が立ちすくんでいた。
「……忠虎先輩」
夜夜もまた気づいたのだろう。ひしひしと感じる魔力と、嫌な予感を胸に二人は顔を見合わせる。
「夜夜ッ」動き出そうとした忠虎は、もう一度十王門を見て、固まった。
式符は光を失い、千々に破れ、雪のように舞い、
一瞬の静寂の後、
カッ――と眩いばかりの爆炎が辺りを包んだ。
翌日。忠虎と夜白は葉桜となった並木道を共に歩いていた。心地よい風が二人の間を吹き抜けていく。昨夜の騒動など夢のような穏やかな朝だった。やがて忠虎たちの視線の先には年季の入った立派な門が見えてくる。表札には六星機女学園とあった。
忠虎は隣を見る。夜白が着ている制服は、水干と呼ばれる和物の服によく似ていた。平安の武士が着ていたとされ、大きく広がった袖が特徴的だ。漆黒に染め上げられた制服に身を包んだ夜白は、腰に差した白光も相まって若武者にようにも見えた。
「よく似合っているぞ」
「知ってる。でももっと褒めなさい」
「とても刑務所を爆破する馬鹿には見えないな」
「ちょっと加減を間違えただけじゃない!!」気分を良くしていた夜白が顔を真っ赤にして怒鳴る。
昨夜の出来事。夜白が監獄の一部を爆破した事件は、兄ヶ島の存在自体が機密情報のため、秘密裏に処理された。事件後の供述で夜白はちょっと十王門を破壊しようとしただけと宣ったが、結果としては十王門のみならず、建物の一部を吹き飛ばすこととなった。ちょっと……?
「次からは出来ないならばそう言え。分かったか?」
「結果として通れたでしょ!」
それもまた事実だった。だが本人も事態の重大さに気づいたのだろう。扉破壊後に爆炎の中から現れた夜白は一目散に逃走しようとしたのだ。まあすぐに夜夜に捕まっていたが。
忠虎は考える。夜白が起こしたあの爆発は魔法ではない。ただ力任せに霊装に魔力を注いだだけのことだ。
だがもし、彼女が高度な魔法式を組めるようになれば。荒削りな魔法が、洗練されたものへと進化したならば。
どれほどの魔法士となるのか。……忠虎には想像もつかなかった。
「というか結局このアタシが学生か……」夜白がため息を吐きながら学園を見上げる。最後まで学園へ通うことを渋っていた夜白だったが、夜夜に凄まれ渋々入学誓約書に名前を書いていた。「しかもこんなのが護衛とか……アンタもこれ着なさいよ」
「これは私の誇りだからな」すでに軍帽も外套も勲章もない。だからこそ最後に残った真っ白な軍服だけは、ずっと身につけていきたかった。「それに……」心底嫌そうな夜白の視線を真っ向から見返しながら忠虎は言う。「私は貴様の護衛役、嫌ではないがな。むしろ胸が高鳴るくらいだ」
才能溢れる魔法士の成長を間近で見られるのだ。楽しみでないわけがない。
「……アタシが美人だからって惚れないでよ」渋面を作った夜白が続けた。「アンタがアタシの隣にいられる理由はたった一つ。国崩しを持ってることだけなんだから」
忠虎はあっけらかんとした様子で答えた。
「当然だ。古代級霊装と死に損ないの軍人。どっちに価値があるかなど考えるまでもない」
夜白が目をしばたたく。
「アイロニーって意味分かる?」
「敵性言語を使うな! 皮肉と言え、皮肉と!」
「英語分かるんだ」
「当然だ。誇り高き帝国海軍にとって最大の敵は誰だ?」
「陸軍」
「……いや、まあ。うん」
口の回りも祖母譲りか。いやそれ以上な気がする。
しかし皮肉とは。結局夜白はこの自分に価値があるとでも言いたかったのだろうか。
「――ッ!」
だが、それについて考える暇はなかった。肌が粟立つ感覚を覚えた時には、忠虎は夜白を胸に抱いていた。そのまま大きく後ろに飛び退る。
「ちょ、ちょっと!」着地した忠虎は夜白の上げる不満そうな声も無視し、今まで自分たちがいた場所を見つめる。そこには数十発を超える弾痕が刻まれていた。
敵意を持って向けられた襲撃だった。遅れてそれに気づいた夜白は口を開く。その声には殺気が混じっていた。
「離して。アタシがやる」
「私の役目を忘れたか? ジッとしておけ」言い聞かせるように忠虎は、胸の中の夜白に告げた。
