第07話 カラの状態

 かくして、八つのツボに分けられるだけの酒を作り終えた。

 スサノオを呼び出し、村人たちと完成品を確認する。


「おお、これは凄い量だ……。匂いも近くに居るだけで酔っ払うんじゃないかと思うほど強い。酒で酒を作るとは、面白いことよ」

「これならオロチだって酔い潰せるんじゃないか!?」

 村人はその出来栄えに期待を寄せる。

「では、早速それぞれのツボに分けますぞ」

「おっと、待て。その前に」

 スサノオが制止する。

「隠し味を入れよう。こいつを入れたら人間だって化物だって虜になること間違いなし」

 そう言ってひょうたんから粘り気のある液体を流し込む。

 黄金色に近い半透明のそれは眺めるだけでも美しく、踊るように酒の中へと注がれていった。

「な、なんですぞ? 毒ですぞ?」

「むしろその逆だ。かき混ぜてっ、と。よし、ちょっと味見してみると良い」

 酌で酒をかき混ぜた後、アシナヅチに酌を渡す。

「ふむむ……。ズズッっとな…………。むむ……。もう一杯……」

 ひと掬いしては飲み干し、再びひと掬い。

 その手は止まること無く何度も酒を口に運ぶ。

「お、おいおい翁よ。一体どうした」

「美味い。美味すぎて手が止まらんですぞ!」

「本当かよ。どれどれ……。ん? んん?」

「なんだこれ、本当に酒か? 甘くて良い香りがするぞ……」

 村人は匂いに誘われ次々と酒を飲んでいく。

 確かに甘ったるい匂いが立ち込める。

 スサノオが入れた隠し味によることは明らかだが、いったいどういうことなのか。

「種も仕掛けもないことをお許しくださいッス」

「いや絶対あるよね。むしろ現場見てたよね」

 訝しんでいるとスサノオがわたし達の方に寄ってくる。

「お前たちは飲まないのか?」

「そういうアナタこそ、飲まないんですか?」

「俺? 俺はそう……ヤマタノオロチを退治するまでは酒はお預けだ。奴を倒した暁には死ぬまでたらふく飲み干してやるさ」

 そう言って豪快に笑う。

 仮面姿も相まって、本当に鬼が笑っているみたいだ。


「ああっ!!」

 誰かの叫び声がして振り返る。

「酒がっ!」

「ツボの底が見えるぞ!」

「くそっ、なんてことだっ!」

 次々に信じられないといった表情を浮かべる。

 いやアンタ達さっきまで美味そうに飲んでたよね?

 口元濡れてるし酒臭いですやん。

「貴醸酒消失事件 ~翁は見ていた~ ッスね」

「事件性は無いね。故意だよ」

「酒に恋しちゃったんスね」

「なぁに言ってやがる、まだまだこんなに残って……あれぇ? 掬えねぇ? なんでだ?」

 すっかり出来上がっていた。

 皆酔いつぶれるまで文字通り酒を浴びるように飲んでいたのだろう。全身から酒の匂いが漂っている。

 本当に酔っぱらったら汗すら酒臭いのか……。

 気をつけよう。

「いったい何を入れたらこんな中毒症状が出るんスかねー?」

「そ、そうだ! スサノオが入れた液体がきっかけでこうなったんだ……」

 慌ててスサノオの方を見る。

 特に悪びれた様子はなく、

「がっはっは、いやあ、やりすぎちまったな」

 豪快に笑っていた。

「隠し味に蜜を入れたんだよ。蜂蜜と干し柿を液体になるまでトロットロに煮詰めたやつがとにかく甘くて美味いと都では評判でな。酒に溶かしたらさぞ美味いだろうとは思っていたが、まさかここまで夢中になるとはねぇ……」

