第2章 開かずの扉

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 キミは来年の春に死ぬ。



 一ヶ月ほど前、突然そう言われた。相手は死神だという、銀髪のスーツ姿の男。

 来年の春に死ぬと言われても、実感が湧かない。けれど、それは決まってることらしいから、私はその言葉を受け入れることにした。

 それから一緒に過ごすことになった死神さんとの生活は、思ったより何も変わらなくて、死神さんも時々出掛けると言ってどこかに行く程度で、それ以外は何も変わりない。そんな日々を過ごし、一ヶ月ほどが経ってしまったのだ。

 そして今、私は学校で理科の先生の手伝いをしていた。正直言ってすごく面倒くさい。

 「ありがとう。やっぱり頼りになるね、雨水は」

 「いえ、これくらいのことは全然余裕ですので」

 余裕といえば余裕だ。ただ面倒くさいだけ。

 でもこれは仕方ないことだ。同じ一組のクラスのみんなが、私が理科の先生の手伝いをするのが適任だ、とか言ったらしく、その時は面倒ごとを押し付けられたような気がして腹が立ったが、みんな悪気はなかったらしい。らしい、しか言えないのはその言葉が本心なのか分からないからだ。

 六月下旬に新しい先生が二人来て、一人は今一緒にいる、宮原里緒みやはらりおという女の先生。理科の先生で、学校内では美人だと人気。私のクラスの先生も美人だと言っていた。私もそう思う。

 もう一人は夜野やのおさむという、保健室の先生で、男。こちらはこっちでイケメンだと人気に。それも、女子からだけじゃなく、男子までもがかっこいいと言うくらい。

 宮原先生は性格がサバサバしていると私は思ってる。例えば、名前。男女関係なく、宮原先生は苗字を呼び捨てにする。さっき私のことを『雨水』と呼んだのもそれが関係してるから。

 「そういえばさ、雨水。この学校に"開かずの扉"っていう七不思議があるって本当?」

 「はい。他にもいろいろありますよ。でも私はそこまで詳しくないです」

 「そうか。あたしは開かずの扉がどの場所にあるのか気になったんだが……、詳しくないんなら仕方ないね」

 「すみません」

 「いいよ、謝らなくて。別に責めてるわけじゃないさ。——さ、教室に戻りな。もうすぐで予鈴が鳴るよ」

 「はい」

 理科室を出て行く前に軽く会釈し、廊下に出た。

 宮原先生は嫌いじゃないが、だんだんいい子を演じるのが疲れてきた。早く家に帰りたい。嬉しいことに、あと一時間すれば帰れる。六時間目のあとに掃除、それが終わればまた、私だけがいる教室で愚痴れる。他のクラスの人が帰るのも確認しないといけないが。

 そういえば宮原先生は何故、この学校の七不思議の一つ、『開かずの扉』が気になったのだろう? それに前にもどこかで聞かれたような……。あ、思い出した。保健室行った時に夜野先生に聞かれたんだ。七不思議が気になるなら、わざわざ開かずの扉だけを聞いたりなんかしないよな。……考えてもわかんないや。

 そうこう考えてるうちに教室に着いた。

 一組はわりと静かな方だが、協力して何かをする時の団結力はすごい。

 手伝いどうだった? と聞いてくるクラスメイトに適当に返事をし、自分の席に着く。その時丁度、予鈴が鳴った。



 「今日、遊べる人〜!」「俺遊べるよ」「僕は塾があるから」

 そんな声が飛び交い、みんな次々と教室から出て行く。それを見て私は、やっと愚痴れる! と、思っていたんだが……。

 「あ〜、こりゃ二組と三組のとこは、まだ全員帰ってないね」

 「死神さん、今日はどこにいたんですか?」

 通常より少し声を小さくして聞く。

 朝一緒に学校に来たというのに、いつも死神さんはどこかに行く。理由は教えてくれない。どこに行っていたのかと聞いても、いつも誤魔化される。

 死神さんと初めて会った日の夜、死神さんは誰かと話したあと、出掛けると言ってどこに行くのかも言わずに出て行った。でも次の日、死神さんは何もなかったように、私の家の前に立っていた。その時もどこに行っていたのかさりげなく聞いたが、答えてはくれなかった。

 「それより、今日ここで愚痴るのは無理じゃない? 人がいると愚痴れないでしょ」

 ほら、また誤魔化された。

 「……まあ、そうですね。今日は諦めます」

 「そっか」

 荷物、というか、ランドセルを背負い、教室のドアを開けた。廊下に出たら、何故かクラスが違う男子に「ちょっといい?」と呼び止められた。

 思わず死神さんがいる方に目を向けたが、そこに死神さんはいなかった。

 えぇえ……、死神さんどこ行ったんだよ。

 「あのさ、七不思議とかに、興味ある?」

 「は?」

 え、急に何。七不思議に興味? 別にないけど。あ、でも、宮原先生と夜野先生が聞いてきた"開かずの扉"についてはちょっと知りたいかもしれない。

 「……やっぱり興味ないよなぁ。……僕もないし」

 ボソッと聞こえないように呟いたつもりだろうけど、思いっきり聞こえた。

 「興味あるよ」

 一応嘘は言ってない。宮原先生と夜野先生のいう『開かずの扉』に少し興味がわいたから。理由としては、まあまあ成り立つだろう。

 で、それがどうしたんだろう?


   ☆ ☆ ☆


 「興味あるよ」

 一瞬、耳を疑った。七不思議に興味があるか、と聞いたら「は?」と言われたから、興味ないと言われて帰られるかと思ってたんだが……良かったな。これであいつに色々言われることもないだろ。

 僕が呼び止めた女子は、確か雨水という名前だったと思う。僕のクラス、三組は噂が好きだ。六月下旬に新任教師が入ってきて、その一人の宮原里緒先生の手伝いを押し付けられた、とか、宮原先生に贔屓されてる、とか、最近のいい加減な噂の中心にいる人物が、"雨水"という名前の女子だったと稲葉春樹から聞いた。ちなみにその噂を作ったのは三組だそうだ。僕も三組なのに全然知らなかった。大方、宮原先生と話せるのが羨ましいんだろう。

 それでなんで僕がこんなことをしているのか。事の発端は、稲葉だ。稲葉とはまあまあ仲がいいと思ってるが、あいつがどう思ってるかは知らない。

 稲葉は昼休みに突然、「七不思議について調べようぜ! いろんな人呼んで」と、僕に拒否権なしの提案をしてきた。

 何度も断る言葉を稲葉に言ったのだが、稲葉は全く聞く耳を持たず、放課後には僕が一緒に七不思議を調べるということになっていた。

 こうなったらもう付き合うしかないということを、僕は知っている。これで拗ねられたら、ものすごく面倒なんだ。

 それで、稲葉の「いろんな人呼んで」は、三組の人じゃなかったらしい。二組と一組で放課後、まだ残ってる人に、「七不思議に興味ないか」と聞いて、興味あると言われたら三組に連れてくる。それが稲葉の言ったことだった。

 とまあ、こういう事情で、僕は一組に残ってる人に「七不思議に興味ある?」と聞きに来たんだが、目の前にいる女子しか残っていなかったようだ。

 「じゃあ、ちょっと三組に来てくれないか?」

 「いいよ。その前に名前聞いていい?」

 「ああ、僕は月森一翔だよ」

 「私は雨水沙夜」

 僕らは無言のまま三組の教室に向かう。


   * * *


 悪魔——ルカと逢って一ヶ月くらいか。

 今ルカは俺のすぐそばにいる。最初は慣れない感じだったが、一ヶ月くらい経てば慣れないものも慣れるだろう。けれど時々、何かに反応しているみたいに、姿を消すことが増えた。

 変わった事と言えば、その事と、ルカの髪型。一緒に過ごしているうちに、ルカ自身が自分の髪が長いことを気にしているようだと気付いた。正直俺も見ていて暑くなりそうだったから、「髪の毛結ばないのか?」と聞いた。ルカはその手があった、というように一瞬で髪を一つに結び、そして俺にお礼を言った。

 髪を結ぶってことに、今まで気付かなかったのか。そう思ったのを今でも覚えている。

 なんてことを思い返していると、後ろから話しかけられた。

 「波瑠さん、今日は両親が帰ってこない日だと、言ってましたよね」

 「ああ、言ったな。明日も帰ってこない」

 「なら帰りますか? それともまだ学校に用事があるとか……」

 「いや、もう帰るよ。特に用事はないからな」

 「そうですか!」

 さっきからルカの様子がおかしい。何かを警戒しているみたいに周りを見渡しては、俺に帰ることを勧めてくる。

 まあ、学校に用事があるわけじゃないし、人が少なく、外も騒がしくない今のうちに帰るか。

 とその時。俺とルカ以外誰もいない二組の教室に、誰かが「お邪魔しま〜す」と入ってきた。

 誰が来たのかを確認するために振り向くと、知ってる顔の男子が、そこに立っていた。

 「俺のこと、覚えてる?」

 不安気に俺を見るその男子の名前は、稲葉春樹という。もう居ない俺の双子の兄、"流風"兄さんの友達だった人だ。よく家にも遊びに来ていた。あの頃はまだ、母さんも父さんも優しかったな……兄さん贔屓はしていたが。

 「覚えてるよ」

 「そうか! 良かった。ところで今日用事ある?」

 「……別にない」

 「な、ならさ! 俺に付き合ってくれねーか!」

 「どこに?」

 「七不思議について調べようと思って……」

 七不思議。この学校にもそんなのあったのか。

 「誰ですか、この子?」

 ああ、ルカは知らなかったな、と言って切り出せないからもどかしい。稲葉がいる限りルカとは話せないな。

 「はる……佐々木さんは七不思議に、興味ある?」

 「七不思議って何があるんだ。あと、七不思議について調べるって、子供だけじゃ無理じゃないのか?」

 「あ、そのことなら大丈夫だぜ。七不思議に何があるのかってことも、協力してくれる大人もいるし」

 協力してくれる大人って誰だよ。

 「それならいいけど……」

 「え、いいんですか? てっきり断るかと……」

 断ろうとも思ったよ。思ったけどさ、兄さんの友達だった人なんだ。兄さんの友達なら、別にいいかと思って。それに俺だけじゃないだろ、誘ってるのは。——とルカに伝えたい……っ。

 「よっしゃ! じゃ、一緒についてきてくんね」

 「ああ、分かった」

 稲葉は俺に背を向け、二組の教室を出る。それに続いて、俺も廊下に足を運ぶ。

 「波瑠さん、私はあとからついて行きます」

 何かあるのかと聞きたかったが、今は聞けないのでその言葉に頷くと、ルカはあっという間に姿を消した。


   ☆ ☆ ☆


 三組の教室で稲葉を待つこと数分。

 雨水とは話すことも特にないから、無言を貫くしかない。



 一ヶ月くらい前に妖怪の戒里と出逢って、戒里の力を回復するための手伝いをすることになったのだが、まだ一度も手伝いをした記憶がない。

 僕の部屋でくつろぐ姿は見るが、学校に来るといつもどこかに消える。瞬間移動みたいなことができる便利なモノを使っているから、僕もいつ戻ってくるのか分からない。

 まあ、戒里のことは気になるが、また何をしていたのか聞けばいいだろう。答えてはくれないかもしれないが。

 それに僕は、他にも気になることがある。

 雨水の手首にある、金属で作られたような腕輪。前に雨水と廊下ですれ違った時も腕輪をしていたから、不思議に思ってたんだ。稲葉に聞いても、雨水は腕輪をしていないというし、周りには見えないらしい。ということは、僕と同じ、見える側の人間だという可能性がある。それか、普通の人間では見えない"何か"に、知らぬ間につけられたか。

 とにかくそれが気になるんだ。けどそれを聞くと、見える側の人間だった場合は想像がつかないが、見えない場合は、僕が変な目で見られるだけだ。それは嫌だから、聞くに聞けない。

 「一翔〜、二組の人連れてきたぞ!」

 あ、稲葉が戻ってきた。稲葉の後ろにいるのは……女子、か? 意外だな。稲葉なら男子を連れてくるかと思ったのに。

 「あれ、そっちも女子だったのか。男子は?」

 「いなかった。みんな帰るの早すぎ」

 そっちも? と稲葉が聞くので、僕は頷く。

 「そっかあ、なら六人だけか」

 「六人?」

 教室にいるのは僕と稲葉、雨水と稲葉が連れてきた女子だけだぞ。六人もいない。

 「あとからついてきて貰う先生が二人いんの! もう事前に頼んどいたから」

 それ、人が集まらなかったらどうするつもりだったんだ。

 「そっちにいるのは雨水、だよな。俺が連れてきたのは、」

 「佐々木波瑠。何するかイマイチ分からないが、よろしく」

 稲葉の言葉を遮って名前を教えてくれた女子——もとい、佐々木。

 「私は雨水沙夜。よろしくね」

 「僕は月森一翔」

 「俺は稲葉春樹! みんなに集まってもらったのは、七不思議について調べようと思ったからだ。とりあえず、この学校の七不思議を知ってる人っている?」

 「「「……」」」

 雨水と佐々木も、七不思議に詳しくはないようだ。

 「え、一翔は知ってると思ったんだけど。ま、知らないなら今から覚えてもらうだけだな」

 知らないぞ、七不思議なんて。強引に稲葉が誘っただけで、僕は七不思議を知ってるとは一言も言ってない。

 「えーまず——あ、一翔、メモしといて」

 ……そうくるかなとは思ったけど、本当にそうくるとは。ため息をついて小さいメモ帳と鉛筆を取り出す。

 「まず一つ目。夜の更衣室に謎の赤い手形。二つ目、プールで死んだ子の怨念。三つ目、首なしバスケットボールプレイヤー。四つ目、保健室から聞こえる子供の泣き声で、五つ目は一段多い階段。六つ目が開かずの扉、七つ目は七不思議の『七つ目』を知ると不幸になる、とかなんとか。まあ、こんなもんかな」

 稲葉が言ったことをメモ帳に箇条書きする。


 ・夜の更衣室に謎の赤い手形

 ・プールで死んだ子の怨念

 ・首なしバスケットボールプレイヤー

 ・保健室から聞こえる子供の泣き声

 ・一段多い階段

 ・開かずの扉

 ・七不思議の「七つ目」を知ると不幸になる(とかなんとか)


 七不思議に定番の『トイレの花子さん』と『動く人体模型』とかはないんだな。

 「開かずの扉っていうのは聞いたことあるよ」

 それを言った後に、雨水は内容は知らないけど、と付け加える。

 「俺は何も知らなかったな」

 佐々木は自分のことを『俺』というらしい。

 佐々木ってどこかで聞いた名前だと思って、今やっと思い出した。交通事故で死んだ、稲葉の友達だった佐々木流風の双子の妹。きっと双子の兄が死んだことで精神的ダメージがあるはずだ。それなのに学校では何事もなかったように過ごせるなんて、もうすごいとしか言えない。僕は弟が死んだら一ヶ月以上はふさぎ込むと思う。

 「一翔は?」

 「え? あーそうだな……この夜の更衣室のやつとかプールのやつ、これって調べるなんて出来ないんじゃないのか?」

 「あ、それ思った。夜に学校に入るとかも無理だし、調べられないんじゃない? って」

 「だよな、俺も思った。それも調べるのか?」

 「いや、それは調べない。無理そうなのはやめといた方がいいだろ。一応二人先生がいるけど、調べるのは『一段多い階段』と『開かずの扉』、これくらいだな」

 少ないな。

 「七不思議っていうわりには、七つのうち二つだけしか調べないのかよ」

 「いや〜時間がないからな。夜学校に忍び込めたりできれば、話は別だぜ」

 三人の顔を見渡して稲葉が言う。

 「私は夜はちょっと無理かな……宿題とかもあるし」

 「俺も夜は無理だな」

 「僕も無理。用事ある」

 三人で否定的な言葉を発する。それを聞いた稲葉は、「冗談でもいいからノって欲しかった」と嘘泣きする。

 「で、二人の先生はいつ来るんだ?」

 佐々木がそう聞くと、稲葉は嘘泣きを止め、さあ? という風に首を傾げた。

 これは多分、僕たちがその先生のところに行くパターンだな。

 「今からその先生のとこに行こうか!」

 やっぱり。

 三組の教室を出ようとする稲葉の後ろを、僕と雨水と佐々木が横に並んでついていく。

 二人の先生って、一体誰なんだろう。


 2

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 まあ、うん。なんとなく。なんとなーく二人の先生って、あの先生じゃないかなって思ってたよ。

 それで案の定、あの先生だった。

 「遅かったじゃないか。夜野先生ももうすぐ来るだろう」

 はい、宮原先生でした。もう一人は夜野先生。

 ほら、佐々木さんも月森君もあー……って納得した顔だよ。分かる。その気持ちすごく分かる。

 死神さんがまたいなくなって、佐々木さん達と一緒に七不思議について調べることになったんだけど……、私は今家に帰りたいな、切実に。

 いやさ、月森君に『七不思議に興味ある』って言っちゃった以上は、これに付き合わないといけないし、仕方ないと思うよ。思うけどな〜、やっぱり学校にいるってことで息苦しさを感じるんだよな。これも仕方ない。

 でも今更、『やっぱり帰る』とか言って断れないから、やっぱり最後までこれに付き合うしかない訳で。

 そうやって思いを巡らせていたら、理科室のドアが静かに開いた。

 「あ、これオレ遅刻しちゃった感じ? すまん」

 軽く謝りながら入ってきたのは、夜野先生。

 「思ったより集まらなかったんだな、稲葉。——……ま、その方が良いが」

 最後にボソッと聞こえた言葉は、どういう意味があるんだろう。みんな聞こえてないようだ。人数が多かったら何か不都合でも……?

