第四章

第二十二話 損得


    *    *    *



『鉄の国』へと続いた道をギュムベルトは一人、全速力で引き返していた。


――まさか、徹夜で往復するはめになるとは……。


ひたすらに走って、走って、走って、走った。


『鉄の国』を出発してからすでに数時間が経過しており、視界はすっかり暗くなっている。

舗装された道がなければ完全に迷っているところだが、明かりはおろか一切の荷物も持たずに無心でサランドロ邸を目指した。


心拍が加速して口から心臓を吐き出しそうだ。


――苦しい、どれくらい先行できてる?


ギュムは何者かに追われてでもいるかのように後ろを振り返った、周囲の見晴らしは悪く数メートル先に獣が迫っていても気づけないだろう。


――ぜんぜん見えないな。


後方からはドワーフの軍勢が迫ってきているはずだ。


サランドロ・ギュスタムはドワーフの製品を市場から排除した上で、自分たちの利益に利用している。


商人ギルドがもうけることに興味はないが、自分たちの造作物に対する冒涜を許すわけにはいかない。


それはドワーフ族に対する最大の侮辱だ。


グンガ王の掛け声一つで説明を受ける時間も惜しいとばかりに、ドワーフたちは手近なものを武器として担いだ。


それがカナヅチやツルハシだろうと、ドワーフ製ならば一級品の武器と遜色はない。


やると決めたらやる。大陸でもっとも多勢である人間を相手に殴り込みをかける――。


会議もなければ準備もない、早さに勝る武器はないとばかりに二百名が即座にサランドロ邸へと進軍を開始した。


前触れのない襲撃は、いつもの夜と油断しているであろう敵に混乱を与え、迎撃態勢を取る間も与えず殲滅できるだろう。


これが人間ならば責任の所在を問うところからはじまり、根回しや駆け引きに膨大な時間をかけるところだ。


――サランドロが殺されたら戦争が起きる。


サランドロがいくら屈強といえど、二百ものドワーフ軍に勝てるとは思えない。


ニィハが再三の説得を試みたが、ドワーフの王が人間の意見に合わせて種族の流儀を曲げる訳がなかった。


――戦争になったら大勢死ぬ。


ドワーフたちを止められないならサランドロ側をどうにかするしかない、衝突を回避させるためにギュムベルトは走った。


ドワーフ族は歩幅こそせまいが体力は無尽蔵だ、身軽だけが取りえの少年が荷物をすべて預けて身一つで先行し、オーヴィルとニィハは後方から追ってきている。



「どわっ!?」


サランドロ邸の敷地に入ると気が緩んだのか、足がもつれるのにあらがうことができず派手に転倒した。


「いてて……」


力が入らない、しばらく地面に横たわって体力の回復を計る。


「ハア、ハア………」


――たどり着いてはみたものの、あいつがおれの話に耳を貸すか……?