「はえー、それだけッスか」

「この時代に砂糖はないし、甘いものは昔から貴重だったんだ」

「そういえば食べたら死ぬ毒って言われていたけど、正体は砂糖だったって話があったッスね」

「狂言であったねそんな話。元はお坊さんと弟子の説話だけど、太郎冠者次郎冠者の方が有名だね」

「OK、附子ゲットってやつッスね」

「それは流石兄弟」

 時代錯誤のやり取りが一段落した頃、改めて酒の残量を確認する。

 なみなみ入っていた酒がこそげるようにして掬わなければならないほど残り僅かだった。

 試しに杓で掬ってみても、半分入っているかどうかだ。

「……仕方がない、水で薄めてでも酒として用いるよりほかないだろう」

 スサノオが落ち着いた様子で言う。

 結構な戦犯だと思うぞこの人。

 桶から水を汲んでは足し、なんとかツボ八つ分の酒を用意する。

 最初の酒より随分と薄いのは香りからも明らかだ。

「大丈夫か? ほとんど味がしないような気がするけど」

「それはお前たちが酔っているからだ」

 その通り。

 しかし酔っていないわたし達の目にも鼻にも、どう考えてもほぼ水なのは明らかだ。

「よし、これらのツボを並べて柵で区切るのだ。それぞれの頭が同時に酒を飲めるようにして、一気に酔わせる」

 スサノオと村人は着々と準備を進める。

 酔っぱらい集団なので基本ぐだぐだと作業しているためにあまり捗らない。

「あれ、シショーその杓のお酒は戻さなくていいんスか?」

 わたしが手に持ったままの杓を見てマナちゃんが言う。

「ちょっとね。確かめたいことがあるんだ」

 あのスサノオの口ぶりにはどうにも不可解な点が多いのだ。

「あのね――」


 ツボを動かすだけで一日がかりの作業だった。

「ふう、流石に重労働だ。ちと、喉が乾いたな……」

 仮面を伝う汗を拭いながらスサノオが呟く。

「はい、お水どうぞッス」

 すかさずマナちゃんがスサノオに杓を渡す。

「おお、気が利くねぇ。…………ぐっ、ゲホッ! ゲホッ! が、こ、これはっ!」

 一気に酒を飲んだスサノオがむせながら喉を掻き出す。

 その場に倒れ込み、痙攣を起こしたように全身を震わせている。

「な、なんだ! どうした!?」

「アンタいったい何を飲ませたんだ!」

「え? さっき作ったお酒の残りッスよ?」

「おいおい、スサノオ様はもしかしてお酒が駄目なんじゃないのか」

 村人が次々に集まってくる。

 スサノオを囲むように固唾をのんで彼の様子を見守る。

 喉から口元、そして仮面へと爪を立てる両手は上へ上へと向かっていき、仮面の上からキィキィかすれた音を立てだす。

 全身から赤い煙が吹き出し、辺りを立ち込める。

 これは様子がおかしいと思い始めた村人は互いに顔を見合わせる。

「なんか……肌の色が赤黒くなっているような……」

「それに心なしか、膨れていってないか?」

 ひそひそとそんな声が聞こえる中、スサノオの仮面が外れる音がした。

「ぐ……グギャアアアア!!!」

 彼方まで響き渡る咆哮が波紋のように周囲に拡がり、近距離に居たものは衝撃で吹き飛ばされるほどだった。

 一気に煙が巻き上がりスサノオを包んだと思えば、そこから這い出たのは人二人分はあろうかという背丈の、紛うことなき鬼そのものであった。

「ひ、ひえっ!」

「お、鬼だ!」

「鬼、ねぇ……悪鬼羅刹とは呼ばれ慣れたものよ」

 地を震わせるような低い唸り声でスサノオであった鬼が言う。

 ようやく煙が立ち消え、姿を表したのは全身が紅潮した筋骨隆々のやはり鬼であった。

 仮面の一部と思われた角は彼の頭部から生えており、口元には鋭い牙が光っていた。

「お前は……酒呑童子か、もしくは茨木童子だな」

「クックックッ、よくぞ見破ったな。そうとも、我こそが大江山の鬼首領、酒呑童子なぁぁりいぃっ!」

 風圧で周囲を吹き飛ばすほどの大見得を切る。

 くそっ、敵役のくせに思いっきり歌舞いてやがる。

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