第二十三話 鉄槌
洞窟暮らしで暗視性能が向上しているドワーフたちは無尽蔵の体力で夜道を昼と変わらないペースで進軍できた。
姿勢が低く夜目の利く彼らは夜戦でこそより有利に立ち回れるが、それを見越して動き出した訳ではない。
思いついたら即行動、事前の打ち合わせもなくおのおのが勝手に目的地へと出発し、たどり着くなり手当たり次第に周囲を破壊する。
ほとんどの者は、一斉蜂起の理由も知らなければ標的となる人物すら把握していなかった。
ドワーフ族は個々の体力こそずば抜けているが統率を取らない、けんかは強いが戦争になれば御しやすい軍隊といえるだろう。
それでも決断のはやさ、フットワークのかるさこそが彼らにとって最大の強みであり、他の欠点を補ってあまりある武器だ。
その苛烈さにサランドロ邸の警備兵たちは即座に繊維を喪失してしまった。
コソ泥を追い払うのとは訳が違う。怪力自慢二百人が続々となだれ込んで来る光景は、矢面に立つ彼らにしたらこの世の終わりに等しい風景だ。
いくら金を積まれても勝ち目のない殺し合いには参加できないと、圧倒された警備兵たちはちりぢりになって姿を隠し始めた。
サランドロが異変に気づいたのは、情婦たちが慌ただしく撤収していく姿を視界に収めてからだった。
屋敷の主は立ち去ろうとする娘の一人に声をかける。
「おい、いったいどうした?」
「ええと、わかりませんが、すぐに戻ってこいと父が……」
彼女たちは商談の機会を得るために外でたむろしている商人の妻や娘たちだ。
これまで女たちが入れ代わり立ち代わりするのを気に留めたことはなかった。
誰一人として顔と名前は一致しておらず、見分けることができる女性といえば母か、先日、苦い思いをさせられた『劇団いぬのさんぽ』の制作の女くらいのものだからだ。
しかし、今回のように屋敷がもぬけの殻になるような事態は前代未聞である。
――嵐でもくるのか?
天候の悪化を察知して町に引き返すことにでもしたのだろうかと、報告がないことから緊急性はないものと油断していた。
静まり返った屋敷に側近のノロブが駆け込んでくる。
「サランドロ、大変です!」
「どうした血相を変えて」
すでに取り巻きのすべてが撤退し、屋敷に残っているのはサランドロとノロブの二人だけだった。
部下たちが根こそぎ逃げだしたにも関わらず、報告義務を果たしに現れたのは主に対する並外れた忠誠心の表れだろう。
「敵襲です!」
「……なにかと思えば、さっさと追い返せ!」
ならず者やちょっとしたモンスターくらいならば制圧できる人数、人材を雇っているはずだった。
「それが――」
ノロブは現状がいかに絶望的であるかを主に伝えた。
警備兵たちが報告もなく逃げ出したことに気づき原因を確認できたときにはすでに手遅れ、屋敷は完全に包囲されたあとだったと。
報告を受けたサランドロは慌てて屋敷を飛び出した。
――これはもう間に合わないな。
ジーダと別れたあと、ギュムベルトはサランドロ邸に差し掛かっていた。
ドワーフたちの目的共有がうまくいっていたら、今頃はとっくに追い付かれて屋敷も制圧されていただろう。
――人気もないし、逃げ出したあとかも……。
屋敷の前まで来てはみたものの、ジーダとのやりとりからすっかり救援への意欲は失われていた。
「……あっ」
立ち往生していると、逃げ出してきたサランドロと鉢合わせた。
ギュムの存在に気づいたノロブが詰め寄る。
「この騒ぎは、キサマらの差し金か?!」
「知るかよ! ドワーフたちを怒らせる心当たりがあるんじゃないのか!」
ギュムは強く反発した、あらためて相いれない相手だと思い知る。
――ぶちのめす理由はあっても助ける義理はないよな!
