第06話 無間の地獄です
「おかえりなさいませです。お早いお帰りで」
コーハイのねぎらいの言葉で物語は再開した。
気が付くとわたし達は書斎の扉の前に立っていた。
「え? あれ? 檸檬のお話はどーなったんスか?」
「……物語は終わったんだ。丸善の奥で本が積み上げられていて、その上に置かれていた檸檬が爆発した。それでこの話はおしまい」
「おしまい、ってそんなあっさり終わっちゃっていいんスか?」
まだ混乱状態のマナちゃんの頭にはヒヨコが舞っている。
「終わって良くはないよ、うん」
「センパイはご承知とは思いますが、檸檬の差し止め判はまだ外れていませんよ」
「だろうね、何も解決していないってのはわかってるさ」
無事に書斎に戻ってこられたから良かったものの、これは本来の動きではない。
物語の中から抜け出すとき、本来ならば別の手順が存在する。物語の中に入るといつの間にか手持ちに『白紙の書』があり、それに挟まっている栞を引き抜くことで物語を抜け出すことになる。
栞を抜くことで物語の修復が完了したことを意味していると勝手に解釈している。
「それにしても二人とも、よく戻ってこれましたねぇ。物語が終わってしまったら、本来はその物語の中に取り残されてしまう可能性だってあるのに。無間空間、いわばページの外側とか、物語の外側って場所で永劫の時を刻むという……」
両手を幽霊のように前に垂らし、怪談話を話すようにおどろおどろしくコーハイが言う。
普段からジト目なせいで異様なまでに雰囲気が出る。
「そそそ、そんな恐ろしい場所があったッスか……!」
「そっか、マナちゃんは知らないんだっけ。そう、リオルガーであろうと物語を自由に闊歩できるわけじゃない。正しい手順を踏まないと、本来存在すべきでない物語の中で生き続けることになるのさ」
「その無間空間、ってやつはどんなところなんスか?」
「おそらく何もない無の空間だろう、って言われてる」
「おそらく?」
「無間空間に行って帰ってきたものは居ないし、その存在自体確認されてないからね。死後の世界みたいなものさ。誰も存在を否定も肯定もできないし、証明のしようがない」
「悪魔の証明ってことですね」
「まあ、この話はいいさ。それよりも、檸檬の話に戻ろう」
わたしは差し止め判の消えていない檸檬の本を一瞥した。
「檸檬が爆発して物語は終わった。おそらく、再び物語は巻き戻され、最初から檸檬のストーリーをやり直すことになる」
「しかし、このまま向かっても同じことの繰り返しでしょうねぇ」
コーハイの言葉はもっともだ。
「檸檬が本物の爆弾になっていたとして、それをすり替えたら問題は解決するのか?」
「檸檬を置く描写が存在している以上、本の上に檸檬を置く行為は必須でしょうね。しかし爆弾に置き換わっているのは、誰かがすり替えているのか、作者本人が爆弾を置いているのかは不明ですね」
コーハイが珍しくまともな推理をしている。
なんかムカつく。
「はっ!? センパイからの視線が心地良くなってきました!」
敏感すぎるだろ。
続けて、どうぞ。
「そういえばセンパイ達は檸檬を置く瞬間は見てないってことですよね」
「そうだな。建物の中に梶井基次郎っぽい男が入っていくのは確認したが、それからは出会ってないな。施設内は地下だったし、広かったし」
「……地下? 広い? センパイ何を言ってるんですか?」
コーハイから不審な眼差しを向けられてしまった。
一生の不覚。
「とりあえず、檸檬でも爆弾でも、先回りしちゃえば良いってことじゃないッスか?」
「なるほど、それだっ!」
名推理とばかりにマナちゃんを指差す。
「さっき一度丸善の場所は確認しているし、先回りして檸檬が置かれるであろう場所も大体分かる。今度こそティンカーの原因を突き止めてやる」
右手で握りこぶしを作り、静かに闘志を燃やす。
その後方でひそひそと二人が会話していた。
「マナちゃん、センパイがさっき言ってた地下とか広いとか、もしかしてお店の場所間違えてない?」
「え? そんなことはなかったと思うッスけど……。確かに建物にはマルゼンって書いてあったッス。焼肉屋かと期待したのにただの本屋でがっかりしたッス」
「世間一般的には書店のほうが有名かなー。うーん、センパイが間違えるとも思えないし、でも、ちょっとおかしいような――」
会話内容は聞き取れなかったが、コーハイが相変わらず不思議そうにこちらを見つめる。
何か思うところがあるのだろうが、確信には至っていないようだ。
それを問いただすより、再び檸檬の中に入って丸善に向かった方が早いだろう。
「よし、もう一度檸檬の中に向かうぞ。檸檬は――さっき買った分があるから大丈夫だな」
袖にしまった檸檬を確認して、再び檸檬の表紙をめくる。
二人の爆弾処理班がもう一度丸善を救いに行くお話をはじめよう。
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