エピローグ
わたしたちのこれから。
ドワーフ族によるサランドロ邸襲撃から数日――。
「ねえ、この壁面と足場をそのまま舞台に利用できないかな!」
『鉄の国』の底に降り立つと、イーリスは崖にむかって両手を広げ劇団員たちを振り返った。
絶壁に張り巡らされた足場の数々は圧巻の景色だ。
新しい環境に浮き足立つさまは、万全の体調を取り戻したかのように見える。
「地面に足が着くまでふるえあがってたくせに、高所を生かした芝居の演出なんかできるのか?」
オーヴィルは演出家の高所恐怖症を指摘した。
「ぼ、ボクがのぼり下りするわけじゃないしっ!」
鉄の国に到着した直後、崖の頂上にいたときとではイーリスのテンションは極端なまでに違った。
上にいたときは血の気が引いて蒼白だった顔面が、地面に足をついた途端に紅みを帯びてキラキラと輝いている。
「――でも、ずっと見上げてなきゃいけないのはシンドイな……」
イーリスはあちこちを駆けまわりながらアイデアを披露していく。
「じゃあさ、客を乗せたトロッコで坑道を進む演劇はどう? 長いトンネルを抜けてラストシーンで宝の山にたどり着くとかさ!」
これも何人がトロッコに同乗できるのか、役者をどう配置するのかなどを考えると困難に思えた。
「何公演すれば採算が取れるのかしら?」
数ある問題の最たる一つをニィハが指摘した。
なににしても『鉄の国』での上演許可を得たことでイーリスは大はしゃぎだ。
その姿を見たギュムベルトは、自分も少しは劇団に貢献できた気がして嬉しかった。
「それにしてもエルフ姉さん、よくここまで着いてきたね」
少年はいつもどおり不機嫌そうにしている異種族の同僚に声を掛けた。
この場には五人と一匹の劇団員、イーリス、ニィハ、オーヴィル、ギュムベルト、リーンエレ、そしてアルフォンスの全員がそろっている。
ドワーフ族と折り合いの悪いリーンが今回の件で退団してしまわないかと不安だったが、そうはならなかった。
イーリスが説得を試みようとかしこまって向き合ったが、「あの……」と話しかけた時点でリーンは「かまわないわ」と即答したのだ。
「軽い気持ちで入団した訳じゃないもの、イーリスが望むならそれに従うだけよ」
エルフ姉さんは普段から無口で最低限のことすら話さない。
しかし千年を少数の村で生きるエルフ族にとって、共生すると決めたらそれは仕事仲間や同僚などに収まらない家族に近しい存在だ。
「――でも、気分は最悪ね」
ドワーフたちは客人を気にかけるそぶりもなく、せわしなく動き回っている。
サランドロが撤退したことで『鉄の国』の流通は転換期を迎えており、劇団にかまっている暇はない様子だ。
現在はマウ国の商人ルブレと調整中であり、いままでとは比較にならない好条件で話が進んでいるらしい。
アーロック・ルブレ・テオルム元第三王子――。
彼との遭遇を機に、ギュムはあらためてイーリスたちの過去を詮索する機会を得ることができた。
そこで、ニィハの正体が元アシュハ女王ティアン・バルドベルト・ディエロ・アシュハ四世であることが明かされた。
それはこの世から抹消された存在であり、それを利用することもされることもあってはならない。
ユンナの予感は的中し、ギュムの疑念は確証を得たわけだ。
ついでにスマフラウの守護竜を倒したのがアーロック元王子ではなく、身内であるオーヴィル・ランカスターだったことを知った。
処刑されたはずの女王が正体を隠して生きていたり、『闇の三姉妹』におけるイブラッド将軍のように竜と戦っていない人物が後世には『竜殺し』の称号でたたえられている。
伝承と事実があまりにかけ離れていて、語られている歴史のどこまでが虚構なのかと思いをはせては途方もないことのように感じられた。
