報
第二十八話 当惑
いったいこれは……。
お前の番だと言われて思いつくのは一つしかない。
僕に誰かを殺せというのか。
でも臼井のお爺さんはもう死んでいる。
差出人はないけれど、交換殺人のことを知っているのはミキだけ。
彼女からのメッセージなのか――だけど彼女ならば僕にこんなことを言ってくる理由がない。
僕がやったわけじゃないけれど、もうミキの目的は達せられたはずだ。
どうなってるんだ?
着替えないままベッドに腰を下ろして、あらためて封筒を見る。
宛名は市販のラベルに印字されていて住所も名前も僕宛で間違いない。
ミキならば僕の住所や名前を調べていてもおかしくない。本人が「調べられる」って言ってたし。
やはり彼女なのか⁉ それとも……。いったい誰なんだ!
そのまま背中から倒れ込んで天井を見上げた。
(待てよ?)
がばっと起き上がり、今度は紙を両手で拡げた。
この直線状の文字、どこかで見た覚えがあると思ったらズンさんだ。
ズンさんから渡されたメモに書いてあった文字とそっくりだけど、それこそ彼が僕にこんな脅しをかけてくる理由がない。
宛名の漢字もズンさんには無理だろう。
住所を知っていることで絞るなら会社関係か。総務なら把握してる。
実際に僕も金井さんから佐々部長の住所を聞きだしたし、個人情報と言ったってそこまで厳密に取り扱っているわけじゃない。
でも誰が? 何の目的で?
もう本当にわけが分からない。
(ダメだ。とりあえずシャワーを浴びて落ち着いて考えよう)
ユニットバスから出てきてスエットに着替え、ベッドを背もたれにして座った。
目の前のローテーブルには冷えたコーヒーを入れたコップとあの紙が置いてある。
次はお前の番、ということは何かの順番が僕へと変わったのは間違いない。
シャワーを浴びている間に一つの可能性を思いついた。
この交換殺人はチェーンメールのような仕組みなんじゃないかって。
初めはどうだったのか分からない。
ただいつの頃からか、この交換殺人で殺されるのは一人だけになったんだ。
新たに殺人を持ち掛けられた者は、相手のターゲットを殺すけれど自分のターゲットは殺してもらえない。
殺したいほど憎い相手がのうのうと生きているのだから、こんどは自ら交換殺人を持ち掛けて、パートナーになったと思わせてから心理的に追い込みターゲットを確実に殺させる。
そうやって殺人が連鎖していくことで、犯人を特定するためにさかのぼることが難しくなっていく。
これならミキの話ともつながるし、このメッセージの意味も分かる。
つまり、僕が次の交換殺人を仕切る役になれ、ということなんだ。
するとこれを送ってきたのはやっぱりミキだったのか。
それともさらに上の存在、この
とにかくわずかな望みをかけて明日の火曜日を待とう。
すべてはそれからだ。
翌朝、家を出る前にチェストの上へ置いた封筒に目をやる。
(僕から交換殺人を持ち掛けるなんて……)
新たな不安とミキへのかすかな期待を胸に玄関の鍵をしめた。
仕事をしながらもあのメッセージが頭から離れない。
それでもミスをしないように注意しないと、佐々部長に揚げ足を取られることになる。明日は瀬田建設の三木さんと内覧で会うことになっていた。そのための資料作りを進める。
今週から休みを木曜日に変えたので、もしミキが行動を起こせば家でやきもきすることもなくすぐに知ることが出来るのだけれど。
いったいどうなるのか僕にも分からない。
仕事を終えてからは万が一のためアリバイを作っておかなければいけない。
今日は水野が休みだったので先週のように飲みに行くことも出来ず、ネットカフェでずっと過ごすことにした。
更井駅を降りてロータリーをぐるっと回る。色づいたケヤキの葉は半分ほどが散っていた。
何か食べるものを買って行こうとコンビニへ入った。
「いらっしゃいませー」
若い男性がきれいな日本語で声を掛けてきた。珍しくズンさんがいない。
久しぶりに野沢菜明太と昆布のおにぎり、豆腐とわかめのカップみそ汁を選びレジカウンターに置いた。
「あの、いつもバイトしてたズンさんはお休みですか」
一瞬の間があって、バイトの男性が答えた。
「あぁ。あのベトナムの人ですか? 彼なら辞めましたよ」
えっ、ズンさんが辞めた!?
