0-2
ここはどこだろうか?
眼前に広がるのは、広い庭と巨大な西洋風の屋敷。背後にはどこまで続いているのかわからないほど深そうな森。
そして、どういうわけか、柵を乗り越えやすいようにと選んだジャージとTシャツという名の死に装束だった私の格好が、通っていた高校の制服を変わっている。
それに私は確かにマンションの最上階から飛び降りたはずだが、どうしてか意識がある。
タイムリープでもしたか? しかし、私はタイムマシンに触れた記憶もなければ未来から来たイケメンの知り合いもいない。
何より過去に遡ったって、こんな場所には見覚えがない。
森を彷徨い歩いた記憶はないし、死に損なって見ている夢か?
それとも、一部の界隈で賑わいを見せている異世界というものだろうか?
それとも、まさか『あの世』というヤツだろうか?
それは困る。
神も仏も、悪魔でさえも信じていなかった私は死ねば何も考えず、何もしなくていいと思っていた。だというのに死後の世界なるものがあったとなれば「何もしない」が出来ないかもしれない。
どうしたものか。いや、すでに死んでいるのであれば何もしなくてもいいのか。
ただここで立ち尽くしているだけでも、誰からも文句など言われないのではないだろうか。
「お待ちしておりました。お客様」
いざ何もしないを実践していると、屋敷の巨大な門扉の中から燕尾服を着た老いた男性が現れた。
『老いた』とは言っても、背筋はピンと伸びていて活力を感じる。白髪であるが薄くはない髪をオールバックにし額を見せている。
どうやら、ここは私だけの世界ではないらしい。
「お客様?」
老人の身体的特徴をボーっと観察していると、再び老人がお客様とやらに声を掛けた。
誰のことかと辺りを見渡すと、この場に老人と私以外に誰もいない。
お客様とは私のことだろうか? 誰かに招待してもらった覚えはないのだが。
「ええ、おっしゃる通りでございます。屋敷でご主人様がお待ちです、どうぞこちらへ」
どうしたものか、知らない人のウチに用件もわからないまま上がるというのは、どことなく危険な香りが漂っている。
まあ、いいか。
どうせ死んでるのだ、何があっても「身の危険」なんてないだろうし気にすることでもない。死にぞこなっているのなら所詮は夢の中の出来事だ。
万が一、ここが異世界ならいろいろ終わってから再び死ねばいい。
「ご安心ください。私めどもはアナタに危害をくわえることはありません」
私があまりにも動かないからか、老人は気を回してくれた。
大丈夫、心配はしていない。と老人に告げ、私は老人の後に続いて屋敷に入る。
入ったらすぐさま絵本や古めかしい映画でしか見たことの無い大きな螺旋階段のあるホール。靴は脱がなくていいのか。
どうにも日本の小市民であった私には絨毯の上を土足で歩く感覚は慣れない。
「こちらで、家主がお待ちしております」
老人に案内されたのは二階の部屋の前。家主がいると言っていたから書斎か客間だろうか。
「お客様をお連れしました」
「お通ししてください」
丁寧にコンコンコンと老人が三回ノックした後、中から若い声が返事を寄越してきた。
透き通った声、というモノを初めて聞いたかもしれない。
もしかしたら声のお仕事をしている人の中には近しい声の人がいるのかもしれないが、残念ながら私はその辺の界隈には明るくないから生前にはめぐり合えなかったが。それでも、この世のものとは思えない、軽く触れるような耳に心地よい声質だった。
イケメンボイス、略してイケボと一言で済ますには、言葉が足りない。
返事を受けた老人は扉を開き、私を部屋へと案内する。
「どうぞ中へ」
私は少し興味が湧いていた。同じ人間とは思えない美声の持っている屋敷の主という人物に。
声が美しいから、といって、当人が美人であるかは別の話しだし、見た目と声の乖離がどれほどか確かめてやろう。
老人に促され部屋に足を踏み入れた瞬間、私は引き込まれた。
私の想像を遥かに上回る天才がイメージする「この世の美しい」を人間サイズに落とし込んだ彫刻のような姿に目は当然のように奪われたし、鼻腔を混じり気のないさわやかな香りがすり抜け、全身の毛穴が脳の号令を受け一斉にきゅっと閉じるのも感じた。
白い。
思わず吸い付きたくなるような肌、短く切り揃えられた光沢のある髪、皺一つないシャツ、といった見た目もそうだが、一点の汚れもくもりもない潔白さをその人物を構築している要素はこれでもかと溢れさせていた。
「お待ちしておりました。どうぞこちらに掛けてください……どうなさいましたか?」
垂れ目ながらも大きな瞳に一つ輝く翡翠に光を反射させながら、気圧されて動けなくなっている私の様子を覗き込むように確認してくる。
見つめてると灰になりそう……
神々しい、と陳腐な言葉にしか落とし込むことが出来ない自分が悔しい。今なら浦島なんとかの、絵にも描けない、としかいえないもどかしさがわかる気がする。
「ある意味、もう既にアナタは灰になっているのですがね……では、私から視線を外しながらでいいので、話だけでも」
目を逸らすなんてもったいない!
