第07話 たこやくしまーけっと
目隠しで京都の交差点に連れてこられて場所を判別できたら一人前、とはよく言ったもので実際にそんなことを行えばどうなるか。
答えは簡単だ。
「……ここは、どこだ……」
わたしは違和感の塊に包まれながら、往来の波を眺めていた。
大小の頭がゆらり揺られて流れ行くさまは満潮と呼ぶべきか引き潮と呼ぶべきか。
干上がるのは信号が赤になった交差点の内側だけだ。
つやのある赤茶色の壁を背に、周囲には待ち合わせと思われる人が老若男女問わず思い思いの時間つぶしを行っている。
アーケード街を右往左往する群衆は四方に移動し、その列は絶え間なく続く。
ぼーっとその様子を眺めていると、慣れない草履の音が静かに近づく。
「お待たせしましたッス」
装い新たにマナちゃんが立っていた。
最初の朱が目立つ派手めな衣装とは違って、上は薄めの色の着物に下は濃い藍色の袴と違った趣きがある。
例えるなら、最初は成人式、今の衣装は卒業式のようなイメージ。
あくまでイメージなだけで、結構背丈の小さな彼女が着るとどちらかというと七五三、とは口にするまい。
「ちゃんとラムネも買ってきたッスよ」
右手の人差し指から薬指で二本のラムネ瓶を挟むようにぶら下げ、片方を左手で取って差し出す。
受け取ったラムネ瓶は程よく冷たく、火照った顔に当てると心地よい。
不安から解放されたことでより一層美味しく感じる。
「それにしても待ち合わせのメッカだけあってすごい人ッスね~」
「あれ、ここがどこかわかるの?」
「そこにでっかい看板があるッス。四条河原町の阪急百貨店じゃないんスか?」
マナちゃんのラムネはいつの間にか空になっていた。空っぽの瓶が指す方を見ると、大きなレリーフに阪急の文字が刻まれていた。
「なるほど、最初は京都市役所辺りからスタートしていたけど、今回は四条河原町がスタート地点なんだな」
出発地点が違ったのだ。
なるほど、違和感の正体はこれか。
言われると何となくどこに向かえば良いかわかってくる。なんとか半人前のメンツは保てた。
落ち着きを取り戻し、ラムネを口に含む。
おや、再び違和感が。
「あれ、これビー玉が入ってない」
「そーなんス。よく見ずに買ったら残念ながら入ってなかったッス。反省ッス!」
口を三角形に尖らせて敬礼のポーズ。彼女なりの反省のポーズである。
「いやいや、反省するほどのことでもないし、むしろビー玉無い方が飲みやすいからありがたいくらいだけど」
「ガーンっ!」
思いっきり言葉に出してショックを伝えてきた。
「ビー玉のないラムネなんて、骨の付いてないフライドチキンッスよ!」
「食べやすいじゃん」
「ハサミで切れ込みの入ってる蟹の足ッスよ!」
「だから食べやすいじゃん」
「えっと、えっと、『よいではないか、よいではないか』『あ~れ~』のできない着物ッスよ!」
「む、それはちょっと残念だな……」
自分で言っておいて何だが、何が残念なんだろう。
「ちなみにこのタイプの着物はそれが不可能ッス!」
「これだから袴タイプの着物はっ!」
残念がってはみたものの、別に残念でもない。
「ラムネのビー玉って、そんなに大事? 風情を感じるくらいのことで実際には無い方が飲みやすいと思うんだけど」
「シショーはラムネを甘く見ているッス。世の中には『ラムネにはビー玉が必要だよ』派と『ビー玉無い方が飲みやすいよ』派と『節子、それドロップやない。ビー玉や』派に大別されるッス」
「ラストのやつは八月半ばに大量に増える派閥だな」
しかもビー玉じゃなくておはじき。
「銃口を口にくわえるとひんやりしてるし、いつ死ぬかもわからないスリルによって血の気が引いて納涼にピッタリッスね」
「それハジキ違い! ってかビー玉じゃなくておはじきってわかってて言ってたよね!」
絶対ロシアンルーレット用のリボルバー式じゃないパターンのやつ。
「でもビー玉がないと宝島も見つからないッスよ」
「丁寧に描けばちゃんと目的地に着くさ」
今のわたし達の目的地はすぐ先の丸善なのだが。
河原町通を三条に向かって北上する。最初の信号を過ぎて、次の信号に差し掛かったとき、再び違和感を覚えた。
一つ前の『檸檬』で訪れたはずの丸善は、この辺りの白い壁のビルの地下にあったはずだ。
それがどこにも丸善の文字は無いし、一階のフロアからも絢爛豪華さは感じられない。
「狸にでも化かされたのか? 丸善がどこにも無いなんて……」
「狸鍋にでもして食べちゃったんスね。人間は恐ろしいッス」
「ええー、冗談抜きで丸善が無い……」
「どっか違う場所で開店してるんじゃないッスか。マルゼンだけに」
ドヤ顔マナちゃん。
得意技はオヤジギャグ。
「うーん、全くわけが分からないぞ……」
「あ、それはネタじゃなくて本気で悩んでるッスね」
困惑していると、いやオヤジギャグに辟易したわけじゃなくて丸善が見当たらないことに対してだと述べておくが、ややあって見覚えのあるくたびれた藍色の着物が通り抜けていった。
「――あ、」
「寝間着の人ッス」
マナちゃん興味ない人の名前はあまり覚えないんだよなあ。
「どこに行くつもりだ!?」
湿っぽい藍の着物を追いかけて来た道を引き返す。最初の交差点で信号が点滅する中、道路を横断して右に曲がる。
そこは歩行者天国の蛸薬師通であった。
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