第三章

第十四話 少女たち


    *    *    *



目を覚ますと、そこは見たこともない一室のベッドの上だった。ここがどこなのかはわからないが、昼間であることと人気がないことだけはわかる。


――わたし、なにしてたんだっけ……?


ユンナは朦朧とする意識で状況確認を試みようと体を起こす。包まれていた毛布を剥がすとその下が裸であることに気がついた。


――やばっ!?


少女の脳裏を『拉致、監禁』という言葉が過ぎった。


倒れたところを救われ看病されていたという可能性もあるだろう、しかし職業柄か質の悪いストーカーの存在を意識せずにはいられない。


――どういうこと、誰の仕業?


けがをしていないことから裸にむかれた理由がイタズラ目的以外には思いつかず、恐怖と嫌悪感に包まれる。


個人による犯行だろうか、生活感あふれる一室からは一人暮らしであることが推察できた。



「……あっ、目を覚ましましたか?」


玄関口から声がして、ユンナはビクリと肩を振るわせた。どうやら犯人が戻ってきたようだ――。


もう少しはやく目を覚まして状況の理解が間に合っていれば、抜け出すという選択肢があったかもしれない。などと、後悔したところで手遅れか。


どんな目に遭わされるかとおびえながら、緊張感に張り詰めた表情で犯人と対面する。


「ああっ!?」


姿を現した人物にユンナは驚きの声を上げた。


「ええと、まずは説明をさせてください」


現れたのは顔見知り、かの劇作家ペルペトーラ・ジオ・チンチン伯だった。


人間とすら打ち解けないユンナだ、相手が異種族であることに警戒心を強めると接近を強く拒む。


「近寄らないで! 強姦魔!」


「……ええっ、その発想はなかったなり!?」


人間にとって異種族はその対象なのかもしれないが、ドワーフが人間相手に発情するという前例は皆無のためジオは驚かされた。


「――ああ、でもそうですよね。人間の行動原理からすると、連れ去るという行為はイコール、レイプ目的なわけですから」


誘拐の動機としては金銭目的ということも考えられるが、彼女の境遇から前者が想像できる。

とはいえ、こんな子供でさえそれを警戒しなくてはならない事実にジオは寒気を覚えた。


――なに、こいつ。


ドワーフの断言口調に少しばかりの引っ掛かりを覚えたユンナは不機嫌そうに反論する。


「そんな人間ばかりじゃないもん……!」


先日、侮辱されたと怒り狂っていた人物が、随分と他人のことをバカにするじゃないかと思った。


「あなたが言いだしたんですよ? それと誤解があるようなので訂正させていただきたいのですが、ワたしは『女』です」


「……女?」


そう、ジオはドワーフの女性だった。


「ええ、そうですとも」


「うそ、五十のオッサンでしょ!」


ユンナの態度は行き過ぎだが、ドワーフ族はそんなことでは腹を立てない。他種族の見分けがつかないくらいは当たり前のことだとジオはよく理解していた。


「うそじゃありません。七十年いきてきましたが、人間の寿命に当てはめたら二十代に満たないくらいです」


ラチが明かないと、ジオは自分の性別を証明するために服をはだけて乳房をさらけ出した。


ユンナは目を見開いてつぶやく。


「嫉妬するくらいのピンク色だ!?」


「乳首の色は無関係です。が、ドワーフ男性の胸筋はもっと岩石じみていますよ」


そそくさと衣服を正し改めて自己紹介をする。


「――本名はジーダと申します。ドワーフの視点から人間の生態を研究していたら、いつの間にか作家になっていたのです」


ドワーフのためにはじめた研究はついぞ仲間たちの関心を引くことはなかったが、一方その過程で身に着けた文筆力、研究成果などは人間を楽しませる物語に生かされている。


誘拐犯は異種族の女性だった――。


乱暴目的ではないとして、一度しか面識のない商売ガタキがなぜ自分を連れ去ったのか。

考えられるとしたら先日受けた侮辱に対する報復か、あるいは今後の活動に対する妨害といったところだろう。


ユンナは問い詰める。


「なにをたくらんでるの……?」


「たくらむだなんて、出会い頭にまず説明をさせてくださいと言ったじゃないですか」