と、叫びたい思いをぐっと押さえ込み、苦渋の思いで目線を屋敷の主から外し、ようやく、進められたソファーに腰を据えられる。
それでも漂う香りと鼓膜に触れる声が私の心を激しく揺さぶっていた。
そんな心境の中、屋敷の主が口にした「既に灰になっている」という言葉が気にもなっていた。
「言葉の通りですよ。アナタは七月十五日の未明、高層ビルの屋上から飛び降り、自らの命を絶った。そして、既に火葬を終え、アナタの肉体は灰と骨になっています」
そうか、やはり私は死んだんだ。
自分を殺すことに成功していたんだ。
「今、ここにいるアナタはアナタ達の感覚で言うところの『魂』のみの状態といえます」
ということはあの世、という奴なのだろうか。
「アナタ達の言葉を借りれば、それが一番正しい表現の仕方でしょう」
じゃあ、屋敷の主は、この世とあの世の番人で有名な閻魔大王様なのだろうか?
「さあ、それはどうでしょうか? そもそも『魂』も『あの世』もあなた方がそう呼んでいるだけですし、名前にさしたる意味なんてありません。現に私と対面した人々は思い思いに私を捉え、それに該当するであろう概念の名前で呼びます。ですが、私にはそれに相当するであろうことをしているだけのシステムに過ぎません、雌雄もありませんしね」
少し小難しいことを言い出したぞこの人、噛み砕いて解釈すると、人間は猫のことを猫と勝手に呼んでいるが、当事者たちは自身のことを『猫』などという種族名と捉えていない、我輩は猫である、とは名乗らないということだろうか。
「概ね正しいです。まあ、私自身名前に頓着はないので呼び方は好きにしていただいて構いません。「屋敷の主」でも「閻魔大王」でもお好きなように」
そういわれても、この人が結局何をする存在なのかまだよくわからない以上、呼び方を決定するのも難しい。
頭の片隅でチラつく呼び名はあるにはあるけど。
「言われてみれば確かに、まだ、私についてお話してませんでしたね」
死んだ世界に居を構える謎の存在は彷徨える魂になってしまった私に、自らを語る。
「私は肉体を失った魂が望む、永久なる夢を見せる存在。アナタが望めば永遠に幸福な夢をお見せすることを約束しましょう」
夢?
「ええ、夢です。ある人は巨万の富を得て贅沢をし続けたいと望み。また、ある人は翼を持って大空を羽ばたきたいと、ある人は唯一無二の才能で人々に慕われたいと、生前叶えられなかった、あるいは、生前では不可能だった夢をその魂に見せることが私の役割なのです」
なんというか、この人の言うことが疑いようのないものなのだなぁと、突飛なことだというのに妙に納得がいった。
なるほど、やはり私の頭に浮かんだこの人の呼び方は、多分、かなり的を射ている。
この人はきっと「神様」と呼ぶのが一番似合っている。
特に宗教に関心のある人間ではなかったが、死んだ魂がめぐり合う存在と言われて候補に上がるのは閻魔とコレくらいだろう。
「なるほど『神様』ですか。私をそう呼ぶ人は少なくありませんし、私自身、大王という柄でもないので閻魔様と呼ばれるより、そちらの方が好ましく思います」
なるほど、閻魔呼びが嫌だから、さっきは気を悪くしたのか、次からは気をつけるとしよう。
「それでは、アナタの夢を聞かせてください」
屋敷の主、改め、神様は私に問いかける。
夢、か。
私の夢、それは――
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