魔龍落としの無頼剣

馬場卓也

第1話 黒街道のソードマスターキラー


 ここではないどこか、まだ魔法が信じられていた頃のお話。



 どんよりとした空の下で黒い風が、草原を撫でるように抜け、そして空に還っていく。 実際には風に色なんかついていない。その寒々とした空と、草原の遥か彼方に見える山々の、黒々とした岩肌がそう思わせるのだ。黒い風は山を抜けて冷たい風をふもとの町や村に送り込む、迷惑この上ない贈り物だった。


 そんな寒々とした空の下、すっかり色も落ちて枯草色に染まった広大な草原を分断するように、黒褐色の地肌を露出した道が一本通っている。東西の街を繋ぐ、通称『黒街道』だ。


 暖かい季節はこの辺を商人や旅人が行き交い、ずいぶんとにぎわうものだが、冷たい風が吹く今の季節はその姿もまばらであり、街道はずいぶんと寂しく、不気味に見えた。


 そんな中、一人の旅姿の男が、大股で肩で風を切るように歩いていた。大柄でがっちりとした体躯に、所々に傷があるものの、磨き上げられて鈍い光を放つ盾を背負い、腰に大刀を指した姿は誰がどう見ても剣士である。後ろに撫で付けられた長めの頭髪、口元から顎にかけての整った髭からすると、ただの流浪のもの、という感じはしない。そのきちんとした身なりから、どこかの国、どこかの王家に仕えていた名のある剣士なのでは? と思わせる気品と威厳に満ちていた。

 背中の盾がつっかえているのか、元々そういう姿勢だったのか、男は背筋を伸ばし胸をぴんと張り、力強くずんずんと歩いていた。その姿がまた、男を強く、威厳あるものに見せていた。

「ん?」

 男の目に異様なものが目に入った。道端に動物が死んでいる。いや、よく見ればムシロだ。誰かが落としたのか? と男は先を進もうとしたが、そこから、人間の素足がはみ出していた。


 戦乱のあった頃ならともかく、この時期に行き倒れとは珍しい、と男は横目でそれを見ながら通り過ぎようとした。

「おい、そこの」

 毛皮から、声がした。

 男は足を止め、振り返る。

「生きていたのか……」

「ンなことはどうでもいいや、さっきから腰のあたりがカチャカチャするけど、あんた、剣士か? それとも兵隊か?」

「あぁ、まあそんなところだ」

 そっと刀の柄に手をかけ男が答えると、ムシロがパアン、と跳ね上がり、風に乗ってしばらく宙を舞い、落ちた。中から現れたのは、男とは対象的に浅黒い顔で、髪をぼさぼさにした少年だ。

「ほう、悪くないね。見たところ、どこぞの国のお偉い剣士様と見るが、どうだ?」

 自分より頭一つほど小柄な少年が値踏みするように男を上から下までじろじろと見る。

「いかにも。で、お前は何なのだ?」

「俺か……」

 少年は羽織っているマントの中で両手をもぞもぞと動かすと、一振りの刀をその間から見せた。

「奇遇にも、ご同業だ」

 刀は抜き身で、刃がところどころ欠けている。

 それを見て男は天を仰ぎ、そして大声で笑いだした。

「お前が? お前が剣士だと? いったいどこの国、どこの家中のものなのだ?」

「るっせえ!」

 少年はマントを脱ぎ捨て、刀を低く構えた。布に頭が出る穴をあけ、腰を縄で結わえた粗末な衣類だ。そして胸には黒い鋼の胴当てをつけていた。まるで戦から逃げてきた兵隊のようにも見えた。しかし、腰を落とし、足を少し広げたその姿はまがりなりにも様にはなっていた。

「そんな身なりの剣士がいるものか? 野良か……いや、まずどこかに仕えていたかも怪しいな。その姿ではまるで山賊か追剥ぎのようだぞ。ただ、その構えだけはなかなかのものだ」

「追剥ぎじゃない、俺を笑ったことを詫びろ。さもなくば斬る!」

 少年は刀を握る手に力を入れ、叫んだ。

「悪いことは言わん、今なら戯言と思い見逃してやる。さあ、行け」

 男は、柄を握っていた手を離し、少年に向けて軽く振った。

 そこへ、少年がすばやく一歩踏み込み、下から切り上げた。


 シュッ!