 「そこの三人の名前は? 確か男の子が、月森だとか言ってたような……? な、稲葉」

 「そっ。コイツは俺の友達の月森一翔! で、そこにいる女子は佐々木波瑠ちゃんと、雨水沙夜ちゃん」

 稲葉君は先生に敬語とか使わないんだ。予想できるな。……私も上手く使えてるか分からないから、人のことは言えないけど。

 「えっと、月森君、佐々木さん、雨水さん、稲葉。これでオッケーだな」

 「ああ、正解だよ。夜野先生はもうちょっと、人に関心を持ったらどうだい」

 夜野先生と宮原先生は学生時代の同級生だったようで、よく一緒に話しているところを見かける。それに、夜野先生は男で保健室の先生ということもあり、女子が保健室に行きにくいかもしれないから、宮原先生が女子担当みたいに分担するって、校長先生が言っていた。だから、宮原先生と夜野先生は仲がいいんだと思う。

 「え、ちょっ、ちょっと待って! なんで夜野先生は俺だけ呼び捨て?!」

 「うるさい、静かにしろ」

 「アッ、ハイ」

 夜野先生って時々、無表情で淡々と話す時あるよね。夜野先生は無意識だろうけど、あれちょっと怖い。死神さんの"あの"笑顔と同じくらい。

 「あの、話を進めませんか?」

 月森君がそう言ったことで、本題に入れた。稲葉君がさっき三組の教室で話したことを、先生に伝える。

 「「——七不思議って言うわりには、二つしか調べられないんだな」」

 聞き終わったあと、夜野先生と宮原先生が放った言葉は、一文一句、完璧に揃っていた。おお、と思わずみんなで拍手したくらいに。

 「ゴホン。そんなことより、どこを調べるんだ。一段多い階段って言っても、階段はいっぱいあるぞ」

 夜野先生はわざとらしく咳をし、稲葉君にどこを調べるのか聞いた。


  * * *


 ——妙だ。

 直感的にそう思った。

 宮原先生と夜野先生は、六月下旬に、初めてこの学校に来たはずだ。今は七月の中旬だが、先生が初めてこの学校に来た時とはそんなに時間は経っていない。それなのに、稲葉の『七不思議を調べる』という遊びのような事に付き合ってくれるとは、到底思えない。……そこまで気さくな人だとは、思えない。普通なら、そんなことしてる暇があるなら帰りなさい、とか言われそうなものだ。どうも嫌な予感がする。考えすぎならいいが。

 「どこの階段って、全部調べるつもりだけど……ダメ?」

 「ダメだ。なぁ、みんなも用事あるんじゃないのか?」

 それに対し、雨水さんは「まあ、四時半には帰りたいです」と言い、月森は「用事はないけど、雨水と同じで、四時半には帰りたいです」と言った。

 「佐々木は、時間大丈夫かい?」

 宮原先生が俺の目を見るようにして聞く。

 「……二人と同じで四時半くらいには帰りたいです」

 用事はないが、同時に、長い時間学校に居たい訳でもないからな。ここは合わせとくのが楽だろう。

 「えー、みんな四時半までかよ。ならもう、適当に階段選んで試すか」

 稲葉が拗ねたような口調で言うと、宮原先生が「仕方ないさ」と肩を竦めた。

 「じゃあ決まりだな。いつくかの階段を選んで試そう」

 理科室から廊下に出ると、雨水さんが隣に来た。前には月森と稲葉、夜野先生が並んで歩いている。宮原先生は夜野先生と何か話してから、俺達の近くに来た。

 「雨水と佐々木は、なんで七不思議に興味があるんだい?」

 「俺は……なんとなく?」

 七不思議に興味ある理由は、自分でも分からない。だから本当になんとなくだと思う。

 「私は、宮原先生が開かずの扉のことを言っていたので、気になって」

 「開かずの扉ってどんな内容なんだ?」

 「……さあ? 私も分かんないや」

 困ったように笑う雨水さんに、まあそれもそうか、と納得した。稲葉に七不思議を知ってる人、と言われて俺を含めたみんな、何も言わなかったし。

 「——開かずの扉。開けたら異世界に閉じ込められるという……」宮原先生が呟いた。

 「「え?」」

 「ああいや、そう言われてるらしいんだ。あたしも聞いて知ったことだから、確かな事かは分からないけどね」

 宮原先生がそう言って会話が途切れそうになった時には、一つ目の階段の前にいた。

 「……これで、どうやって調べるんだ?」

 『一段多い階段』ってことは数えるのか、段を。

 「単純に、階段を上ったのと下りたので、段が違うかどうかを調べるだけ。簡単だろ?」

 そんなドヤ顔をされても困る。それに、稲葉には悪いが、調べるってほどの事じゃないな。俺は開かずの扉の方が興味ある。

 「ちょっと質問いいか」

 「なんだ、一翔」

 「その階段を調べるのは、誰がやるんだ?」

 確かに。階段で六人並んで下りるの、上るのは無理がある。

 「そんなの、全員が出来るように二つにわかれて、同じことするに決まってるだろ?」

 決まってはいない。というか、そのやり方だと時間がかかるぞ。

 「決まってはないだろ」月森のその言葉に、雨水さんも頷く。

 雨水さんも月森も、同じことを思っていたようだ。

 「まあいいじゃないか。とりあえず、どうわかれる?」

 宮原先生のその言葉に、じゃんけんで決めることになった。

 「勝った方と負けた方でわかれよう。いいね?」

 宮原先生のかけ声と合わせて、それぞれグー、チョキ、パーを出す。宮原先生はグー、夜野先生はパー。雨水さんと稲葉はチョキ、月森と俺はパーとグー。

 見て言うまでもなく、あいこだった。

 「……もう一回だな」

 結局決まったのは、夜野先生がそう言ってから、五分が経ってからだった。結果は、夜野先生・月森・俺、宮原先生・雨水さん・稲葉。この二組だ。

 「どっちからするんですか?」

 「はいはい! 俺達の方からがいい!」

 先生に対して質問したんだが……、まあいい。

 「稲葉がこう言うが、宮原先生と雨水さんはそれでいいか?」

 「はい、大丈夫です」

 「ああ、問題ないよ」


  ☆ ☆ ☆


 僕は何がしたかったんだろうと疑問に思う。

 この学校は結構、広い。教室棟、鏡棟、体育・保健棟と呼ぶ三つの建物があり、それら全てに、階段が一、二、三……まあとりあえずたくさんあるのだ。

 教室棟は一年から六年までの教室と、屋上があることから、そう呼ばれている。鏡棟は、理科室、図工室、職員室や校長室、その他諸々の特別教室がある建物のこと。何故"鏡棟"と呼ばれているかというと、理科室と家庭科室に、模様は違えど、同じ大きさの、大きな鏡が置いてあるからだ。体育・保健棟はもうそのままで、体育館と保健室だけがある建物。

 因みに言うと、この三つの建物は全て廊下で繋がっているので、わざわざ外に行くってことはない。更に言うと、この学校は図書室も広く、(教室棟、鏡棟、体育・保健棟の)三つの建物とはまた別に、町の図書館よりは小さめの図書室がある。その図書室は、教室棟と廊下で繋がっている。

 そんな学校の階段を全部調べるのは時間的に無理だ。だから、いくつかの階段を調べることになった、のはいいが。

 「えー、全然なんも起きねーじゃん」

 そう、稲葉の言う通り、何も起こらないんだ。いや、別に何か起こって欲しい訳じゃないが。ただ、階段を下り、上がりを繰り返し何も起こらないとなったら、無駄に体力を消耗したことになる。

 七不思議といっても調べるのは二つ。だからすぐに終わると思ってた。けどそれはとんだ間違いだったんだ。現に、『一段多い階段』を調べるのに、階段から違う階段に移動する時間も合わせて、約二十分。時計の短針が指すのは四の数字、長針が指すのは十二の数字。——つまり、今は四時ちょうどということだ。

 「じゃあ、次で最後にしよう! ……なんか飽きたし」

 おい稲葉。最後の言葉を僕は聞き逃さなかったぞ。『なんか飽きたし』ってなんだ。僕は当の昔に飽きてんだよ。それに付き合わされた僕の気持ちを知ってくれ! ……あ、やっぱ知らなくていい。知ったら、稲葉は落ち込むか拗ねるかのどちらかになるだろうし。それは面倒くさい。

 「一、二、三、四、五、六、………………十二」

 稲葉と雨水、宮原先生が段数を数えながら上り、数秒後、また段数を数えながら下りる。

 これをどれくらい続けたっけ。稲葉達が終わったら、次は僕達の番。

 「一、二、三、四、……………………十二」

 やはり何も起きない。つまらないなあ。最後くらい、何か起こっても良さそうなのに。

 階段を下り終え、何もなかったことを伝える。わざわざ伝える、なんてことしなくても、見てるんだからそれで分かるだろ。心の中でそう愚痴る。

 「で? 次はどこに行くんだ稲葉。時間も考えろよ」

 「分かってるって! 次は図書室だぜ」

 「図書室? なんだってそんな所に……」

 「図書室にあるんだ。"開かずの扉"って噂されてる扉が」

 なるほど。でも扉があったとしても、鍵がかかっていたら、開けることができないんじゃないか? そう言おうと口を開けると、既に稲葉は、宮原先生を連れて図書室の方に歩いていた。

 人が話そうとしてる時にいなくなるなんてアリかよ。

 気を取り直して、僕も図書室に向かう。


  # # #


 稲葉君と宮原先生に続いて、月森君も図書室の方に向かっている。私は残った佐々木さんと夜野先生と一緒に、図書室に向かうことになった。

 「いやあ、見事に何もなかったな」

 「そうですね。でも、平和でいいと思います」

 「……まあ、何事も平和が一番って言うからな。ところで、」夜野先生は一旦息をつき、「なんで雨水さんと佐々木さんは、そんなものつけてるんだ? 学校に腕輪とか指輪をつけてくるのは、先生として理由が知りたいんだが」と言った。

 私は思わず足を止めた。佐々木さんも私と同じように固まってる。危うく思考が停止するところだ。

 佐々木さんの手をちらっと見ると、確かに左手の親指に赤色の宝石がはまっている指輪があった。

 そんなもの、と夜野先生は言った。それが私の場合腕輪であること、佐々木さんの場合指輪であることは、充分に理解できた。

 佐々木さんが指輪をしているのに驚いた。それと同時に、夜野先生は何故私が身につけている腕輪が見えたのだろうと疑問に思う。この腕輪は、死神さんが言うには普通の人には見えないはずの腕輪だ。現にこれをつけたまま学校に来ても、今まで何も言われなかった。それどころか私以外の人が右手首に触れても、腕輪を触るということはなく、必ずすり抜けて私の肌に触れていた。なのに夜野先生にはこの腕輪が見える。それは何故だ? 夜野先生も、普通の人には見えないモノが見える人なのか?

 「どうした? オレは理由が知りたいだけだぞ。つけてみたかった、とかじゃないよなぁ。君ら、優等生なんだろう?」

 どう答えようか。これは普通の人には見えないものなんです、なんて言える訳がない。言ったら絶対、変な目で見られるのは確定だ。佐々木さんはどう答えるんだろう。佐々木さんの指輪は普通の人でも見えるものなのかな。

 「……聞いてるか? 歩きながらでもいいんだぞ」

 夜野先生にそう言われ、迷いなく早歩きで夜野先生と距離をとろうとした私は悪くないと思う。それに、佐々木さんも同じことをしたんだ。怒られるとしても私一人じゃないから、少し安心感が湧く。

 「おいおい、逃げることはないだろう」

 バレてた。

 「オレじゃ言い難いなら、宮原先生に言えばいい」

 「じゃあ宮原先生に言います」

 「俺も宮原先生に言います」

 「なんでそんなに返答早いんだ。——宮原先生には話をつけとこう。二人はその方がいいんだな?」

 「「はい」」

 「じゃあ決まりだ」

 そう言うと夜野先生は、止めていた足を動かして、図書室に行こう、と私達に声をかけた。



 「遅かったじゃん! 今、開かずの扉の鍵を探してるところなんだ」

 「今から探すの?」

 「うん。開かずの扉の鍵は、図書室に隠されてるっていう噂だから」

 あれが開かずの扉って噂されてるやつ、と稲葉君が指したのは、この学校の至る所にある引き戸とは違う、茶色の扉だった。

 ドアと言うよりは、扉と言った方がしっくりくる。だってこの学校の図書室は、教室棟と鏡棟と体育・保健棟、それらと比べて、少し特殊なのだ。外から見た第一印象が茶色。中を見た時の第一印象も茶色。真っ茶色の木材で造ったのだろう、と予想できるこの図書室は、他の校舎と出で立ちが違う。

 私はこういう古風な図書室が好きだ。学校で一番好きな場所と断言してもいい。それほど心が落ち着くところなのだ。密かに香る本の匂いと木の匂いに囲まれているこの空間。窓から漏れ出す太陽の光もまた、この図書室の魅力だと思う。

