第二十六話 弱者の言葉
* * *
数刻前、商人ルブレが巨大船でユンナたちに死刑を宣告した場面に戻る――。
「そういう訳だから、かわいそうだけどスパイは死刑ってことで」
シーリカは絶望にうなだれ、ユンナは不満に口をとがらせた。
「――あれ、ひとり状況を分かっていない子がいるね」
ルブレはおねだりを聞いてもらえない子供と大差のないリアクションに困惑した。
ユンナは相手に向かってというよりは床に語りかけるようにしてつぶやく。
「取り乱したら心変わりしてくれるわけじゃないんでしょ……」
当然、死ぬのは怖い。ただ、もともとろくな人生じゃないという自覚から取り乱さない程度の達観はしている。
「子供だからって大目に見たりはしないよ、大人の世界は残酷なんだ」
少女にとっては見当違いな脅し文句だ。
「分かってるわよ。ただ、あなたみたいな選ばれた人間と違って、わたしたちみたいな底辺は今日を生きていることだって奇跡みたいなもんなの」
境遇の違いには深い溝がある――。
彼女たちにとって死は身近なものであり、自分よりも幼い子供が理不尽に命を落とすことも珍しくはない。
生まれが悪かった時点でこの世は地獄、運が悪けりゃ死ぬ、そういう認識だ。
――もう、うんざり。
大人だから、子供のくせに、娼館に来る客たちは皆そう言ってわが身の苦労を愚痴るか、金で買った少女がいかに卑しい存在であるかを説いてくる。
それで自分の株が上がるとでも思っているのだろうか、退屈なその二択で自分の優位を主張したがる。
そんなもの、興味がないに決まっている。
それでも金銭に対する対価として、のしかかってくる大人の下で「すごい、上手」と口にしながら、心の中では「死ね」と繰り返している。
金で言わせた言葉、心のこもらない嘘の慰め、大人たちはそんなものが欲しくてほしくてたまらないらしい。
それが滑稽を超えてもはや、うすら寒かった。
そんな立派な大人とやらにニヤケヅラで「パパって呼んで――」と言われた時には思わず吐いた。
この人には自分と近しい年代の娘がいて、私はその娘の代替品なんだなと理解したら堪らなくなって嘔吐した。
――わたし、「大人」なんて言葉でごまかされないよ。
代替品で満足できてえらいでちゅねって、それが大人さまの世界。
『嘘』が蔓延しすぎて『事実』の存在が邪魔になってしまったのが大人の言う残酷な世界だ――。
「アホくさっ」
わきまえずに吐き捨てたユンナの肩をシーリカが激しく揺する。
「もうやめてよっ! 本当にっ! お願いだからっ!」
命を握られてる相手を怒らせて得するはずがない。
ユンナには勝算があるわけでもなければ、譲れない信念があるわけでもない、ただ感情の制御ができていないだけ。
巻き込まれる側はたまったもんじゃない。
それによって『闇の三姉妹』の初公演は崩壊しかけたし、彼女の気まぐれで稽古の効率が落ちることだって珍しくなかった。
そのくせ世間は真剣に打ち込んでいる自分より、この身勝手な子供を評価する。
「そっちの子はさ、さっきからボソボソとなにが言いたいのかな? 意見があるならハッキリ言いなよ」
ルブレは子供の呑み込みの悪さにイラ立ちをあらわにすると、シーリカが場を取りつくろおうとするのをさえぎって続きをうながした。
ユンナは答える。
「大人の世界は、なんて言うやつは卑怯者だよ。それって、手を汚すことへの免罪符にしか聞こえないもの」
抗ったり正そうとしてる人間が言うなら聞き分けもする。けれど、積極的に加担してるやつに言われても納得がいかない。
そういうもんだ、仕方ない、皆やってるって、自分の成功をそんな言葉でしか誇れない人間の言葉なんて刺さらない。
世界を残酷にしてるのは、それを改善する気もなく迎合しているおまえたちじゃないか。
ユンナはそう思う。
「――あんたたちがいなくなれば、少しは世界も奇麗になるんじゃないの?」
「ユンナ、黙って! 本当に殺されちゃうわよ!」
取り乱すシーリカと対照的に、ルブレの怒りはなぜだか収まりつつあった。
――愚者かと思えばなかなかに骨がある。
