夜話

 幾つもの星が瞬く空の下、戒里は車という妙な箱に乗り込んで移動する一翔達を屋根から静観して、ふっと息を吐いた。ため息でも安堵からでもないその行為に、そばにいた者らが首を傾げる。

 「どうしたんだ? 疲れたか?」

 「もしかして物思いにふけっているのかい?」

 背中に黒い羽を生やした男は胡座あぐらをかきながら、獣耳と尻尾を持つ女は佇みながら、それぞれ考えを口に出す。

 「いやァ、そういうわけじゃねェんだけどよォ……」

 同じく胡座をかきながら、戒里は言葉を濁した。そして何と言えばいいのか分からないこの気持ちをどう伝えようかと、控えめに頭をき、悩む。

 そんな戒里の腕には、白い包帯が施されていた。着物——一翔からは和服と言われる——の裾からちらりと垣間見える形で、部分的に赤く滲むそれは、紛れもない戒里自身の血であった。怪我をしてから随分と経つが、未だに傷は癒えていない。

 「そう言えば、"あれ"はどこで拾ったんだい? あの空間移動が可能な道具。戒里のものではないと言っていたよね」

 まるでたった今思い出したかのように、女は思考を巡らす戒里に声をかけた。男も「その話は確かにまだ聞いていなかったな」と頷く。

 「あァ、あれか。……封印が解けたお陰であちこち動けるようになって、とりあえず周りの事を把握しようと適当に彷徨さまよってたら、地面に転がってたんだよ。あの時はいまいち場所を表す言葉が分からなかったから、コンクリートの地面だったことしか覚えてねェんだけど」

 戒里はかつて、名もなき村人と結託した陰陽師に出し抜かれ、最愛の人間をうしなった哀しみの隙を突かれたことで呆気なく封印されてしまったのだ。だがもうその出来事は遠い遠い過去の話で、現代という今、やっと封印が解かれて自由の身になった。それは今談話してる二人のお陰でもある。

 無論のこと、封印から目覚めた戒里は世間の変わりように思わず慄いた。道行く人々の衣服も食事も大幅に変わり、住居でさえ大きな変貌を遂げていたのだ。何百年も前に生活していた戒里にとって、驚くなという方が無茶である。

 「……そうかい」

 当時の戒里の様子を察してか、女は納得の意を示した。

 「危険な物でないならオレも口出ししないが……盗んだことにならないか?」

 男は話を聞いて感じた不安を声にする。

 「よかったら個人的に調べておくぞ。元々の持ち主はいるだろうし、空間移動が出来る道具は貴重だからな。もしかしたら名のあるあやかしの私物かもしれない」

 男の提案を有難く思い、戒里は素直に礼を述べた。

 不意にふわりと夜風に煽られ、髪が揺れた。洞窟に封印されていたこともあり、外にいる感覚に懐かしさを感じて、柄にもなく感傷に浸る。

 …………懐かしい……?

 はっとし、思わず声を漏らした。先刻せんこく抱いた何とも言えぬ気持ちを、今なら言葉に出来そうなのだ。

 またしても首を傾げる二人に、戒里は無邪気な笑みを見せる。

 「人間とまた話すことができるって、こんなに嬉しいんだなァ。……もう懲り懲りだって思ってたのに、一翔達と話してると、どうしても思い出しちまうんだ」

 妖である自分と目が合う。言葉を交わすことが出来る。触れることだって出来る。一度だけ戒里が愛した一人の女性は、自分を突き放さず受け入れてくれた、心優しき人の子であった。

 ——その尊い命を、オレが。

 何度も何度も罪悪感で自分を責めた。だからもうそんな思いをしなくて済むように、もう二度と傷付けないように、人間との関わりを全て絶とうとした。……しかしそれさえも胸が苦しくなり、結局出来なかった。何故なら、戒里が彼女を愛していたように、彼女もまた戒里を愛していたから。その事実を否定するのは、自分にはどうしたって出来るはずがなかった。

 いつの間にか目を閉じて過去の想いを辿っていた戒里は、俯き気味の顔を上げた。

 「……妖が人間と互いに伝えたいことを伝えられるってすごいもんだよなァ。昔じゃあり得なかったぜ」

 だから自分の現状に感心したのだと戒里は言う。その言葉に男と女は顔を見合わせて、ふっと笑った。

 「お前、丸くなったな。彼女と会う前は人間嫌いだったんだがな。まさか今じゃあ、人間に情を抱くなんて、あの頃は想像もつかないだろう」

 「そうだねえ。今は人間を嫌うどころか好ましく思ってるんだから、成長だ」

 戒里が辛気臭い話は苦手な方だと知っている二人は、そうやって揶揄からかいの色を混ぜた声音で場を明るくしようと目論む。そして案の定引っかかった言い方をする二人に反応して、戒里は「何だよ」とぶっきら棒に呟いた。

だがその顔は穏やかで、戒里もその目論みに気付いていることを暗に示していた。

 その時、屋根の下から声が聞こえた。視線をやると、そこにはこの家に住む人の子が二人。どうやら一翔と父親が帰ってきたようだ。

 話は終わりだと言わんばかりに立ち上がった戒里に続き、男は黒い羽を広げて屋根から足を離した。同時に、女は人の形から美しい狐に姿形を変える。

 「またな、戒里。オレは夜間の警備が残っているからな。天狗様に怒られないよう、もうおいとまする」

 「烏天狗ってのも大変だなァ。気をつけろよォ、夜雨よさめ。また」

 「ああ」

 微笑んで、男はそのまま空高く飛び去った。

 「あたしも行くかねえ。……ああ、そうだった」

 動き出そうとする体を止めて、女が声を上げる。一体どうしたのかと続く言葉を待っていると、狐姿の女の目が警戒するように細くなる。

 「気をつけな。今日、妙な気配があった。戒里はまだ力が完全じゃないから気配には気付けなかったと思うけど、恐らく夜雨は気付いているだろうね」

 一旦言葉を切り、もう一度口を開く。

 「奴らの計画は着々と進められている。止めるにしても、未だに何処を拠点としているのか掴めていなくてね。あと少しで尻尾が掴めそうだから、それまで待っていてほしい。——必ず、見つけ出すから」

 それだけ、と言い残し、美しい狐は屋根を伝って一際暗い闇に紛れていった。



 今でも夢に見る。この手で彼女を殺めてしまった罪悪感と後悔、哀しみが交差し、鮮明に夢の中で過去の出来事が繰り返されるさまを。そしてその度に目が覚めると涙が頬を流れているものだから、今日その顔を一翔に見られて羞恥心が爆発しそうだった。



 戒里は知らず強く握り締めていた手を緩める。鋭い爪が食い込んだ皮膚からは、力なく流れる赤い液体。それがやけに鼻についた。



 彼女を喪った根本たるものは、当時村である病が流行ったからだ。どうしてか戒里のせいにされたその病は、戒里とは全く無関係の妖が弱った人の心につけ込んで生まれたもの。

 やがて永き時が経ち、その妖が三年前、この辺りで姿を現して小さき子供を襲ったという。

 それを知った戒里は復讐に似た気持ちでその妖を捕らえようと、三年前襲われたとされる人の子の元へ転がり込んだ。手伝いをしてほしいと称して、その妖の狙いである子供を守り、返り討ちにするために。



 ——月森一翔。

 それが、三年前に襲われ、今もなお狙われ続けている人の子の名前だった。

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