 「どうした? 雨水さん」

 図書室の事を考えていたら、佐々木さんに心配された。ぼーっとしすぎたらしい。

 「なんでもないよ。それより、こんな短時間で鍵を見つけられると思う?」

 「無理だと思う。そう簡単に見つかったらびっくりするな」

 「だよね。私も」

 こう言い合えるほどには、佐々木さんとも打ち解けてきた。

 「えーそんなこと言うなよ。案外、簡単に見つかるかもしれないだろ?」

 どうかな。私がそれを言う前に、「鍵、あったぞ」といつの間にか夜野先生が、古びたような鍵を手に近くまで来た。

 「え! マジで?! 夜野先生ナイス!」それにより、一気に稲葉君のテンションが上がる。「宮原先生と一翔に伝えなきゃ!」

 「安心しろ稲葉。聞こえてるから」

 「どこにもなかったって伝えに来たら、稲葉が飛び跳ねそうに喜んでたからね。嫌でも聞こえるよ」

 二人は苦笑い。

 「びっくりだな……、こんな簡単に見つかるものなのか……」

 呟いた佐々木さんに同意。私は鍵が見つからず終わるかと思ってたからなあ。まさかこんなすぐに見つかるとは。

 「じゃあ早速、開かずの扉の鍵を差し込もう!」

 まあ、鍵が見つかったからといって、その扉が開くかどうかは分からない。そもそもその扉の鍵かどうかも分からないんだから、見つけたところで開かなければ意味がないんだ。

 稲葉君が夜野先生から受け取った鍵を、扉の鍵穴に差し込む。そしてその鍵を回そうとした時、——宮原先生が、その手を止めた。

 え、なんで止めたの? と疑問が頭を掠めたと同時に、視界が黒に染まった。



 目を閉じる直前、私の目に映ったのは、宮原先生の申し訳なさそうな顔だった。




 3


 —— 「雨水さんってさ、調子乗ってると思わない?」

    放課後。

    教室のドアを開けようと手を伸ばした時、唐突にその言葉が耳に入り込んだ。

    「わかる! いっつも無表情で、うちらのこと見下してる感じだよね」

    「それそれ。あたしも腹立つわ〜て思ってた」

    「女子と男子がケンカしても、"私には関係ない"みたいな態度!」

    「そうそう。いい加減にして欲しいよねえ」

    ああ、またか。

    陰口を言われるのは慣れてる。毎日毎日そればっかだから。

    「まあまあ。落ち着いて聞いて」

    嫌な予感がして、教室のドアから離れる。見つからないよう、そっと。

    「わたし、考えたの。もういっそ、クラスみんなで無視したらいいんじゃな

   いのって」

    「あっ、それいいね。流石〇〇!!」

    「じゃあ早速、明日クラスのみんなに広めよ」

    「手伝ってよ、××、**。ざまーみろって、今度は、わたし達が見下してやるんだ

   から」

    笑い声が聞こえる。いやだイヤだ嫌だ! 逃げ出したい衝動を必死に抑え、近くの

   壁に寄りかかり、ズルズルとしゃがみ込んだ。

    耳を塞いだ。あの三人の笑い声が聞きたくなくて。でも、頭の中にはさっきの言葉

   がぐるぐると駆け巡る。

    クラスみんなで無視したらいい。

    ざまーみろって、今度はわたし達が見下してやる。

    ああ、今日は厄日だなあ。慣れてるはずなのに、泣きたくなるなんて——


   # # #


 目が覚めると、"ああ、嫌な夢を見た"。そう思った。少し痛む頭を手で抑え、ゆっくりと起き上がり、ここがどこなのか考える。白い布団に白い枕。そして座ってるのに目線が高く、周りの景色は黄緑のカーテン。——保健室、かな。

 私のベッドは白色だけど、こんなに無地じゃない。だからここは私の家ではない。

 そこまで考えた時、カーテンの向こうから聞き慣れた声が。

 「起きた? 入ってもいい?」

 「どうぞ……」

 元気がないのは仕方ない。頭が痛いし、嫌な夢をみたから。でも死神さんが入って来るならと、頭を抑えてた手を布団に置いた。ふかふかだ、この布団。気持ちいい。

 「大丈夫? キミ、倒れてたんだよ、この学校の図書室で。だから保健室に運んだんだ」

 心配してるような表情で言われても、「はあ」と曖昧な返事で返すしかなかった。

 だって私は、図書室にいた記憶がないのだ。目を覚ましたら、いつの間にか保健室にいた。それなのに、何故か死神さんは私が図書室で倒れていたと言う。

 おかしな話だ。きっと死神さんの冗談なのだろう。それより早く帰らないと。宿題も終わってないはずだし。ああでも、今日はお母さんとお父さんは仕事で帰って来ないんだった。いや、それでも下校時刻なら帰らないと先生に怒られる。

 「もしかして嘘だと思ってる?」

 「違うんですか」

 「違うよ! 隣のベッド見てみなよ。それで思い出すでしょ」

 私が何か忘れてるって言うのか。そうぼんやりと思いながらも布団から足を出し、隣のベッドを隠すようにあるカーテンに手を伸ばす。

 「佐々木、さん……?」

 カーテンをめくり見えたのは、佐々木さんだった。

 「キミと同じで、図書室に倒れてたよ。その隣のベッドにも男の子が寝てる。起こしたら?」

 「え、は、はい」

 戸惑いながらも佐々木さんの体を揺らす。

 「佐々木さん、起きて。佐々木さん」

 何度かそれを続け、やっと目を開けた佐々木さんに、「おはよう……?」と声をかけた。疑問形になったのは、今が朝じゃないからだ。

 「……おはよう。ここはどこだ?」

 起き上がり、訊かれる。でも目線は私にじゃなく白い布団。

 「学校の保健室」

 「……ああ」

 納得したのか、顔を上げた。

 「雨水さんは何があったか覚えてるか」

 「何が……それって、なんでここにいるのかってこと?」

 「そうだ。俺は曖昧だけど、記憶に残っている。雨水さんはどうかと思って」

 「え、そうなの。教えてくれない? 私、覚えてないんだ」

 「分かった」

 佐々木さんの話を聞くとだんだん思い出してきた。放課後、七不思議について調べようとしていたこと。開かずの扉に稲葉君が鍵を差し込んだ時、宮原先生がそれを止めたこと。そのあと、私達は気を失ったこと。

 「ありがと。おかげで思い出せた」

 「気にするな。それで、稲葉と月森もいるのか?」

 「隣のベッドにいるはず」

 「そうか……ん? なあ、雨水さん。保健室にベッドってどれくらいあった」

 「えっと、三じゃないかな……あ」

 言ってから気付いた。そうだ。保健室にベッドは三台しかない。それなのに四人共ベッドに寝ているなんておかしい。死神さんは『男の子が寝てる』って言ってたけど、"二人の"とは言ってなかった。それはつまり、稲葉君と月森君のどちらかが居ないということに……いや。

 「どっちか一人、先に帰ったんじゃない?」

 「それもそうか。一人が居なくなるなんて、帰ったとしか考えられないもんな」

 「そうそう。気にすることないよ」

 とは言ったものの、少し気になる。まあ、私が気にすることじゃないだろうし……うん帰ろう。ランドセルとかは理科室に置いてきたから、取りに行かないと。一人で行きたいと思うけど、佐々木さんがいるなら一緒に行くか。その方が好印象持たれるはず。でも佐々木さんってそういうの気にしなさそうだ。ああでも、やっぱり一緒に行くか。万が一ってこともあるんだし。

 「ねえ、私はもう帰ろうかと思うんだけど、佐々木さんも帰る?」

 「……そうだな。稲葉か月森かは知らないが、メモ用紙に『先に帰る』って書くか。それともそのまま放っておくか?」

 佐々木さんがベッドから出ながら私に問いかける。

 そこまで考えてなかった。確かに、『帰る』と一言でも書いておけば、起きた時に困らないだろう。

 「そうだね。メモ用紙に書いとこうか。なんて書けばいいかな」

 私はベッドから離れてカーテンをめくり、メモ用紙を探す。それに続いて佐々木さんは首を横に動かす。私と同じで、メモ用紙を探しているようだ。

 お互いが無言になり何分か経っただろう。先に口を開いたのは佐々木さんだ。

 「『四時半になったから先に帰る』で、いいんじゃないか。嘘じゃないし、一番無難だろ」

 手が届かないほどの高い位置の掛け時計を指差して言う。

 「確かに。——メモ用紙って保健室にもあったよね。どこにあるか分かる?」

 「さあ……?」

 忘れた。保健室にも置いてあったはずだけど、最近は保健室に来てないからなあ。だからと言って勝手に保健室にあるものを漁るのは駄目だ。先生に見つかったら怒られる。

 そういえば、また死神さんがいなくなってる。佐々木さんがいるから今は助かるが、今日はいつもより居なくなる回数が多い気がする。何かあったのだろうか。

 「雨水さん。その……悪いんだけど、トイレ行っていいか? すぐ戻るから。ついでにランドセルも取ってくる。赤色で間違いないよな」

 「うん、ありがとう。そういえば理科室に置きっ放しだもんね。その間に私はメモ用紙探しとくよ」

 「ああ」

 佐々木さんはそう言うと、保健室を静かに出て行った。

 シーンと静まり返った保健室。なんとなく違和感を覚え、周りを見渡した。

 「ねえ、キミは知っておいた方がいいと思うんだ」

 突然聞こえた声の元を辿るように顔を上げた。そして小声で問いかける。「死神さん?」

 「そうだよ」

 「どこに行ってたんですか? 急に居なくなるから心配してたんですよ」

 「ゴメンね。でもボクの心配は無用だよ。それより、キミには伝えたいことがあるんだ」

 「……どこに行ってたかは、答えてくれないんですね……」

 ちょっとショックだな。質問に答えが返ってこないのは。

 「まあ聞いて。ボクがどこに行ってたかはあとで話すから。ね?」

 「分かりました」

 いまいちスッキリしないが、とりあえず死神さんの話を聞くことにした。死神さんは『あとで話すから』とも言ってたし、その時スッキリするだろう。

 ところが死神さんは、私がそれを忘れる程の衝撃的な言葉を放ったのだ。

 「宮原里緒と夜野おさむは、人間じゃないよ」

 一瞬、死神さんが何を言ってるのか理解できなかった。

 宮原先生と夜野先生は、人間じゃない。

 そんなこと信じられる訳がない。意味がわからない。

 死神さんは何を言ってるのだろうか。

 「信じられないかもしれないけど、本当だよ。それと此処は、キミが居た世界じゃない」

 ……え? ん? はい? あれーおかしいなあ。私、耳はいい方だったと思うんだけど。何故だか幻聴が。

 「信じられないかな。ま、それも仕方ないか。いきなり此処はキミが居た世界じゃないなんて言われても、信じられる訳がないもんね。分かるよその気持ち」

 その信じられない言葉を放った張本人に言われても嬉しくないな。

 「頭、大丈夫ですか」

 「ヒドイなあ。別にボクの頭は正常だよ。いつ如何なる時も」

 えぇー絶対嘘だ。

 何を嘘と思うのか? それは至って簡単——性格だ。

 死神さんと一ヶ月間一緒に過ごし、わかった事がある。それは、死神さんが悪戯好きという事だ。少し私の主観が混じっているが、多分そう。

 前に死神さん本人が言っていた。「ボクはヒトを困らせるのが好きなんだ」と。そしてこうも言っていた。「だから、ボクが仕掛けたコトにキミが驚く姿は見ものだよ」と。もちろん笑顔で。私は悟った。このヒトは怒らせたら駄目なヒトだ、と。

 が、だからと言って死神さんは、私が本当の本当に困るということは何もしない。意図的か偶発的かは分からないが、意図的ならば死神さんは優しいヒトだろうと思う。……偶発的ならば、いつかその時が来ると私は、残念・落胆・失望のどれかを表情に現すだろう。もしかしたら、全部かもしれない。その日が来ないことを密かに願ったとこ。

 ——っていうことで、また死神さんの悪戯でしょ。嘘にしか聞こえないです。

 「信じたくないなら、それはそれでいいよ。キミはあとで信じざるを得なくなるから」

 「はいじゃあその時を待ってます。今の私はそれを信じる事を拒んでいるので」

 「…………」

 あっ待って待ってごめんなさい。口が滑ったとか失礼とかのレベル超えた事言っちゃった本当にごめんなさいっ!

 とは思ったものの、口には出していない。

 「……まあいいよ。キミだけだからね。ボクがここまで言われて何も言い返さないのは」

 「あ、そうなんですか。良かったで……」

 「けど次言ったら許さないから」

 「すみませんでした」

 私の苦手な笑顔で言われた。死神さんの時々出る、悪魔のような恐ろしい笑顔。と言っても、本物の『悪魔』は見たことないが。そもそも存在すら疑わしいモノだ。死神さん以外にそういう存在を知ってる訳がない。(ただ『死神』が在るなら『悪魔』も在るのだろうと、私は考えている)だがそれでも、私にとって死神さんのその笑顔は恐ろしい事には変わりない。ちょっと調子に乗り過ぎたな。

 というか最近気づいたけど私の性格が少しずつ変わったような気がする。前はもっと考えて発言してたんだけどなあ。何で変わったんだろう。

 その時不意に、死神さんが私を見た。

 「ついて来て。キミに会わせたいヒトがいるから」

 「会わせたい人、ですか」

 「そ。キミが知ってる子もいるから」

 んー死神さんって謎。何もかも分かってるような言動が特に謎。

 でもとりあえず死神さんについて行こう。



 保健室を出る前。

 メモ用紙が見つからなかったから、何も書き置き出来ていない。それに、今ベッドにいるのは稲葉君か月森君かどうか、確認していない。更に言うと、佐々木さんはトイレに行くと言ったきり帰って来ず、その場合私は保健室で待つのが妥当だ。そんな状況で死神さんについて行っても大丈夫だろうか?

 そう訊いたところ、死神さんは「大丈夫大丈夫。それより早く行かないと。相手を待たせる訳にはいかないからね」としか答えてくれなかった。何故か焦っているようにも見えた。

 保健室のベッドで目を覚ましてから、どうも私の頭の中から疑問が絶えない。今日中に全ての疑問が解決すればいいが、そう上手くいくかどうか……気が重い。

 死神さんと廊下に出る。そこである事に気付いた。

 そうだ。もし夜野先生が本当に人間じゃないなら、それなら、私の手首にある"腕輪が見える"という事に納得がいく。

 『キミはあとで信じざるを得なくなるから』

 否定したが、近い内にそうなるかもしれないな。


   * * *


 雨水さんに断りを入れて俺は保健室を出た。そのまま鏡棟に繋がる廊下を渡る。体育・保健棟にはトイレがないのだ。それに理科室は鏡棟の方にある。教室棟に行くより鏡棟の方に行った方がいい。

 鏡棟に着くと変だ、と感じた。何が変かって、静か過ぎることがだ。

 鏡棟には理科室とかの特別教室以外に、職員室がある。もちろん校長室も。それなのに人一人の声も聞こえず、物音一つしない。あるとすれば俺の足音だけだ。

 不審に思いながらもトイレを済まし、今度は理科室に向かう。理科室は二階にあるため、階段を上らなくちゃいけない。それが面倒くさいな。

 階段の一段目に足を運んだ、その時。

 「波瑠さん危ないッ!」

 そんな声と共に、目の前が黒に染まった。図書室であったように倒れたんじゃない。黒いモノが俺の周りを囲っているのだ。バサバサと羽音が頭に響く。

 「波瑠さんッ! 大丈夫ですか。返事をして下さい!」

 焦ったルカの声が耳に入る。でもそれに答える事は出来ない。話せるほどの隙間は何故かある。でも無理だ。だって俺は——

 「……いい加減にしろよ妖怪が。——全て、燃やして差し上げます」

 え、と思ったのも束の間。俺の周りを囲っていた黒いモノが炎に包まれ、消えた。

 何が何だか分からないままだが、俺の心を占めていた恐怖はなくなった。良かったという安心で気を失いそうになるのを、必死に耐える。

 これはきついな、精神的に。

 「大丈夫ですか! 怪我したところとかありますか」

 ルカが駆け寄り、支えてくれた。

 「……大丈夫だ。怪我もしてない」

 「そうですか。良かった……」

 「……さっきのは……?」

 「あとで話します。今はまず心を休めて。楽になったら言って下さいね」



 ルカに「心を休めて」と言われ、壁にもたれて体育座りでぼーっとしていたら、思い出した事が。それは、あの黒いモノが燃えて消える前、ルカの口調が"です・ます"じゃなくなってた事だ。

 何て言ったか……確か「いい加減にしろよ」とかだったような……? ルカが敬語じゃなくなったら、あんな風になるのか。その後の言葉も気になる。「妖怪が」って言ってたが、何のことだろう。いやその前に、黒いモノが燃えて消えたり学校にいるのがまずおかしい。

 「ルカ。何でさっきのが学校にいるんだ? それに妖怪って何だ?」

 「えっとですね。さっきのは妖怪の術なんです。だからここに現れた。波瑠さんは苦手でしたか、あのから……」

 「言わないでくれ。苦手なんだ"あれ"は。それより妖怪って?」

 "あれ"を思い出すのも脳が拒絶している。が、どうも思い出してしまう。

 「あれ、知りませんか。妖怪は私達のような、本来は見えない者のことです」

 「悪魔と何が違うんだ?」

 「そうですねえ。悪魔は別名"魔族"と呼ばれる、人間に似た姿をしています」

 確かにルカは、服装は別として見た目は普通に人間だ。

 「ですが妖怪は、別名"あやかし"と呼ばれる——こちらは例外がありますが——到底人間とは呼べないような奇怪な姿をしています」

 「それだけ?」

 「えーとですね……あ、そうです。悪魔は人間に力を与え、堕落させ、世間を混乱させることに楽しみを感じるのが大半ですが、妖怪は違います。妖怪は自然や土地に住み、人間と同じような生活を送っていると聞いたことがあります。私も詳しい事は知らないのですが……妖怪は、人間の不安や哀しみ、怒りや憎しみから生まれるモノだとされているそうです」

 へえ。なんとなく理解した。

 つまり、悪魔は人に害を与えるが、妖怪は人間の負の感情から生まれたモノであると。

 「さっきので言うとあのから……黒いモノは、妖怪の仕業でしょう。私は幻視や幻覚といったところの術だと思います」

 幻視や幻覚……、実際にはないモノが見えるっていう意味だったかな。

 「それで、何でその妖怪はこの学校にいるんだ?」

 訊くと、ルカはさらりと答えた。

 「ここが波瑠さんがいた世界じゃないからですよ」

 …………ん?