三度会っているサランドロがまるで初対面かのように確認する。
「誰だ?」
「ほら、『劇団いぬのさんぽ』の団員ですよ」
権力者や支援者以外の顔を覚えることはまったくの無駄、とくに無力な子供は眼中にもない。
「――あなたたちはいったいなんなんです、不死身かなにかですか?!」
高い再生能力を持つ人狼がそれを言うのもおかしかったが、イーリスに引き続き二度も殺し損ねたことは彼にとって屈辱以外の何ものでもない。
実際、ニィハがいなければ二人ともすでにこの世にはいなかっただろう。
「もういいノロブ。そんなガキにかまっている暇はない、さっさとこの場を離れるぞ!」
自分たちに恨みを持つ少年が現状に関与している疑いは無視できないが、もはやそれどころではない。
すでにサランドロたちは闘争の機会を完全に失っていた――。
「おい、人間たちがいるぞ――!!」
ドワーフたちが十、二十人と集まり周囲を取り囲んでいく。
「やってくれたのう、サロンドロッ!!」
呼びかけに集まって来たなかにはドワーフ王グンガの姿もあった。
逃げ場の見当たらない窮地に、サランドロは冷静を装いながら問いかける。
「グンガ王よ聞いてくれ! われわれの活動にドワーフ族をおとしめたりないがしろにする意図はない、不当に感じたことがあれば話し合いで解決すべきだ!」
白々しい言い訳だ。
より高額を提示した相手に売買するのは構わない、しかしドワーフの造作物を市場から排除している現実は取り繕いようがない。
「釈明は聞かねえ!! 『ワ』の怒り思い知れ!!」
聞く耳はもたない。交渉の席に着くことがそもそも相手の思うつぼだということをグンガ王は理解している。
人間は詐称が得意な種族だ。だまし、ごまかし、煙に巻いて、相手から不当に利益を吸い上げることを特性としている。
『話し合い』と言えば公正に聞こえるが、応じた時点でドワーフ側は現状の優位を手放すことになるだろう。
「――サランドロ、てめえの首だけが『ワ』への侮辱に対する手打ちの証だ!!」
グンガ王は大カナヅチを手にサランドロへと接近する。
統率の取れないドワーフ族といえど王の行動に水を差したりはしない、その動向を見守りながら追い詰めた得物を逃すまいと包囲を固めた。
もはや闘いは避けられない――。
一触即発の距離に近づくとノロブは人狼の正体をあらわにし、グンガ王に襲いかかった。
「グオオオオオオオオッ!!」
雄たけびに乗せて振り下ろした鉤爪がグンガ王の丸太のような腕に食い込んだ。
「――ッ!?」
青ざめた表情をしたのはノロブのほうだ。
イーリスの大腿部をたやすく切り裂いた鋭利な刃も、グンガの頑丈な前腕を裂くことはできない。
――だが、かすり傷ひとつ負わせればオレの勝ちだ!
人狼の爪には即効性の毒がある。人間ならば一分ほどで歩くこともままならなくなり、翌日には命を落とすほどの猛毒だ。
「ヌンッ!」と、グンガが気合の声を発する。
勝利を確信したノロブの頭部を大カナヅチが直撃し、振り抜かれる。
「ガアアアアアアアッ!!」
強烈な一撃は獣人を軽々と空中に舞いあげた。
「ノロブッ!!」
サランドロは地面に落下した護衛の安否を確認すべく呼びかけたが、獣人はピクリとも動かない。
人間よりもはるかに頑丈なはずの頭部が正視に耐えないくらいに変形しており、絶命してしまったかのように見える。
「――そんな、馬鹿な……」
鉤爪による一撃を受けたはずのグンガ王は平然と武器を構え直すと、サランドロへと標的を定めた。
洞窟暮らしでつちかったドワーフ族の免疫力は人間の比ではない、感染症の類とは縁遠くほとんどの毒に強い耐性を持っている。
「次はてめえだ!! サランドロ!!」
グンガ王が吠えた。その圧倒的な迫力にギュムのみならず、英雄サランドロすら完全に腰が引けてしまっていた。
サランドロもノロブもまぎれもない強者だが、グンガ王は格が違う。
自らの工作を第一とするドワーフ族は権力などにはまったくの無頓着だが、そんなドワーフたちがグンガを王と担いでいる。
それは純粋に頼れるという理由からだ。
即決断、即行動、そしてなにより腕っぷしで彼に敵う者は存在しない。
グンガこそ『鉄の国』最強のドワーフなのだ。
サランドロはもうおしまいだ――。
孤立無援となってしまった哀れな男と、周囲を取り囲むドワーフの大軍を交互に見回してギュムは観念した。
「小僧、てめえは引っ込んでろ!!」
グンガがサランドロの横に突っ立っている少年を怒鳴りつけた、見逃してやるから手を出すなということだろう。
サランドロが殺されることを気に病む理由はない。
それによってドワーフと人間の関係が悪化したとして、劇団や仲間たちに危害が及ぶわけでもないだろう。
「待ってくれ、見逃してくれ! そちらの要求を全面的に飲むと約束するから!」
サランドロはグンガから距離をとって逃げ回るが、囲みがあるためみっともなく右往左往することしかできないでいる。
「――頼む! オレが死んだらたくさんの人間が困るんだ! 施設への寄付が滞って子供たちを飢えさせることになる!」
必至の懇願もむなしく、ドワーフたちは「やっちまえ!」「ぶち殺せ!」とはやし立てる。
「オレを殺したらおまえたちはおしまいだぞ! たった二百人でアシュハの軍隊を敵に回すことになるんだからな!」
サランドロがなにを言ってもドワーフたちには響かない。粛々と標的を追い詰め、使命を完遂するのみだ。
憎い相手がいたぶられている。
自分たちから公演の権利を奪い、毒を使用して師を病床に縛り付け、大切な仲間の命を奪った。
ありとあらゆる非道を尽くした、憎むべき敵の最後だ――。
本来ならば楽しい場面なのかもしれないが、ギュムの感覚では誰であろうと痛めつけられている姿を目の当たりにするのは苦痛だ。
――かといって、おれにできることはなにもない。
無力な子供に怒り狂ったドワーフの戦士二百名を止められる道理がない。
それでも、ギュムは声を発することを押さえられない。
「お集りの皆々様方、どうぞご覧ください! こちらは『劇団いぬのさんぽ』ちまたでうわさの『殴られ屋』でございます!」
ドワーフたちの囲いの中心に立ち大きく両手を広げ、開演を宣言した。
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