第4話 太平洋戦争の亡霊と囚人番号8番④

                   ※※※                  

 夜々と別れてからも独房の中で二時間ほど叫び続けていた夜白だったが、さすがに疲れてしまった。今は夜々が残した六星機女学園の入学誓約書を見つめていた。

 六星機女学園。天防区に存在する六つのウィザード育成校の内の一つであり、ウィザードであれば誰もが知る名門中の名門校。六校中最も長い70年の歴史を持ち、数多くの名ウィザードを輩出してきた最強にして最凶の学園。通称『六女』。

 入学資格はたった一つ『強いウィザード』であることのみ。素行も家柄も過去も何も問われない。ウィザードにとって最高の設備環境が整った上に学費はゼロ。全国のみならず世界各国から才能を持った若手ウィザードやってくる。当然入るは狭き門である。

 そんな名門校に一枚紙切れを出すだけで入学できるという。神代夜々の七光もここに極まれりだ。だが夜白は誰もが望むゴールドチケットを躊躇うことなく丸め、ゴミのように投げ捨てた。

「もったいねえことすんな~」カサカサとゴミが転がる音を、耳ざとく聞きつけた上弦が言う。「この光景。何をしても六女に入りてえって奴が見たら殺されるぞ?」

「殺せるものならね。にしてもあのボケ老人、三年前にも断ったの覚えてないわけ……」

「随分な自信家だねぇ。ま、それを言えるだけの実力はあったけどよぉ」上弦はでもよ、と前置きし続けた。「いいのか? あんたこのままじゃ処女のままあの世行きだぜ? 男知る前に死ぬのは忍びねえなぁ」

「男? そんなものに興味ないわね」

「んなこと言うオンナに限って実は×××好きだったりすんだよ」

「……あんたバカじゃないの?」夜白は僅かに頬を赤らめる。だが上弦の言うことにも一理あるのだ。「……まぁでも」

「まぁでも? 名家のお嬢も×××狂いかよ!? おいおいとんだスキャンダルじゃねえか」

「本気で黙ってて」

 確かにこのままでは死刑にされてしまうし、あの人ならば必ず実行するだろう。

 しかしこんなところでは死ねない。自分には叶えなくてはならない願いがある。

 夜白はクシャクシャに丸めた入学誓約書に目をやる。かがみ、手に取った書類を広げ、思った。これにサインするだけでここから出ることができる。そして出てしまえば、こっちのものだ。学園になど通わず行方をくらませばいい。

「…………考えるまでもないじゃない」

 サインするべきだ。おあつらえ向きに、先ほど夜々が使っていたペンが床に転がっていた。まるで図ったように。それを見た瞬間に夜白の耳に夜々の嘲笑が聞こえた気がした。

「考えるまでもない」夜白は書類をビリビリに引き裂く。誰もが羨む垂涎の書類はゴミとなって床に散らばった。「アタシを舐めるな!!」

「あーあもったいない。……で、どうする気だよ?」

 夜白はグルグルと腕を回し準備運動をする。一つ、二つ深く息を吸い、吐き出す。

「脱獄」

「経験者からのアドバイスだ。やめとけ」上弦の言葉が続く。「この檻は絶対壊せねえよ」

「不可能なんてこの世にない」

 それを夜白は心の中で呟いたはずだった。けれど意志に満ちた声は独房にはっきりと響いていた。

「『不可は不可也』ウィザードが最初に習う格言だな。けど皮肉なもんで掲げてるウィザードが一番それを信じちゃいない。この世は不可能で溢れてる」

 諦めたような上弦の言葉を無視し、夜白は冷静に状況を俯瞰する。

 ウォンドである愛刀の夜船白光は手元にない。すなわち魔法を使わずに、絶対の防御を誇る監獄を突破しなくてはいけない。

「やめとけ、どうせ無理だ」上弦が呆れたように言う。

「アタシがこの世で一番キライな言葉よ」

 夜白が熱い意志と共に強く拳を握りしめながら、鉄格子へと一歩足を踏み出した時、

 ドン、と遠くから轟音が鳴り響いた。

                   ※※※                  

「……な、にが……?」

 忠虎が納刀されたままの国崩しで殴りつけると、警備員らしき女が気を失う。囚人番号8番に会うため、監獄内に空間転移で跳んでまだ五分経ったくらいだろう。出会う警備員には事情を説明しているのだが、誰も聞く耳を持たず、襲いかかってくる。結果床で伸びている彼女で二十人もの警備員を昏倒させていた。これでは完全に監獄破りではないか。

 国崩しを腰に差し直す。けたたましく鳴り響く警報を聞きながら、忠虎は階段を駆け上がる。二階へたどり着く。異常を知らせるように赤く点滅する通路を忠虎は走った。

 広々とした空間に出る。

 鉄格子状の柵が降りたその奥に、固く閉ざされた白い扉が見えた。表示版には『独居房』とある。忠虎は柵の正面に立ち、国崩しを抜く。銀色が数度煌めいたかと思うと、鉄格子状の柵はバラバラに切断され、床に転がった。