 「強いて言うなら"妖怪が創った異空間"、でしょうか」

 えーと……うん。少し思うところもあるが、信じよう。

 「あ、そろそろ移動しましょう。波瑠さんに会わせたいヒトが居るんです」

 「待て待て待て。急過ぎる。そもそも俺は理科室にランドセルを取りに来ただけだ。保健室では雨水さんを待たせてるし、月森は……雨水さんがいるから大丈夫だな。あと、"ここ"は俺がいた世界じゃないなら、何で俺が通ってる学校そのものなんだ? 先生達は無事か?」

 勢いよく口から言葉が溢れ出した。

 「更に言うと"あれ"は何で燃えて消えた? 燃えたのはルカが原因だろ? 助かったけど、幻視・幻覚の類なら燃えるはずないだろ」

 今訊きたいことは全部言えた。そして言ってから、こんなものにルカは答えてくれるだろうかと不安が込み上げてきた。

 「保健室にいる波瑠さんの友人のことは何の問題もありません。それに私が波瑠さんに会わせたいヒトとは、理科室で会うことになってます。"先生達"というのは、宮原里緒と夜野おさむ、それに波瑠さんが知ってる男の子のことですね? それなら心配無用です」

 だがその不安は無意味だったようで、静かに安堵の息を漏らす。

 先生達の心配は無用、ってことは無事ってことだよな。

 「から……"あれ"は幻覚や幻視の類ですが、触れることが出来る術です。だから、物理的に消す方が跡形も無くなります。だから燃やしました。他に疑問点はありますか?」

 問われて、俺は首を横に振る。……困らせたかな。申し訳ない。

 「すみません。私の説明不足で……」

 「いや、俺が理解力ないからだ。こっちこそごめんなさい」

 「いえ、私のせいです」

 「いやいや、俺のせいだよ。ルカを困らせた。——理科室に行こう。雨水さん達のことは問題ない、妖怪が襲うとかはないって、信じていいか?」

 「はい。信じてくれて構いません。では行きましょうか」

 理科室に向かうまで、お互いが始終無言だった。ということはなく、普段通り会話が続いた。俺に会わせたい人は人間か人外かどうか聞いたところ、どちらも当たってると言われ、俺がこれから会うヒトは一人じゃない様子。

 それにしても、ルカにバレたなあ。俺が黒いモノ——烏が苦手だって。悲鳴をあげられるほどの余裕なんて、"それ"を見た俺には持ち合わせていない。ただ恐怖が俺の心を占めるだけ。いっそ気絶したら楽だったのに。

 俺は何で"あれ"が苦手なんだっけ。記憶には残ってないのに、体が嫌だと叫んでいる。それは何故だろう。

 ……まあ今はいいか。考えたところで答えは出ないんだ。違うことを考えよう。

 そう思った時、ある言葉が俺の頭に過った。

 『妖怪が創った異空間』と、ここをルカは表した。

 ふと疑問に思う。

 どうして俺がそんな場所に居るんだ、と。


 4

   ☆ ☆ ☆


 目が覚めた。

 そこは飽きるほど見てきた自分の部屋の天井……ではなく、ほとんど見ない白い天井。どこだろうと起き上がり視界に入ったのは、黄緑のカーテンと白い布団。

 なるほど。学校の保健室か。

 それが分かったから、今度は何故僕がここに居るのかを考える。

 確か……図書室で倒れたんだっけ。倒れた原因は分からないが、僕以外にも倒れた人は居たはず。

 のそのそとベッドから這い出る。そして時計を見ようとカーテンを開けると、見知ったやつとぶつかった。

 「うわあっ」

 よろけるだけで良かったのに、運悪く足がほつれてしまい、ドサッと音を立てて尻餅をつく。

 最悪。その一言に尽きる。

 「おお吃驚した。でもちょうどいいや。全然起きねェから様子見ようと思ってたんだ」

 ぶつかった事に関してはノーコメントか。僕も悪かったと言えど、びっくりした、だけで終わらせるのはなんか腹立つ。

 「あれ、聞いてんのか一翔ゥ。返事くらいしろよ」

 「はいはい、聞いてる聞いてる」

 立ち上がりズボンについた埃を払いながら、適当に返事をする。

 「で、戒里。今までどこほっつき歩いてた」

 「あァ? 野暮用だよ、野暮用。それ以外にねェっつの」

 「あ、自分で気付いてないのか。それ何回も聞いた。そうじゃなくてさあ、なんかもっとこう、具体的に何してたのか訊きたいんだけど」

 「そういうのは秘密だよ」

 やっぱ答えてくんねーのな。

 「じゃあいいや。それよりそこ退いて」

 「それよりって……、お前が先に訊いてきたんだろうが」

 と言いながらも退いてくれる辺り、優しい。

 時計を見て時間を確認する。四時三十分と示されている針。それを見て、みんな帰ったのか、と納得した。

 起きたら稲葉も雨水も佐々木も居ないんだ。だから帰ってないという可能性は低いと思っていた。先生達は知らない。でも別に興味はない。

 稲葉も帰ったのか。それなら起こしてくれれば良かったのに。

 「帰るか戒里」

 そう声をかけて保健室を出ようとドアに近づくものの、戒里からの返事がない。

 「返事くらいしろよ」とか言ってたのはどこの誰だよ。

 仕方ないと戒里の方に顔を向ける。

 「……戒里?」

 戒里はある一点を見つめながら、眉を潜めていた。その目線を辿ると先生用の机が。その机上には何か薄っぺらいものが置いてある。

 「……紙?」

 何だってそんなものを見てるんだ?

 戒里は僕が近くに立っても、相変わらず眉を潜めて呆然とその紙を見ているだけ。

 本当に何て書いてあるんだ。興味を惹かれてその紙を覗き込む。

 そこにはこう書かれていた。



 突然で申し訳ない。

 月森一翔殿。貴方には訊きたい事がある。どうか直接会っては貰えないだろうか。と言っても拒否権はない。貴方は此処から出られないのだから、この提案を受け入れるしかない訳だ。

 それでも拒否するというなら、私は貴方の大切な者に何をするか分からない。

 さて。私はとある場所で待っている。

 貴方は、どう決断するか。



 読み上げて、戒里が眉を潜めるのも無理はないと同意する。

 意味不明とはまさにこの事。相手は何を思ってこれを書いたんだろう。

 直接会って貰いたいと言ってるくせに、その場所がどこなのかは教えてくれない。しかもそれを断ると僕の大切な者に何かする、と。全くもって意味が分からん。

 こんなの無視して早く帰ろう。……と、思ったのだが。

 「おーい。戒里?」

 いくら呼びかけても反応なし。僕の存在を認識してるのかどうかも怪しい。それほど、ぼーっとしている。

 どうせただのイタズラだろ? 何を思う事がある。

 そんな風に考える僕とは違い、戒里の顔が徐々に険しくなる。でも困惑しているようでもあった。

 「……お前が書いた訳では、ないんだよな」

 反応なし。まあそりゃそうか。戒里がこんなの書くとは思えないし。

 「じゃあ、僕の知り合い……稲葉が書いた……?」

 とかは流石にないか。いつかやりそうな気もするが。戒里の反応もなし。

 他に何があるんだよ。えーと、雨水……はない。佐々木……も、ないな。宮原先生に夜野先生? いや、これもないな。というかあり得ない。教師がそんなことするはずがないし。じゃあ、誰が……

 「あ。——もしかして戒里、これ書いた人に心当たりあるとか?」

 そこで初めて反応があった。と言っても、ビクッと肩が震えただけだが。

 なんとも分かりやすい反応、と苦笑する。

 「心当たりあるんなら、誰なのか教えてくれよ」

 「べ、別にねェよ。このオレが知る訳ねェだろォ?」

 いつも通りを装う戒里に、ため息を吐いた。

 それを隠す必要が、どうやら戒里にはあるらしい。知られたくないのか、または信じたくないのか。どちらにせよ、僕に言う気はないのだろう。

 だったら僕も、深く詮索しない。

 "近すぎず、遠すぎず"

 一ヶ月間一緒に過ごして、僕と戒里の距離感はそれだ。お互いがお互いのことを知りすぎず、かといって知らなさすぎず。過去に何があったか、というのも、本人が言いたくないようであれば訊くことも詮索することもしない。……簡単に言うと、上辺だけの友達的存在。

 それが一緒に過ごしていく為の、暗黙の了解。

 「そうだよな。戒里が知る訳ねーよな」

 「そうに決まってるだろ。ンじゃ、帰るか」

 「あ、そのことなんだけどさ、僕のランドセル、理科室に置いてきたんだ。取りに行くから、靴箱で待っててくれ」

 「いやオレも行くぜ」

 「そうか? 珍しいな。てっきりお前は待っとく方を選ぶと思ってたのに」

 「深い意味はねェよ。まァ気にすんな。つか、気にしたら負けだと思え」

 何にだよ。でもここは流しとこう。

 「はいはいりょーかい」

 そう言って僕と戒里は、保健室を出た。

 この時の僕はまだ知らない。

 戒里が、僕がイタズラだと思った紙を密かに持ち出して来ていたことを。

 「——そういえば、あの時はどこに行ってたんだ?」

 「あの時?」

 「ほら、初めてあった時に、『用事が出来た』って言ってどっか行っちゃっただろ? どこに行ってたのか気になるんだ。あれ、あの日が初めてあった時じゃないな。その前の日に戒里が来たんだし……ま、どっちでもいいや。教えてくれよ」

 「あァ? ンなことあったかァ?」

 「あったから訊いてるんだよ。え、覚えてねーの。あんなにかっこつけて去っていったのに? 決めゼリフみたいなものもしたのに? え? 本当に覚えてねーのか?」

 「そんなのいちいち覚えてられっか。覚えてたとしても、お前の言ってることは絶対に合ってねェだろ」

 「まあちょっと主観が混じってるけど」

 「混じりすぎだ」

 そんな風に話してる内に、理科室に着いた。

 帰りはもう戒里が持ってるあの瞬間移動みないなのが出来る便利なモノでも使ってもらおうかな。その方が早く帰れる。

 なんて呑気に考えながら、理科室のドアを開ける。鍵が開いてて良かった、と安心したのも束の間。僕は驚愕で目を見開く。

 そこには、何故か雨水と佐々木と、変なやつ二人がいた。

 黒スーツで銀髪の男。黒い服で覆われた黒髪の男。髪色や服装からして、人間である可能性が低い。

 頭を押さえてしゃがみ込みたくなる衝動に駆られるが、じっと耐える。

 「……月森君も?」

 「月森もか……」

 雨水と佐々木は僕を見て、納得したという表情。

 意味が分からない。何が僕も、なんだ。

 「戒クン戒クン。ちょっと来て」

 銀髪の男がそう言ったかと思えば、隣に居た戒里がその男に近寄る。

 『戒クン』って戒里の事か。

 銀髪の男と黒髪の男、そして戒里は、僕が居る場所とは真反対の隅っこに移動する。

 僕はとりあえずと思って、雨水と佐々木より少し離れた場所の椅子に腰掛けた。

 そのタイミングで、雨水が僕に声をかける。

 「……月森君も聞いて来たの? ほら、その、ここが私達が居た世界じゃないって」

 は? 何言ってるんだ。

 「会わせたい人がいるって言われて来た?」

 もう一度(心の中で)言う。は? 何言ってるんだ。

 「ちょっ、ちょっと待て」

 雨水が続いて何かを言いそうになったから、一度止めた。

 今、雨水は何と言った? ここが、僕が居た世界じゃない? そんな馬鹿な。

 「……ああそうか。冗談だな。危うく騙されるとこだったよ」

 「まあ、そう思うのも無理はないね。私だって嘘かと思ったんだし」

 「嘘だったら良かったのにな。って事で、信じるしかないんだ。月森だって本当は気付いてるんじゃないのか?」

 な訳ねーだろ。今初めて聞いたわ。

 「いや、気付いてるも何も、僕はそんなの今初めて聞いた。ここが僕達が居た世界じゃないってどういう事?」

 「あ、そうなんだ。なんかごめん。——それがさ、私もまだよく分からないんだよね」

 「俺も悪かった。——妖怪が創った異空間って言ってたのは聞いたぞ。でも本当かどうかは……」

 妖怪だって? そういえば、保健室の僕がイタズラだと思ったあの紙。確かに"貴方は此処から出られない"と書いてあった。その意味が、ここが妖怪が創った異空間なら、嫌でも辻褄が合う。

 妖怪が創った場所から僕の意思で出ることは叶わない。

 という事は、その『妖怪』の狙いは僕になる。それは信じたくないな。でも事実なら、雨水と佐々木は僕に巻き込まれただけだ。

 どうかこの推測が間違っていますように。

 「えっとですね。これから色々と現状を説明するので、よく聞いて下さいね。お三方」

 戒里と銀髪の男、黒髪の男は会話を終えたようで、近くに来た。そして黒髪の男がかしこまった口調で話し出す。

 「此処ここ貴方達あなたたちが居た世界ではなく、恐らく妖怪が創った異空間です。そして私達はその妖怪によって、この空間に閉じ込められています。その妖怪の狙いは、貴方達の中にいる一人。そして、放課後七不思議を調べるとの事で集まりましたよね。名前は稲葉と言ったでしょうか? その人間はこの空間の中にはいません。元の世界の保健室でゆっくり寝ている事でしょう」

 ああなるほど。そういうことだったのか。どおりで稲葉が起こしてくれないわけだ。この空間に居ないなら起こしようがないしな。

 「それから、宮原里緒と夜野おさむは人間ではありません。あの二人からは、人間にはないモノを身体に纏っているように感じられました。そして、その気配は今もしている。という事はどういう事か、分かりますよね、波瑠さん?」

