第2話 太平洋戦争の亡霊と囚人番号8番②

                   ※※※                  

 ――2017年5月3日――

「新入りよぉ。いい加減こんな肥溜めにいる理由言えって。折角お隣同士になったんだからよぉ。十三階段死刑登るまでの暇つぶししようぜぇ」

「……ッ」少女は隣から絶えずかけられる女の声に鋭く瞳を尖らせた。

 だがその厳しい表情は彼女の美貌を損なうどころか、より魅力的に見せていた。

 肩より少し長めの髪は青みを感じる程の黒。小さな顔には、長いまつ毛、すっと通った鼻筋、薄い桜色の唇が完璧に配置され、彼女の華麗な容姿を彩っている。

 中でも勝ち気そうな鋭い瞳は、誇り高い龍を思わせる。靭やかに鍛えられた身体を真っ白な囚人服に包んだ少女は、何者にも迎合しない頑なな強さを放っていた。

「死刑ラッシュが続いててよ。随分と人が減っちまって、暇なんだよぉ」

 少女は無視を決め込みたかったが、そうもいかない理由があった。

 ここは〈兄ヶ島〉と呼ばれる東京湾に浮かぶ島だ。公には無人島とされているが、実際は東京都二四番目の区――天防あぼう区に属した監獄島であり、その中心にある建物は最高レベルの監視の下、重大な魔法犯罪者が収容されている監獄であった。

 少女がいるのは、その中でも特別中の特別。死刑を目前にした者が入る独居房だ。横広に牢が連なっており、少女の正面には警備員が出入りする扉がある。有事の際、真っ先に目に入る位置であり、独居房の中でも最も警戒される犯罪者が入る位置だった。

 少女は改めて自らがいる部屋を見回す。無機質なコンクリ壁と冷え冷えとした鉄格子で出来た牢獄だ。窓もなく時間すらも分からない。体感的には恐らく昼過ぎだとは思うが。

「おーぃ」鉄格子を通じ、隣の牢からまた声が聞こえる。

 少女は反射的に腰に手をかけるが、そこに本来あるはずのものはない。

「ウォンドは没収されてるだろ。つーかそもそもウォンドがあったって無理だ無理。〈兄ヶ島〉じゃあ誰も魔法は使えねえ」見透かしたように女が言う。「あんたの牢にもあるだろ、式符がよ」

 少女は牢の天井に貼られた白い札――式符へ視線を向ける。

「その式符にはウォンドの使用を制限する〈霊装阻害〉が記録されてんだよ」

 ウォンドまたの名を霊装とは、ウィザード《魔法士》が扱う武器のことだ。内部には魔法の形状や性質を定める魔法式が記録されており、魔力を吹き込むことで、炎や水と言った魔法が実体化する。式符もまたウォンドの一種である。

 ちなみに性能、伝説、保有魔法式、考古学的価値等により上から〈神意級〉〈古代級〉〈闘武級〉〈数打級〉とクラス分けされている。

「〈ウィザード殺し〉からは鬼も逃げらんねえよ」それは〈兄ヶ島〉の別名だった。

 少女は女の言葉を半ば無視し、自らの太ももに触れる。そこにあったのは隠し持っていた短刀型のウォンドだった。短刀を手に取り、魔力を注ぎ込む。刃は炎を帯びるが、それに対応するように天井の式符が淡く光る。すると短刀が纏う炎はフッと霧散してしまった。

「な? 噂じゃあこの〈霊装阻害〉の魔法ってあの〈終焉の魔女〉が考案したらしいぜ。ヤベえよな!」見透かしたような女の言葉は少女に苛立ちを募らせる。「……口がきけねえのか? それとも猿ぐつわでも噛まされてるんのか? つーことは詠唱でも使うんか、あんた」

 そう言った女の口ぶりは笑い混じりだった。

「笑えよ、あり得ねえって! だろ? 詠唱……ウィザード個人による魔法式の構築は禁止されてる。〈軍用魔法〉なんて誰も使えねえ」

 第二次世界大戦当時、世界各国はこぞって魔法の軍事利用を進めていた。日本においても同じであり、魔法を取り扱う組織である魔法省によってそれは主導された。

 魔法省は陰陽道、神道、仏教。同盟国でもあったイタリア、ドイツが用いた西洋魔法すらも融合させ、日本独自の魔法体系を確固たるものとしたのである。それは、やはり当時の世界各国の情勢と変わらず、より実践的で効果的な魔法であった。

