交換殺人って難しい

流々(るる)

序幕

 背中から冷たい風が吹き上げていった。

 まっすぐと続く石段へ覆いかぶさるように両側から木々が枝を伸ばしている。葉の触れ合う音にも反応してしまい、立ち止まって顔を左右に向けた。昼間でさえ薄暗い鎮守の森には深い闇が満ちている。

 ぽつん、ぽつんとあるひざ丈ほどの庭園灯が足元をぼんやりと照らしていた。

 大きく息を吸い込み石段の先を見上げる。

 うっすらと明るく感じるのは社殿の灯りかな。でもここからじゃ、その屋根すらも見えない。もちろん、人影も。

 もういちど足元に視線を戻した。不揃いに割られた石は長い年月を経て角が丸まり、こけむしたところもある。滑らないように気をつけながら、また上り始めた。


(ふぅ。五十三段もあるとさすがに息が上がる)


 境内までやってくると体を伸ばした。顔だけをぐるっと回してあたりをゆっくりと見渡す。

 石段から続く石畳の先には、もう見馴れてしまった社殿がある。賽銭さいせん箱の両脇に提灯型の明かりが掲げられ、ぼんやりと周囲を照らしていた。白い塗装もかすれて木肌の見えた柱に細いしめ縄が張られている。

 社殿の右を抜けてバス通りへと向かう小路は、暗くてここからじゃよく見えない。駅から帰ってくる人ならともかく、こんな時刻に神社を抜けて駅の方へと向かう人なんていないだろう。

 振り返って、上ってきたばかりの石段を覗き込む。木のトンネルを抜けた鳥居の下にも人の姿はない。


 ポケットからスマホを取り出した。

 僕の周りだけが青白く浮かび上がる。小さな画面の表示は九時になろうとしていた。


 スマホをポケットにしまうと、すぐに闇が戻ってきた。ここからは木々のざわめきだけが聞こえてくる。

 そういえば明後日はブルームーンだって昨日のニュースで言ってたっけ。青い月のことじゃなく、季節のなかで三回目の満月をいうんだとそのとき初めて知った。

 ということは今日が十三夜か。

 枝の切れ目から夜空を見上げても、雲が広がっているのか、星はもちろん月さえもどこにいるのかわからない。この辺りには外灯もないし、社殿を背にしておけば万が一のときでも顔を見られる心配はないだろう。

 こんな空模様なのに予報では市の西部に雨が降る確率はゼロパーセントだった。


 ここまでいい条件がそろったんだ。今夜やるしかない。

 そろそろあのお爺さんがやって来るはず。

 大丈夫、僕にでもできる。

 きっとうまくいく。


 石畳に沿って植えられた茂みに隠れながら、五十三もある石段を上ってくるはずのお爺さんを待っていた。

 相手は僕の顔なんか知らない。

 近づいて行ったって警戒なんかしないだろう。いや、待てよ、こんな時刻に人気ひとけのない境内で知らないやつに出会ったら身構えるかもしれない。

 思い切って声を掛けた方がいいかもしれないな。

 道に迷ったふりをして駅へ行く道を尋ねれば、きっと立ち止まって階段の方を向いてくれる。

 そこを――。

 頭の中でシミュレーションを重ねているうちに、石段からかすかに足音が聞こえてきた。


 でも、このときになって僕が犯した重大なミスに気がついた。 

 ここからだと上ってくるのが誰なのか確認できない。わざわざ出て行って石段を覗き込むのも不自然だし。

 どうやって相手を確かめるのか。そこまで考えていなかった自分を責めた。

 どうしよう。早くしないと登り切ってしまう。


 水曜日の夜、九時。

 あれだけお爺さんの行動を下調べしたんだから間違いない――はずなんだけれど。こうなってみるとせめて月明かりでもあれば、顔を確かめられたのに。

 もしも人違いだったら……だめだめ、そんなことは絶対ダメ。ありえない。それじゃ、通り魔殺人と同じになってしまう。

 おまけにあの男を殺してもらうことだってできなくなる。


 いい案も浮かばないまま、ざっ、ざっと石段を踏む足音が大きくなってきた。

 どうすればいいんだ、僕は。


 暗がりの中に頭が見えてきた。

 ゆっくりとこちらへ上ってくる。

 社殿の明かりにおぼろげながら浮かび上がった人物は背が高く痩せた感じ。

 やっぱりお爺さんっぽいけどなぁ。

 顔がかげになっていてここからではよく見えない。

 僕がうだうだ迷っているあいだにお爺さんらしき人はお宮へと続く石畳まで上りきってしまった。

 手摺につかまり立ち止まって一息ついている。


 もう時間がない。決断しなきゃ。

 お爺さんに恨みはないけれど、これもミキとの約束だから。

 ここから飛び出して体当たりで突き落とす。

 行くなら今しかないっ!

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