第四話 帰郷


演劇を再開するためにはまず馬車を確保しなくてはならない──。


その準備をするためにギュムベルトとリーンエレは港町に帰ってきた。


子供とエルフで商談をするのは心細かったが、ニィハに紹介された協力者のおかげで馬屋との交渉はスムーズにまとめることができた。


協力者の名はイバン、イーリスが剣闘士時代に同じ師に剣を習った人物と説明を受けた。


「イバンさんありがとう、無事に用事は済んだよ」


「敬愛する姉弟子のためならお安い御用さ」


初対面からなれなれしかった協力者とはすぐに打ち解けることができた。


ノロブの情報どおり馬屋はたくさんの馬車を持てあましており話に乗り気だった。


詳細な契約を交わすため直接出向いてくれるとのことで、『鉄の国』への帰路は馬屋の準備ができしだい同乗する予定だ。


「しばらくこっちにいるの?」


ギュムは西アシュハからの旅人であるイバンに滞在予定について訊ねた。


ドワーフの鍛冶師カガムが東アシュハ王の使いであったように、イバンは西アシュハ王経由の諜報員だ。


元皇女であるニィハの生存確認をたてまえに個人的な興味を満たす目的で遠征してきた。


「噂になっている海賊の暴れっぷりを見物しに来たんだけどね、残念なことに町の平和は守られているみたいだ」


ギュムは飽きれた表情で「不謹慎だな……」とつぶやいた。


正規軍が派遣されてきた影響で昨今こそ大人しく感じられるが、つい最近まで海賊による馬鹿にならない被害が出ていたし、人もたくさん死んでいる。


「べつに野次馬的な好奇心で言ってるわけじゃないんだ!」


イバンは知的探求心からの行動だと弁明する。


「──知ってるかい、ダラク族の男性はその九割が戦士として海で戦い、先天的に落ちこぼれた残りの一割が独自の魔術師として島を守っている」


略奪を生業とし死線をくぐらぬ者はいない、彼らがダラク戦士と呼ばれる所以だ。


ダラク族についての知見を聞かされたギュムは率直な感想を述べる。


「こっちじゃエリートしか魔法を使えないのに、落ちこぼれたほうが魔術師になるんだね」


ダラク族の風習にギュムは違和感を覚えた。


大陸の常識で言えば魔術を扱えるのは一部の金持ち、あるいは特殊な環境に身を置いたごくごく限られた逸材だけだ。


海に出ての戦闘行為を生業とする過酷さにくらべれば島に居残っていられるほうが安全な上、魔術がつかえるという部分には特別感すらある。


「彼らのなかでは戦士こそが上位存在であり明確な差別が存在するんだ、魔術師はそうとう過酷な迫害を受けているらしい」


外の人間にとって実態は定かではない。


ダラク族の王は代々もっとも優れた戦士から選出されており、謎の気象現象が島への上陸を阻んでいるという事実があるだけだ。


「──ダラク族には謎が多い、俺はその実態が気になっているんだ」


「物好きなんだね」


ギュムは興味を惹かれない様子でそう言った。


少年にとっては演劇を楽しめる世の中が続くことこそが重要で、平和を脅かす海賊の存在は迷惑でしかない。


「そんなわけでしばらくは滞在するつもりさ、公演の日程が決まったらチラシ配りでもなんでも手伝うからって姉弟子にはそう伝えておいてくれ」


イバンはイーリスのことを剣闘士時代の名残から姉弟子と呼んでいる。


「イバンさんも先生のことは尊敬してるんだね」


「もちろんだよ、姉弟子と女王陛下のためならなんだって──!」


「ちょっ、こんなところでそれを言ったらマズイだろ!」


ギュムはあわててイバンの言葉をさえぎった。


女王ティアンは歴史から抹殺されており存在をほのめかすような発言があってはならない。


アシュハ国民の団結は女王の死によって成り立っているからだ。


劇団以前の付き合いが長い彼にとってはいまだにイーリスは剣士であり、ニィハは女王の印象なのだろう。



今後の協力を約束してくれたイバンと別れ、二人は馬屋が準備を終えるまでの時間で『パレス・セイレーネス』に顔を出しておくことにした。


妹同然だったユンナと兄貴分だったユージムはすでに新しい道に進み娼館を去っている。


それでも古巣の様子は気になったし、あちらも長らく協調関係にあった『劇団いぬのさんぽ』の現状を気にかけてくらいはいるだろう。


顔見知りの従業員に挨拶をして二人は裏口へとまわる。


「おっ、なつかしい声がするな」