すぐにあのメッセージの文字を思い浮かべた。
まさか関係があるとは思えないけれど、このタイミング……。
「何で急に辞めたんですか? 帰国したんですか?」
「いや、僕も詳しいことは知らないので……」
そりゃそうだよな。バイト同士で詳しい事情なんて分からないだろう。
お礼を言ってレジ袋を受け取った。
薬局チェーン店の黄色い看板を横目に通り過ぎ、雑居ビルの階段を上るときも、つい二週間前のようなひりひりする緊張感がまったくない。
きっとミキが願いをかなえてくれるはずという歪んだ期待が、あのときにはあった。でも今はまた別の黒いもやが僕の胸にひろがり始めていた。
「こんばんは」
どうせ店長さんは気づかないだろうと、声を掛けながら扉を開けた。
それでも視線を手元に向けたままで気がつかない。
カウンター越しに店長さんの背中から覗き込むと、知らないバンド(きっとヘヴィメタル)のPVを見ているようだ。
「こんばんは」
店長さんの前に回り込んでもう一度声をかけると、驚いたように顔を上げた。
「ごめんごめん。ちょっとボリュームが大きすぎたかな」
外したヘッドホンから漏れてくる音はかなり大きい。
ほんと、よくこれでつぶれないよなぁこの店は。まぁそこそこお客さんも来ているけれど。
受付を済ませて、いつものようにドリンクカウンターで苦いばかりのコーヒーをカップに入れてブースへと持っていく。
いつものようにブラウザのネットニュースを見ながら、おにぎりを食べ始めた。
コーヒーとは合わないことに気づいてウーロン茶を取りに行き、食べ終えてから闇サイトへと移動する。
チャットルームはもちろん、掲示板にもミキが訪れた痕跡はない。
(どうやって交換
もう頭の中ではミキへのあきらめが勝っていて、自分がパートナーを見つけることに意識が傾いていた。
(僕に声をかけた理由をなんて言ってたっけ……)
記憶を呼び起こしながら掲示板を眺めていく。そこは相変わらず不平や不満、罵詈雑言で埋めつくされていた。
書き手たちの負の感情が流れ込んできて僕の中を闇で覆っていく。
隣のブースに誰かが入ってきた。年齢も性別も分からないこの人だって、誰も知らない闇を抱えていて僕の新たなパートナーとなる可能性だってゼロではない。
だけど、それをどうやって見極めていけばいいのか。
モニターに映っている文字をただ眺めているだけで時間は過ぎていった。
*
昨夜は終電がなくなるまで店にいた。少なくともこれでアリバイは成立するだろう。それが役に立つことはないのかもしれないけれど。
いつもの通り佐々部長は休みを取っているので、その安否は朝の時点では僕にも分からない。午後になっても部長の件で会社へ連絡があった様子はない。
四時に三澄駅で瀬田建設の三木さんと待ち合わせをしていた。二物件を見るのでホワイトボードには「直帰」と書いて会社を出た。
約束より十分ほど前に駅へ着いた。改札の前で「よつばエステート」の文字が入ったA4大の角封筒を持って立っていると、背の高いスーツ姿の男性が近づいてくる。
「山瀬様ですか」
「はい。三木さまでしょうか」
「はじめまして。瀬田建設の三木です」
痩せているというよりもスポーツで鍛えている印象の男性だ。もう初冬といっていいこの時期に日焼けしていて、短髪で若く見えるけれど三十二、三歳といったところかな。
「はじめまして。よつばエステートの山瀬です」
お互いに名刺を交換して頭を下げた。
顔を上げると三木さんが僕の名刺をじっと見ている。
「カオルさん、ですか?」
思いもよらずそう呼ばれて「えっ」と声を出しそうになった。
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