「言った?」


「言いましたとも。ワたしはあなたを誘拐などしていません、保護したのです」


ようやく少女が話を聞くスタンスになったので、ジーダは改めてここにいたる経緯の説明を開始した。



事は商人ギルド幹部サランドロ・ギュスタムによる劇作家イーリスとの交渉決裂に端を発する。

サランドロはイーリスに後ろ足で砂を駆けられたことで『劇団いぬのさんぽ』を敵視し、その腹癒せに看板女優であるユンナの殺害を町の警備隊に命じたのだった。


ユンナは驚がくする。


「待って、なんで警備隊が悪事に加担するの!?」


彼らを清廉潔白だとか正義の味方だなんて思ったことはただの一度もない。だからといって市民の暗殺を自治体に委ねるだなんて、これ以上の無法があるだろうか。


「警備隊やその上のおえらい方々はバレたら困るような援助をサランドロからたくさん受けてきたので、ほとんど彼の言いなりなんですよ」


捜査する人間が実行犯なのだから死因はいつわり放題、闇に葬るのも自在というわけだ。

治安維持を掲げる組織が悪党の手先に成り下がっている。にわかに信じ難い、いや信じたくない現実だった。


「陰謀論だよね?!」


「裏は取ってあります。その気になればいくらでも証拠を押さえることはできますが、誰も彼と争おうとは思わないのですよ」


ジーダ自身、サランドロのやることに介入しようと思ったことはなかった。それがどんなに非人道的なことでも興味深く見守ってきた。


彼女にとって人間は研究対象であり、港町を活動拠点にしている以上は名士たるサランドロは優先的な観察対象だ。

彼がどんな商売をしているか、邪魔者をどう排除してきたかなどもだいたい把握できている。


これまではそれを人間の生態として観察するにとどめ見て見ぬふりをしてきた。異種族の営みに手を加える気はなかったし、告発するメリットも勝算もなかったからだ。


しかし、今回ばかりは事情が異なる。


「――あなたを保護することができたのも、あらかじめ彼らの動きが把握できていたからです」


サランドロが劇団から自分を排除するだろうことは予測ができた。


イーリスが呼び出されたことを知ったジーダは、すぐに彼女が自分の後釜であることを察した。

そうなれば戦わずして作家ジオは作家イーリスよりも劣るとの烙印を押されることになってしまうだろう、なにせ自分が弾かれた席に座るのだ。


――それだけは耐え難い。


ジオは堪らずサランドロ邸に押しかけた。


結果、サランドロとノロブのやり取りから暗殺の失敗と次の報復手段を突き止めるに到ったわけだ。



「つまり、わたしが殺されないように匿ってくれてるってこと?」


ユンナにはいまいち実感が湧かない。


交渉の場にいた訳でもなければ劇団の正式なメンバーでもない、彼女にとっては理不尽なトバッチリだ。


ジーダが補足する。


「正確には、あなたはもう死んだことになっているので外を出歩かれると困ります」


「えっ!?」


世間ではすでにユンナは死んだということになっている――。


「裏が取れていると言ったでしょう、それを使って実行犯に取引を持ちかけたのです」


不正を暴くと脅すことでジーダは実行犯にユンナの引き渡しを迫った。


最悪サランドロにバレた場合、『指示には従ったが人違いだった』と言い逃れるために身代わりを用意するというのが妥協点だった。


「――ダミーの死体を偽装する必要があったので、身に付けていたものを拝借しました」


それが裸の理由であり、翌日からノコノコと出歩かれては面目が立たないといった訳でもある。


ユンナは反論する。


「……いやいや、他人に服を着せたくらいで身元をごまかせるわけないじゃん」


「そこはギュムベルト少年が身元確認をしてくれたのですんなりと行きましたね」


身内が本人だと言えば、他人がそれ以上を追求する必要はない。


「あいつもあんたとグルってこと?」


それを見越して、あらかじめギュムと示し合わせて世間を謀ったと考えるのが自然だ。


しかし、そうではない――。


「いえ、偶然通りかかっただけみたいですよ」


急を要したため、その部分では段取りをつけることがてきなかった。


「…………え?」