ギュムは同意を求めてリーンを振り返った、終始無言なのは彼女らしさということでいまさら気にもしない。


洗濯場を通過したところで支配人マダム・セイレーンの怒鳴り声が耳に入る。


どうやら誰かと揉めているようだ。


──タイミング悪いかもな……。


取り込み中のようだが馬屋を待たせられない、挨拶だけでもとギュムは支配人室の扉を叩いた。


すぐに「どうぞ」と返事があったので入室する。


「近くまで来たから寄ってみたんだけど?」


「ふん、よく来たね」


大陸一の娼館を牛耳る老婆は少年を歓迎しながら同行しているエルフへと視線を送る。


「──おや、あんたまで顔を出してくれるとは思わなかったよ」


リーンエレは『パレス・セイレーネス』にもっとも長く在籍していたが、同時にもっとも交流のない従業員だった。


仕事を黙々とこなすだけでそれ以上でも以下でもない、ほめる機会もなければ叱る機会もない存在だった。


リーンは答える。


「あなたは私の生涯でもっとも多く言葉を交わした友人の一人よ」


「挨拶すらろくにした覚えがないけどね」


リーンは若かったころのマダムの姿を思い浮かべた、人間が朽ちて無くなるのは一瞬のこと、そう考えるとやり場のない気持ちになる。


──そう、人間の命は瞬く間。


居心地の良さを感じている劇団の面々にもそれは当てはまるということだ。



「忙しいなら帰るけど?」


ギュムが室内を見渡すとマダムのほかにもう一人、見たことのない男がくつろいでいる。


「話なら済んだところさ」


外に聞こえるほどの剣幕で叱られていた人物は、そうとは思えないくらいにご機嫌な笑みを浮かべている。


「僕はサランドロの後任を務めるケルクス・パーチクスという者です!」


この町の新しい支配者が名乗ると、マダムが「常連さんだよ」と補足した。


「見てのとおり僕はまったく女性にモテないので、こちらにはお世話になっています」


たしかに前任者とは真逆のタイプに見える。


サランドロ・ギュスタムは独善的だったが強く賢く美しく、その傍若無人さもアクセサリーにできるだけのカリスマ性があった。


比べてこのケルクス・パーチクスはとても重役には見えない、歳の割には落ち着きがなく顔つきも幼い軽薄な態度の小男だ。


「──前任者が人気者だったせいでプレッシャーが半端ないんですよ!」


卑屈な物言いもふくめてサランドロとの落差を感じずにはいられない、なにもかもがグレードダウンした印象を受ける。


「ども、『劇団いぬのさんぽ』のギュムベルトです」


挨拶をするとケルクスは嬉しそうに握手をもとめる。


「なにを隠そう僕は『闇の三姉妹』の大ファンでした、その影響でここに通いだしたと言っても過言ではありません。僕にとっては伝説の劇団ですよ!」


ギュムを軽く流し、リーンエレと心なしか長めに手を握る。


──伝説、ね。


ギュムは複雑な心境になった。


望んで表舞台から消えたわけじゃない、劇団を活動不能にし伝説においやったのは商人ギルドの圧力だ。


「──昨今の劇作はチンチン伯の一強ですが、一部には『劇団いぬのさんぽ』が上だったという声もありますからね!」


ペルペトーラ・ジオ・チンチン伯はドワーフ娘ジーダの作家名だ。


ドワーフを差別していたサランドロがジーダを排除してイーリスを後釜に添えようとした経緯から、一部では二人をライバル関係と定義する声もある。


その誘いを断ったことが確執の発端だった。


「おれもそう思ってますよ」


「それは頼もしい! ぜひまた演劇をやってください、僕も心待ちにしていますとも!」


どこまで鵜呑みにしていいかは分からない、劇場を管理している彼らと純粋なファンの発言は違うからだ。


反省している様子のない小男にマダムが釘を刺す。


「何度目か知らないけど、これっきりにしてもらいたいね」


なにをして怒られているのかギュムたちには分からない。


「いやはは、もうありませんよ。さて身内で積もる話もあるでしょうし、僕は帰ったほうが良さそうだ」


ケルクスがヘラヘラと笑いながら立ち去ったのを見送ると、マダムはあきれたようにため息をついた。


まるでこのやりとりが繰り返されることを確信しているかのようだ。



「あの人、なにかしたの?」


うさん臭さはあるが、サランドロと比べたら愛想もよく無害な人物に見えた。


「ちょっと問題のある客でね、気が高ぶると女を殴るんだよ」


──女を殴る?


