第07話 さよならシショー

「すごーい。大規模農場ッスねえ……」

 眼前に広がる光景は区画ごとに様々な植物が育てられている巨大な農場そのものだった。とても個人が管理しているとは思えないほどの巨大な畑には芋のつるのようなものが伸びている箇所もあれば、ひまわりのように大きな花をつけた食用ではないものまで育てられている。麦の穂のようなものまである。

 周辺は途中までは木で覆われているのだが、その先は緑一面の草原のような景色が広がっている。いずれにしても、少し前まで荒野が広がっていたとは思えないような光景だ。

「ここなら『ライ麦畑でつかまえて』ごっこが出来そうッスね!」

「え、なにそれ」

 初耳なんですけど。それってただの鬼ごっこってことで良いんだろうか。

「ほらほらー、シショーはやくー」

 いつの間にかマナちゃんは麦畑の中に入っていた。厚底サンダルを履いているとはいえ、そのまま埋もれて見えなくなってしまいそうだ。

 追いかけて麦畑の中に足を踏み入れる。

 すると何かに気づいたようにマナちゃんが振り返る。

「あ、シショー。麦畑に入ってる間はちゃんと『キャッチャー・イン・ザ・ライ』って言い続けながら追いかけないと捕まえたことにならないッスよ」

「どんなスポーツだよこれ!」

 絶対噛むわ。

 そもそも鬼ごっこなら『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』の方が正しいんじゃないか。それにしたって鬼側がこれを言うのはおかしいけどな!

 あれ?

 キャッチャーインザライキャッチャンザライキャチャザライキャバライカバディ……。

 もしかして、これがカバディ誕生の瞬間……?

 まあここはカバディ発祥の地インドでもないし、そもそもカバディの起源は西暦五百年頃にまで遡るので年代が合わない、そしてカバディという言葉は当然英語でもないので見当違いも甚だしい。

 もちろん本気で考えていたわけではない。

 そんなどうでも良いことに思いを馳せていると、再びマナちゃんの叫び声が頭を現実に引き戻す。

「シショー、人が倒れてるッスー!」

 声のする方に駆け寄ると、小柄な女性がうつ伏せに倒れている。直ぐ側に水差しが転がっている様子から見て、畑の持ち主か世話役だろう。

「大丈夫ですか!?」

 肩を揺さぶり、意識があるかを確認する。

 するとかすかにうめき声のようなものが聞こえる。

「良かった、意識はあるみたいだな」

 ほっと胸をなでおろす。

 しかしよく聞いてみると、うめき声はすすり泣く声のようにも思えた。

「なんか、泣いてるみたいッス」

「あの、本当に大丈――」

 再び肩に手をかけようと手を伸ばした途端、その手はぐいっと肩に乗ったまま持ち上がり、うつ伏せの少女が体を起こした。顔はうつむいたままでよく見えない。

「……ふ」

「ふ?」

「ふえええぇぇんん!!」

「だっ!?」

 彼女はけたたましい泣き声を上げるとともにわたしの胸に飛び込んできた。

 助走もなくノールックで地面と平行に飛び掛かってきたその勢いにわたしもバランスを崩し、背中から倒れ込む。小柄ではあったが、こんな予期せぬ動きをされたら誰だってこうなるだろう。決してわたしが非力であったり運動神経が鈍いわけではないことを述べておく。

「なるほど、そういうやり方もあるンスねぇ……」

「感心してないで助けてくれっ!」

「はーい、りょーかいッス。シショーの独り占めは駄目ッスよ」

 マナちゃんがひょいと彼女を持ち上げる。そんなに二人の背丈は変わらないと思うのだが、やけにマナちゃんが心強く思えた。

 彼女はまるでつまみ上げられた猫のような扱いに状況が理解できず、思わず泣きやんでしまった。

「はい」

 そのままゆっくり彼女を下ろす。

 わたしを押し倒した女性は涙で滲んだ瞳のままじっとわたしの顔を見ていたが、やがて冷静になり、再び涙を浮かべて大声を上げる。

「うわあああぁぁぁん! ごめんなさぁいぃぃ!」

 再び全力タックルがわたしを襲う!

 高ぶった感情の鎮め方がタックルしか無いのかこの娘は。

 そのまま倒れ込み、馬乗りの格好になる。しかし今度はすぐに冷静さを取り戻したのか、わたしの方をキョトンとした表情でじっと見下ろす。そして、無表情から一変、再び目に涙を浮かべて大声を上げる。

「ああああっ、私ったら何てことを! こんな見ず知らずの人にっ! いきなり飛びついたりしてっ!」

 馬乗りのまま上半身だけをガクガクと前後に揺さぶられて、わたしの三半規管も機能停止した。そのまま思考も停止して、漫画的な表現をするならわたしは泡を吹いて倒れ込んだ。その様子を見てさらに我を失い、何か叫びながらわたしを大きく揺さぶるのだがその声はすでにわたしには届いていない。

「もう、……だ、メ……」

「シショー!!」

 昇天。わたしの物語はここで終わってしまいました。

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