第04話 サクリファイスド・プリンセス

 無事に黄泉比良坂を越え、魔法の森を抜けたわたし達の前には開けた景色が広がっていた。

 いや、勝手にそう呼んでいるだけで、あれはただのゆるい上り坂でしかない可能性もあるし、ちょっと陰鬱な森というだけの可能性もある。よく見たらヒナゲシでも咲いていたかもしれないし、へんな生きものでも住んでいるかもしれない。

「橋がかかってるッス。でも下で流れてる川は小さいし、こんな大きな橋が必要なんスかね」

「ああ、干潟になっているのか。きっと雨が降ったら川の水位が上がるから、高いところに橋をかけているんだろうね」

「乾季と雨季があるんスねー。あれ、ここはサバンナッスか?」

「いや、日本だよ」

「ブラジルの人聞こえるッスかー!」

「神話時代にブラジルは存在してないけどね」

「カトゥキナ族の人聞こえるッスかー!」

 この時代に存在しているかよくわからない先住民族の名前を出された。

 これでは何も言い返せない。

「こんな川じゃあ河童も泳げないッスね」

「頭の皿も乾いて割れちゃうね、きっと」

「皿割れたら誰もさらわれないッスね。でも皿割れたら本人がさらわれそうッス、川の流れに飲み込まれて」

 早口言葉かっ……いや、そんな言い難くもないな。

 水にさらされた河童がさらされるだけ……ちょっと言ってみただけとです。


 川沿いを歩いていると、周辺の様子がだんだんと見えてきた。

 それほど豊かな土地ではないのかもしれない。

 背の高い木々と足元に散らばる枯れ草。

 おそらく定期的に洪水が発生して、この辺りは水がすべてを飲み込んでしまうのだろう。

 だから草木は育たないのだ。

「あっちに村があるッス」

 マナちゃんはかなり目が良い。マサイ族もびっくりである。

 まさしく千里眼。もしかして、メタネタを言うのも千里眼の力なのだろうか。

「他にあてもないし、その村に向かって歩こうか」

 遠くに何やら黒い塊のようなものが見える。きっとそれが村なのだろう。

 どうやら川沿いに歩いていけば辿り着けそうなので、そのまま歩みを進める。

 しばらく歩き続けてようやく集落の形が見えてきたところ、川のそばで膝を抱えて泣いている人影が見える。

 まだ幼い子供だろうか。うずくまっているせいかもしれないが、随分と体躯が小さいように思える。

 マナちゃんの顔をちらりと見る。

 鼻息荒く興奮している。

 彼女のセンサーは正確だ。きっと子供に違いない。

「っ、はっ、な、なんでもないッスよ?」

 見られていることに気付いて平静を装う。

 時すでに遅し。

「……話しかけたらマナちゃんが人さらいになりそうで怖いなぁ」

「話しかけなくてもさらっていくッスよ」

 賽の河原の子供すら現世に連れ帰ってきそうな勢いだ。

「うーん、じゃあ、まあ話しかけるか」

 どう転んでもマナちゃんの制止役になることは決まっている。

「話しかけたらきっと『私きれい?』って返されるッスよ。」

「口裂け女かよ」

「そしたらこう言ってやるッス。『わたしマナちゃん。いまあなたのうしろにいるの』」

 どこのB級映画だ。

 ていうかそのネタ続けるんかい。

「これがヤマタノオロチの物語だというのなら、ここに居るのはおそらく『クシイナダヒメ』だろうね」

「確か生贄に捧げられちゃうんスね」

「まあ実際にはスサノオノミコトが助けるから生贄に捧げられなくて済むんだけどさ。スサノオがクシナダを櫛の姿に変えて、それ自分の髪にさすことで力を得てヤマタノオロチを退治したって言われてるんだ」

「クシナダだから櫛ッスか」

「関係あるとも無関係とも言われてる。諸説あるね」

「あっ本当に関係あるかもッスか」

 一応クシナダって櫛名田姫とも書くから関係あるんだろうけど。

 さて、本当にクシナダかどうか確かめよう。


「あのー、クシナダヒメさん、でしょうか?」

 恐る恐る訊ねてみる。

 今まで何度も声をかけて大変な目に遭っている。

 慎重にならなければ。

「…………はい」

 とても小さくか細い声が返ってきた。

 顔を上げた姿は幼さが残りながらも、整っている顔立ちと儚げな表情が相まって非常に大人びてみえる。流れるような長い黒髪は太陽の光と川の水の反射光に照らされてより一層美しさを増している。

 おいおいなんだこの子。天使か。

 ヤバイぞちょっとだけマナちゃんの気持ちがわかってきた自分がいて怖い。

 ロリコン扱いされるかどうかの瀬戸際ギリギリのところだ。いや昔の日本人は齢十五にして元服して大人の仲間入りしていたし、さらに年下の妻を召し取ることもあったと聞くし、これはセーフだろう。

 すげえマナちゃんに毒されている。

 そういえばマナちゃんが静かだなと横を見る。

 あ、気絶してる。

 可愛すぎて昇天してるパターンだ、これ。

 顔の前で手のひらを上下させると正気を取り戻す。

「はっ……! クシナダヒメが可愛すぎて天の原に上ってたッス」

「よく帰ってこれたね」

「んー、とりあえずクシナダヒメは神隠しにあったってことにして良いッスか!?」

「良くないよっ!」

「え? 天の原への行き方はバッチリッスよ?」

「問題はそこじゃないから!」

 なんという純真無垢な顔。

 笑いながら引き金を引けるタイプのヤバイやつだ。


「さて。どーして泣いてるんスか?」

 マナちゃんがクシナダに優しく語りかける。

「私の村にはヤマタノオロチという化物がやってくるのです。そして毎年一人ずつ姉達が食べられていきました。今年はとうとう私の番……。ですが、私が犠牲になることで村のみんなが生き永らえるのならば、喜んで贄となりましょう」

 涙を拭い去り、健気にクシナダが言う。

「そんな悲しそうな泣き顔で言っても説得力ないッス。ヤマタノオロチなんて尻尾掴んでジャイアントスイングで一発ッスよ」

 さも戦って勝利した経験がある風に語るが、ヤマタノオロチと戦った経験など当然無い。どこからくるんだその自信。

「お若いの、あれを侮ってはいけませんぞ」

 いつの間にか背後に老夫婦が立っていた。

「あの化物はそんな簡単に倒せるものではありませんぞ。……おっと、ワシはアシナヅチ、こっちの妻はテナヅチと申します。毎年娘を生贄に捧げることでヤマタノオロチの怒りを沈めてきましたが、もう残すはこのクシナダヒメ一人だけ……。この村ももはやこれまでですぞ」

「おお、私達の可愛い娘よ、おいたわしや……」

 老夫婦までもが話しながら泣き出し、それにつられてクシナダも再び泣き出してしまう。

「こんな可愛い娘を泣かせておくなんてマナちゃんには出来ないッス! オロチだろうがミカヅチだろうがぶっ飛ばしてやるッスよ!」

 何故か無関係の雷神様の命が危ない。

「気持ちはわかるけど、ここでヤマタノオロチを退治するのは――」

「その話、詳しく聞かせてもらおうか」

 わたしの言葉にかぶさるように、野太い声が響き渡る。

 その大きな影に驚き振り向いてみると、声に違わぬ偉丈夫が立っていた。

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