第二話 暗黙

 この闇サイトの存在を知ったのはいつだっただろう。

 

 始まりはパワハラへの対処方法を検索したことだった。

 僕が勤めている不動産会社「よつばエステート」には人事部にも相談窓口はない。困っているときにどうすればいいのかを調べてみたら、市の相談窓口やカウンセリングのHPホームページが並んでいただけではなく、被害を受けている人たちの愚痴や嘆きに恨みの言葉まで書き込まれた掲示板もヒットした。


 そこで噂になっていたのが『あなたが殺したい人は誰ですか』というサイト。

 溜まった不満を書き込んだり、チャットで鬱屈うっくつした思いをぶちまけていると、その相手を殺してくれる人が現れることもあるという都市伝説みたいな話だった。

 一度でいいから話のネタに見てみたい程度の軽い気持ちで普通に検索したけれど、当然のようにヒットしない。どうやらディープウェブと呼ばれる種類のもので、ブラウザでの閲覧は可能だけれど検索を回避する設定になっているらしい。

 その秘密のアドレスを探すことが宝探しのように楽しくなってしまった。それっぽい検索ワードから手掛かりになりそうなHPを廻り、危ないチャットルームにも入って噂を集めたりしてようやく見つけだしたときの達成感は今でも覚えている。


 実際に覗いてみると、嫌いな相手に対する不平不満、いや罵詈雑言ばりぞうごんがこれでもかと書き込まれていた。

 それを順に眺めていくのが僕には止められない。


(わかるよ、それ)

(そうなんだよなぁ。ほんと、自分のことは棚に上げて)


 生きていく中でこんなにも辛い目に合っている人が自分のほかにもいるんだ、というある種の共感が生まれる。

 もちろん、僕だって恨みつらみを書き込むこともあるけれど、あの男を殺したいと真剣に思っているわけではなかったんだ。

 ここでに出会うまでは。



 いつものようにサイトへログインして掲示板を開く。

 ここでのハンドルネームはカオル。IDはkaoru0126だ。

 好きなアイドルの名前と僕の誕生日を組み合わせてみた。

 IDは固定でネームはインする度に変えられるけれど、僕を含め、常連さんは同じものを使っている。

 名前が被ることはあってもそんなこと誰も気にしてなんかいない。

 みんな自分の不満をぶちまけたいだけだから。


 今日の僕もその一人。

 あの男がどんなに非道ひどい奴なのか、パワハラの見本のようなあの男への思いを書き込んでいく。

 僕の上司、法人賃貸部部長、佐々ささ直也のことを。


「自分のミスを他人のせいにするなんて最低!

 僕はお前に言われた通りの資料を作ったんだ。そもそも僕は打合せにすら出ていない。要するにお前の意図していたポイントがずれていたって話だろ?

 自分のことは棚に上げて僕のせいにして。

 わざとみんなに聞こえるように大きな声で文句を言うなんて、ほんとクソみてぇなヤツだな」

「なんでお前のフォローを僕がしなきゃならないんだよ。仮にも部長だろ!? 自分の後始末くらい自分でやれ!」

「いつもいつも僕のことを無能呼ばわりしやがって。お前の方が何倍も無能だよ!」


 普段ならば口にしない言葉が次から次へとあふれ出てくる。

 面と向かっては言えなくても、相手の顔が見えない、僕の顔も見られない、このネット空間でなら思う存分ぶちまけられる。

 だからこそ日常を感じてしまう我が家ではなく、この店だけでアクセスすることを自分へ課したルールにしていた。


 僕だけじゃない、たくさんの悪意が込められた文字がモニターに流れていく。

 でもそれに反応する人はいない。

 それがサイトここでの暗黙の了解ルール。あくまでも殺したいほど憎い人への思いをさらけだして、ストレスを発散するのが目的になっていた。


 それでも気持ちが収まらないときのためにチャットルームが用意されていた。

 誰かに聞いて欲しい、同調して欲しい人たちがそこにはあふれている。

 僕も今夜はチャットルームに移動して「愚痴の聞き役募集」とタイトルを付けた。

 相手をしてくれる人は現れないかもしれないけれど、しばらくスマホでゲームをしながら待つことにした。


 五分ほど経っただろうか。

 呼び鈴に似た軽快な音がヘッドホンから聞こえてきた。


(思ったより早く来てくれたな)


 スマホをおいてキーボードに向かう。

 モニターに目をやると、ミキという名前が表示されていた。

 今までにチャットで話したことはない気がする。


「はじめまして、ミキさん」

『はじめまして』


 やはり初めてだったのかな。まぁ向こうもここで話した相手をすべて覚えているわけないだろうし、ネームを変えてるかもしれないし。

 女性……なのかな。そんな詮索をしないのも暗黙の了解ルールだけれど。


「わざわざ愚痴を聞いてくれる人なんて来ないかも、と正直なところ思ってた。ありがとう」

『カオルさんの書き込みを見て来たんだけれど、あの男ってひどい奴だね。私まで腹が立ってきちゃって』

「読んできてくれたんだ。ほんとクズみたいな奴なんだよ、あいつは」

『会社の上司なの?』

「うん。とにかく頭ごなしに怒鳴り散らすんだ。それも人前で」

『一番やっちゃいけないパターンだ』

「僕が悪いなら仕方ない面もあるけれど、自分のミスを僕に押しつけて」

『いるよね、そういう奴』

「声も大きいし、言葉も汚いし、人の話を聞く耳を持たないどころか平気で嘘つき呼ばわりするからね」

『ひどいなぁ。最低だね』


 タイミングよく返してくれるので、キーボードを打つ手も滑らかになる。

 それにつれて、歯ぎしりするほどの怒りもぶり返してきた。


「今日も大口の契約が取れなかったことを僕のせいにしてきて、無理やり残業だよ。『まだ帰さねーぞ』って凄まれた」

『そうなんだ』

「自分は作業をしないくせに、ねちねちと嫌味をずっと言いながらね」


 あ、間が空いた。

 ちょっと待ってみたけれど、ミキからの返しが来ない。

 でも僕のテンションは上がっていて、愚痴は止まらなくなっていた。


「帰さないって言っておきながら、追加の資料を作る指示だけ出して自分はさっさと帰っちゃうんだから」

「ああいう人間って、ねぎらいの言葉なんか絶対に掛けないしね」


 右隣のブースに新しいお客さんが入ってきたみたい。

 服を脱ぐ音が聞こえてから、キーボードを叩きはじめた。

 僕も負けじとキーボードを叩く。


「他の人にも怒鳴りちらすから、それを聞いているだけでもびくびくしちゃうし、嫌な気分になる」

「自分の役職が上だからって、いつも人を見下すブラック上司。あの年齢にもなって品のない汚い言葉を使うし」

『ごめん、ちょっと離れちゃってた』


 ミキがチャットルームに戻ってきた。


「全然気にしてないよ。退室表示になっていなかったから、一人で勝手に愚痴ってた」


 相手には見えるわけがないのに自嘲じちょう気味に笑う。


『なるほどね。こんな奴、いなくなったらいいのにね』

「ほんとだよ。出来るなら一日でも早く会社からいなくなって欲しい」

『じゃ、いなくなってもらっちゃえば?』

「どうやって? うちの人事部は相談窓口すらないんだから」

『死んでもらうの。交換殺人、してみない?』


 いきなりモニターに現れた突拍子もない文字を見て、キーボードを打つ手が止まった。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る