「いいから離しなさい! って何このバカ力!」
忠虎は十米ほど先の校門に視線を向ける。門を中心にして横並びに立つ襲撃者たちが見えた。夜白と同じ黒い制服を着た女生徒が三十人ほどいる。全員霊装を隙なく構えている。
「神代夜白――――ッ!! よーやくやってきたなァ!?」
その中心にいた女が叫ぶ。派手な金髪が風に揺れ、その下にある鋭い瞳がギラギラと輝いていた。見た目通りに柄の悪い口調で女が言った。
「んだぁ? 神代夜白よぉ! 入学そうそう男に抱かれてよぉ!」女の小馬鹿にしたような笑いが忠虎に向く。「テメエは護衛かァ? 名乗れよ」
「東儀忠虎大尉だ」
むぐぐ! と夜白が胸の中で暴れる。嫌なのは分かるが、少しは我慢をしてくれ。
そんなやり取りには目もくれず女は居丈高に言った。
「タダトラタイイー? 長え名前だなァ? まあいい聞け! 俺は六星機女学園序列第3位 胡桃坂八重だ!!」
序列とは何だろうか。尋ねたいところだったが、それよりも気になるのは胡桃坂の名だ。
「胡桃坂? 貴様、胡桃坂八郎少佐の血縁か?」
「八郎は曾祖父ちゃんだけど……というか何でんなこと知ってんだ?」
八重の三日月のようだった鋭い瞳が、ぽかんと丸くなる。
「少佐にはお世話になったからな」忠虎は深々と頭を下げる。
「それはご丁寧にどうも」意外にも八重はしっかりと腰を折り、礼を返してくる。実はこの女、礼儀正しいんじゃなかろうか。「って、はぁ!? 曾祖父ちゃんは明治生まれだぞ!?」
「このバカども! いつまでコントしてんのよ!」
再び不毛なやり取りが始まろうとした時、夜白が忠虎の手を振り払う。腕から抜け出して、忠虎の傍らに立つ。
「アタシに用があるんでしょ」
「あの神代夜白が入学するって聞いてよ! 挨拶しとこうかと思ってよ!」
「で、挨拶はいつするのかしら? え? まさか…………」夜白が大仰に辺りを見回し、弾痕に視線をやる。「それ? とか言わないわよね。仮にも日の本一のウィザード校の序列第3位様が」
不敵に笑った夜白を見て、八重の表情が変わる。頬を震わせ、瞳が吊り上がる。夜白も真っ向からその視線を受ける。
周囲を包む緊迫した空気。ふと周りを見回せば、騒ぎを聞きつけた野次馬で辺りは人だらけになっていた。
群衆の目当ては、序列第3位の強者と、神代家の若き天才魔法士だ。
決して太平洋戦争の亡霊などではない。そう確信していながらも、忠虎は自らの責を果たすため、夜白を庇うように立った。
数多の怪訝な視線と疑問が忠虎に突き刺さる。それよりか、幾分は和らぎながらも、やはり軽んじた声で夜白が言った。
「護衛だって言いたいんでしょ。でもどいて。邪魔」
忠虎は振り返る。その瞳に宿った強い意志に、夜白は自らも知らない内に一歩後退っていた。
「何度だって言ってやろう。私は貴様を守るためにここにいる」
「トラタ! テメエみてえな無名はお呼びじゃねえ――」
まだ何かが聞こえる。けれど忠虎は自分を留める何もかもを無視し、一歩前に出る。夜白を害する者全てを自分は排除する。そのためだけに、今の自分は存在している。
昂然と胸を張り、堂々たる声で忠虎は名乗った。
「我は帝国海軍第二〇五特殊遊撃小隊大尉也 我は東儀忠虎也! 我は大和の鋭牙也!!」
魔力を帯びた咆哮が伝播し、辺り一帯に広がる。
群衆の視線は変わらず忠虎に注がれていた。眼の前の八重も真っ直ぐにこちらを見ている。けれど今そこにあるのは嘲りではなく、恐れ。
震える声で八重は言った。
「……な、何をテメエは。意味の分からないことを」
「第3位。突っ立っていていいのか? こっちはすでに完了したぞ」
すでに忠虎は詠唱を終えていた。悠然と構える忠虎の真上から、バチバチと火花が爆ぜる音がする。穏やかだった春の風は、勢いを増し、風切り音を立て始める。得体の知れない事態の前兆だと分かっていても、現状は大したことも起きていない。だからだろう。
「ウォンドも抜かねえで何を!?」
八重が笑う。取り巻きたちも嘲りを浮かべた。そこには緊張感の欠片もない。これが決闘だと認識していれば、とても笑ってなどはいられないはずだ。