 まさか名指しされるとは思ってなかったであろう佐々木は、「えっ」と動揺する。

 だが直ぐに黒髪の男を見て、佐々木はしっかりとした声ではっきり言った。

 「先生は、俺達を閉じ込めた妖怪だって事か」

 「御名答。流石波瑠さんです」

 「……別に。流石って程のことじゃないしな」

 言葉は冷たく聞こえるが、佐々木は照れたような表情。褒められたのが嬉しいのだろう。誰だって褒められたら嬉しいと思う。多分。恐らく。きっと。

 「ここまでで何か質問はありますか?」

 「はい」

 黒髪の男の問いかけに、小さく手を挙げる雨水。

 「質問というか、気になる事があるんですが。その妖怪が先生だとして、どうして私達は閉じ込められたんですか? その妖怪の狙いが私を含めた三人なら、一体誰なんですか?」

 「それを訊いて、その者を責めたりはしませんか」

 「しません」

 悟ってしまった。

 今の雨水と黒髪の男の会話を聞いて、妖怪の狙いが雨水である可能性は低い。そしてあの保健室にあった紙の事を考えると、佐々木という可能性も低い。残るはもう僕しかいない。

 さっきの推測は、ほぼ正解だったのか……っ。

 「ここに閉じ込められた理由は私もまだ分かりません。ですが、月森一翔さん。貴方が奴らの狙いだという事は、もう確定しているでしょう」

 信じたくなかった推測が、事実となって突き付けられた。しかも、名前も知らぬ男に。

 「何故、確定しているんですか」

 「戒さんが持っていた紙を見れば、一目瞭然ですよ」

 そう言って黒髪の男は、懐から紙を出した。それを雨水と佐々木が覗き込む。

 戒里がその紙を持って来てたとは思わなかったな。こんなの責められるに決まってる。

 ああでも。解決策はある。僕がその妖怪と直接会って、交渉すればいいんだ。僕達を元いた世界に返してくださいって。上手くいけばそのまま帰れる。失敗しても被害は僕だけにしてもらうように挑発したりすれば、みんなは無事だ。

 これ完璧なアイディアじゃないか? これで責める理由はないはずだ。よし探しに行こう。

 みんなと距離を開け、理科室のドアに近付いた。

 「一翔ゥ。今のうちにあの二人の名前を教えるから、しっかり覚えろよ」

 「……りょーかい」

 くっそ戒里め。折角出て行っても大丈夫そうな雰囲気だったのに。

 「銀髪の男の方は、名前が無いから死神さんって呼ばれてる。でも本当に名前が無いのかは不明。オレは妖怪だけど、あの人は死神。今は事情があって雨水沙夜と一緒にいる」

 いつも持ち歩いているメモ帳と鉛筆で、今戒里が言った事を簡単にまとめる。


 ・銀髪 死神 名前が不明だから、死神さんと呼ばれている。

 ・事情があって雨水と一緒にいる。


 死神って命を奪うっていうイメージと、骸骨のイメージがあったんだが、それは違ったのか。姿が人間だし。雨水と一緒にいる理由は、事情があるからって戒里は言った。その事情が気になる。また機会があれば雨水に訊くか。

 「黒髪の男の方は、妖怪でも死神でもなくて、悪魔だ。本名は不明。でも今はルカって呼ばれてる。こっちも事情があって佐々木波瑠と一緒にいる」


 ・黒髪 悪魔 本名は不明でも、今はルカと呼ばれている。

 ・こっちも事情があって、佐々木と一緒にいる。


 悪魔って本来の姿と人間の姿と、二つあるんじゃないのか。戒里だって妖怪だし、今の人間みたいな姿と、本物の鬼の姿と、二つあるってこの前聞いた。

 それでこの事情がやっぱり気になる。これも機会があれば佐々木に訊こうか。

 「因みにオレは、銀髪の方はかみくん、黒髪の方は、くまくんって呼んでる。あっちからは、戒クン、戒さんって呼ばれてる」

 『かみくん』は死神の神から。『くまくん』も悪魔の"くま"をとったんだろう。

 「僕は何て呼べばいい?」

 戒里に向かって言った言葉に、いつの間にか近くに来ていた別の者が返事をした。

 「何でもいいよ。死神さんでも、かみくんでも。好きに選んで」

 好きに? どっちも別にって感じだけど、こういう時はどうすればいい。

 「えっと。……じゃあ死神さんで」

 「そう。じゃあこれからよろしく」

 「え、あっはい。よろしくお願いします」

 答えてから、これからなんてあるのか、と訝しむ。

 死神さんが僕から離れて、雨水の元に戻る。それと交互に来たのが、黒髪の男。

 「ワタシの事は、ルカかくまとお呼び下さい」

 「あー……じゃあくまで」

 「おや。ルカよりくまの方がいいのですか。てっきり、ルカの方かと」

 僕がルカじゃなく、くまを選んだのが意外だったらしい。

 「まあ。ルカって僕が知ってる人と同じ名前だから」

 「成程。確かに、同じ名前だと混乱してしまう可能性がありますね」

 満足したのか佐々木の元に戻る。

 えー。これ椅子に戻らないといけない感じ?

 「そうだなァ」

 「あ。声に出てた?」

 「出てたぜ。ばっちり聞いた」

 「そうか……」

 戒里にも座った方がいいと言われたから、最初座ってた椅子にまた腰掛ける。

 「——月森君」

 不意に、雨水が僕の名前を呼んだ。

 「……何?」

 てっきり責められると思った僕は身構えたが、雨水が放った言葉は、僕にとって予想外の言葉だった。

 雨水は、困ったように「大変だね」と、ただそれだけの言葉を吐いたのだ。

 ああ大変だよ。自分の知らぬ間に、自分が原因でこんなことになってるんだから。

 決して声には出さず、そう心の中で呟いた。


 5

   # # #


 口では何とでも言える。

 正直月森君を責めたいところだ。私は巻き込まれただけだから、自分で何とかしてって、そう言いたい。でもそんなことしたら"雨水沙夜"というイメージが崩れてしまう。だから敢えて短く「大変だね」と言った。ちゃんと表情も作って。

 月森君は三組だから話す機会もないだろう。だが万が一という可能性もある。

 それに、大変だと思ったのは本心だ。月森君の立場に自分を置き換えると、とてつもなく面倒くさく、現実逃避をしたくなる状況。そこで責められたら逆ギレしてしまう。……私だったらの話だ。月森君が責められてどう反応するかは知らない。なんせ今日初めて話した相手。それなのにどう反応するか分かってたら怖いでしょ。

 「月森クンにちょっと頼みたいんだけど。いい?」

 死神さんが笑顔で月森君に声をかける。

 「どうぞ」

 「ありがとう。——月森クン。直球で言うけど、宮原里緒と夜野おさむに会ってきてほしいんだ」

 「……」

 無言の月森君と笑顔の死神さんを、その場にいる全員が見守る。

 「それが一番いい方法だと思うんだよね。こんな書き置きがあったんなら、相手だってそれを望んでるってことでしょ。ならその通りにすれば手っ取り早く、元いた世界に帰れる。月森クンもそう思わない?」

 「……まあ。思わないと言えば嘘になります」

 「だったら別に問題ないよね。ボク達は二人を探すのを手伝うから。ね」

 それでいいよね? と言いたそうな笑顔で見られる月森君。とそこで……

 「ちょっと待って下さい! 死神さん。貴方強引過ぎませんか。危険かもしれないんですよ。それを勝手に……」

 「勝手? 何言ってんの悪魔クン。月森クンの意見はちゃんと聞いた。嫌なら月森クンが断ればいいだけだ」

 何も問題ないと言う死神さんと問題はあると言うルカさん。一気に今にも口喧嘩が始まりそうな雰囲気になる。

 死神さんって口喧嘩するのかな。そんな感想を抱いたが流石にこの状況で喧嘩とか見たら止めないと、と思う。

 「あの。死神さん」

 「なに?」

 月森君が死神さんに声をかけたことで、ルカさんとの険悪な雰囲気がさっと消えた。

 良かった。私が止めることにならなくて。安心感でほっと息を吐く。

 「僕、別に会いに行くくらい全然大丈夫ですよ。死神さんの言う通り、何の問題もない。だからくまさんと険悪な雰囲気になって欲しくないんですよね。雨水と佐々木だって困ってる。くまさんも、心配してくれたんですよね? ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ。本当に」

 その時、私の斜め後ろから「オレは入ってねェのか」と呟く声が聞こえた。……戒里さん、だよね。

 月森君はルカさんのこと『くま』って呼ぶことにしたんだ。意外だなあ。

 「分かりました。死神さんと今この場では、このような事がないよう気をつけます。——本当に、大丈夫ですか」

 「大丈夫です」

 「じゃあ決まりでいいんだよね。あの二人がどこにいるのか見つけたら、他のヒトに報告すること。悪魔クンもこれでいいよね?」

 「……はい」

 えーと?

 「とりあえず、先生を探すってことでいいのかな」

 「そう、だろうな」

 佐々木さんと確認し合った後。

 私は死神さんと一緒に先生を探すことになった。

 「どこから探しますか?」

 「そうだなあ。一回、保健室に戻ってみる? 何か手がかりになるものがあるかも」

 「あー、確かにそうですね」

 保健室と言えば、何か違和感を感じた場所だ。ついでにでいいから、それが解決すればいいな。

 廊下に出て、体育・保健棟に行くため階段を下りる。

 「……そういえば、なんですけど」

 「ん。どうかした?」

 「その。ここが私が居た世界じゃないっていうのと、先生が人間じゃないっていうのを信じなくて、すみません……」

 怒られるかな。それとも呆れられる? どっちも嫌だな。

 「ああそのこと? 別に謝ることじゃないよ」

 思ってたのと違った返事に、戸惑った。

 あんな生意気な口利いたのに。頭大丈夫か、なんて失礼なことも言ったのに。

 「許してくれるんですか」

 「許すもなにも、ボクは言ったはずだよ。あとで信じざるを得なくなるって。その通りになっただけで、別にキミが謝ることじゃない。気にしなくていいんだよ」

 そう言われて、今日何度目かの安堵の息をした。



 保健室は電気がついていなかった。きっと月森君が消したんだろう。

 電気をつけると、見たところ何も変化がない。

 先生の机も、カーテン奥のベッドも、色々見てみたが特に変わっているところは見つからなかった。

 「当てが外れたか」

 「ですね……」

 本当に何も変わってないなあ。

 「他のところ探しますか……。ね、死神さん」

 「そうだねえ。ここには何もなさそうだし、あると言えば時計が止まってるってだけだもんね。次、どこ行こうか?」

 ——え。

 待って待って。時計が止まってる? 何それ初耳。

 時計を見やると、確かに針が動いていない。私が初めに見た時と同じ、四時三十分。

 保健室で感じた違和感はこれだったのか。と納得したところで、これはただ単に時計が壊れてるってことなのか、と疑問に思う。

 ここは先生達『妖怪』が創った異空間。だとしたら、時間が止まってるとも考えられる。どっちが正解なんだろう。

 「どうしたの。何か気になる事でもあった?」

 「えと。何でもないです。……いや? あると言えばある、か。ああでも、やっぱ何でもないです」

 「……何が気になるの? 時間の事?」

 おお当たってる。すごい。

 じゃなくて。何で分かるんだ。私そんなに分かりやすいのか。

 「ここは妖怪が創った世界だし、ボクは時が止まってるんだと思う」

 まだ肯定してないのに。私が気になってた事に答えてくれるとは……

 「私そんなに分かりやすいですか?」

 「どちらかと言うと分かり難いね」

 「じゃあ何で分かったんですか」

 「勘だよ」

 「へえ。勘で分かるもんなんですね……」

 そう聞いて思わず感心する私に、死神さんが笑いを耐えた表情で嘘だよ、と言った。

 騙された。くっそまたか。最近この手のイタズラをよくされる。しかも毎回私はそれに引っかかるっていう……私も少しは学習しないとな。

 「じゃあ、何で分かったんですか?」

 気を取り直して、同じ質問を口にする。

 「んー。深く考えなくていいんだけど。単純に、キミが似てるからだよ」

 「似てる……? 誰に」

 「さあね。自分なりに考えてみてよ。そして、分かったら答え合わせをしよう。——今のキミには、まだ情報が足りないだろうけど」

 それは死神さんからの課題と捉えていいのだろうか。

 前々から、死神さんは何か隠してると思ってた。私が"誰か"に似てると言ったのは、それに何か関係があるのかもっしれない。

 死神さんの言う通り、今の私ではまだ情報が足りない。死神さんは私に何を教えたいのか、何を教えたくないのか分からない。でも知ってほしいとは思ってそうだな。じゃなきゃ、わざわざ私が"誰か"に似てるなんて言わないし、何もかも隠すはずだ。それをしないという事は、つまりそういう事だろう?

 「さ。次、どこ行こうか」

 「体育館でいいんじゃないですか。ここからも近いし」

 「じゃあそうしよう。もうないよね、ここには何も」

 「はい」

 保健室から、次は体育館に移動する。

 鍵は開いてると思う。それこそ勘だけど。

 佐々木さんと月森君の方は、何か見つけたかな?


   * * *


 「見つからねえな」

 「当てが外れましたか……」

 「って事は、先生が持ってる?」

 「恐らくそうかと」

 図書室で倒れたから、図書室に先生達の手がかりがないかと考えたが、夜野先生が見つけた鍵もどこにも無かった。

 今思えば、あれは嘘だったのかもしれない。こっちに抵抗させないように気絶させるための、囮みたいなもの。こう考えると、あの鍵は夜野先生が創った鍵とかだろうな。

 「"開かずの扉"というのは、これですね?」

 「そうだと思う。稲葉がそう言ってたし」

 「……気になっていましたが、稲葉さんは波瑠さんのご友人ですか? それにしては、どちらも態度がよそよそしく思えましたが」

 「まるで見てきたかのような言い草だな。——稲葉は兄さんの友達だ」

 「"兄さん"とは……?」

 「話してなかったか?」

 「聞いてませんよ。一ヶ月過ごして来たのに、全く聞かされてません」

 「それは悪かった。——俺には双子の兄がいるんだ。一卵性ではないから、顔がそっくりって訳じゃない。あいつは、優しくて明るくて、運動が好きな元気なやつだったよ。俺はしょっちゅう迷惑かけてた。あいつはお節介でもあったし」

 「ほう……成程」

 ボソッと呟いたルカの言葉は、俺の耳に届かなかった。

 「それよりここにはもう何もねえし、次行こう。ここから一番近いのは教室だ」

 「そうですね。では、教室を見回りましょうか」

 「だな」

 ふと、本がずらりと並んである棚の一つに目がいった。

 他の棚ともなんら変わりない、普通の棚。でもその棚の近くには、黒い羽のようなものが落ちていた。

 あれは、俺の苦手な烏の羽。ここにもあの大量の烏が来たのか。それとも、先生が烏と関係がある妖怪とか?