「女王と竜殺しの駆け落ち、まるで物語みたいな組み合わせだな……」
ギュムはため息まじりにつぶやいた。
憧れの女性の人生が数奇なものであること、その恋人が頼れる先輩であること、信じられないようでいてしみじみと現実であることをかみ締める。
「駆け落ち?」
誰にともなくこぼれたその言葉をイーリスが拾った。
「女王は剣闘士と駆け落ちしようとして処刑されたんですよね」
罪状は敵前逃亡と発表されており、駆け落ち部分については調べることで得た知識だった。
しかし直接の関係者と思しきイーリスが「ん?」と首をひねったので、ギュムも「え?」と問い返さざるを得ない。
「その剣闘士ってボクだからね?」
ギュムは言葉が飲み込めずにしばし呆然とする。
「…………?」
「女王と一緒に処刑された剣闘士、それボク」
『劇団いぬのさんぽ』は吟遊詩人と剣闘士が出会って旗揚げされた――。
そう聞かされたギュムは、イーリスが吟遊詩人でオーヴィルが剣闘士だと第一印象で決めつけた。
「……いや、だって! 美女と野獣のゴリラのほうが吟遊詩人だとは思わないですよ!」
ギュムはオーヴィルを指さして言った。
「そこは野獣のままでいいだろ……」
つまり、駆け落ちした。というのは誤情報で、ニィハとオーヴィルが恋人関係であるというのはギュムの思い過ごしだったということだ。
「うそだろ……!?」
ニィハを王女と確信してから今日まで、ギュムは無駄に気遣いをし、無駄に嫉妬し、無駄に苦悩を繰り返して過ごした。
――どれだけ苦しんだと思ってるんだ!
鬼気迫る様子の少年に元女王が弁明する。
「遠方までくるとうわさにも尾ひれがつくと言いますか……」
「戦争中に滞りなく頭をすげ替えるための方便だよ」
ニィハの言葉をイーリスが補完した。
処刑そのものが民衆をまとめるための演出、敵前逃亡という罪状は脚本、公開処刑は世界中を巻き込んだ芝居、総じてイーリスの計画した演劇だったという訳だ。
それによってマウ国との戦争は戦局の劣勢を覆し、現在は均衡を保てている。
東ではまったく危機感なく生活が営まれているが、西は現在も気の置けない状況が続いており、その判断がなければアシュハ国が滅びていた可能性もあった。
――つくづく世界が違うんだよなあ。
ギュムは改めてとんでもない人たちだなと確信すると同時に、件の剣闘士が女性であったことから駆け落ちという事実はなかったのだと安堵した。
「なんだあ、すっかりだまされてましたよお!」
頭をかきながら笑うギュムにイーリスが言う。
「なんですこし嬉しそうなの……?」
『劇団いぬのさんぽ』は活動拠点を『鉄の国』へと移し、新たな挑戦を始める。
少数種族の国でどうやって活動を続けていくのかはこれからの課題だ。
人間社会を離れ生活は一変するだろう。将来の保証など何一つとしてないが、不思議と不安は湧いてこない。
劇団の仲間たちと目的に向かってまい進できるというだけで、ギュムベルトは十分に満たされた気分になれた。
その先の報酬だとか成功が頭を過ることすらない。ただ、ただ、この時点では仲間たちといられることが幸福の極みだった。
* * *
『パレス・セイレーネス』執務室――。
マダムとユンナがセンターテーブルごしに向き合っている。
珍しく訪ねて来たかと思えば、突然『パレス・セイレーネス』を出ていくと言いだしたのだ。
マダムはあきれ顔で少女を見つめる。
「男がいなくなったら出ていく、分かりやすいね」
「…………」
ユンナは不服そうな表情をするが、否定まではしなかった。
「まあ、イーリスのとこで世話になるってんなら引き止めないよ」
外での生き方を熟知している『劇団いぬのさんぽ』なら、少女の身くらいは守ってくれるだろう。
「――茨の道ではあるだろうけどね」
マダムは基本的に人の生き方を詮索しない方針だ。