 これを〈軍用魔法〉と呼び、〈軍用魔法〉を発動させるための方法である詠唱は、現在世界的な条約により固く禁じられている。だがそもそも使われなくなった技術は廃れるものだ。大戦期を生きたウィザードが高齢を迎える今の時代、詠唱を使うウィザードなどほとんど残っていなかった。

 対し、ウォンドに記録された魔法式を用いて発動する魔法を、〈現代魔法〉と呼ぶ。

「戦争なんてどんだけ効率的に人を殺すかが目的だ。そんな時代に使われた魔法だ。勿論のこと、〈現代魔法〉よりも機動的かつ柔軟、残忍かつ壮麗、難解かつ――強力な魔法だった……らしいな」

 女の興奮気味な声が続ける。

「それを可能にしたのが〈詠唱〉だ。今だったらウォンドに記憶させてるはずの魔法式を、その場で、即興で、そして強力に組み立てる。スパコン使って組み上げてる魔法式をだぞ? 戦中のウィザードどもは、んなことできてたんだぞ? キチガイだよな!?」

 癪に障る甲高い声で、そこまで一気にまくしたてた女は、一瞬こちらの様子を伺い、からかうような声音で続けた。

「で、あんた詠唱使えんのか?」

「――黙れ」

 少女の静かな、けれど力に満ちた声は、周囲の空気に張り詰めた緊張を与えた。少女の視線が天井の式符を射抜く。

「ウォンドが使えない? ――だからどうした」

 少女が短刀に魔力を注ぐと、当然〈霊装阻害〉が発動し、天井の式符が淡く点滅する。しかし少女が構わず短刀に魔力を注ぎ込むと、魔力の余波で牢全体が小刻みに揺れ動く。いつしか式符は激しく明滅していた。

「おいおい。無駄だ……いや、ちょっと待て。あんた……」

 すでに式符は光りっぱなしだ。式符に刻まれた霊装阻害は未だ発動中だったが、式符が魔法を打ち消す以上に、少女はその膨大な魔力をウォンドに注ぎ込む。ついに、

「式符ごときがアタシを舐めるな」

 ビリッ、と式符の端が小さくちぎれたかと思うと、裂け目は一気に広がり、式符は千々に破れていた。牢から〈霊装阻害〉が消え去ると、遅れて短刀が炎を帯びる。すぐさま放たれた炎が天井を焼き焦がす。偉そうに天井に居座っていた式符は跡形もなく消え去った。

 見えずとも異常に気づいたのだろう。バカでかい笑い声が消える。少女は構わず言った。

「結構。そのままずっと口を閉じてなさい。最高のウィザード様」短刀型ウォンドが粉々に砕けた。どうやら魔力に耐えきれなかったようだ。ウォンドを床に放り投げる。

「〈霊装阻害〉が打ち消す以上の魔力をウォンドに注いで、式符をオーバーロードさせた……? あんたマジでどこの誰だよ」

 女が呻くように言った。

「アタシの名前を聞きたいなら、まず自分から名乗りなさい」

「オレは上弦弓弦だ」少女のよく通る声に、上弦と名乗った女は自然と答えていた。

「ん?」少女はその名に引っかかりを覚えたが、上弦は構わず続けた。

「まあ何して捕まったかって言えば、物取りだな。おっと、それだけで何で独居房にまで繋がれてるかって思っただろ?」

「局部でも出しながら盗みに入ったんでしょ」

「オレは変態か! ったく、ガキのくせにとんだアバズレだな。あんたまだ15、6ってとこだろ?」女が続ける。「続きだけどよ、忍び込んだ場所が……あの〈神代〉なんだよ」