 「あ……」

 丁度いいじゃないか。ここは図書室だ。それも、児童が読まないような本も沢山置いてある図書室。

 だったらあるんじゃないか? 妖怪について詳しく書かれている本が。

 「ルカ。やっぱりもう少しだけ、ここを調べよう」

 「何か気になる事でも?」

 「まあな」

 ルカは俺の提案を受け入れてくれた。

 そこから俺はルカにも頼んで、片っ端から妖怪と関係がありそうな題名を探し始めた。

 〔善と悪〕

 〔摩訶不思議〕

 〔陰陽師〕

 〔悪魔伝説〕

 〔妖怪の潜むところ〕

 ……。

 …………。

 ………………。

 中々見つからない。それっぽいのはあるんだが。〔陰陽師〕は……違うだろう。

 「波瑠さん波瑠さん。妖怪について書かれている本を見つけましたよ」

 俺と反対側の棚を探していたルカが、一冊の本を持って近くに来る。

 「おお。流石ルカ」

 少し古びたようなそれは、〔日本 妖怪辞典〕と表記されている。

 「持ってみますか?」

 「うん」

 結構分厚いから重いかも。

 そう思いながら、本を受け取る。するとズシリと手に重さが感じられた。

 「あ。重かったですか。私が持ちますね」

 「いや。大丈夫。机あるし、そこに持って行けばいいだけだから」

 「……そう、ですか」

 ルカの申し出を断ったのは、本が持てなくはない重さだからだ。

 俺は持てないと判断したものは、今までルカに持って貰う事が多かった。だから最近、ルカに頼りっぱなしは駄目だと考え、持てるものは自分で持とうと決めた。

 ルカは重いものを率先して持とうとする。今だってそうだった。そして俺が持つと言えば、落ち込んだように目を伏せる。……そこまで重いものが持ちたいのかと、何度思ったことだろう。

 机に本を置き、一ページめくる。

 どうやら目次はないようだ。これじゃ探すのは大変だろうな。

 「……とりあえず……」

 烏と関係ある妖怪、だな。

 ルカも俺も口を閉ざし、紙をめくる音だけが静かに聞こえる。

 【青行燈】【赤石様】【小豆洗い】【悪鬼】【天邪鬼】【雨女】……全く分からないのばっかりだな。いや、最初からオカルト系は全然分からないが。まあまあ聞いた事がある、ってのがちょっとあるくらいだけで。

 烏という字を探して一ページずつしっかり見る。

 どれくらい経っただろうか。案外短かったかもしれない、見つけるまでの時間は、俺にとっては一時間かかったように思えた。

 「これ、だよな……」

 普段本を読まないから、字を追うのに目が疲れた。まだ数十ページも残ってるし、これで合っていて欲しい。

 「——烏天狗からすてんぐ

 そのページには、こう書かれている。

 【烏天狗 : 鴉天狗

  烏天狗または鴉天狗は、大天狗と同じ山伏装束で、烏のようなくちばしの顔をしている。そして、大きな翼があることから、自由自在に天高く舞うことが可能だとされる、伝説の生物。小天狗や青天狗とも呼ばれる。

  (※実在するかは不明である) 】

 絵もあるが、所々線が掠れていてはっきり見えない。字ははっきりと見えるし読めるのに……。そんなに古い本なのか? 見た目も中身も結構綺麗だが。

 「妖術については書かれていませんか……残念です」

 「落ち込んでる所悪いが、——じゃあ先生は烏天狗っていう妖怪なのか?」

 「まあそうでしょうね。……あの烏の幻覚を見た時、もしかしたら本物が紛れ込んでいたのかもしれません。燃やされる前に移動したのでしょうか。あの時何も落ちていませんでしたし」

 「え、何で。烏天狗って烏になれるのか?」

 「ええ。烏天狗が烏になるのは容易たやすいことです」

 「だとしたら、今もどっかで俺達の様子見張ってたり、する……?」

 「可能性は、まあ。ありますね」

 うわーまじか。でも、烏は一羽二羽ならまだマシだ。あの時はいっぱい居たから気絶寸前までいったが、一羽くらいならまだ耐えられる。

 先生が妖怪で、それも俺が苦手な烏になれるなんて普通じゃない。いや。そもそも悪魔と契約してる時点で俺に"普通"なんてないのかもしれない。

 一ヶ月前は悪魔とは無縁の生活してたのにな。

 「知りたいことは知れたし、教室に行こう。いいか?」

 「はい。構いません」

 「なら良かった」

 図書室を出て、ここから一番近い一年の教室に向かう。

 一年一組の教室のドアを開け、足を踏み入れようとする。その瞬間にガシャンッと派手な音が耳に飛び込んで来た。

 「何かあったんでしょうか?」

 眉を寄せ、辺りを警戒するルカ。

 「どこから聞こえたんだ……?」

 「近かった、ですよね」

 「二階? それとも三階?」

 「見に行きましょう。もしかして、誰かが転けただけかもしれませんし」

 「だといいけど……」

 その可能性は低すぎる。

 二階に続く階段を駆け上がり、音の出所を探す。

 「どこも変わってない……。二階じゃなかったのか。じゃあ、三階?」

 「急ぎましょう。これは少々、厄介な事になりました」

 「厄介?」

 「ええ。三階に続く階段から、夜野おさむと宮原里緒のあの気配が強く感じられる。確か三階は、戒さんと月森さんが居るはず……」

 「怪我してる可能性が高いって事か」

 「簡単に言えば、そうですね」

 二階には何も変わった事がなかった。何かが壊れていた訳でもなく、ごく普通の教室だった。となれば後は三階だけ。

 階段に足を運び、三階に向かおうと思ったとき。

 「あ! 佐々木さん!」

 バタバタと階段を上がる足音と共に、雨水さんが俺の名前を呼んだ。

 「佐々木さんも無事だったんだ。良かった」

 「やっぱり三階からか……。戒クンが教室棟を調べるって言ってたし、一階と二階に居ないって事は、危険な状態かもね」

 二人もさっきの音が聞こえて来たんだろう。焦ったような顔をしている。

 「月森君は無事かな」

 「俺はそうだと信じたい」

 「だよね……」

 先生は悪いヒトじゃないはず。だから、大丈夫。

 そう心の中で呟いて、俺はルカ達と一緒に階段を駆け上がる。

 無事だといい。

 こんなに強く誰かにそう思ったのは、久しぶりのような気がする。


   ☆ ☆ ☆


 何でこうなったんだよ。

 最悪だと思いながら、明らかに我を忘れている戒里を見る。

 六年三組の教室はめちゃくちゃになっている。

 机と椅子は倒れているし、倒れてなくてもボロボロ。窓は全部割られていて、窓付近はガラスの破片が散らばっていて危ない。電気だってギリ天井から落ちてない状態。

 何がどうなってこうなったのか、全くもって理解できない。戒里は何故先生の言葉に怒ったんだ?

 あーもう、最悪。

 それにどうやら僕は、ただ巻き込まれただけのようだし。先生と話をして分かった。

 先生の狙いは僕じゃなく、——戒里だったという事が。


 6

   ☆ ☆ ☆


 最悪な出来事が起こる、その前の事。



 「——雨水が体育・保健棟、佐々木は図書室。……僕達はどこに行く?」

 「ここか教室棟、くらいだよなァ」

 「……あーでも、鏡棟を調べるの大変だろうし、教室棟にしようか」

 「一翔がそれでいいなら構わないぜ」

 真剣に考えてるのか疑わしいが、戒里も同意してる事だし僕達は教室棟を見て回ろう。

 「なァ一翔。人間だと思ってた奴が妖怪だった気分は、どうだ?」

 渡り廊下を歩きながら唐突にそう切り出した戒里。

 「最悪の一言に尽きる。こうも身近に妖怪が潜んでるなんて、思いもしなかったし」

 「ま、そうだろうなァ。お前にとって妖怪はこの世から消したい存在、だもんなァ」

 戒里も妖怪だが、なんで『この世から消したい存在』だなんてよく平気で言えるんだろう。悲しくなったりしないのか。自分の存在を否定してるようなもんなのに。

 「それを言ったら、僕にとって戒里も消したい存在ってなるぞ」

 「違うのか?」

 そう聞かれて否定出来ないのは、仕方ないと思う。

 僕は妖怪が嫌いだ。さっき戒里が言ったように、この世から消したい程に。でも、妖怪にだって良いやつはいるし、戒里はそれに当てはまる妖怪だろう。僕だって誰彼構わず嫌う程、ひねくれていない。

 だから戒里を消したい存在だと思った事は、一度もない。……流石に初対面の時はノーカンで。

 「違う……んじゃないか。多分」

 「なんだそれ」

 口ごもった僕に対し戒里は、笑いを含んだ声を出す。

 「教室って一階から見て回る? それとも三階から?」

 「……」

 渡り廊下を渡りきり戒里にそう尋ねるが、返事がない。

 またか。

 「戒里ぃ。いい加減そのぼーっとすんの、やめてくれないか? 僕には何の対処も出来ないんだからさあ。……って、聞こえてないか。じゃあ僕が決めていいか。いいよな? 三階からにしよう」

 一応聞こえるようには言ったつもりだが、戒里は眉を潜めるだけ。つまり何も聞こえていないと。

 ため息を吐き、僕はどうすればいいんだろうと、思考を巡らせる。

 死神さんとくまさんから、一人で行動しないようにと注意されている。だから戒里を放って、一人で三階に行くのは駄目だろう。ならばどうするか? 選択肢としては、一応三つある。だがやはり一番手っ取り早いのは、戒里を我に返させること。

 呼びかけるのは反応なかったから、叩くとかしてみるか。

 そう思い、戒里を叩こうと手を上げた。日頃の恨みも込めて、よし叩こう——とそこで、背筋が凍るような悪寒が走った。

 たった一瞬だ。でもその一瞬でここまで不気味に思うものなんてあったんだと、恐怖を通り越して感心する。今のは一体何だったのだろうか。

 「——いる。彼奴あいつらが……」

 「あいつらってだれ……おま、それっ」

 戒里が喋ったかと思えばその手にはあの、瞬間移動が出来るモノが握られていた。

 戒里のやつ、どこかに移動する気だ。

 理解した途端僕と戒里の足元には、何故か青い意味不明の模様が浮かび上がってきて、僕は咄嗟に戒里の腕を掴んだ。

 「うおっ。お前いたのか!?」

 お前いたのか、とか失礼なやつだ。最初っからいたよ僕は。

 なんて考えている内に、その青い意味不明の模様は消えた。と思ったのも束の間、模様は青い糸のようなものとなって足元から現れ、今度は僕と戒里の周りを囲んだ。

 これも一瞬と言っていい程の時間の出来事だった。

 恐怖でもなく感心でもない。その時僕の心にあったのは、驚き。

 「あっやべ」

 そんな戒里の焦った声が聞こえた直後。

 僕は目を塞がれた。

 ……いや、今僕の目を塞いだってもう遅いから。僕もう、見ちゃったから。

 手を離された時には既に、僕はさっきいた場所と別の場所にいた。と言っても、教室棟の一階から三階に移動しただけだが。

 「見たか……?」

 何がかは聞かなくても分かる。

 「ごめん」

 「……まァ、見ちまったもんはしょうがねェや。それより、ここに何か気配感じねェか?」

 「気配……? 別に感じないけど」

 何かいるのか。

 そう言えばここに移動する前、戒里は言った。"あいつらがいる"って。

 あいつら、って事は一人じゃなく複数を指している筈だ。そしてそれを言った時の戒里は、眉を潜め険しい表情をしていた。

 だからなんとなくで訊く。「その気配って、もしかして先生?」

 「そう……だと思う」

 「言い切れないんだー。へー」

 「うるせェ。しょうがねェだろ、彼奴らと同じとかあり得ねェし」

 「だからあいつらって誰の……」

 僕は最後まで言葉を紡ぐ事が出来なかった。居たからだ。僕の目の前に。

 その人は軽く手を挙げ、こう言った。「よぉ。遅かったな。なに、君は危機感というものがないのか」

 ……それは煽りととっていいのかな、夜野先生。稲葉だったら速攻で罵倒したい気持ちを抑えてるな。



 「早速で悪いが、幾つか質問させてもらう」

 ——夜野先生は僕に声をかけた後、宮原先生も居るという六年三組の教室に入って行った。もちろん僕と戒里はその後を追う。この時何故か戒里は無言だった。正直に言うといつもうるさい戒里が急に静かになって怖い。僕は何もしてないのに、罪悪感に似た気持ちを抱いた程だ。

 そうして教室に入ると宮原先生が、やっと来たと言うように笑う。

 不穏な空気じゃないが、これからそうなる可能性がある。警戒はしとかないと。宮原先生の笑みを見て、密かにそう思った。

 先生二人を前に、僕は椅子に座る。戒里はその横を突っ立ったまま。

 本当にどうしたんだろう。心当たりがない分、余計不安に駆られる。けれども夜野先生はそんな戒里を気にもせず、淡々と言葉を吐いた。宮原先生はだんまりだ。

 「まず一つ目。これはまあ、確認みたいなもんだ。——君はオレ達がなんなのか、知っているな?」

 「妖怪?」

 「正解。じゃあ次の質問だ」

 あれ。思ってたのと違うな。もっとじっくり質問をされるのかと思ってた。この分だったら、先生からの質問はあっさりと終わるのかもしれない。

 「君は何時いつから妖怪が視える?」

 「確か……物心ついた時から、だったと思います」

 「ほう。ならば、幼少期からえることを知っている人間は?」

 「居ないはず」

 「家族もか?」

 「はい」

 そんなの知ってどうするんだろう。別に得するものではないのに。というか、あっさりと終わるかもしれない事はなかったな。思い切り時間がかかりそうだ。

 「そうか。では三つ目の質問だ。君は、妖怪についてどう思う?」

 「……っ、」

 言葉に詰まった。

 妖怪についてどう思うか。この質問は答え方によって、最悪な展開になる可能性がある。——ここで正直に『この世から消したい存在』だなんて言えない。それにいくら先生でも、存在を否定されるような言葉は聞きたくないだろう。何より、聞いた瞬間に殺されるかもしれないし、そんな言葉は口に出来ない。

 「えー……っと」

 なんて答えよう。このまま考えるふりをするにも限界がある。痺れを切らして襲われたりとかもあり得るし、どうしよう。何か嘘を……いや、嘘を吐いてバレたら後が怖い。

 とりあえずこのまま黙っておく訳にもいかず、なんとか誤魔化そうと口を開く。しかし僕が声を出す前に、先生がそれを遮った。

 「答えたくないか。ならそれはそれでいい。別に無理矢理聞こうって訳じゃないさ。答えたくない場合、"答えたくない"のただ一言で、次の質問に移るから」

 その言葉で、優しい、と思ってしまった。妖怪相手に。

 妖怪でもこんなヒトいるんだ。こういうヒトなら、殺される事はないかもしれない。そう安心してしまった。

 「答えたくない、です」

 「そうか。じゃあ次の質問だ」

 妖怪だから、完全に信じてしまうのは危険だ。戒里は演技とは思えないから、多少なりとも信じてる。裏切られる事はないと思うから。

 だけど、先生は違う。こんな空間に僕らを閉じ込めて、僕に質問するだけが目的とは考えられない。

 「君とそこの妖怪は、どういう関係だ?」

 僕の横に立っている戒里を顎で指し、そう言った。釣られて見ると、さっきまでぼーっと何かを考えていた様子の戒里が、ピクリと反応した。

 「どうって言われても……よく、分からないです」

 「分からない?」

 「はい」

 改めて考えてみれば、僕と戒里の関係は何なのだろうか。友達ではないし、かと言って他人でもないだろう。知人とは違う気もするし……よく、分からない。

 「……それなら違う質問をしようか」

 「違う?」

 「ああ。君はそこの妖怪を、どう思う?」

 「どう……えっと、僕は親しみやすいと思ってます」

 「親しみやすい?」

 「はい。こう言っちゃあなんですけど、妖怪って人と馴れ合わないイメージがあるんです、僕の中で。でも戒里はそうじゃないって言うか……クラスに一人はいる、お調子者みたいな感じがして。だから僕は戒里の事を親しみやすいと思ってます」

 「ほう。……戒里の事が嫌いじゃないんだな……良かった」

 ……良かった? 先生は、僕が戒里を嫌っていなかったから、良かったと言ったか? それってまるで、先生が戒里を気に掛けてるような言い草だ。戒里も先生と会ってからおかしいし、もしかして——

