第六話 敗者の都合


台本が配られ本番に向けての稽古は順調に進んでいた。


完成間近の劇場、客席からイーリスと商人ルブレが作業中のドワーフたちを眺めている。


「──で、命からがら逃げだしたんですか?」


「そう、散々な目にあった」


余裕の態度であごひげを撫でつけている男のもうひとつの名はアーロック・ルブレ・テオルム。


マウ王国の王家に属する者だ。


マウ王国は現在、西アシュハを侵攻中の敵国である。


数年前の古竜討伐の際に現劇団員、元竜殺しのオーヴィルと共闘しており、イーリスとも面識があった。


戦友でもあり敵国の重要人物でもあるという複雑な間柄、身分は違えど気安く言葉を交わす関係だ。


アーロック元第三王子は第一王子の王位継承にともない継承権を失った。


以来、代表を務めていた商会の運営に本腰をいれることにし、現在は『鉄の国』との取引を独占中。


良質の武器や兵器を海賊に流すことでアシュハ国の戦力分散を計り本国をサポートしている。


していたが、先日とつぜんダラク戦士たちが手のひらを返して戦闘をしかけてきた。


積み荷を引き渡した途端に牙を剥き、船を沈められかけたところを間一髪で逃げ延びることができた。


「──ひどい話だと思うだろ、無償でサポートしてやってたのに……」


──よく言う。


ルブレが戦争のために海賊たちを利用していたことをイーリスはわざわざ指摘しない。


「自慢のエルフ部隊はなすすべもなくやられちゃった?」


人間とエルフの両社会に居場所のないハーフエルフたちをルブレは私兵として囲っていた。


彼らはあらゆる局面で活躍できる魔法戦士として重宝されている。


「やられちゃったね、魔法を封じられて力比べになったらまったく歯が立たなかったよ」


──魔法を封じられた?