 風を切る音がして男は手を引っ込めた。手の甲を見ると、赤い筋ができており、そこから血がうっすらとにじんでいる。

「踏み込みが早いな……少しはできるか」

 男は血を舐め、ペッと吐き出す。

「だろ? さあ、やるのかやらねえのか!」

 少年は体を半身に開き、刀を後ろに構える。

「いいだろう……」

 男はすらりと大刀を抜き放ち、正面に構える。

「少しお仕置きしないといけないようだな」

 男は痛がる様子も見せず、じっと少年を見据えた。それを見て少年はにやにやと笑う。

「かーなーり、できるようだな。だけど……これはどうだ!」

 少年はさっと足元の砂をつかみ、男に投げつけた。ばらばらと砂が風に舞う中、男は顔を背け刀を軽く振り、これを払う。

「くっ卑怯な!」

「殺し合いに卑怯もくそもあるか!」

 少年はくるりと男に背を向け、走り出した。

「ま、待て! バカにしおって!」

 大刀を片手で頭上に掲げ、男は少年を追う。

「追いつけるもんなら追いついてみろってんだ!」

 振り返り、小馬鹿にしたような笑みを浮かべると、再び少年は前を向いて走る。

「ぬう!」

 努めて冷静にふるまっていた男もつい、怒りに任せ届くはずもないのに大刀を一振りし、それを追った。

 と、その隙に少年の姿が消え、すぐそばの草むらががさがさと音を立てる。

「そこか!」

 男も大刀で行く手を阻むように生い茂る雑草を薙ぐように草むらへと入っていく。

「どこだ……」

 男は落ち着いた口調に戻り、あたりを見回した。少年の姿はない。いや膝ほどの丈もある草むらの中に紛れているのは間違いない。男はゆっくりと首を動かし注意深く、見た。捕まえたらどうしようか、縛り上げて街道でさらし者にするか、それとも……。

 

 ガササッ。


 草むらが動き、男はすばやくそこへ足を向けた。相手は子供だ、殺すではない、あくまでも捕えて痛めつけるだけ……。

 と男がそんなことを考えていると、ふっと体重が軽くなったような気がしてその姿が草むらから消えた。

「あっ」

 と声を上げる前に男の足元が崩れ、その体は深い大きな穴の底へと落ちていった。がうん、と、背負った盾が金属のこもるような音を立てながら、男は背中から落ちていた。

「へへ、ざまあみやがれ、まんまとひっかかったな!」

 深い穴の底から見上げると、影で黒くつぶれたぼさぼさ頭の少年の顔がのぞき、嬉しそうに声を上げている。

「図ったな、小僧!」

「戦いに卑怯もくそもねえって言ったろ。あんたもよく知ってるはずだ」

 忌々しげに少年を見上げる男の顔がふっ、とゆるんだ。

「……確かにそうだ。お前のような者相手に、真っ向から挑んだ俺もどうかしていたな」

「だろ? 『お前のような者』ってのは余計だけどな」 

 満足げに少年の影が頷くように動いた。

「それで、俺をどうする? 生き埋めにでもするつもりか?」

「いいや、その腰のものをいただきたい。そうすりゃこの穴から出してやるぜ」

「結局、物盗りか」

「違う! 俺はれっきとした……ええ、そう、アルマント国の剣士、イッタだ!」

「お前が? アルマントの?」

 男はイッタと名乗る少年の慌てぶりに、くくっと笑いだした。

「なにがおかしい! さあ、どうすんだ? 生き埋めか、刀を渡すのか?」

「笑ってすまない……そうだな、もう少し生きてみたい気もするので、刀を渡そう」

 すると、準備よく、男の元へ縄が一本するすると落ちてきた。

「そこに刀を結えろ。それで、あんたは……」

「オデラン。オデランだ。オデラン・ゼ・コルトマンテ」

「オデランゼコルト……オデランって言うのか。じゃあオデランさんよ、俺がいいといったら上って来いよ」

「分かった」

 オデランは刀を縄に結わえながら答えた。


 オデランがイッタの合図の後、落とし穴から抜け出てみると、その姿はもう見えなかった。

「おかしなやつだな。これもくれてやればよかったかな」

 オデランは背中の盾を外すと、草むらに向けて放り投げた。ぐわぐわわわん、と盾が弾む音が、響く。

「これで軽くなった……」

 オデランは首を軽く振ると、草むらを抜け黒街道に出て、再び歩き始めた。その行く先には、この冷たい風を送り込んでいる元凶である、黒い山々がそびえたっている。


「さて……」

 オデランから奪った刀の柄をキュッと握りしめ、イッタは草むらにその身を忍ばせ、次の獲物を待った。

 今日はついてる、こんな上物の刀を手にすることができたのだ、普段なら、剣士なり武芸者から刀や防具を奪うと、それを売ってその日の食費に当てるのが常だった。しかし今日は違う。こんな日はまだいいことがありそうだ、そう思った。

