第二十七話 脅迫
夜中に一度、目が覚めた。隣りでは水野が寝息を立てている。
彼を起こさないようにそっとベッドを抜け出して、コーヒーを飲んだ。
(ミキとの約束通り、佐々部長が死んだとしてもこれで終わりになるのかな)
彼女との間で交換殺人を約束した。
でも僕が殺すはずだった相手を、たまたま他の誰かが殺してくれた。
それを知らないミキが佐々部長を殺したら……。
彼女は殺人犯だけれど、僕は何もしていない。
対等の立場だからこそ交換殺人の秘密は保たれるはず。
もちろん僕はこのことを他の誰かに話したりすることは決してしないけれど、僕が何もしていないことをミキが知ったらどうするのだろう。
そういうときのためにも、僕が依頼した証拠を残していたのかもしれない。
とりとめもないことを考えていたら、体がすっかり冷えてしまった。
もう一度、そっとベッドにもぐりこんだ。
朝になり目を覚ましたのも僕の方が早かった。
シャワーを浴びて戻ってくると、水野も起きてベッドに腰かけながらテレビを見ていた。
「休みの日でも起きるのが早いんだな」
「ごめん、起こしちゃった?」
「いや、そんなことないよ。トイレに行きたくなっただけ」
そう言うと立ち上がり、僕と入れ替えにユニットバスへ入っていった。
ワンルームタイプなのでトイレとお風呂が一つのユニットになっている。独り暮らしだから困らなかったけれど、二人でいると待たせてしまうこともあるんだと初めて気づいた。
「何か食べる? トーストかレンチンご飯しかないけれど、目玉焼きくらいなら作るよ」
トイレから戻った水野に声を掛けながら、さりげなくチャンネルを変えた。
ローカルニュースなら佐々部長のことが取り上げられるかもしれない。
「俺、朝は食べないから」
「そうなんだ」
「まだ七時だろ。もう少し寝させてもらうよ」
眠そうにゆっくりとベッドへ戻る水野を横目に、パンをトースターに入れた。
一人の朝食を終えても、テレビから佐々部長の名が流れることはなかった。
(交通事故ならともかく、ミキが計画した歩道橋からの転落事故なんてニュースにはならないかもな)
一時間ほどして起きた水野はシャワーを浴びてから熱いコーヒーを飲み、帰っていった。帰り際に玄関でいきなりハグしてきて、困った顔をした僕に照れくさそうな笑顔を見せながら。
ドアが閉まり、一人きりになった。
抱きしめられたばかりの余韻が両腕に残っている。
彼と二人だけで過ごすときを持てただけじゃなく、完璧なアリバイまで手に入れた。臼井のお爺さんの件といい、僕は幸運の女神に愛されている。
いや、あれだけ佐々部長にいじめられてきた見返りなのかもしれない。
残念なのは水野も休みだから、もし部長に何かあっても僕へ知らせてくれる人がいない。早く知りたいのに。
金井さんが気を利かせて連絡してくれないかなぁ。
*
僕の願いもむなしく、誰からも連絡はないまま木曜日の朝を迎えた。
会社へ行く支度をしながらも落ち着かない。
(どんな顔をして行けばいい?
その報せを聞いても驚かないのは不自然だし、驚きすぎてもわざとらしい。
まてよ? ひょっとしたらまだ会社にも伝えられていない可能性だってあるかも。部長は単身赴任だし、事故として扱われたら警察も家族にしか連絡しないよな、きっと)
あーでもない、こーでもないと考えながら電車に乗っていると、あっという間に仙川駅に着いていた。
出来るだけ自然に、自然にと自分へ言い聞かせながら歩く。
ビルのエントランスにはエレベーターを待っている小島さんの姿があった。
「おはようございます」
「おはようございます。ずいぶん寒くなりましたね」
彼女の反応を見ると、やはり会社には何も連絡がいっていないみたいだ。
小島さんは僕の背中越しにも視線を送っている。
「あ、おはようございます。佐々部長」
(ええっ⁉)
振り返ると紺地に白の細い縦ラインが入ったスーツを着た佐々部長が立っていた。
あれほど自然にふるまおうとしていたのに、その姿を見て声にならないほど驚いてしまった。
でも部長は小島さんを見ていて、僕の表情には気づかなかったみたいだ。
「おはよう、小島くん。今日も素敵な服だね。似合ってるよ」
紺のピーコートを着て膝上丈のチェックのスカート、ロングブーツといった彼女に目を細めながら部長はニヤけている。
それにしても――。
(どうして……)
どうしてあの男がここにいるの、なぜ生きているの、どうして……。
一昨日がミキと約束した交換殺人の期限だったのに。
まさか――だまされた?