エルフは精霊との対話を可能とし、協力を乞うことで様々な現象を起こすことができる。


これが俗に言う【精霊魔法】人間の使用する魔術とは異なった原理で行使される独自の技術だ。


イーリスは首をひねる。


「なんだって彼らは自分たちの首を絞めるようなことをしたんだろう……」


海賊がアシュハ軍と渡り合えているのはルブレ商会から提供された軍艦やドワーフ製の武器に頼るところが大きいはずだ。


海賊の肩を持つわけではないが、ルブレ商会との決別はアシュハ軍の勝利、ひいてはダラク民族の寿命を縮めることに繋がる。


「所詮はアホの未開人ってことだね」


手のひら返しに対する恨みをこめて、ルブレは海賊たちに辛辣な評価を下した。



今日まで海賊たちはやりたい放題やってきた、ここまでの大事になってはアシュハ軍も中途半端では終われない。


騒動のもとを断つべくダラク族の本拠である孤島に上陸し殲滅戦を仕掛けてもおかしくはない。


ダラク戦士は膂力に優れているが所詮は少数部族、物量で押し切られることは目に見えている。


「海で拮抗できなくなったら島に上陸されてお終いだ」


ダラク族が粛清されるのは自業自得だが、なかには演劇を手伝ってくれた顔見知りも存在する。


打ち上げのときに振る舞われた料理に感動し無邪気に喜んでいた姿を覚えている。


「そのへんは心配してないんだろう、アシュハ軍もこれ以上は手をだせないからね」


イーリスの見解をルブレは否定した。


「手を出せない?」


「海戦を制したところで島には上陸できない、地形が複雑な上に天候を自在に操る魔術で妨害してくるからね」


島への上陸は魔術師が防いでいる。


「──それに、海賊島には守り神がいるとも言われている」


「守り神?」


「海底に住む巨大な竜だか蛇だか、こちらは迷信かもしれないが」


何にしても海賊島への上陸はアシュハの海軍を持ってしてもできないということらしい。


「孤島自体が難攻不落の要塞ってことか」


目の前の海賊を放置せざるを得ないのはそのせいだ。


「これで蛮族への援助はおしまい、物資は本国にでも送るさ」


良好だった支援者への急な謀反、海賊たちがなぜそんなことをしたのかは分からない。


──分からないけど、まあいいか。


海賊への供給が途切れたことで港町に平和が訪れたら、それに越したことはないとイーリスは納得した。



「俺がそんな目にあっていたというのに、キミたちは呑気に劇の準備中だ」


ルブレは劇場を見渡しながら恨めしそうに言った。


「呑気って、これがボクらの生業ですから」


敵国での工作活動中の立場から見ればお遊びにも見えるだろう、しかしどんな仕事にも苦労はある。


再開は団員たちの悲願だったし『鉄の国』の国策と絡めたことで規模感も大きくなった。


『劇団いぬのさんぽ』とドワーフ族の生存をかけた一大プロジェクトだ。


「すこし時間ができたからね、流行ってる演劇とやらをいくつか観てきたよ」


イーリスは「どうでした?」と感想をうながした。


「長時間じっとしているのが俺には合わない」


「ダメでした?」


「つまらないとまでは言わないよ、ただ歴史上の英雄や架空の人物の武勇伝にさしたる興味がないんだ」


生まれた時点ですべてが手に入り、栄光の道筋を歩んできたルブレにとって他人のサクセスストーリーはどうでもいいことだ。


己こそが英雄であり物語の主人公──。


「そりゃあ、誰もがあなたみたいに刺激的な日々をおくれるわけじゃあないですからね」


多くの人間は限られた行動範囲しか持たない、物語はそれを補って世界を広げるための手助けをしてくれる。


日常に根ざしたものは取りこぼしに気づかせ、かけはなれたものは発見を与えてくれるものだとイーリスは考えている。


「演劇は主人公が富、名声、美女を手に入れる過程を眺めているだけじゃないか、現実の自分に影響がない。せっかく時間を割いているのに成果がないのは無駄なことだと思わないか?」