 あのオデランとかいう剣士は、イッタを探すことなく、丸腰で山の見える西に向かって歩いていった。


「あいつ……見かけばかりのただの間抜け野郎だったな」

 その翌日も、イッタは次の獲物を待っていた。オデランの捨てた盾を売った金で昨日は久しぶりのごちそうにありつけた。あともう少し、このオデランとかいう剣士から奪った剣を使えば……。そう思いながら、イッタは柄を握りしめ、待った。

 やがて、そろそろ陽も落ちかける頃、一つの影が黒街道にあった。

 黒い笠に黒いマント、黒づくめの旅人が街道の黒い地肌に溶け込んでいるように見える。 笠は目深にかぶっており、その顔までは見えないが、乱れることのない規則正しい足取りと腰回りのふくらみで、どこかで修業を積んだ旅の武芸者か剣士であることは見て分かった。

「今日は正面から行くか……」

 この立派な一振りと、街道の実戦で鍛えた腕があればあれぐらいの剣士なら叩きのめそうだ、イッタに勝算があった。

「でりゃぁ!」

 草むらから飛び出したイッタが、旅人の前に躍り出た。

「てめえ、剣士だろ、おとなしく腰のもの……」

 イッタが言い終わらないうちに、旅人が笠をとった。旅人は金髪を風になびかせ、大きく澄んだ瞳で、イッタを睨むように見ていた。

「女?」

「問題でもあるか?」

 女は静かに返した。

「いいや、女剣士か……なら、刀とてめえの体、両方売って儲けも倍増ってもんだぜ!」 イッタが刀を構えた。

「最低だな……」

 女はマントを少し開くと、腰のあたりから銀色に輝く刀の柄が見えた。

「ほ、イイモノ持ってんじゃねえの!」

 イッタは昨日に続き、今日もまたこのような上客をよこしてくれたことを、天上の神に感謝した。

「さあ、腰のモンをよこすならよし、断れば……」

 ジリジリとイッタが女ににじり寄る。

 

 シュン!


 女のマントがさっと開き、続いて風を切る音がした。すると、イッタは仰向けに倒れ、足を押さえもがきだした。

「がぁあ! が、ああアイ、イタ、イタイタタタタァア! な、なにしやがった!」

 突然走った激痛に、黒い地面をかきむしるように身もだえしながらイッタは女を見た。女が、金属製の筒のようなものを持っている。

「あ……が……んだよそれ!」

「これか? そうだな……名前なんか付けたことなかったな……これ……」

 女が引き金のついた筒をじろじろと見て、それをイッタに向ける。

「これを引くと、小型の矢が飛び出す仕掛けになっている。貴様のような野盗にはこれで十分だ。わざわざ剣を抜くこともない」

「ひ、卑怯者! と、飛び道具かよ!」

 イッタが自分の足を見ると、腿に何かが刺さっている。

「貴様のようなものに卑怯者呼ばわりされるいわれはない」

 女はつかつかとイッタに近付き、足でイッタの腿を抑えつけた。

「グぅ……」

 女は屈みこんで、腿に刺さった矢を、まるで花を摘むように軽く、引き抜いた。

「あぎゃあああ!」

 激痛がイッタの全身を駆け巡り、意識が一瞬飛んでいきそうになった。

「さて……この筒にはまだ矢が二本残ってる、試してみるか?」 

 女は筒をイッタの頭部にピタリ、と押し付ける。

「刺さるだけならまだしも、もし矢に毒でも塗ってあれば、痛みと苦しみに挟まれたまま、死者の国に行けるぞ。どうだ?」

 白く、整った顔の女が、残酷な笑みを浮かべた。

「う、う……」

 イッタは痛みであふれ出た涙と鼻水で顔を濡らしながら、首を小さく振った。

「よし……ン? 貴様……」

 女の目が、イッタの刀に留まる。

「これをどこで……?」

「い、いがっが……ガガ」

「買ったのか、盗ったのか?」

「ト、トト……」

 矢は抜けたものの、腿がずきずきと痛み、言葉にならない。

「盗ったのだな? で、持ち主はどこへ?」

 イッタは街道の彼方、黒い山のあたりを指さした。

「そうか……これを貴様が盗ったのは信じられんが」

 女はそう言うと、イッタに背を向け、脱いだ笠を拾い上げて、再び歩き出した。

 

 日に焼けていない白い素肌、あの上品勝つ人を見下したような口調……あいつもどこかの王家の人間か、それにしても飛び道具を使うとは……傷が癒えたらあいつを見つけ出し、身ぐるみ全部剥いで売り飛ばす、いや、山の魔獣の餌にしてやるのもいいな、とにかく許さねえ! とイッタは遠ざかる女の後ろ姿を見ながら、そう思いつつも、いまだ残る激痛の中『もう、この稼業やめようかな』と、柄になく気弱なこともほんの少し、考えていた。



 続く?

次回『無法酒場のボーイミーツスウォーズガール』

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