感情的

大学生になり、猫を飼い始めた。進学のタイミングで一人暮らしをすることにし、父に半分脅しのように金銭の援助を要求した。ある日の駅前で殺処分される猫や犬への募金を見た。金を入れるなら飼ってしまえとその日のうちに保護所へ出向いた。結果家には今1匹の三毛猫が居る。最初の1ヶ月はドギマギして自分の家なのにそわそわした。だが2、3ヶ月経つと自分も猫も互いのいる生活に慣れ、だんだん側へ寄ってくるようになった。猫のおかげで家によく帰るようになった。今までは友人の家へ転がり込んだり、ネットカフェで一夜をすごしてみたり、早朝から外を散歩してみたりしていた。だが家で小さな生き物が待っていると意識した途端に帰宅の義務が発生した気分になり、布団で眠ることが増えた。大学4年生になった。父が死んだ。家で倒れたそうだ。その瞬間あの夜が駆け巡り、握った手のひらに爪が刺さった。昔よりも更に抑揚の無くなった母からの電話が言った。まだ父に対しての何らかの感情が残っていた事に驚いた。シンクに落ちた水滴の音に気づいたのか猫が黒いズボンに頭をすりつけた。

次の日私は実家へ向かった。4年ぶりに戻る家への道は予想していた通りに寂しいものになっていた。ブルーラインと名乗るくせして銀色の地下鉄から降りて、地上への階段を上がる。昔は賑やかだった商店街も今はシャッター街となった。記憶をたどって歩くと見えてくるクリーム色のアパート。実家のドアを開くと鍵はかかっておらず、代わりに強い腐敗臭が私を出迎えた。この時ほどマスクをつけていて良かったと思うことは無いだろう。口と鼻が覆われていても容赦なく嗅覚を貫く強い臭いは、もしかしたら父のものではなかろうか。その中には母のものも混ざっているのではないか。最悪を想定しながらリビングへ続く扉を開くと、母はソファに座ってテレビに映る天気予報を見ていた。

「明日の横浜の気温は15度、気持ちの良い晴れ模様になるでしょう。」

微動だにせず画面を見つめる姿はあまりに異様で、今すぐにでも逃げ出してしまいたかった。心ここに在らずといった様子の母の世界は文字通り灰色に見えているのだろう。動かない体の代わりによく回った私の脳みそは父の存在を思い出させた。リビング奥の扉の少し開いた父の寝室には生前とは随分と肌の色の変わった父がベッドに横たわっていた。部屋には蝿がぶんぶんと飛び回っていた。キッチンの三角コーナーの生ごみを捨て忘れたことがちらりと横切る。アパートを飛び出して道端に吐いた。口の中が独特の酸っぱさで覆われていく。地獄だった。

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