「……そういうこと」少女は納得の声を出すが、上弦は気づかずに続けた。

「ま、ウィザードやってて神代知らねえ奴はいねえわな。まだこの国が神話に片足突っ込んでる時から、核ミサイルで互いを狙い合う時代まで続く名家中の名家。

 神代家の祖、神代夜天は数多の伝説を残したウィザードだ。その後も代々天才的なウィザードが当主を務めてきたけど、現代で最も有名なウィザードって言えば、あの〈神代夜々〉だな。太平洋戦争を生き延び、戦後の日本を支えた大ウィザードだ」

 それまで興奮に高ぶっていた上弦の声に、笑いが混じる。それは嘲笑だった。

「その夜々の孫。弱冠五歳で国家認定魔法士を取得し、14歳で神代家当主をった《・・》あの〈神代夜白〉がいるんだぜ? そりゃ自分の腕を試してみたいって思うのが普通のウィザードだろ? んで、神代屋敷に忍び込んで古代級霊装〈九龍の魂魄〉を盗み出そうとして」

「捕まえた」

「捕まえた? まあそうだよ。捕まったんだよ。神代夜白に。いやぁ、まあ噂通り。『天才』だった。魔法の腕は天下一品だ。このオレが歯も立たなかったんだぜ?」

「当然ね」

「でもって『悪童』だったな。いんや『暴虐姫』か、『破壊王』か。とにかく頭もイカれてたぜ。自分も仲間も関係なく魔法ぶっ放すんだぜ、心底楽しそうに笑いながら。オレもイカレ具合には自信があったんだが、そっちも負けるとはな。あいつは自分しか見てねえ。周りなんかどうだっていいんだ」

 上弦がしみじみと続けた。

「さすがは〈親殺し〉。あんたは神代夜白をどう思うよ?」

「この世で最低最悪のクズ、親の恩知らず、頭のおかしいクソガキ」

「……言い過ぎじゃねえか?」

「この程度じゃ言い足りないわ……」少女は不意に遠くから、強力な魔力が近づいている気配を感じた。

 唐突に黙ったからか、上弦が怪訝そうな声で尋ねてくる。

「おい、次はあんたの番だろ。どうせ時間はあるんだ。話せよ……っておい!」上弦が激しく言った。「あんたがすげえのは分かったから魔法使うなって! こっちの式符までピカピカしてんじゃねえか! 眩しいんだよ!」

 少女は魔法など使っていない。なのに隣の〈霊装阻害〉の式符が光っているという。考えうるのは、この近づいている魔力に反応しているのか。だとすればどれほど強大な魔力なのだ。

 そこまで考えたところで、少女は感づく。この魔力の持ち主に心当たりがあった。

「目が、目が~!」

 隣の牢から眩いばかりの光が漏れ出している。魔力の気配もすぐ近くにまで来ている。

 独居房へ繋がる扉を少女は強く睨みつける。すでにあいつは扉の外にいる。

 扉が開く。光で良く見えないが、人影が一人独居房に入ってきた。

「魔力漏れ出るとか三流以下ね」少女は人影に向かって言う。

「凶悪な死刑囚と会うので、警戒していたんですよ」人影が答えると、隣から漏れ出る光が消える。「これで良いですね」

 人影が姿を表し、上弦が信じられないという声で言った。「……本物じゃねえか」

「失礼しますね」入ってきたのは老女だ。だが、小柄ながらもすっと伸びた背筋と、陽気に笑う姿はそう思わせない若々しさを感じさせる。

 フォーマルなスーツに身を包み、頭の後ろで括られた白髪はきちんと整えられている。齢八十を過ぎているはずだが、化粧をした顔はとてもそうは見えない。六十代と言っても通用しそうだった。

