チト&ユーリ 少女終末旅行

 夏休み。みひろは部室棟の裏の花壇でこっそり育てているマンドラゴラの水やり当番のために登校した。文芸部部室の本棚に収められている文集を眺めると、この部がその時々の流行を節操なく取入れてきたことが分かる。大昔の黒魔術や降霊術に始まり、UFOや宇宙人、終末予言や陰謀論、仮想現実や人工進化などなど。今は一周回って再び神話や魔法を研究する部になっている。花壇に植えてあるマンドラゴラの根は、魔術の儀式でトリップ状態になるために欠かせないモノ……、というのはごっこ遊びで、実際は秋の鍋会に使うさつまいもを育てているのだった。


 水やりが終わり、一休みしてから帰ろうと部室のドアを開けると、先輩がいた。

「あれ、先輩、もう大丈夫なんですか?」

「え、何が?」

「失恋して傷心旅行に行っているから探さないであげてってひかり先輩が」

「あいつ、また根も葉もない噂を……」

 先輩は手に持っていた本を握りしめ、悔しそうに言った。「私に関する荒唐無稽な噂のほとんどが、あいつのせいなんだから」

「でもしばらく部活を休んでましたよね」

「解説するための本を探しに本屋や図書館を渡り歩いていたのよ。この本の主人公、チトとユーリのようにあてどもなく」

「自然な導入ってやつですね」

「狙ってないわよ」


●少女終末旅行の世界観設定

1. 二人の少女、チトとユーリは他に人がほとんどいない広大な廃墟の中を、目的地を持たずに旅行している。

2. あちこちに戦争の痕跡があるが、水道・電気・燃料などのインフラは稼働しているし、贅沢はできないが食料も見つかるので、生命の危機に陥るほどではない。

3. 二人は文明が荒廃した理由を知らない。


「単行本の一、二巻を読んだんだけど、二人はとくに困難にぶつかることもなく、物語が始まるような動きが見つからないの」先輩が言う。

「降参ですか? 自分の理論が崩壊して、それで傷心旅行を?」

「違うって。『面白さ』の分類でこういう展開になるのは『関係を維持する』。このパターンの物語では、主人公たちの関係がいかに幸せなものか、最初によく描写する必要があるの」

「二人の生活に興味を持ってもらうってことですね」

「そう。でないと二人の関係がどうなるか、見守ろうとは思わないからね。そしてもう一つの必須要素が危機への兆候。楽しい生活の中に忍び込んでくる嫌な予感を少しずつ描写して行くのよ」

「幸せ描写だけじゃ、単なるのろけ話ですもんね」

「人ん家の家族旅行スライドショーを何時間も見せられるのと同じよね。この作品の場合は、廃墟や孤独、戦争の痕跡などがまず一つ。チトとユーリの性格の違いがもう一つ。スタインベックの『はつかねずみと人間たち』は読んだ?」

「スタインベック? 聞いたことのないレーベルですね。どこの出版社ですか?」

「おい、文芸部員。アメリカの文豪、J.スタインベックよ。彼の書いた『はつかねずみと人間たち』の主人公、ジョージとレニーもチトとユーリのように貧しいながらも希望を持って楽しく旅をしているのよ。ジョージは常識人。レニーはかなり頭の弱い大男。性格が釣り合わないということが、彼らにトラブルとして降りかかってくるの」

「チトとユーリもそうなんですか?」

「チトは生真面目な性格で毎日日記をつけている。ユーリは読み書きもよくできないし、大雑把な行動をしてチトに怒られたりする。まだ二巻までしか読んでないから、これが二人の友情の危機につながるかは分からない。他に廃墟や戦争という、彼女たちを脅かすかもしれない設定もあるし、単なるフレーバーかも。でも二人の性格の違いが『関係を維持する』への興味を保つのに役立っているのは確かね」

「なるほどー。キャラの性格を別けるのって、そういう目的があるんですね」

「『キャラ立ち』だけじゃないのよ」


●絶望したキャラの描き方

「ところでもしあなたが自分の作品の中に絶望したキャラを出したいと思ったら、どんなキャラ設定をする?」

「うーん、難しいですね。一日中部屋に引きこもっているようなキャラ? でもそれだと物語が作れないし……。『絶望した!』と叫んでみたり、むやみに首をつろうとしたり? それじゃギャグですね、すみません」

「何かに一心に打ち込んでいる人を描くのよ」

「一心に打ち込んでいる人ですか? 絶望とはほど遠いような気がしますけど……」

「絶望を描きたいなら、まず希望を描かなきゃ。広大な廃墟の地図を作っている人、飛行機を作って別の土地に飛んで行こうとする人、そしてひたすら廃墟の階層を上って行くチトとユーリ。この作品に出てくる人は、みんなそれなりに希望を持っている。でも登場する人間はそれで全員。成功したとしても誰も褒めてくれる人はいない。そんな努力だとしたら、読者のあなたは絶望しない?」

「胸が締め付けられるような気がします」

「○○なキャラを描くというのは、他でもない、読者に○○な感情を味わってもらいたいから、なの。○○がどんなに酷い感情だったとしても、本を閉じれば読者は今まで通りの人生を歩んでゆける。感情を揺さぶられる経験だけ安全に手に入れること。それが読書の楽しみ。○○な状態のキャラを正確に描くことは読者にとってはどうでもいいことよ。キャラ設定をする時にはそこに気をつけないとね」

「そうですね。キャラに夢中になって、読者の存在を忘れちゃダメですね」

「そういうこと」


「さあて、また本探しに戻るかな」

 先輩は伸びをして部室から出て行こうとする。

「先輩、なんで私のためにそこまでしてくれるんですか。『面白さ』を解説することに何の意味があるんですか」みひろは思わず訊いた。希望とか絶望とかの話に影響されていたのかもしれない。

「今はそうかもね。でもそういうことに意味が出てくるような、そんな世の中になるかもしれないじゃない?」

 振り返り、意味ありげに先輩は笑った。

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