「平手で?」


「ゲンコツさ」


そんな風にはとても見えない、という表情のギュムにマダムは答える。


「──問題行動のあとは平謝りして弁償もしてくれる、判別はつくけど自制はできないってことなんだろうね」


男女を問わず抑制が利かず暴力を振るう人間なんて珍しくもない、異常と呼べないくらいにはありふれている。


カッとなって手が出た、それだけのこと。


重責にストレスが溜まっているのかもしれないし、非力だからこそ商売女でしか発散できないのかもしれない。


しかし顔面を拳で殴打、眼窩底骨折までさせられては黙っていられなかった。


ただ排除するには難しい相手だ──。


治療費には十分すぎる額をぽんと置いていったし、商人ギルドとの関係が悪化しかねない判断を軽率にはできない。


「見た目ほど無害じゃないってことか」


ギュムの脳裏にノロブの言葉がよぎる。


サランドロは商人ギルドの粛清を受けた──。


失敗したら仲間の命すら奪う。


後任だからといって彼が直接関与しているとは限らないが、気を許すべきではないだろう。


──やっかい者を抱え込んでるしな。


自分たちがケルクスと対立していなくてもノロブが火種になる可能性はある。


商人ギルドに命を狙われているというのは彼の推察でしかないし、それも『鉄の国』にこもって以降は音沙汰がない。


どちらにしても積極的に関わろうとは思わない、そのために活動拠点を移したのだ。



「そうだ、あんたに話しておくことがあるんだ」


とうとつにマダムが話題を変えた。


「話?」


「機会がなかったから言いそびれていたんだけど、母親が戻ってきてるよ──」


その言葉をギュムが理解するまでには少しの時間を要した。


──母親ってなんだ?


まず言葉に馴染みがない。


顔を知らないし思い出もない、この世に自分が生まれ落ちた根拠としてだけ存在する概念だ。


ギュムベルトの母親は彼を産み落とすと娼館から姿を消した、事件に巻き込まれたとかではなくただ男を追いかけて出ていった。


周囲からはそう聞かされている。


「そんなものは他人だよ」


「だろうけど、伝えておかないわけにもいかないだろ」


たしかに、とつぜん出くわすよりかは事前に知らせておいてくれた方がありがたい。


「店にいるの?」


「町に戻ってきたって情報を聞いただけさ、会いたきゃ協力するし会いたくなければそれでいい」


『パレス・セイレーネス』に入っている業者の一部は盗賊ギルドの諜報員だ、そのことはマダム自身も知らされていないが確度の高い情報が耳に入る。


「いまさら恨んでもないけど、できればこのまま一生かかわらないでいきたいな」


「そうかい、分かった」


ギュムは正直に答え、マダムはすんなり聞き入れた。


いまさら会ったところで関係の改善は見込めないし、幸福な現在に介入してきてほしくない。


母親だとかそんなものはどうでもいい、演劇のことだけを考えていたい。


──各々の道を自由に生きたらそれでいいだろ。


会いたくないと言った少年にマダムは忠告する。


「だけど相手はどうだろうね。母親の勘だなんて言わないけど、あんたが劇団にいるってことくらいはどこかで知るかもしれない」


『劇団いぬのさんぽ』が『パレス・セイレーネス』で活動していたことは有名だ、ギュムが入団したことだって隠してはいない。


あちら側が一方的に存在を確認する手段には事欠かないだろう。


ギュムは面倒そうに訊ねる。


「一応、外見的特徴とかどんな人かだけ教えといてよ……」


欠片も興味はない、ただ避けて歩くために必要な情報だ。


なんの思い入れもない過去に、この先の道で一度も交わることがないことを祈るのみだった。


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