第03話 竈喰いメリー

 わたし達の前には手紙の燃えカスとともに表紙が少し焦げた本が一冊、差し止め判の押された状態で現れた。

「ふぅー、危ないところでした。もう少しで消し炭になるところでしたよ」

「お前……差し止め判の押された本を燃やしていたらとんでもないことだぞ」

「証拠隠滅ッスね」

「『良かった、差し止め判の押された物語なんて存在しなかったんだ』って言って何事もなく過ごすところでしたね」

「君達シャレにならん事になりかけた自覚はあるか?」

 二人共にょろーんという表情をして反省してる風の顔をする。

 スモークチーズでも欲しがりそうな顔だ。

 絶対作らせねーぞ。


「これって、『ヤマタノオロチ』の物語ですね」

 ススを払って本を眺めながらコーハイが言う。

「それってジライヤの宿敵ッスか」

「それはオロチマル」

「九つの首を持つ大蛇ッスね」

「それはヒュドラ……わかってて言ってるよね?」

 ヒュドラはギリシャ神話に登場する怪物で、ヤマタノオロチと同じように一つの胴体に複数の首を持つ大蛇である。そして英雄によって退治される点でも似通っているのだ。

「ヤマタノオロチってスサノオノミコトによって退治されるじゃないですか。その物語がおかしくなってるってことは、ヤマタノオロチが退治されずに暴れ続けてるってことでしょうか。スサノオが登場しないとか?」

「スサノオが登場しない、か。いや、でもこれを見てみろ。『古事記』や『日本書紀』には差し止め判が押されていない。つまり大筋の物語としては進んでいるってことだ。おかしいのはヤマタノオロチの物語だけってことになる」

