王位

「陛下!こんなところに、いらしたのですか!」

 表通りから、血相を変えた侍従長が護衛と共に路地に駆け込んで来た。


「陛下?」生花店の店員は、その物々しい一団を見て目を丸くした。


「お車から降りられて、急にお姿が見えなくなってしまったので、心臓が止まる思いで、お探ししていたのですよ」

「あら、あなたの心臓には、毛が生えているんじゃなくて?」

「皮肉なら宮殿に戻ってから、ゆっくりお聞きします。陛下、早く公務におもどりください」

「そのせっかちさの方が、よほど、あなたの心臓にはよくないわ。さらには私の心臓にもね」

「陛下!」


 私たちのやり取りを、生花店の店員は呆気にとられて見ていた。私は侍従長から、店員に顔を向けた。


「お騒がせしたわね。この匂蕃茉莉ニオイバンマツリの鉢植えは、すべて私がいただいていきます。支払いは心臓だけは強い侍従長かれが、今すぐにしますから」

「あ、ありがとうございます、奥さん……いえ、女王陛下」


 侍従長は何か言おうとしたが、私が問答無用とばかりに背中を向けたので、黙って店員について生花店の中に入って行った。

 きっと、宮殿に戻ったら、この先一週間は小言こごとが続くだろう。子どもの時のラテン語の書取りの方がよほどましだったかもしれない。


 護衛に囲まれて表通りに戻りながら、生花店の店員が最初に私に呼びかけた「奥さん」という言葉が頭から離れなかった。

 私がもし「女王陛下」ではなく「奥さん」と呼ばれる境遇にあったなら、いったいだれの奥さんになっていたのだろう。


 私は王宮と言うかごの中でしか、生きていけない。

 鳥籠の中のおばあさまの鸚鵡おうむと同じ。

 私は生まれた時から、この小さな国を継ぐために王宮の中でしか生きていけない王女として育てられた。

 おとうさまが急死して、私が王位を継いだのは二十歳の時だった。

 その頃には、籠の中に囚われたまま一生を終えるのだとわかるくらいに、私は年老いてしまっていた。

 たぶん、画家と女家庭教師ガヴァネスの結婚を知って、匂蕃茉莉ニオイバンマツリの鉢を投げ捨てた時に、私の子ども時代はすでに終わってしまっていたのだ。

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