 ただ一つ。腰に佩いた白鞘の大太刀だけが、人の良さそうな老女という印象にアンバランスなものを与えていた。

 年を経て、衰えながらも充分に可愛らしいと言える顔に笑みを浮かべた老女の名は――

「神代夜々!?」上弦が老女の名を叫ぶ。「いや、夜々さん! サインください、サイン!!」

「構いませんよ」夜々は隣の独居房に足を向け、サラサラとペンでサインをする。

「あんたも」満足げな声音の上弦が言う。「あんたももらえって! こんなチャンス二度とねえぞ!」

 夜々の楽しそうな顔がこちらに向く。少女はともすれば振り上げそうになる拳を抑え、夜々に笑いを向けた。引きつった、明らかに無理のある笑顔だった。

 少女は怒りで震えた声で言った。

「お久しぶりです祖母様・・・

 マジかよ……と、隣から声が聞こえた。少女は――神代夜白じんだいやしろは祖母である夜々に向かって、返答の意味を込めて中指を立てた。

 だが夜々はそんなもの気にすることなく、胸ポケットからスマホを取り出す。スマホには彼女が、昔から肌身離さず付けている白く古いお守りが揺れていた。

 夜々は器用にスマホを操作し、出てきた画面を読み上げた。

「『天防新聞 トップニュース

 神代家現当主が事件に関与? 神代夜白を逮捕

 4月24日 埼玉県四ツ木村全焼事件に関わったとして神代夜白容疑者(16)が逮捕されました。警視庁魔法犯罪対策部は、神意級霊装〈バベルの図書館〉を巡る抗争が原因としており。他にも多数のウィザードが事件に関わっている可能性が高いと見て、引き続き捜査する方針です。

 逮捕された神代夜白容疑者は二年前にも、当時神代家当主であった神代夜光に重症を負わせたとして警視庁から取り調べを受けていました』」

 画面からこちらに視線を向けた夜々が笑う。けれどその笑みは先ほどと違い、驚くほどに冷ややかだった。

「反省しましたよね?」

「……あんた四ツ木村の事件に関わってたのかよ。村一つ消すとか外道すぎんだろ」

 だが呻くように言った上弦の言葉も夜白には届いていない。夜白は夜々を見つめる。

三九郎・・・」夜々が呼ぶその名は夜白の幼名だ。すでに16歳となった夜白をそう呼ぶ理由は簡単だった。

 未熟者。そう言っているのだ。

 細く夜白は息を吐く。昔ならばここでキレていた。だがもう自分は大人だ。怒りを見せることが夜々の言葉を肯定してしまう。我慢だ我慢。丁寧に話をしよう。

「アタシの名前は夜白よ。お祖母様。もうおボケになったのかしら?」

 違う。夜白は自分にツッコむ。丁寧に煽れと言ってるわけじゃない。

「早くボケて楽になりたいのだけど、不肖の孫がいてはそうも行かなくて」

 言い終わるより早く夜白は鉄格子を蹴飛ばしていた。鉄格子が歪んだ。

「あら。足が滑っちゃった」

「やはりあなたには三九郎がお似合いですね」夜々が冷笑を浮かべた。「村一つを消し去る大事件を起こして反省の色一つ見えないとは」

 神代夜白が独居房に入れられた理由は、四ツ木村と呼ばれる廃村を破壊し尽くしたことだった。一つの村を地図から消したのだ、死刑を受けるに足る大罪であった。

「死者が出なかったことだけが不幸中の幸いです」

 四ツ木村は元々誰も住んでいなかった廃村だ。

 あそこに人はいなかった。誰もが自らの欲のために、持てる全ての魔法をつぎ込み、刃を交わした。

 人はいなかった。いたのは人ではない。魔法に狂った鬼だけだ。

 夜白もその鬼の一人だった。

 不意に夜々の顔が悲しげに歪む。その表情と共に吐き出される言葉を夜白は知っていた。

「……あなたは夜光のために――」

「アタシは……!」だから夜白は叫ぶように言った。「アタシは古今の全てが記され、あらゆる願いを叶える魔法式が記された神意級霊装〈バベルの図書館〉のために戦ったの。徹頭徹尾自分のため」

 夜白は笑った。自分にできる最も歪な笑いを夜々に見せる。

「アタシは自分さえよければ、誰がどうなったって構わない。知らない。どうでもいい。だってアタシは天才でそれをなせるだけの力がある」

 深く深く深く夜白は息を吸い込んだ。

「お母様のため? ハハッ、笑える。あんな弱い人のためになぜアタシが戦うのよ。あの人はベッドで眠り続けてるのがお似合いよ」

 夜々は何も言わない。構わず夜白は続ける。

「アタシならあの〈終焉の魔女〉――七篠シノですら倒せるわ。はっ、お祖母様の代わりに、アタシがあの戦争を戦ってれば日本は勝ってたに違いないわね」

 七篠シノ。ウィザードにとって、その名は多くの意味を含んでいた。第二次世界大戦から現在に至るまで常に魔法研究の発展に寄与してきた近代魔法の母であり、自身も数多くの勲章を持つトップクラスの魔法の腕を持つウィザードだ。