「賊よ、止まれ!! 抵抗すれば撃つ!」銃を持った女の警備員三人が背後から現れる。

「だから賊ではないと言っている!!」

 忠虎は地を蹴り、天井に足を貼り付ける。逆さまに立った忠虎に三人の警備員が僅かに怯む。突飛な姿を見せれば、動揺するだろうという狙いは当たった。

 被害は最小限に抑えたい。忠虎は建設的な話をするため自己紹介をした。

「私は怪しい者ではない! 帝国海軍第二〇五特殊遊撃小隊大尉 東儀忠虎だ! 訳あって囚人番号8番と面会を行いたい!」

 警備員たちが顔を見合わせ、頷き合う。

「そうか分かった。成程な」警備員の一人が言う。

「分かってくれたか」

 安堵した忠虎に三つの銃口が向けられる。

「対象は薬物を使用している可能性がある。躊躇うな撃て!」

「私のどこが怪しいのだ!?」

「全てだろうが!」叫びと共に引き金が引かれ、魔法が発動する。放たれるのは氷矢だ。

 一瞬にして忠虎の眉間に氷矢が届く。よし、と拳を握りしめた警備員たちはすぐさまそれがぬか喜びだったことに気づく。

「成程。銃弾自体に魔法式を刻印してあるのか。後は魔力を注ぎ込みつつ、引き金を引くだけで魔法が発動する。素晴らしい技術だ」

 忠虎は眉間に刺さる寸前で氷矢を握りしめていた。握りつぶすと淡い破片となって飛び散る。警備員たちは得体の知れない者を見る目をしていた。一人が叫ぶような声で言った。

「撃てぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 炎、氷、雷。数多の魔法弾が迫る。しかし忠虎には焦りの一つも見られない。なぜなら雨あられに迫る魔法弾が忠虎の周囲で静止していたからだ。

「この魔法弾は私の支配下にある」魔法は特性ごとに五つの系統に分けることができる。変性、変化、放射、実体、そして、「干渉だ。貴様らも習っただろう? では現状を把握できるな?」

 干渉。彼女たちの魔法に直接干渉し、指揮権を奪った。あまりに強大な魔法を操ることはできないが、魔法弾には単純な魔法式しか刻まれていなかった。誰でも扱えるということは、長所でもあり短所でもあるのだ。

「総員退避!!」

「適切な判断だ」

 忠虎が腕を振ると数多の魔法弾が、一斉に向きを変える。警備員たちに放たれたそれらは小気味よい衝突音を響かせ、土煙を舞わせた。しばらくすると視界は回復し、三つ分の気を失った人間が見えてくる。