この店で働きたがる人間はあとを絶たないし利用客が尽きることもない。来るものは選別するが、去る者は追わないことに決めている。
しかし、ユンナの思惑はマダムの意図とは異なっていた。
「あの人たちの世話にはならない」
天邪鬼を発症したかヤケでも起こしたのか、少女は劇団への同行を否定した。
マダムはため息交じりに忠告する。
「……分かっているはずだけれど、あんたみたいな子供が何事もなく生きていけるほど外の世界は甘くないよ」
『パレス・セイレーネス』は奴隷市場でもなければ監獄でもない、その名の通り女性の自立を助けるための城だ。
ここほど平民の女性が丁重に扱われる場所も、ユンナのような身寄りのない少女が安全に暮らせる場所もない。
娼婦という仕事に嫌気がさしたか、あるいはイーリスたちに感化されて変化を求めているのか、どちらにしても早計と言わざるを得ない。
「――英雄だろうが王様だろうが偉くなんかないよ。どんな仕事だって誰かがやらなきゃあならない、与えられた役割をしっかり果たしている人間は誰だって一人前、胸を張ってりゃいいんだ」
若者相手に老人の説教が無意味であることは理解している、鬱陶しいくらいにしか思われないだろう。
「もう決めたことだから」
そう言ったユンナの目を見れば、その意志が変わらないであろうことが分かった。
「……失敗する前の人間になにを言っても無駄か、好きにしな。ただし、たまには顔を見せにくらいは来るんだね」
そうしてユンナはこれまでの給金を受け取ると、執務室を後にした――。
諸々を引かれた下働き時代の微々たる残りに、娼婦として働いた一年足らずの分を足した心許ない財産だ。
同僚たちにはあいさつすることもなく、マダム以外には先んじて伝えておいたユージムしかこのことを知らない。
彼女の不在にしばらく気づかない者だっているだろう。
最低限の荷物をまとめると、人との遭遇を避けて真っすぐに裏口へと向かった。
物心ついたころから使っていた自室にも、毎日踏みしめてきた廊下にも、演劇の舞台として輝いたエントランスにも未練はない。
ただ、洗濯場で一度だけ立ち止まった――。
この場所はユンナにとってギュムベルトとの共有空間だ、人生の良い思い出の九割がこの場所にあると思っている。
それで間に合っていた――。
それ以上の幸福を求めなかったし、変化が訪れなくても構わなかった。ただ、それが永遠に続けばそれだけで人生は上々だと思っていた。
だけれど、ギュムベルトはもうここにはいないし一人で残っても未練を募らせるだけだろう。
人間学者ジーダの言葉を思い出す。
現実の片思いはみっともなくて、陰湿で、ダサい。執拗なつきまといをともなう片想いはただの迷惑行為。
本当に相手を大切に思っているなら身を引けるはずだ――。
「引けるわよ」
自分の思いは、欲望を抑えられずに相手に押し付るような偽物じゃない、本物の恋なのだ。
ユンナは目頭が熱くなるのを感じると、「ダッサ」と吹っ切るようにつぶやいて洗濯場を後にした。
「あ、ユンナさん。おはようございます! あらぬ誤解を招きたくないので裏口から失礼します!」
施設を出てすぐに劇作家ペルペトーラ・ジオ・チンチン伯ことジーダに遭遇した。
初めて出会ったのと同じ場所だ。
「――頼まれていた指輪の回収ができたので、お返しに伺いましたよ」
差し出された分厚い手のひらにはギュムに選ばせた誕生日プレゼントが乗せられている。
吹っ切ろうとしているところに思い出の品が戻ってきて複雑ではあるが、骨を折ってくれたに違いないとユンナはそれを素直に受け取ることにした。
「ありがとう……」
「いいえ、劇団を追い出されてしまい時間を持てあましていたところですし!」
サランドロを引きずり下ろし損ねたジーダは劇団をお役御免となってしまった。