 だが七篠シノは栄光と同じ数だけ、闇を持つ。第二次世界大戦では当初日本軍に所属しながら、突如としてアメリカに寝返った。七篠シノが日本とアメリカのハーフであるからとも言われているが、未だに裏切った理由ははっきりとしない。そして現在はそのアメリカすらも裏切り、世界各地で起きる紛争を影で操っていると言われている。

 そして目の前の夜々も七篠シノと同等の才能を持っており、戦前は神代家当主が受け継ぐ通字『夜』の文字を二つ戴いた『夜夜』と名乗っていた。七篠シノとも幾多の死闘を繰り広げてきたウィザードだ。

 七篠シノは不世出の大天才で、稀代の悪党。それが世間の評価だろう。けれど夜白は自分の才能が〈終焉の魔女〉に劣っているとは思っていなかった。

 夜白は勢い込んで言った。

「だから早くちょうだいよ。それを。バベルの図書館はダメだった。この世から消えてなくなった」夜々の腰にある大太刀、またの名を古代級霊装――国崩しへ手を伸ばす。「願いを叶える宝刀を」

「渡しませんよ。絶対に、誰にも。国崩しは、あの《・・》のものです」

 遠い目をし、あの人と夜々が言うときは、いつも同じ人間の話だ。夜白にとっては寝物語であり、英雄譚であり、バッドエンドの物語だ。

「またその話? もううんざり。聞き飽きた」

 万能の英雄――東儀忠虎の物語。

 昔は心躍った話だった。九州の片田舎に産まれた何の才能も持たない子どもが、偶然魔法に触れ、軍にスカウトされ、魅力的な仲間と〈第二〇五特殊遊撃小隊〉と呼ばれる最強のチームを組み、立ちはだかる強敵を倒し、万能の英雄とまで呼ばれるウィザードへと成長していく。

 夜々が話してくれた物語。昔は夜毎早く早くとせがんだものだった。けれどある時気づいたのだ。東儀忠虎はヒーローなんかじゃない。

「敗北者の話なんかどうだっていい」

 結局は狂った国のために戦死した盲信者に過ぎないと。

「ふふ」ふと夜々が笑う。

「……何よ?」

「あの人なら、こんなとき何を言うのかと思いまして」

「――死んだ人間は喋らない!!」

 夜白が思いっきり壁を殴ると轟音が響く。脱走防止用に幾重にも魔法式が組まれているはずの独居房の壁が大きくへこんだ。

 溢れんばかりの怒気を隠すことなく夜白は夜々を睨みつける。

「三九郎」

「アタシは夜白よ! 神代夜白! もう子どもじゃない!」

「なるほど」夜々は壁のへこみを見て、もう一度口を開く。「三九郎。受け取りなさい」

 明らかな挑発に夜白は鉄格子を引っつかむ。胸ぐらでも掴んでやろうと前のめりになった鼻先に、何やら一枚の紙を掲げられる。

「六星機女学園入学誓約書?」思わず手に取った紙にはそう書かれていた。だがそれを尋ねるより早く、夜々は背を向けていた。「ちょ、どこ行くわけ!? これどういうこと!?」

 夜々は振り返り、柔らかな笑顔で言った。

「学園に通いなさい」夜々は再び背を見せ、扉に向かって歩きだす。「では私は行きます。魔法省に用事がありますので」

「は? 学園に? このアタシが今更!? 必要ない!」

 扉の前に立った夜々はこちらを見て言った。

「それじゃあ死ぬしかありませんね」そう言って扉を開き、夜々は独居房から去っていく。

 無駄だと分かっていながらも、夜白は声の限り叫ぶ。その大音声は遠い遠い空の果てにも、深い深い海の底にまで届きそうなほどだった。

「ちょっと! ふざけるな! こっち向け! アタシの話を聞けぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

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