ユンナは言葉を失った。


少年は偶然通りかかると、生まれた時から家族同然に育った少女とダミーの判別もできずに本人認定したという。


「――あいつ、失明でもしてたの?」


「いえ、そんなことは……」


ギュムはすっかりだまされると、それを広めては一晩中さめざめと泣き、果てはユージムと一緒になってセンチメンタルな会話に浸っていたのだった。


「信じらんないッ!! 人生でこんなにガッカリしたこと他にないんだけどッ!!」


「まあまあ、それだけショックな出来事だったってことですよ。現実逃避といいますか、人間は弱っていると正確な判断ができなくなったり、幻が見えたりしますからね」


ジーダは感情的になるユンナをなだめようとするが、なかなか収まらない。


「あーぁ、やだ。もーぉ、耐えらんない。あいつを殺してわたしも死ぬわ。……ごめんね、せっかく助けてくれたのにッ!」


ダミーと言ってもそれは変身能力を持つ妖精が死体にふんしたもので、検視でもしなければ判別がつかなかった。


この妖精とは後日再会することになるのだが、それはまた別の話。


「――死ぬッ!死んでやるッ!」


「と、とにかく落ち着いてください。このままでは『劇団いぬのさんぽ』は解散せざるを得なくなるのです!」


「ハッ、わたしの知ったことじゃないし……!」


「あなただって、死んだものとして閉じこもり続けるわけにはいかないでしょう?」


しかしユンナはすっかりへそを曲げてしまって話し合いにならない。


「なんでもいいから!わたしの指輪、返してよ!」


目覚めた直後から探し続けていたそれが、取り上げられていたということに激しく抗議した。


「分かりました、なんとか回収できないか掛け合ってきますから、ワたしの話をきいてください!」


「ぶぅー!!」


一言叫んで大人しくした。指輪が返ってくるかは相手次第となれば従うしかない。



「ワたしはね、イーリスに演劇をやらせるためにサランドロを失脚させると決めました。それしかないと思っています」


サランドロ・ギュスタムを失脚させる――。


ジーダはたしかにそう宣言した。


彼女が望むのはイーリスとの真っ向勝負だ。


しかしユンナが標的にかけられたことで、無理に抵抗を続ければ誰の命が失われるかもわからない状況になってしまった。


誰かの命を犠牲にしてまで演劇を強行するのか。いや、できない。

『劇団いぬのさんぽ』は解散を余儀なくされるだろう。


ユンナを解放し元の生活を取り戻させる。イーリスに演劇を続けさせる。そして業界から排除されるであろう自身を守る。


それらすべてを可能とするためには、商人ギルド幹部サランドロ・ギュスタムから権力を奪う他にない。


「……ジーダはなんで、そこまでするの?」


ユンナは素直に尋ねた。


サランドロに牙を剥く、それは容易な決断ではないはずだ。


個人的にも圧倒的戦闘力を誇り、この町の全ての流通を取り仕切り、条例にすら介入し、警備隊をも意のままに操り、人々の羨望を一身に集める時代のカリスマ――。


『劇団いぬのさんぽ』がなす術なく無力化され解散に追い込まれたように、とうてい太刀打ちできる相手ではない。


「わたしを馬鹿にしたあの女が、限界を感じて筆を折るならそれで構わないのです。しかし、圧力に屈して演劇をやめられては困ります」


そうなれば、ドワーフ族の優位性を示すことができなくなるだろう。


ドワーフは相手が一千万人いたとしても、たったの二百人でそれにあらがう。


「ワたしのやり返す機会を他人のせいで失うだなんて、納得いきませんから!」


「……ぶっ飛んでるね」


それはユンナが引くほどの無謀だった。


とはいえ、いざ少女が殺されるという段階にならなければジーダは決断を下していなかったに違いない。


少女の危機を目の当たりにして、つい体が動いてしまった。


「あとですね。どうにも、あなたを見殺しにはできませんでした。わたしは女優ユンナのファンでもありますので」


出会い頭に言ったユンナとギュムベルトが一番推せるという発言は、けしてお世辞ではなかったからだ。

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