だいぶ引き離したつもりだが、猶予は限られている。数回の深呼吸をするとギュムはすぐに立ち上がった。


――よし、行こう。


力も知恵もない、経験不足の自分がどうすれば仲間たちの役に立てるか、それはもう必死になるだけだ。

毒に侵されたイーリスを背負ってそうしたように、体力のつづく限り走り続ける以外にない。


広い敷地を屋敷に向かって走る。



「ギュムベルト少年!」


ギュムは名指しで呼び止められたことに驚いて立ち止まる。


「ジオ・チンチン伯、なんでこんなところに!?」


声の主は劇作家のペルペトーラ・ジオ・チンチン伯こと人間学者のジーダだった。


「――って、そうか、あなたの所属する『本家演劇集団・大帝国一座』は商人ギルドの主催だもんな!」


事情を知らないギュムから見れば、ジーダはまだサランドロ側の人物だ。


「いえ、そっちはとっくに解雇されました。ここへは人を探しに来たのです」


ジーダは姿をくらましたユンナを探しているところだった。


――しかし、なぜギュムベルト少年がこんなところに。


ユンナの行き先の候補はいくつかあった。もっとも可能性が高いのは娼館に帰った、ありえないのは海賊船をたずねた。


前者ならば傷は浅い、後者は絶対にありえない、そしてジーダにとって一番迷惑なのはサランドロをたずねられることだ。


『海賊に武器を流してるだろ!』などと詰め寄られては、すべてが台無しになってしまう。


少女の足でここまでたどり着くのは困難だが、馬車などの方法もありえるからと確認しに来たところだった。



「そうだ、チンチン伯! 大変なんだ!」


ギュムはこの出会いを渡りに船ととらえた。自分からサランドロに伝えるより、面識のあるジーダを通した方が確実だと思えたからだ。


状況を説明すると、ジーダはさもありなんといった様子でうなずく。


「ふむ、それで同胞たちがここに向かっていると――」


サランドロと海賊のつながりに確証を持てずにいたが、事実ならばドワーフたちの決起は当然だろう。


「なんか、ジーダとかいう人が殺されたとかで怒り狂ってて」


「そうですか……」


――契約解除されただけなのに、どういうわけか死んだことになっているらしいですね。


個人への攻撃には全体で反撃する、そうすることでドワーフ族は人間からの差別をまぬがれてきた。


相手は数百人だと刷り込めば、勢いだけでは手が出せなくなり個人レベルでの虐待は減少する。

それも報復を徹底していればこそ、相手を選んで尻込みすればその効力は弱くなる。


――しかし、ワたしのことをまだドワーフの一員と認識してくれていたとは驚きです。


鍛冶職人としての自分に見切りをつけ半世紀も前に故郷を離れていたため、すっかり忘れ去られているものだと思っていた。


しかし、いまこうして自らの創作を守るためにサランドロを失脚させようとしている自分は間違いなくドワーフ族なのだと再確認できる。


――ならば、ワたしは種族の本能に従うのみです。



「それで、一時的に姿を隠させるなりして衝突を回避しないと!」


ギュムは当然、賛同してくれるものだと思って協力を仰いだ。


しかし、ジーダの返事は「なぜ?」と煮え切らない。


「なぜって、このままだと大変なことになるだろ!」


『劇団いぬのさんぽ』はサランドロの妨害によって活動休止に追い込まれている。つまり、自分と同じ境遇であるものとしてジーダは確認する。


「なぜ、労せずしてサランドロを倒せるチャンスだと考えないのですか?」


「……え?」


まさか反論されるなどとは思っておらず、ギュムは戸惑った。


「彼の存在はわれわれにとって障害でしかない、しかし個々の力では勝ち目がありません。それが他者の介入で取り除かれるというのならば、ありがたい話じゃあないですか?」


「だって、人がたくさん死ぬかもしれないんだぞ、もちろんあんたの仲間のドワーフ族もだ!」


場合によっては種族間の戦争になりかねない、いかなる理由があろうと未然に防ぐべきではないのか、それを否定する理屈はないはずだ。


「では聞きますが、今日まで海賊と警備隊が争っているときにあなたはなにかをしてきましたか?」


「は、なんの話だよ?」


「東は戦争の真っ最中です。いくつかの村が敵国に侵略されていますが、蹂躙される同胞たちのためにあなたはなにかをしていますか?」


そこではドワーフとの争いでこれから失われるよりもはるかに多くの命が亡くなっている。

しかし、そんなこと気にも止めずに今日まで過ごしてきたはずだ。


「――充実した演劇ライフを満喫していただけですよね?」


「なにが言いたいんだ……」


確かに罪のない人々が不幸な目に遭うのは悲しいが、争いが尽きることはないし命は常に失われている。


それが身内ならば助けようとする姿に共感もするが、現状において他人の死を気にかけることには意味がない。


ましてや敵でしかないサランドロを助けてやる義理などあるはずもない。


「ほっておきましょう」


「……は?」


「他人が死んだところであなたは損をしない、それどころかサランドロが討ち取られることはワたしたちにとって都合が良いはずです」


――誰かが死んでも損はしない、それどころか都合がいい?


ギュム自身、現状に危機感を覚えているかと言われれば怪しい、どちらかといえばニィハやオーヴィルに託された任務をこなさなくてはならないという使命感が強い。


ジーダのいった通りサランドロの命なんかどうでもよくて、尊敬する先輩たちに見直されたいというのが本音だ。


「……でも、ドワーフと人間の関係が悪くなると『鉄の国』での公演ができなくなるし」


「それが敵を救おうとする建設的な理由という訳ですね。しかし、サランドロがいなくなれば開催前のコンテストは中止になる可能性がある、そうなれば劇場問題は解決するかもしれませんよね?」


「……そう、かな」


「ドワーフは人間と比べてはるかに温厚ですが、それ以上にかたくなです。グンガ王の人柄はよく知っていますが、キッチリ報復するまで絶対に止まりません」


アシュハ軍は海賊騒ぎで手いっぱいだ。サランドロと海賊の癒着を建前に『鉄の国』との全面衝突を避ける選択を取る可能性も十分ある。


ならば、サランドロだけはきっちり討ち取ってもらうべきだとジーダは考えた。


「だけど、チンチン伯!」


――これはチャンスだ。


「残念ですが、ワたしはあなたの力になるつもりはありません。失礼」


自分の生存がドワーフたちの怒りを静めてしまわぬよう、ジーダは姿を隠すことにした。


「チンチン! 待ってくれチンチン!」


呼び止めるも空しく、ジーダは茂みの中へと姿を消した。


協力を得ることはかなわず時間を浪費したことで、ドワーフの軍勢はすぐそこまで迫っている。

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