第三回公演『人狼と黒犬と狂犬じみた少年』
プロローグ
黒犬
あたしはナニカ──。
あたしはこの世界をただよいながら人々の営みを観察している『何か』だ。
人間にあたしの姿は見えないし、あたし自身も存在しているのかすら曖昧だ。
だって実体がないんだもん。
あたしはくる日もくる日もただぼんやりとお気楽にたゆたっていた、そしていつの頃からか人間に疑問を持つようになった。
人間はなんで嘘をつくの、どう接していいか分からないよ。
人間はなんで人のものを盗るの、盗られた人が困っているよ。
なんで妬むの、苦しそうだよ。
なんで殺すの、可哀想だよ。
なんで死ぬの、寂しいよ。
そういうのなくなればいいのにね。
でも、人間たちはそれがまるで食事や排泄とおなじものみたいに繰り返してる。
また騙してる。
また奪ってる。
また争ってる。
また命を粗末にしてる。
それがどうしようもなく不可解で、あたしは疑問に答えてくれそうな人物に会いに行った。
「ねえ、あたしは誰?」
その第一声に彼女はなんとも言えない顔をする。
実像のないあたしが他者から認識されるためには実体を得る必要があった。
なんていうのかな、あたしには対象の願望を投影することで実体を得るという特性がある――。
興味をもった人間とコミュニケーションをとるために、対象が思い浮かべた人物の姿を投影するようにあたしはできている。
原理なんてわかんない。
あたしは相手の望んだ人物に変身してしまう、そういう存在なんだ。
「その姿はユンナという少女で、ワたしがいま一番気になっている女優です」
人間のことが知りたいあたしは『人間学者』を名乗るドワーフの女性のまえに実体化した。
「へー、女優なんだあ」
そう言ってはみたものの、女優がなにかは分からない。
「──ねえジーダ、なんでこの子なの?」
正体を明かしたあたしに、人間からどう認識されていかなどを詳しく教えてくれたのも彼女だ。
「なんでか、それは私の戯曲をあの子に演じてほしいと強く願っているからです」
世間ではいま演劇というものが流行っていて、ジーダは人間を研究するその延長で劇作家としても活躍してるんだって。
「それ、あたしがやったげようか?」
ユンナの外見を投影したあたしがお役に立てるかもと思ったけれど、ジーダは首を横に振った。
「見た目だけが評価の対象ではありませんし、セリフが読めないようでは話になりませぬな」
どうやらあたしには舞台に立つために必要ななにもかもが足りていないんだそうだ。
ユンナのことを詳しく聴くと、彼女は娼館ではたらく孤児なんだとか、孤児っていうのは親のいない子供のことなんだって。
あたしは好奇心にかられ、ちがうや、不安にさいなまれるような気持ちで訊ねた。
「ねえねえ、人間はなんで子供を捨てたりするの、猫だってきっちり子育てをするし、ゴブリンやオークだって人間ほど子供を捨てたりしないよ?」
不思議だった、人間は猫よりかは賢い動物に見える、賢い動物なのになんでもっと上手に解決できないのかな。
ジーダはあたしの疑問に答えてくれる。
「ここに二つのパンがあるとして、当然ワたしが二つ食べるのであなたは食べられません」
「……えっと、意味が分からないんだけど?」
一人が二つ食べたらもう一人は食べられないという計算はできる、分からないのは「当然」の部分だ。
「一つずつ分け合えば平和的解決になるよね!」
「なぜ波風を立てるのか、それは人間が幸福を求める生き物だから──」
理解は追い付いていないけれど、きっと納得のいく答えが得られるだろうとあたしは「ふむふむ」といって首を縦に振ってジーダの言葉に耳を貸した。
「幸福とは他人との比較によって実感できるものです、隣人よりもどれだけ得をしているか損をしていないかが判断の基準になっているんです」
他者と比べて優位かどうかで幸福度は決まる、だから人間は勝ち負けに執着する。
パンを分け合えば優劣が曖昧に、独占することで勝者と敗者が明確になる
「ちょっと、えと、分かんないや、どうしてそれが子供を捨てる理由になるの?」
分かんないし、怖い。
「つまり、損得の観点から自らの幸福を妨げるものとして切り捨てる人間が一定数いるというわけです」
少なくともドワーフからはそう見えているし、あたしに比べたら見る目だって確かなんだろう。
質問攻めの日々はしばらく続いた──。
ある日、ジーダは本物のユンナが命を狙われていることを知って焦っていた。
どうしてそんなことになったのかは聞いても難しくてよく分かんなかったけど、あたしは当然「助けよう!」と言った。
だって、あたしがユンナの姿をしてるのは彼女がジーダにとって大切な人だからだもん。
博識な彼女にとってはたやすいことなのかもしれないけど、無知なあたしにジーダはなんでも教えてくれた。
胸を焦がすようにたぎるこの好奇心を満たしてくれたことにあたしはとても感謝をしていた。
「こんなの馬鹿げているとは思うのですけど……」
劇作家ジーダはいろいろ考えて、それが劇作のように荒唐無稽であることは承知の上で、ある方法を考え付いた。
それは、見た目がまったく同じであるあたしを彼女の替え玉にするって作戦だ。
「うん、いいよ! 本物の代わりにあたしが死ねばいいんだね!」
ユンナの代わりにジーダの舞台に立つことはできなかったけど、現実であたしはユンナ役を務めることになる。
ジーダは「そこまでしなくていい」と慌てたけど、あたしにとって死はぜんぜんたいしたことじゃあない。
「大丈夫、今度はあたしがジーダの役に立つ番だよ!」
たとえ息の根が止まったとしてもなんの問題もない。
目的を果たしたり、興味がジーダから他のものに移れば、あたしの実体化は解けて意識だけの存在に戻る。
そしてまたどこかで誰かの会いたい人に実体化する、それだけだ。
「──お役に立つから、次はあたしにもパンを分けてね!」
ユンナのふりをしたあたしはそこで『彼』と出会った――。
ユンナの死体(あたし)を確認した少年の名前はギュムベルト、彼女とは親しい間柄だったみたい。
ユンナの本物は生きてジーダがかくまっている、それを知らない彼は当然のように落ち込んでしまった。
それが申し訳なくて心配になって、あたしは彼の様子を見ていたの。
なんていうか、彼は賢い動物っぽくなかった。て、そんな言い方はないか、とにかく人間ぽくなかったの。
自分よりはるかに強い相手に立ち向かって頭蓋骨を割られたり、そんなひどいことをした悪者を救うために夜どおし走ったりしてた。
人間は賢い生き物だから損得を優先するって話はなんだったのかってくらい、ギュムベルトは無茶苦茶だった。
でもそんな彼のことをあたしは、どんなに強い人よりも、どんなに外見の美しい人よりも、どんなにお金を持っている人よりも、ずっと好きになった。
あたしは彼のことを好きになって、ううん、大好きになって、彼のまえに実体化することにしたんだ。
あたしは意識だけの存在で、生物に対する好奇心や執着が強くなるにつれて実体化を始める。
それが黒いモヤとして可視化されはじめると、その黒い影を人々は野犬かなにかと錯覚して『ブラックドッグ』って呼んだらしい。
第三回公演『人狼と黒犬と狂犬じみた少年』開幕――。
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