 逆さまだった忠虎は地に降りる。寝転がる警備員に目をやる。勿論一つとして彼女たちに魔法弾は当てていない。彼女たちの周囲をくり抜くように弾痕が残っている。

 忠虎は扉に向かって走り出す。この先には囚人番号8番と呼ばれる警護対象者がいる。

 扉に手をかけ、ゆっくりと開く。

                   ※※※                  

「音が近づいてきてるぜぇ!」隣から上弦の面白そうな声が聞こえてくる。

 夜白は独居房の中で油断なく構えていた。先ほどから鳴り響いている警報の音もまだ途絶えていない。推測するに賊が監獄に侵入し、なおかつそいつはまだ捕まっていないのだ。

 ウィザード殺しとも呼ばれる絶海の監獄への侵入者。尋常ではない強さのウィザードだということは明らかだ。

 そして侵入者はこの独居房に向かってきている。上弦の牢屋が再び光り輝いているのがその証拠だった。

 侵入者の目的は分からない。けれど警戒するに越したことはない。

 夜白は細く息を吐き、拳を握りしめる。

「アタシは負けない」

 自らを奮い立たせるように夜白は言った。

 ゆっくりと扉が開く。

                   ※※※                  

 独居房へと繋がる扉を開いた忠虎は、真正面の檻に入れられた少女に目を奪われた。

 囚人番号8番。

 そのようなもの覚えておく必要もなかった。一目見ただけで警護すべき人間が分かった。

 並外れて美しい少女だった。けれどその美貌以上に忠虎を惹きつけて止まないのは、内に留めきれず外に溢れ出る多大な魔力だった。

 少女の鋭い瞳がこちらを捉え、さらに細まる。夜夜と瓜二つの顔をしている。四人いると言っていた夜夜の孫の一人だろうか。

 少女が入った牢まで忠虎は歩いていく。鉄格子を間に少女と向かい合う。

「東儀――」忠虎は名を名乗ろうとする。

「敗北者」しかしそれを遮るように、少女が平坦な口調で言った。

「自己紹介の必要はなさそうだな」名乗るよりも的確な紹介に忠虎は苦笑する。どうやら自分のことをよく知っているらしい。

 少女の射抜くような視線が上下し、忠虎を値踏みする。なぜ72年前の軍人がここにいるのか、そんな瑣末事に取り合うことなく、現状把握に務める姿勢は好感が持てた。

「――ッ」

 僅かに、ほんの僅かだったが、腰の国崩しを見た少女の瞳が見開かれた気がした。だがそれも一瞬のことで、錯覚と言ってしまえるほどのものだった。

 敵意から一転。少女が朗らかに笑う。その笑みの奥に裏があることは一目瞭然だった。それでも様になるところは質が悪い。

「申し訳ないわ。今のは失言だったわ」少女が一歩鉄格子から下がる。「迎えでしょう? ここを開けてくれるかしら」

 忠虎が黙したまま国崩しに手をかけると、切断された鉄格子が床を転がる。抜くところすらも見えない高速の抜刀術に、少女の隣の牢にいた女が呻く。

「……ありえねえ」

「『不可は不可也』全ての魔法士にとって基礎の基礎の基礎理論だ」忠虎は当然のように続けた。「無理、不可能、諦めろ。私が一番嫌いな言葉だ」

 少女が苦虫を噛み潰したような顔を見せた。だがこれもまた一瞬のことで、再び笑みを浮かべた少女は牢屋から優雅に進み出る。

「ありがとう――」かと思うと一瞬にして少女の姿は霞のように消え去る。

 超速度による移動だ。魔法士は魔力によって著しく身体能力が向上している。少女は、それによって常人では不可能な高速移動を成し得たのだ。

 要は少女がやっていることは技術的には魔法にも満たないもの。しかし実際には魔法にも至ろうかという域に達している。ここから導き出される答えは。

「異常な程の魔力量か」

「万能の英雄もこの程度ね」忠虎の言葉と同時に、姿を現した少女は国崩しを手にしていた。柔らかな笑みは消え、不敵な表情をしていた。先ほどの嘘くさい顔より、よっぽどしっくり来る表情だった。

「未練がましく蘇った太平洋戦争の亡霊さんには、この大天才の姿は見えなかったようね」

「貴様、名は?」

「……神代夜白」霊装を奪われながらも脳天気に名を尋ねたからだろう。夜白が訝しげに答えた。

「夜夜の孫だな。奴にそっくりだ」

「アタシあんなに性格悪くないから」

 夜白は嫌そうに首を横に振った。けれど忠虎は彼女が夜夜の孫であり、囚人番号8番であり、警護対象者であると確信した。

「貴様の警護をするよう夜夜から言付かっている。今後は命に代えても貴様を守る」

「…………命に代えてもですって?」小さな声で夜白が呟いた気がしたが、聞き取れなかった。

 代わりに忠虎はずっと気になっていたことを尋ねた。

「貴様一体何の罪を犯した?」彼女は油断なく構えながらも答えた。

「〈バベルの図書館〉ってご存知? アレを巡る戦いで、とある村を地図から消したの」

「死者は? 貴様は誰か殺したのか? 他に魔法士はいたのか?」

 忠虎の問いが図星だったのか、夜白はムッとした顔で黙った。少し話しただけだが、彼女は無意味に人を殺すような悪党ではないことは分かる。どちらかと言えば悪餓鬼の類だ。

「〈バベルの図書館〉とは願いを叶える神意級霊装だったな」疑問を紐解くように忠虎は質問を重ねる。「国崩しを狙う理由も同じか。こいつ《・・・》にも願いを叶える特性があるからな」

「こいつ? 国崩しはここよ。そいつでしょ。日本語の使い方間違ってるんじゃない?」

「貴様に言われたくないな」

「……ああ言えばこう言う。アンタウザいわね」

「ここは日本だ。日本語を喋れ。貴様は毛唐か?」

「日本語よ。時代遅れなのはそっちよお爺ちゃん」

 ふとその時警報の音が変わった。これ以上口の減らない悪餓鬼と言い合いをしている場合ではない。

「行くぞ夜白、時間がない。貴様の霊装だ。受け取れ」

 忠虎は腰に差していたもう一振りの霊装を夜白に渡し、扉に向かって歩き出す。

「どうぞご自由に。アタシも自由にさせてもらうから。牢から出られればアンタに用はないわ」

「それと」忠虎は夜白が持つ国崩しを指差す。「国崩しは清廉潔白を是としていてな。貴様のような悪餓鬼が大嫌いなのだ」

 夜白がしっかりと握っていた国崩しの輪郭がぼやける。彼女が困惑している間に、国崩しは忠虎の手に戻ってきた。

「こいつ《・・・》はな」忠虎は意趣返しをする。そのまま夜白を置いて独居房から出ていく。

 忠虎の背中に激しい声が届く。

「こいつ《・・・》はアタシのものよ!」

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