 「次の質問だ」

 僕の心の声に被せるようにして、夜野先生がそう口にする。

 「君から、何か質問はないか?」

 「えっ?」

 まさかそうくるとは思わなかった。てっきり先生からの質問に答えて終わりかと……。まあ質問はないか、というのも、そもそも質問ではないような気がするが。

 「戒里も月森も、あたしに訊きたい事があるだろう?」

 それまで黙っていた宮原先生が、静かに口を開いた。戒里は先生から目を逸らし、何も言わない。

 何だこの空気。宮原先生の聞き方的に、僕と戒里ではなく、戒里だけに訊いてるような感じがした。僕はそれのついでみたいだ。何だこの気持ち。

 複雑な心境を抱えたまま、僕は夜野先生に声をかける。

 「質問していいですか」

 「ああ。構わないぞ」

 「色々訊きたい事がありますけど、今一番気になってる事を言いますね」

 「何だ?」

 一瞬、これは言っていいものだろうかと不安が湧いた。だが意を決してそれを口にする。

 「——夜野先生と宮原先生、戒里とは知り合いですか」

 ほとんど、確信を持って放った言葉だ。あれだけお互いを意識しているような態度と言動を見せられたら、誰だって一度はその結論に至るだろう。

 夜野先生と宮原先生は、可笑しいくらい同時に目を見開いた。

 「何故だ?」

 戸惑いながらもそう尋ねる夜野先生に、自覚がなかったのか、と心の中で苦笑する。

 「だって夜野先生と宮原先生、戒里の事をよく知ってるような態度だったし。それに戒里が言ってました。ここに"あいつら"がいるって。——ここは先生が創った異空間。そして先生は妖怪。だから、戒里が言う"あいつら"って、同じ妖怪の夜野先生と宮原先生の事かなあって思って」

 僕が言い切った後も、教室はしんと静まり返っている。その沈黙を破ったのが、隣に立つ戒里だった。

 「あァ、そうだぜ。知り合いじゃなくて、オレは家族だと思ってるけどなァ」

 その言葉に夜野先生と宮原先生が、戒里からさっと目を逸らす。

 「一翔。お前は今から、目を閉じて耳を塞げ。ここからは、お前には関係ねェ事だ。わかったか?」

 戒里は先生に何か言いたい事があるようだ。

 「……わかった」

 素直に従うと、戒里は「悪りぃな」と申し訳なさそうに僕の頭に手を置いた。

 いい気分はしない。子供扱いされているのが、ひしひしと伝わるから。

 出来るだけ戒里達から距離をとろうと、後ろのロッカー前に移動した。

 戒里が声を発する前に、僕は目を瞑り、手で耳を塞ぐ。だが手で耳を塞ぐだけじゃ、声が聞こえてしまう。

 だから僕は思い切って耳を澄ました。耳を塞いだまま、出来る限り三人の声を拾おうと。

 「なァ。オレはお前らにとって、何なんだ? オレはお前らを家族だと思ってる。けど、違ったのか?」

 どんな表情をしてるのか気になったが、生憎目を閉じているので分からない。でも戒里は、聞いてて哀しくなるような声音だった。

 「——違わないぞ。オレは、戒里の事を家族だと思ってる。今も昔もそれは変わらない。だが、お前がオレを、オレ達を家族だと思ってくれてるなんて、思わなかったんだ」

 「……同じだよ。あたしは許されない事をしたんだ。戒里に嫌われてもしょうがない。そう考えていたからね」

 うん。何言ってるのかさっぱりだ。

 家族? 許されない事? 僕には分からない話だ。まあ戒里の事を深く知らないのだから当たり前の事だが。

 僕がそんな風に考えている間も、三人の会話は続く。

 「オレがお前らを嫌う訳ねェだろ。何でそう思うんだよ」

 「それは……」

 夜野先生が口籠った。その代わりというように、宮原先生の声が聞こえる。

 「——見捨てたから、だよ。あたし等はあの時、逃げたんだ。戒里を置いて。それは見捨てたという事だろう? だからもう、戒里と家族という関係には戻れないと思った」

 「…………」

 「仕方なかったんだ。言い訳に聞こえるかもしれないが、あの時オレ達は戒里を助けようとした。だがそれは叶わなかった。そのままお前とは会えなくなって、結果的に戒里を見捨てたオレ達は、嫌われたかと思った」

 ……聞かなければ良かった。

 今更僕の胸に後悔の念が溢れてきて、罪悪感を抱いた。

 戒里の過去について、僕は何も知らない。知りたいとも別に思わなかった。だがこうして話を聞いたら、好奇心が疼いて気になってしまう。

 近すぎず、遠すぎず。その関係はずっと維持していたい。戒里の手伝いが終わった頃、何も思わずに別れが出来るように。妖怪に情が移らないように。

 その考えが、今ここで覆されてしまいそうだ。

 僕は最初より強く手を耳に押し付けた。

 「嫌う筈がない……っ、オレはずっと、ずっと家族だと思ってたんだぞ!?」

 それでも聞こえてくる声は悲痛の色を帯びていて、同情しそうになる。

 「でもオレ達は、ずっとそう思う事は出来なかったんだ! あんな別れ方をして、そう思える訳がないだろう……!」

 なんとなく居心地が悪くなった。宮原先生の二人を止めようとする声が聞こえる。

 「おいっ。月森がいるんだ! 今ここで暴れたら、月森が怪我するだろう!?」

 「うるさいッ!」

 「戒里っ!」

 夜野先生が戒里の名を叫ぶように呼ぶ。僕は思った。あれ、これはもしかしてやばいんじゃないか、と。

 そして見事にその予感は的中する。

 戒里と夜野先生の言い争いと同時に、ガシャンッと何かが割れたような音と、勢いある風が僕の肌を刺激した。もういいだろ、と自棄になり目を開け耳から手を離すと、教室全体がボロボロだった。机と椅子はあちこちで倒れてるし、窓は全部割れていて、窓付近はガラスの破片が散らばっていて危ない。更に言うと天井にあるはずの電気が、落ちるか落ちないかの境目を彷徨っている。

 なにがどうしてこうなった? 何故戒里は先生の言葉に怒ったんだ? いや、声だけだったがあれは怒ってるという感じじゃなかったような気がする。

 そして戒里はと言うと、一言で表すなら"恐ろしい"だ。牙と角が普段より一回り大きくなっていて、目を赤くギラギラと光らせている。そしてその姿は、より人ならざるモノへと変形しそうな勢いだ。それに近づこうとする夜野先生を、容赦なく自身の爪で引っ掻こうと手をあげる——明らかに我を忘れているといった状態だろう。少なくとも普段の戒里は、自分の爪を誰かに当たらないように気をつけて行動しているんだ。だから今のこの状態は、暴走してる事以外あり得ない。

 それでも夜野先生は、戒里をなだめようと声をかけ続けている。宮原先生もだ。

 我を忘れている妖怪はたとえ戒里だったとしても危険。

 僕は巻き込まれたくないから震える身体を動かそうとするが、出来なかった。頭では動かないととわかっているのに、身体が言うことを利かない。このままでは巻き込まれて怪我をしてしまう。

 どうしよう。何か身を守るものを……

 「——月森ッ!」

 僕の名を呼ぶ夜野先生の声に、反射的に顔を上げた。すると迫ってくるように見える"なにか"。

 ——ヤバい。

 咄嗟に手で顔を覆い、ぎゅっと強く目を瞑る。次に来る痛みを想像しながら、歯をくいしばった。



 その刹那、「あっ、やべ」という呑気な声が耳に届いた。




 7

   ☆ ☆ ☆


 え? と思い手を下ろし目を開けると、目の前に戒里が立っていた。暴走していない、普段の姿の戒里が。

 あんなに牙と角が大きくなって、さっき本当に人ならざる者の姿形に変化しそうだったのに、それがまるで夢だったかのように戒里は僕に手を差し出す。

 「悪かったなァ、一翔。やっぱ、お前を巻き込んじまった」

 「は……?」

 混乱した頭の中で、必死に思考を巡らせ戒里の行動を理解しようとする。でもやっぱり理解出来なくて、ただただ呆然とした。

 「どうしたァ?」

 「え? だって……え? さっきあんなに……え?」

 「え? って、それしか言えねェのかよお前は」

 自覚はしてる。だがそう言わずにはいられない。戒里はさっきまであんなに暴走してたんだ。なのに今は、僕の目の前で呆れ顔。「え?」ってなるだろう。ならない方がおかしい。

 「……先生は?」

 「彼奴らか。そこにいるよ、ほら」

 「あ、ほんとだ」

 夜野先生と宮原先生も僕同様、呆然としている。やっぱりそうなるよな。さっきまで必死になだめようと声かけてたんだし。対して戒里は、なんで僕達が呆然としているのか分からないようだ。

 「……ちょっといいか?」

 「なんだよ?」

 「さっきまで暴走してたのに、なんで今はけろっとしてるんだ」

 戒里は、はあ? と言いたげな表情を浮かべた後「あァあれか」と納得したように呟き、こう言った。

 「——演技ってやつ? ほら、オレが暴れたらどうなるかっていう、実験的な?」

 「は?」

 馬鹿かこいつ。

 そう思ったのは僕だけじゃなかったようだ。

 「ふざけるなこの馬鹿が」

 夜野先生が戒里を睨みつける。

 「あァ? ふざけてなんかねェよ」

 「いいや、ふざけてるだろ。オレはお前を正気にさせようと頑張ってたって言うのに」

 「いやいや、全くふざけてねェよ。——ああでもしねェと、お前らの本音が聞けねェだろ?」

 「本音? 先生の? さっき言ってた、僕には分からない話の事か?」

 「そうそれ。一翔なら、聞く気はなくても聞くと思ってたよ。案の定聞いてやがったからなァ」

 ちらっとわざとらしく僕を見る戒里。

 「……しょうがないだろ。聞こえたんだから」

 「はいはい、オレはちゃんと分かってるって」

 何を、と僕が返そうとすると夜野先生がそれを制止。

 「月森。少しだけ戒里と話がしたい。耳を塞ぐのはしなくていいが、もうすぐ来る奴らを足止めして欲しい。いいか?」

 「誰か来るんですか?」

 「ああ」

 ここに居ても話に入れるわけじゃないし、素直に従うか。

 「あたしも月森と一緒に居とくよ。何かあった時、誰か側にいた方がいいだろう」

 「頼む」

 宮原先生に優しく背中を押され、一緒に僕は教室を出た。と同時に、バタバタと複数の足音が廊下を響かせる。

 「な、何だ?」

 「月森を心配して来たんだろうね」

 誰が、と言いかけて察した。この空間にいる人は限られていて、その人達がさっき教室がボロボロになった時の音を聞いて来たのだろうと。

 「あっ、居た!」「無事か」「大丈夫ですか? 怪我とかは」「無事だったんだ。良かった」

 足音の主はそれぞれ、僕にそう言った。あまりに一気に言われるものだから、僕は宮原先生と顔を合わせて苦笑い。それを前にして、みんなは僕の隣にいる妖怪に目を向けた。

 「宮原里緒、だよね。夜野おさむは? それに戒クンも」

 「二人は今教室で話し合ってるよ。あの二人は昔から仲が良いからね」

 「へえ……」

 死神さんは宮原先生をまだ警戒しているようだった。

 「知り合いだったんですか? 先生と戒里さんって」と、雨水。

 「知り合いっていうか、家族みたいな関係さ」と、宮原先生。

 そう言えば、戒里もそんな事を言っていたような。じゃあ先生は鬼か? 家族ってそういう事だよな。

 「貴女の目的は?」

 「目的は月森に質問と、戒里だよ」

 「戒さん? 何故」

 「……それを説明するには少し時間がかかるけど、いいかい?」

 え。なになになに。戒里の過去が知れるのか? そんな簡単に知って大丈夫なのか。これって僕は聞いた方がいいのか?

 「ただし、それを聞いて戒里を傷つける事は許さないよ。月森もいいね?」

 「は、はい」

 何故名指し。

 まあでも、と僕は宮原先生の声に耳を傾ける。

 死神さんとくまさんはまだ警戒しているようだったけど、雨水と佐々木が聞くと言うから仕方なく、といった風に耳を澄ました。

 だからその場に、宮原先生が語り出すのを止める者は、誰一人として居なかったのだ。



 ——何百年も前のこと。戒里は、ある村の人間に恋をした。だがそれは、妖怪では最も禁忌とされている事だ。当然の如く、その想いは消し去らなければならない。——普通ならば。

 戒里はそれを知らなかったんだ。妖怪の中で外れ者の戒里は、それを知る術もなく、毎日のようにその人間に会いに行っていた。そして人間も妖怪の戒里を恐れず、いつも二人は幸せそうに笑っていた。

 あたしも、隠し通せるならそのままにしておきたかった。あの二人は、妖怪と人間の境界線を気にせず、ただ幸せに日々を送りたかっただけだと思ったからだ。

 だが、現実とは哀しいものだな。……二人は、呆気なく引き離された。

 ある日、人間が村人に幽閉されたんだ。理由は、戒里と仲睦まじくしていたから。

 ——この頃、村はある病が流行っていた。不知の病に苦しむ人々は、原因を探ろうと必死。そしてこの頃はまだ、人間も妖怪の存在を認識していたし、不幸な事に村人はその病を妖怪のせいにした。

 当たらずとも遠からず。実際その病は、心が弱った人間を的に妖怪が仕掛けたものだから、間違ってはいない。だけどそれは戒里じゃない、全く別の妖怪の仕業だ。それを知らない村人は、病が流行りだしたと同時期に戒里が人間に会いに山から人里へ下りてくる事を知り、戒里がこの病の原因だろうと勘違いし陰陽師に依頼した。そして、戒里が好意を寄せている人間を人質に、戒里を山の洞窟前に誘い寄せたんだ。その洞窟に、戒里を封印しようと。

 勿論、あたしは陰陽師を止めようとした。何とかあたしに気を向けるように、邪魔してやろうと思ったよ。陰陽師は一人だけで、村人は側に居なかったからね。それに、戒里は何があってもその人間を助けに行くだろうと確信していたし、あたし等が助太刀しようとしたんだ。……でも、遅かった。

 あたし等が駆けつけた時、その人間の娘は腹部から大量の血を流し、戒里の腕の中に横たわっていた。その傍らに何故か子供も居たが、呼吸をしていなかった。

 直ぐに悟った。戒里は人間の娘を人質に取られ、激怒したのだと。あたし等が駆けつけたその場所は、村人が計画していた山の洞窟前とは少し離れた場所で、陰陽師の気配もした。詳しくはあたしも未だに分からないが、多分、暴走した戒里は陰陽師から人間の娘を助け、逃げるように立ち去ったが、その先に居た子供を……、そしてそのまま、人間の娘も。

 正気に戻った戒里に、人間の娘は何かを伝えようと口を動かした。あたし等はそれを邪魔しないように、木陰にいた。そして人間の娘がピクリとも動かなくなった後、陰陽師が戒里を捕まえ、あの洞窟の中に封印した。

 あたし等はそれを見ている事しか出来なかった。言い訳になるけど、あまりに突然で、唖然としている間の出来事だったから。陰陽師が山を去った後あたし等はその洞窟に入ろうとしたが、妖怪が触れると火傷する結界が貼ってあって、それを無理に通ろうとすると消滅する。だからあたし等は、戒里を助ける事を出来なかった。そしてそれ以降、戒里と会う事はなくなった。

 それから何百年とその封印を解こうと考え、試し、……今から三ヶ月くらい前だ。その封印を解く事が成功したのは。長かった。これでようやく戒里に会える。そう、思っていた。

 あの時、あたしは戒里を見捨てた。それなのに何百年も経った今、どの面下げて会えばいいのか。

 その考えが、頭を過ぎった。

 一度考えてしまったら、それはもう頭から消えない。封印を解く事に成功し、また一緒に過ごせる。その想いで必死に頑張っていた。でももし、戒里に拒絶されたら? お前らなんか知らない、と一蹴されたら? そう思うと、とても戒里に会おうとは思えなくなっていた。

 だけど、立ち止まっていても何も起こらないだろう? だからあたし等は、この計画を立てた。月森と戒里が出会い、それを利用してこの世界に連れ込む。雨水や佐々木はどちらでも良かったが、どうせなら連れ込もうと夜野先生が言ってね。人ならざる者と仲が良い子供は妖怪に狙われやすいから、今ここで経験しておいた方が良いんじゃないか、って。元々危害を加えるつもりはないし、半分遊び感覚でこの計画を立てたんだ。一番の目的を、戒里と向き合う事として。だからそれさえ出来れば、元の世界に返す予定だったよ、最初から。勿論無傷で。



 ふう、と話し終えた宮原先生は息を吐いた。

 「これで、分かったかい?」

 その問いには答えられなかった。

 まさか、あの戒里がこんな暗い過去を持っていたとは。衝撃的過ぎて言葉が出ない。でも確かに、初めて会った時戒里はこう言ってた。『最近まで人間に封印されてて、やっと封印が解けたばっかりなんだ』って。だから作り話な訳がない。それに僕達子供にする話じゃない。戒里はそれを分かっていて、僕に何も言わなかったのだろうか。

 「ああそうだ。この話は秘密だよ? 戒里には特に」

 「……はい」

 ようやく出た言葉は、それだけだった。雨水も佐々木も、口を開けない。

 沈黙の最中、六年三組の教室のドアが開いた。廊下の気まずい空気を壊してくれたのは、その話の中心の戒里と夜野先生だった。

 「話し終わったから呼びに来たが、どうしたんだ?」

 「全員揃いも揃って、しけた面しやがってよォ」

 さっきの話を聞いてからだと接しにくいが、夜野先生と喧嘩していた訳じゃない登場の仕方だっただろうし、和解、したのか……?