商人ギルド主催の演劇のコンテストは予定通りに開催される予定だが、『劇団いぬのさんぽ』はそれに頓着することなく『鉄の国』へと行ってしまった。
ジーダだけが取り残されてしまった形だ。
「――どこかの劇団で使ってもらおうかと思ったのですが、どこも雇ってはくれませんでした」
「だって、あんた顔が悪いもの」
「ハハハ、あいかわらず……」
もちろん、実績のあるジーダが顔の問題で除外された訳ではない。
専属作家を外されたことで商人ギルドといさかいを起こしたと邪推され、採用されなくなってしまったのだ。
「――では、その問題を解消しましょう。今日から、あなたが私の顔になるというのはどうでしょうか?」
ユンナは意味が分からずに「はあ?」と首をかしげた。
「ワたしと劇団を旗揚げしましょう」
ジーダは初めからそのつもりでユンナを訪ねてきたのだ。
しかし、ユンナのほうはもともと演劇に対する情熱が希薄だ。
「こんなことがあって、よく劇団をやろうと思えるわね……」
いいように利用され、いらなくなれば排除され、現在は完全に孤立し今後の活動も困難になってしまった。
異種族であるジーダが人間に嫌気がさすには十分だ。
「いやあ、人間は愚かな生き物です。強欲で、怠惰で、臆病で、救いようのない、この世の癌とも呼ぶべき悪です!」
爽やかなまでの断言。ドワーフからそう見えてしまうのは仕方ないが、ユンナの心境は複雑だ。
「はいはい、それが分かったなら大人しく『鉄の国』にでも帰――」
「けど、そこが良いんです!!」
「えっ?」
突然の手のひら返しにユンナは困惑した、「良い」という言葉がどこに掛かっているのか分からない。
「愚かでなくては悲劇を生まない、事件が起きなくては物語が盛り上がらない! 臆病だからこそ行き違いや誤解が生じ、残忍だからこそ愛はより美しく見栄え、悪だからこそ正義は異端であり尊い!」
ジーダの主張は熱を帯びていく、それは単なる中傷ではなく研究家としての探求心の表れだ。
「恥ずべき存在だからこそ表情に起伏があって、それがどうしようもなく感動的なんです!」
ユンナとともに暮らし今回の事件を経ることで改めて、それはドワーフにはできない顔だと確信した。
だから人間からは目を離すことができない、物語をつづるとき人間は宝の山だ。
「……ねえ、わたし、一生に一度しかしないつもりだった恋を諦めるところなんだけど、もっとマシな誘い文句はないの?」
ジーダは真摯に本音をぶつけているつもりだが、他人にはドワーフが人間の陰口をたたいているようにしか聞こえない。
「恋することを終えるなら、次はさせる側になりましょう。数年後には私だけでなく、世界中があなたに釘付けになっていますよ」
そんな口説き文句が響いた訳ではないが――。
「……とりあえず行くところがないの。またしばらく、あなたのところに転がり込んでもいいかしら?」
当てのなかった彼女はもとよりジーダを頼る算段で家を出てきた、その見返りにユンナは再び舞台に上がることになる。
後日、演劇コンテストが盛大に開催され予定通り商人ギルドお抱えの劇団が優勝し、コンテストは大成功を収めた。
その後、主催者だったサランドロ・ギュスタムは不可解にも港町から消えてしまうが、その真相が明らかになるのはまたべつの話。
コンテストが終了すると劇場に空きができたことでジーダはユンナを主役にした演劇を公演することができた。
ジーダの演劇は瞬く間に話題をさらう。
それはコンテストによって獲得した膨大な演劇ファンたちを魅了し、優勝作品の話題をまったくしなくなるほどの反響を得たのだった。
【鉄の国】完
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