「それを分からせてやろう――」忠虎が言いかけた時、後ろから大声が聞こえた。
「このバカ!!」
忠虎が振り返るより早く、背後から伸ばされた腕が首に絡まる。背中に柔らかな感触がかかったかと思うと、耳元を囁き声がくすぐる。
「……ルールその1」
ハッと我に返った忠虎は昨夜を思い返す。夜白の護衛をする上で遵守する規則を、夜夜と決めていた。
『東儀忠虎大尉と明かすな』
理由は簡単だ。自分はこの時代にいてはいい人間ではないから。……完全に失念し、思いっきり名乗ってしまっていた。
夜白がより密着し、彼女から匂い立つ花のような香りが強くなる。
「アタシだけが知ってればいいの。アンタが東儀忠虎だってことは」
小さな声だが、はっきりと聞こえた。どこまでも真っ直ぐな声音に、忠虎は心地よくもむず痒いものを覚えた。
忠虎は夜白の腕から抜け出す。
「勘違いされてもよくないだろう」
「え?」
傍から見れば、今の自分たちは戯れているようにしか見えないだろう。周囲の奇異の視線に気づいたのか夜白が僅かに頬を赤くする。
「このバカ」
「知っている」そう言って忠虎は夜白の背中に手を置いた。そのまま彼女を押し出す。すると夜白が八重に相対し、自分は夜白の背中に隠れるような形になった。
「護衛が主人の背に隠れる。恥知らずにも程があるぜ!」
八重と取り巻きが腹を抱えて笑っている。群衆たちも偉そうな口を叩きながらも、主の背中に隠れる護衛に侮蔑の笑いを向けた。
夜白が心配そうな声で言った。
「……言われてるけど」
「言わせておけ。そんなことより」忠虎は気にした様子もなく、上空を見つめる。「さぁ構えろ。これ《・・》は貴様が撃ったことにする」
忠虎の言葉と共に空中に顕現するのは、バチバチと火花を散らす雷だった。威容を持って空中に漂うそれを見た夜白が呆けた声を出す。八重も群衆も口をあんぐりと開けている。
放出系統魔法。名は〈紫電〉
「視線は敵へ、顔は不敵に、放つは必殺。いくぞ夜白」
「なっ……? 何するかくらい先に言いなさいよ!!」
吠えながらも夜白が構える。空中の雷を支配するかの如く、右手を空に掲げる姿はなかなか堂に入っている。
夜白が右手を下ろす。瞬間。
音もなく。槍のような金色の放射物が八重たちのすぐ真上を突き抜ける。数多の女生徒たちが勢いで倒れ伏す。
遅れて耳をつんざく轟音が鳴り響く。そして肌を震わせる衝撃。雷撃の軌跡上に残る神々しき光の尾だけが、確かに今の魔法が実際に存在したのだと証明していた。
「さて行くとしようか」
だが、その奇跡を成した忠虎は何食わぬ顔で校門に向かって歩き出す。校門には倒れた女生徒たちが、そしてそれより遠巻きに言葉を失う群衆たちがいた。
「……レーザーとは。なかなかの魔法じゃねえか。神代夜白ぉ」
ただ一人倒れることのなかった八重が、すれ違いざまに震える声で言う。その瞳にはすぐ真横にいる臆病者の護衛の姿など一片たりとも写っていない。真っ直ぐとまだ歩きださない夜白だけを見ていた。
忠虎は声をかけることなく歩き出す。すると背後で道路を蹴飛ばし駆けてくる音が聞こえた。続けて腕を掴まれる。
「……アンタ手抜いてたわね」振り返ると、憤怒の形相をした夜白がいた。
夜白が言っているのは、牢を出てすぐ国崩しを奪ったときのことだろう。夜白の実力を見るために確かに、様子を伺っていた。
忠虎はごまかすようにそっぽを向いて言った。
「序列とは何なのだろうな」
「序列とかどうでもいい。アタシの目的はたった一つ。国崩しだけ」
確かな意志を湛えた瞳が忠虎を射抜く。
「やってみるがいい」才気溢れる少女に忠虎は言う。
「言われなくても」夜白は肩を怒らせ、校舎に向かって歩きだす。
彼女は知っていくべきだ。まずは一つ。最初の一つ。大事な一つを。
「不可は不可也」忠虎は言った。
それは魔法士が覚えるべき最初の理論。夜白だけではない。
誰もがその理論を知っていることを。
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