そんなはずはない。
だまされた経験をしているミキなら、そんなことをするはずがない。
そう、きっとうまくいかなかっただけだ。想定外のことがあったり、部長が予想と違う行動をしたり。
そもそも事故に見せかけようとしているんだから、簡単にはいくわけがない。
明日、あのサイトでミキと会う約束をしているからあらためて相談すればいい。
黒い期待が大きかっただけに、その反動で呆然としてしまっている自分を奮い立たせた。
まだ終わったわけじゃない。とにかく今は普段通りにふるまわなきゃいけない。
そう思っていながらも水野の目にはいつもと違う僕が映っていたらしい。
「どうした? 体調が悪いのか?」
「ううん、平気。ちょっと寝不足かな」
彼の優しい言葉に少し心が痛んだ。
*
金曜は仕事を終えると水野の誘いも断ってすぐに駅へと向かった。
はやる心を抑えられず、更井駅には七時前に着いてしまった。
ミキとの待ち合わせは今夜九時。
二ヶ月ほど前に行った軽食喫茶の店へ入り、あのときと同じナポリタンを頼んだ。
食べ終えた後もスマホで時間をつぶしていたら、お爺さんマスターからぼそっと「閉店です」と言われた。
仕方なく店を出て、久しぶりにコンビニへ寄ってみた。
(二週間ぶりかな)
あの臼井老人が死んだ日、ふじみ台駅で僕を見かけたと言っていたズンさん。
気にする必要はなかったのだろうけれど、何となく足が遠のいていた。
食事をしたばかりだし、飲み物はドリンクバーがあるから、マカデミアナッツのチョコを手に取った。
「ドウゾォ」
カウンターからいつもと変わらぬ笑顔でズンさんが迎えてくれた。
会計を済ませて帰ろうとすると、珍しく「サヨナラ」と声を掛けてきたので笑顔を返した。
駅で見かけたことはすっかり忘れているのか、何も触れない。
やっぱり僕が気にし過ぎていたみたいだ。
まだ少し早いけれどネットカフェの扉を開けた。
相変わらずヘッドホンで気がつかない店長さんへ、来ましたアピールをして受付を済ませる。
先にブースへ荷物を置いてパソコンの電源を入れてから、コーヒーを取りに行った。
(ミキ……来てくれるよね)
一抹の不安がよぎる。
彼女と出会った闇サイト『あなたが殺したい人は誰ですか』にアクセスをした。
チャットルームに移動して「あの話の続き」というタイトルで部屋を作った。
あとは彼女を信じて待つだけ。
九時を過ぎた。
時計だけが気になる。
十分……三十分……。一時間たってもチャットルームへの入室を知らせるチャイム音は鳴らなかった。
(あと……一時間だけ……)
モニターに表示されている時刻は十一時を過ぎた。
ミキが現れなかったという現実を受け止められない。
掲示板に「信じて待つよ」とだけメッセージを残した。
(そういえば、この前もあの店に行ったときは彼女が来なかったんだよな)
ミキと会えなかったことをナポリタンのせいにしてネットカフェを出た。
*
僕はミキにだまされたのだろうか。
一晩たってもどうしても信じられない。
あんなに熱心に佐々部長のことも調べてくれていたのに。
半信半疑のまま土曜の仕事も日曜の休みもただぼんやりと過ごしてしまった。
もう一度だけ、明日の夜を待ってみよう。ミキ自身になにかが起きたのかもしれない。
わずかな望みを捨てきれなかった月曜日にそれは届いた。
佐々部長からの罵倒を受けての残業を終え、疲れた体で帰ってきた。
コンビニにもよらずマンションに着き、郵便受けを開ける。
何枚かのチラシと共に、差出人のない茶色い封筒が一つ。
宛名は印字シールが貼られていた。
(なんだろう?)
部屋に入り封を開くと、中には一枚の紙が入っていた。
広げてみると妙に角ばった直線状のカタカナで書かれた文字が目に飛び込んできた。
『ツギハ オマエノバンダ』
「何これ……」
思わず声に出して立ちすくんだ。
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