眺めているだけならば時間の無駄にも感じるだろう。


しかし他人の人生を追うことこそが物語の醍醐味、自分と違う境遇の視点を得ることをイーリスは無駄だとは思わない。


「ボクは観劇前後で人生が変わるような演劇を目指しているつもりですけどね」


物語は人生を変える──。


おおげさであることはわきまえているが、それくらいの意識でなければ劇団を率いるだけのエネルギーを維持できない。


対するルブレの感想は冷めたものだ。


「人生を劇的に変えるのは実際の成功体験だけだよ」


イーリスはまるで崇高なモノであるかのように語ったが、つまるところ演劇なんてものは娯楽に過ぎない。


フラストレーションの発散、ストレス解消が目的ならば飲食、ギャンブル、セックスなど方法はなんでもいいはずだ。


「じゃあ、会長にとっての娯楽ってなんですか?」


たずねられたルブレはふむと唸って答える。


美食や高級酒の味はもう知っている、女はそれらよりもずっと安い買い物でしかない。


「最高の娯楽とは、挑戦の先にある勝利だと思うね──」


食事や性行為からでも十分な快楽を得られるが、彼にとってもっとも気持ちが良いものは達成感だ。


挑戦によって得られる勝利こそが至高であり、そこから得られる快楽に娯楽は遠くおよばないとルブレは考える。


物語は個人のコントロール下にある作り物。


人類を破滅に導く古竜を討伐した時、ドワーフとの契約を強敵サランドロから奪い取った時、それ以上の興奮を『つくりもの』から得られるとは到底思えない。


「なるほど……」


英雄は物語に救われるものではなく、体現するものだということか。


「──くりかえしになりますけど、それぞれが違う条件下に生まれてきてなにもかもを思い通りにできるわけじゃない。

それでも幸福を目指す権利は誰にでもあるし、苦しい人生の中に気の利いた息抜きがあるべきなんですよ」


大勢にとって退屈であることは認めるが必要としている人間もいる、というのは妥協点、正直この回答は不本意だ。


物語の存在は世界平和に貢献できる──。


そう言ったところで鼻で笑われることは想像できるし、価値観の押し付けで理解を得られるはずもない。


それでも劇作家として演劇の存在意義を否定するわけにはいかなかった。


「息抜きなんてものは死後にでもすればいい、自分が休んでいる間も周りはどんどん先に進んでいく」


他人の物語の傍観者より、自分の物語の主人公であれ──。


幸福を目指すのが人の権利だというならば、他者の活躍ではなく自分に投資すべきだとルブレは語る。


「──舞台上の役者をチヤホヤする観客たちを見ていると哀れみを覚えるよ。キミたちみたいに充実した他人より、満ち足りてない自分を応援するべきだ」


夢を見ることすら知らない大勢とは対照的に夢をかなえ続けている者がいる、彼らにとって物語は『つくりもの』に過ぎないのかもしれない。


「観劇だって自分への投資のひとつですよ」


ルブレが「たとえばどんな?」と訊ねると、イーリスはいくつかの中からひとつをチョイスするようにして語り出す。


「人間ってのはかなり視野の狭い動物だと思うんですよ──」


ルブレの護衛として同行し、黙って後方で見守っていたティオが賛同する。


「言えてますね」


人間には見えないものを見て、聞こえない音が聞こえているエルフからすればそうだろうが、そういう意味ではない。


イーリスは続ける。


「人間は当事者にならないかぎり事の重大さに気が付かない」


実際すぐそこで海賊たちが略奪を繰り返し首都から軍隊が送られてくる事態になっているにもかかわらず、自分の家のドアを蹴破られるまでは対岸の火事だろう。


「──けれど物語を通して間接的な当事者になることで、共感力が養われるんだ」


感性は柔軟性や筋力のように鍛えられるものであり、物語の摂取はその訓練に位置づけられると定義した。


ルブレはふむと頷く。


「……なるほど、玉座でふんぞり返っているだけでは民衆の気持ちなど理解できないってことだ」


その背景を理解しなければ民衆も王の都合を知りようがない。


物語はその想像力を養う訓練として成り立ち、演劇はその入り口の役割を果たすものだと考えられた。


「──しかしだ、そもそも共感力は必要かな、どこまでいっても世界は弱肉強食だよ、強者が弱者の気持ちを慮る必要はない、敗者が譲歩する、それだけだよ」


イーリスの主張には納得できた、しかし役に立つとは思わない。


この世は競争の社会であり人の痛みなど理解できないほうが勝負に強い、躊躇なく殴れる者が先手を取れるのは明らかだ。


人は人、自分は自分──。


他人の成功にも失敗にも興味はない、他人はとうぜんのこと身内の死にすらまったく心を揺さぶられない、それがあるべき強い姿。


他者の注視する点は役に立つか足を引っ張るかだけ、気持ちに共感できる、それはルブレにとっては弱点を増やすことでしかない。


幸福を享受する権利を有しているのは強者のみであり、弱者は一方的な搾取にさらされながらささやかな施しを幸福と錯覚することしか許されない。


錯覚で自分を慰めながら理不尽にまみれた一度きりの命を惨めに散らす、その屍の上で強者が人生を謳歌する。


それがこの世の理だ──。


「争いはなくならないのかな……」


競走が不可欠である以上、争いが絶えないことは必然だ。


「なくならなくていい、勝つことが大切なんだ」


ルブレはあっけらかんとして言った。


この世界は勝ち取ることでしか糧を得ることができない構造になっている。


人を騙せば儲かるし、排除すれば勝利に近づく、不正を働くことは悪じゃない、罪に問われてはじめて悪と認識される。


すべての決定権が勝者にあるならば、より非情な者こそが正義であるのが道理。


「──平和を求めるのは敗者側の都合さ」


勝ち続けていればそんなものは必要ない。


平等や公平を求めるのは損をしている立場の人間、ルールを決めるのは得している側の人間だということだ。


それはこの先も不変なのだろうか、未来永劫変わらないものなのだろうか、イーリスは思い悩まずにはいられなかった。


──過去より今を良くできないなら、ボクらはなんのために生きているんだろう。


弱者にとって人生は地獄か、物語はかなわぬ夢の代替品か、そんな思考がぐるぐると脳内に渦巻いて離れない。


社会を構成するほとんどは弱者側。


「その価値観をあらためないと大勢が悲しい思いをするんだ」


ルブレの回答は単純明快。


「問題ない、俺はハッピーだ」


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