「そんなことありえるんでしょうかねぇ……」

 コーハイはあまり納得していない様子だ。

 無理もない。ヤマタノオロチといえば神話に登場する化物だ。その物語が正常に機能していないのなら、もっと多くの物語に差し止め判が押されていてもおかしくない。

 この物語にしか差し止め判が押されていないということは、『ティンカー』の影響は極めて小さく、探し出すのが困難なのだ。

「一つの体に八つの頭……どう考えてもUMAッス。懸賞金目当てでみんな必死に捜索中ってことッスね」

「ツチノコじゃないんだから」

「まーなんにせよ、行ってみないことにはわかりませんねぇ」

「そういうのは行くやつが言うセリフだろ。お前行かないくせに」

「では先輩にお譲りします」

「譲られても……」

 こいつ絶対に物語の中には入らないんだよな。

「コーハイちゃんは他に差し止め判の押された物語で関連の有りそうなものがないか探しておきますから、どうぞマナちゃんと二人で頑張ってきてくださいな」

 右手をらひらと動かしながらコーハイがのたまいやがる。

 いつものことではあるが、なんだかなぁ。

「それともマナちゃんと二人は嫌なんですか?」

「えっ、そうなんスか!? 実はシショーは嫌々同行してたッスか!?」

 口を大きく開けて「ガーン」と言いながら沈んだ表情をとる。

「いやいや、そんなことはないよ! ただ最初から行く気のないコーハイが気に食わないだけだ」

「センパイが物語を渡り歩く時は最終回ッスね」

「おっとマナちゃんネタバレはそこまでだ」

 いや、実は何も考えてないのだけど。

 とりあえず回収してもしなくても大丈夫な伏線を貼っておけば、後は勝手に深読みしてくれるだろうという浅はかな考えである。

「はーい、準備できましたよー」

 コーハイはわたし達のことなど意に介さず、黙々と準備を進めていた。


 荘厳な机の上に置かれた本を開くための呪文をコーハイが詠唱する。

「汝のあるべき姿に戻れ!」

 詠唱と言ったな、あれは嘘だ。

 これだけ。

 実はこんな仰々しい儀式必要ないんじゃないかと思っているのだが、当の本人は楽しそうなので無理に止めさせるほどでもなく、そのままにしている。

 本が開かれるとつむじ風が巻き上がり、部屋全体へ渦巻いていく。それはやがて収束し、淡い光の渦となって再び開かれた本の上でゆらゆらと漂っている。

「さてと、それじゃ行こうか」

 準備を終えて、物語の中へ入る―それを渡り歩く、と表現している―ための手はずは整った。

「お土産は蛇酒で良いッスか。ヤマタノオロチの蛇酒なんてきっと超絶濃厚ッスね」

「どろり濃厚オロチ味」

「どう考えても嫌がらせだよね、それ」

 永遠はあるよ、延々と飲み続けるよって話だ。

「くだらないこと言ってないで、もう行くよマナちゃん」

「りょーかいッス」

 こうして、わたし達は英雄譚ならぬ怪物譚へと足を踏み入れた。


 木々は天高く、空を覆い隠して夜か昼かも見分けがつかない。

 湿り気のある土を冷たい風が通り抜ける。わらぐつの上からでもその冷気が伝わってくる。

 わたし達の格好はマナちゃんによりその時代に合わせた衣装へと変化する。彼女のコスプレ力(といって良いのかわからないが)の高さには脱帽だ。

 上下とも麻でできた簡素な衣服で、イメージとしては邪馬台国に居そうな人である。しかし「卑弥呼さまー!」と叫ぶつもりはない。

 ほとんど視界は見えないのだが、ところどころ差し込んでくる光によってなんとか周囲の様子が判断できる程度である。

 幻想的、と言えば聞こえは良いが魔女が出てきそうな不気味な森である。

 どうせなら巫女の居る素敵な楽園にでも行きたいものだ。

「そういえば松明があったッス」

 マナちゃんが布を巻き付けた木の棒にマッチで火をつける。

「マッチの火がついている間だけ、幻想郷が見られるッス」

 残念ながら今のところ幻想入りする予定はないけどね。


 灯りを頼りに緩やかな上り坂を進んでいく。

 遠くが見えないために平面だと思って歩いていたのだが、どうにも体力が持っていかれる。

 わたしが息を切らせて進む道を、呼吸を乱すどころか鼻歌交じりにマナちゃんは歩いていく。これはわたしが虚弱体質の類だからなどではなく、彼女が体力お化けなのだ。

「坂は終わらないし、道は不気味だし、山で遭難した気分だ」

「…………」

 一瞬ピクッと反応して、そのまま何事もなかったように歩き続ける。

 これは多分、あれだ。

 そうなんです、と言おうとしたけどどうせ無視されるのがわかっているから、あえて何も言わない方が良いと判断したのだろう。気を遣わせてしまうのは申し訳ないが、オヤジギャグへの対処法が受け流すくらいしかできないわたしにはどうしようもない。

 しかしこのまま進むのもどうも具合が悪い。

 フラストレーションが溜まってしまっていては後の進行へ影響を与えてしまう。

 ふむ。

「そうなんです、って言っても良いんだよ?」

「そうなんスかっ!?」

「……」

「……」

 この沈黙である。

 これどう返すのが正解なのか未だにわからない。誰か教えてくれ。

 幸いなのは言えば満足するらしく、その後は微妙な空気になっても気にならないらしい。マイペースこの上ない。

「まるで黄泉比良坂ッスね。あの世とこの世の境目みたいッス」

 そんなわけで彼女は全く別の話題を振ってきた。

「日本の神話だから出てきてもおかしくないけど……。嫌だよゾンビみたいなイザナミが追いかけてくるとか」

「それって、イザナギが死者の姿になったイザナミを見ちゃって黄泉の国から逃げ出したってやつッスね」

「神話によく用いられるモチーフの一つで『見るなのタブー』だね。やってはいけないことをやってしまい、相手の怒りを買う。鶴の恩返しとかもその典型だよ」

「押すなよ、絶対に押すなよってことッスね」

「あの伝統芸は神話から続いてる由緒正しきやり取りみたいなもんだからね」

 もはやあのトリオもレジェンドと呼ばれているけれども。

「でも、妻を迎えに死者の国へ向かうなんてロマンチックじゃないッスか。シショーなら最後まで振り返らずに暗闇の淵から連れ出してくれるッスか?」

「ん、それはギリシャ神話の方だね。死んだ妻エウリュディケーを助けにオルフェウスが冥界に行って、出口まで振り返らないことを条件に妻を地上へ連れ出すって話だっけ。見るなと言われたら、そりゃ見ないさ」

「じゃあマナちゃんが冥府魔道に落ちた時はシショーにお願いするッス」

「そんな縁起でもないことを……」

 そんな会話をを続けていると、ようやく長い暗闇の道も終わりがやってきた。

 森の出口は光で溢れている。

「ここで振り返って振り出しッスね」

「絶対振り返らないぞ」

 フリのようだが、それには乗らない。

「『わたしマナちゃん。いまあなたのうしろにいるの』」

「そりゃあ居るだろうね!」


 怪談ならば余韻を残して物語は終わるが、そういうわけにもいかないのだ。

 無事に振り返ること無く森の出口に辿り着き、二人で諸手を上げて喜んだところで今回は終いにしよう。

「もうひとりの見えざる手が……」

「やめてー!」

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