 そんな僕の心の声に返事をするように、戒里は無邪気な子供のような笑みを浮かべた。

 「じゃ、じゃあ、私達は元の世界に戻れるって事?」

 「そう、だと思う。夜野先生は戒里さんと向き合ったんだろうし」

 「宮原先生も吹っ切れたみたいだしな」

 まだ色々気になる事はあるが、元の世界に戻れるならそれを優先したい。

 「これで戻れるんだよね」

 宮原先生の話を聞いて警戒を解いただろう死神さんは、宮原先生と夜野先生に訊く。

 「ああ。戻れるよ。夜野先生もそれでいいだろう?」

 「別に構わないが……話したのか?」

 「まあいいかと思ったからね」

 「お前がそう判断したなら、オレは口出ししないさ」

 「そうかい。——という事で、君達を元の世界に戻すよ」

 流れるような先生の会話に、僕はやっと帰れると喜んだ。声には出していないが。

 「良かったですね、波瑠さん」

 「ああ」

 「やっとだね」

 「はい」

 前から聞こえる四人の声も、戻れる事を喜んでいるようだ。そりゃそうだよなあ、と同意する。

 今日一日で、色んな事があった。

 放課後いきなり七不思議を調べようと稲葉が言い出し、半強制的に参加する事になって。雨水と佐々木ともそれなりに話すようになると、今度は妖怪が創った異空間に閉じ込められたり。しかもその妖怪は夜野先生と宮原先生で、戒里と知り合い。それもかなりワケありの。

 今日を振り返ると、僕は結構頑張ったと思う。

 「なあ、戒里」

 「なんだ?」

 「仲直り、したんだよな。先生と」

 「あったり前だろ? なんたって、オレだからな!」

 上機嫌な戒里を見て口元を緩めていたことに、僕自身が気付かなかった。



 しかし、僕らは何もかも終わったと思い、油断していた。

 次の瞬間、地面がガタガタと揺れ出した。それに伴って、みんな壁や地面に手をつく。

 「は、何だよ、これ?!」

 「何で揺れてんの?!」

 「もう大丈夫なんじゃ……!」

 「夜野おさむと宮原里緒、これはどういう事かな?」

 「敵、だったんですか」

 口々に言う。

 「敵じゃないぞ。オレだって分からないんだ!」

 「これは……空間が、崩れるかもしれない」

 夜野先生は分からないと言うが、宮原先生は分かったようだ。

 「さっき、戒里が演技と言って力を使ったからじゃないか?」

 「えっオレ?」

 動揺する戒里に、宮原先生は重ねて言葉を放つ。「戒里はまだ不完全だと言ったけど、それでも十分な妖力だ。さっき教室をボロボロにした時、あれが原因かもしれない!」

 「はあっ?!」

 そんなの知らなかった、と焦る戒里に宮原先生が返す。

 「戒里は長年封印されてたから知らないのは当然だよ。——とにかく、この空間はあたしが創った異空間だ。それを第三者が一部でも壊してみろ、そこから順に崩れていく!」

 「要は、ガラス玉にひびが入ってどんどん欠けていく、って事か!」

 夜野先生は分かったみたいだ。もちろん僕もなんとなくだけど分かった。

 「そういう事だ。とにかく、早くここから出ないと、一生、元の世界に戻れなくなるよ!」

 嘘だろ。

 「どうすれば戻れるの? 解決策は?!」

 「この空間と元の世界を繋いだ扉、そこを開ければいい!」

 天井に亀裂が幾つか出来る。

 「それ、どこにあるんですか?」

 「図書室だ!」

 図書室? 一階にある? ……ヤバくないか。ここは三階だぞ!

 動くと直ぐよろけそうなくらい揺れてる。そんな中、階段を下りるなんて。

 「何か方法はないですか、宮原さん!」

 「そうは言われても……あたしが創った空間は、一回壊れたら終わりなんだ。もう元に戻せない。新しく創る事は出来るけど、今この状況で創るのは不可能だよ」

 死神さんもくまさんも宮原先生も無理だとすると、もう頼れるのは一人。

 「夜野先生、何とか出来ないですか。妖怪ですよね!」

 「月森、それは無茶というものだぞ。妖怪にだって出来ない事はある」

 「じゃあどうすれば……!」

 どうやったら扉まで行ける?

 手をついている地面に、一つ、また一つと亀裂が入った。


  # # #


 ——『願い』を叶えて貰うというのはどうだろう。

 天井や地面に亀裂が入り、地震のように揺れている建物の中で、密かにそう思った。

 死神さんとの契約。今この場で一つ、叶えてもらおう……!

 「死神さん!」

 「ん、何?」

 思い切ってそれを口にする。

 「願いを、叶えてくれませんか?」

 「願い? ……ああ、あれか。いいよ」

 一瞬、何を言ってるか分からないと言う顔をしていたが、死神さんは承諾してくれた。

 「ここに居るみんなを、図書室の扉まで連れて行ってくれませんか!」

 「「「!!」」」

 その言葉に、その場に居た全員がこちらを見る。

 「……ゴメンね。キミ一人ならいいけど、この場に居る全員は、ちょっと無理なんだ。ボクはあくまで死神だから」

 「え……っ!」

 嘘でしょじゃあどうする?!



 「——ルカ! 俺も雨水さんと同じ願いを叶えてもらいたい」

 不意に、佐々木さんがそう言った。

 「すいません。私は悪魔ですから、出来ない事はないんですが……それは、難しいかと」

 けれどルカさんも死神さんのように、出来ないと言う。一大事なのに!

 え、これ詰んだ。

 こうやって話してる間も、考えている間も、ガラスにひびが入るように、空中に亀裂が出来ていく。

 もう無理だと思った。

 けれど一人だけ、何かを探しているように着流しの袖をゴソゴソさせているヒトが居た。——戒里さんだ!

 これじゃねェ、これでもねェ、と呟きながら、何かを探している。戒里さんの袖は某猫型ロボットのそれなのかな? 月森君もそれに気付いて、不思議そうに見ている。すると何か思い当たる事があったのか、「あっ」と声を上げた。

 戒里さんの手には、丸い何かが握られていた。大きさは丁度、子供(私)の握りこぶし一つ分くらいの大きさだろうか。何だろ、あれ。

 その疑問に答えるように、戒里さんは口を開いた。「これなら、扉まで移動出来るぜ」

 それに対して月森君は、「それだ……!」と目を見開く。

 「戒里、それは何だ?」

 「知らねェ。拾ったんだ、オレのじゃねェよ」

 「そんな事より早く!!」

 「あァ!!」

 戒里さんが月森君にそう返した直後、月森君の頭スレスレに、ガラスの破片のようなものが落ちてきた。

 「……っ!」

 恐らくこの場にいる全員が、大声を出してはいけないと悟っただろう。今この状態で大声を出せば、亀裂が入った空中に声が響き渡り、ガラスが割れるようにこの建物は呆気なく崩れる……と。

 あと一歩でも前に頭を動かしていたら、月森君はきっと大怪我を負っていた。当の本人も顔を真っ青にしている。

 だから私含むみんな、焦る気持ちを抑え小声にならざるを得なかった。


   * * *


 「図書室に移動出来るなら、早く!!」

 月森を始めとし、俺もみんなも戒里さんを急かす。

 「戒里、それに人数制限はないな?」

 「さあなァ」

 「……だったら万が一の事も考えた方がいいな……」

 「この状況でそんなこと!」

 ぽつりと呟く夜野先生に、宮原先生が咎めるように言う。その会話で俺は思い付いた。

 「なあルカ。俺一人だけなら、扉まで移動出来るか?」

 「出来ますが……それがどうしたんですか、波瑠さん」

 「分かってるだろ」

 俺の言葉に笑みを浮かべると、ルカは夜野先生に声をかける。

 「私と波瑠さんは別行動を取ります」

 「別行動?」

 訝しむ夜野先生に、ルカはニコリと笑い返す。

 「はい。私は波瑠さんと一緒に、先に扉まで移動します」

 夜野先生はその意図を瞬時に理解し、ルカの提案に賛成した。

 「ありがとうございます」

 そのやりとりを聞いていた俺含むみんなは、近い者同士顔を見合わせる。

 ルカが移動させられる人は、最低でも二人。そして戒里さんの持つ"あれ"を使えば、少なくとも二、三人はいける。死神さんは雨水さんだけなら移動させられる。

 この場にいるのは八人。全員が扉まで移動……行けるか?


   ☆ ☆ ☆


 ——行けるはずだ。これで、元の世界に戻れるはずだ!

 「じゃ、ボクと沙夜も移動しとくよ!」

 死神さんに続き、宮原先生がくまさんに声をかける。

 「あたしは君に連れて行って貰おう。いいかい?」

 「了解しました!」

 くまさんと佐々木と宮原先生は眩い光に包まれ姿を消し、死神さんと雨水もくまさん達と同じように、姿を消した。

 「じゃあオレらも行こうぜ!」

 「あぁ!」

 元の世界に戻れると安心して、僕は差し出された戒里の腕を掴んだ。

 「行くぞ!」

 そう言った戒里の声と同時に、僕の視界は真っ暗になった。

 ……いや、だからさ、僕もう見ちゃったんだって。どうやって移動するのかとか、もう知っちゃってるんだよ。

 戒里の手で目隠しされた僕はそんな事を思ったが、戒里のお陰で元の世界に戻れるんだ。感謝こそすれど、文句なんて言える立場じゃないと思い直した。

 その代わり、僕は小さな声で「ありがとう」と口にした。


 8

   # # #


 死神さんと私は眩い光に包まれ、図書室の扉の前に移動した。

 一瞬だなあ、と床から手を浮かせ、何とか自力で立とうとする。と、そこで私のすぐ隣の空中に光が生まれ、思わず瞑った目を開けると、佐々木さんとルカさん、そして宮原先生がいた。

 なんで空中が光って人が出て来たのかとか知らない。

 「開けていいんだよね」

 「ああ。いいよ」

 宮原先生の返事を聞き、死神さんは扉を開けようと手を伸ばす。すると、ギィと軋むような音がして開いた扉。

 「キミ、立てる?」

 そう言って私に手を差し出す死神さん。

 「ありがとうございます」

 お礼を言い、遠慮なくその手を掴むと、死神さんと私は扉の向こう側に足を踏み入れた。

 揺れていた地面、ひびがある空間。それらがまるで嘘だったかのように、しっかりとした地面に足をつける事ができ、思わず座り込んでしまった。

 揺れてない。天井にも地面にもひびがない。時計だって動いてる。

 ——やっと、帰って来れたんだ。

 本当に強く、そう思った。


   * * *


 雨水さんと死神さんの後を追うように、俺達も扉の向こう側に足を踏み入れた。

 すると扉を出た数歩前に、雨水さんが安心したように座り込んでいる。その気持ちが分かりすぎて、俺は思わず口元を緩ませた。

 ——帰って来れた。

 『人ならざる者と仲が良い人間は狙われやすい』というのが本当なら、今日みたいな事がまたあるかもしれないのか。もう勘弁して欲しいんだがな……。

 まあでも、今こうして無事に帰れた事が何よりも嬉しい。

 本当に、帰って来れて良かった。

 「波瑠さん、稲葉という人間に会いに行かなくて良いんですか?」

 「なんでそれを今聞いたのか分らないが、稲葉の所に行く気はないぞ」

 「そうなんですか」

 「そうなんだ」


   ☆ ☆ ☆


 「月森。扉を開ける前に、聞いて欲しい事がある」

 さあ帰ろう、と図書室の扉まで一瞬で移動した僕は、夜野先生に扉を開けようとするのを止められた。

 「どうかしましたか?」

 「帰るんじゃねェのかァ?」

 戒里も不思議そうに夜野先生を見る。

 「その、色々と、すまなかった」

 「え……き、気にしてないので、謝らなくていいです」

 嘘だけど。

 「あと、その言葉遣いを普通にして欲しいんだ。どうも敬語には慣れんのでな」

 「はあ……」

 でも、一応先生だしなあ。

 と、考えていると、戒里が不満の声を漏らした。

 「ンな話、別に戻ってからでも出来るだろ? 早く戻ろうぜェ」

 「……ああ、そうだな。——呼び止めてすまなかったな、月森。帰ろうか」

 「は、はい」

 敬語は止めろと言われたのに、思わず敬語になってしまった。

 扉を開け、揺れが酷い空間から逃げるようにして扉の向こう側へと足を運んだ。

 ちょうど後ろで、パリンッと、ガラスが割れるよりも遥かに大きい音が聞こえた気がした。



 「あーーー! やっと見つけたぞ一翔ぅぅう!」

 元の世界に戻った事へ安堵し、それぞれと一緒に図書室を出た直後。走ってはいけないと決まりがあるのに思いっきり廊下を走って来る稲葉が、僕にドンッと体当たりした。

 「いった……っ」

 思いの外強烈だったタックルは僕を尻餅つかせる。

 「あっわりい、つい」

 「それで許されるとでも?」

 ため息をつき、立ち上がる。

 「だから悪かったって! つーか一翔! お前にも謝って欲しい事があんだからな!」

 「はあ? 僕がお前に何かしたか?」

 「しただろ!? 俺を置いてどっか消えた!」

 「消えたって……それは理由があるんだよ」

 「ハッ。言い訳は聞きたくないね!」

 「あ?」

 「なんだよ。やんのかコラ!」

 「いややらねーよ馬鹿か」

 「はあああ?? バカって言った方がば……」

 「はいはいストップストップ。ここで騒ぐのは止してくれ」

 「夜野先生の言う通りだよ。それに、周りにも迷惑がかかるだろう?」

 そしていつものような言い合いが始まるのを止めたのは、苦笑気味の夜野先生と宮原先生だ。戒里と死神さん、それにくまさんは、稲葉には見えないからな。僕達の言い合いに、陰でコソコソ笑っている。

 それを見て僕は冷静になれた。

 「すいません……」

 「あっ一翔お前、」

 「いいからお前も反省しろ」

 「ちぇっ……。すいませんでしたぁ」

 それを見た夜野先生と宮原先生はまた苦く笑った。他三人も同様だ。

 「……話終わった? なら帰ろうよ。今日は疲れちゃった」

 「雨水さんの言う通りだな。俺も疲れた」

 「じゃあランドセル取りに行こうぜ。俺たち理科室に置きっぱだし」

 「……階段上がるの面倒くさいな」

 「「「分かる」」」

 邪魔しないようになのか、夜野先生と宮原先生、それに戒里や死神さんとくまさんは僕達の後ろを静かに歩いていてくれた。

 時計の針がちょうど、四時四十分を示す。

 七不思議調べを始めた時より空は、綺麗な茜色に色付いていた。

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