少女は物分かりが悪かったのではなく、自分の発言に対して異論があったという訳だ。ルブレは気まぐれに意見を交換してみることにした。
「べつにズルをしたり嘘をついたりすることが目的じゃない、成果の獲得を義務づけられているのが大人なんだ」
やれることをやらないで失敗するのはただの怠慢であり、例えばライバルの食事に毒を盛ることは堅実な努力である。
それをちゅうちょしているうちは大人としては半人前、甘ったれた子供だ。
「――それをしないで結果を出せるなら、好んで汚い手なんか使わない」
アーロック・ルブレ・テオルム第三王子の人生は順風満帆だった。
隊を指揮してゴブリンの砦を陥落させたのが十代の頃、自らもトロールの討伐を果たして名を挙げた。
二十代の前半には一軍の将を務め、誰もが彼の有能さをたたえた。
見識を得るために王子でありながら商人として世界を巡り、道中で奴隷にされていたハーフエルフたちを保護すると特性を生かした斥候部隊へと育てあげた。
近年、豊富な資源の取れる独立都市スマフラウを陥落させると、『竜騎兵』を指揮下に置き『竜殺し』の名で歴史に名を刻んだ。
精霊魔法の使い手であるエルフたちは諜報員、場合によっては暗殺者としても万能であるし、竜騎兵は戦場の空を支配し情報伝達の速度をもって一機で千の兵に匹敵する活躍ができる。
それもこれも来る打倒アシュハ皇国の大舞台において母国に貢献するための下準備だった。
しかし、そのすべてを外から調達してきたアーロック第三王子は国の中枢に味方を作ることができなかった。
『エルフ部隊』と『竜騎兵』 の活躍は実権を握る人間の手柄にならないという理由で戦場に組み込まれることはなかった。
ルブレの言葉にユンナが反論する。
「あんた達のしてることが世の中を良くしているとは思えない、足を引っ張ってるだけなんじゃないの?」
少女の言葉にルブレは押し黙った。
――足を引っ張るか……。
軍の指揮権を剥奪され商人に身をやつしていることは、彼にとって最大の挫折だった。
内乱のゴタゴタで子供が統治者になったばかりの当時の皇国は統率力を完全に失っており、即座に攻勢に出ていれば容易く領土を削り取れていたはずだ。
ところが仲間内で権利の奪い合いが起こっている間にアシュハは女王を処刑し、帝国時代最強とたたえられていた将軍を王に据えた。
民衆の不信を一身に背負った女王の処刑、それによって新生アシュハの結束力は異常に高まり、順調だったマウ王国軍の侵攻はピタリと止まってしまった。
――圧勝できたはずなんだ。
『エルフ部隊』『竜騎兵』これらを組み込むことで行軍の負担を減らし、前線の兵士の命をどれだけ救えただろう。
個人の利益が優先され全体の勝利をないがしろにされた結果、戦況は切迫したくさんの戦死者を出している。
――大人の世界は残酷だ。なんて言葉は、現状を慰めるための言い訳でしかないのかもしれない。
「ハハハ、まいった。このままだと子供に罵倒されたことに腹を立てて殺した、みたいになってしまうね!」
子供に図星を突かれたことがおかしくてルブレは笑った。
「――いくらなんでもそいつは格好悪いなぁ……」
御機嫌な主にエルフ兵のテオが意見する。
「誰が見ているわけでもあるまいし、そんなことを気にする人はいませんよ」
「テオ、裏で徹底できていないやつが表でやらかすんだよ」
もともと子供の処刑なんて趣味ではなかったし、他にやることができた。
「――というわけで処刑は中止だ」
「え……?」
ユンナの発言はそれを見越したものではなかったため、ルブレの急な心変わりの理由が分からない。
「つまり、私たちはどうなるの……?」
シーリカの質問に答えることなく立ち上がると、ルブレは少女たちに声をかける。
「よし、じゃあ行こうか」
「……え、どこに?」
盗賊ギルドがサランドロ失脚のために行動を起こしている。この情報は交渉材料になるかもしれないし、鮮度が高ければがサランドロに恩を売れるかもしれない。
戸惑う少女たちに向かってルブレは一言、「お仕事に」と言って笑った。
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